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古賀メロディ聴き比べ5:緑の地平線

2010年01月14日 | 歌謡曲
 「緑の地平線」は、1935年(昭和10年)公開の阿部豊監督の日活映画。また、楠木繁夫の歌った同名の主題歌。
主題歌「緑の地平線」は現代にいたるまで愛唱されているが、肝心の映画自身は戦災でフィルムが行方不明になってしまっており、現在ではスチール写真のみでその姿を偲ぶことしかできないということである。
 楠木繁夫は「人生劇場」「女の階段」などのヒット曲があるが、「緑の地平線」の余りの成功が後の彼の人生を狂わせたといえるようだ。とにかく分かっているだけでも、秋田登、黒田進、島津一郎、藤村一郎、浜口淳などなど51もの変名を使った変名大王で、戦後ヒット曲が出ないのを悲観して自殺してしまったのである。

 映画「緑の地平線」(左:原節子)

<「緑の地平線」 自選聴き比べ>
1.楠木繁夫 最初にレコードを出した歌手。
2.森昌子 若い頃の歌声、こういったカバー曲もいいね。
3.石川さゆり カバー曲をうまく歌う歌手である、1998年の映像。
4.石原裕次郎 味のある歌う方である。



     緑の地平線

  作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男
  唄:楠木繁夫 (昭和10年)

  1 なぜか忘れぬ人ゆえに
    涙かくして踊る夜は
    濡れし瞳にすすり泣く
    リラの花さえなつかしや

  2 わざと気強くふりすてて
    無理に注がして飲む酒も
    霧の都の夜は更けて
    夢もはかなく散りて行く

  3 山のけむりを慕いつつ
    いとし小鳩の声きけば
    遠き前途(ゆくて)にほのぼのと
    緑うれしや地平線

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詩人・佐藤惣之助と古賀メロディ (メロディ)
2018-05-20 20:05:41
古賀メロディーの多くの名曲があるなかで、名曲と言われる歌に「佐藤惣之助・作詞」というのがなんと多かったことか。

古賀メロディーのヒットは、西條八十とともに、佐藤惣之助の日本人の心に訴える名詞があったことを否定できません。

昭和の日本人の古き良き哀歓を謳いあげ、今も延延と根強く愛唱されています。

一般庶民の生活を題材とした詞によって、歌謡曲を身近な音楽として大衆に普及させた功績は大きいです。

   藤山一郎・・・・ 「男の純情」「青春日記」「青い背広で」「東京娘」      
   ディックミネ・・・「人生の並木路」「愛の小窓」「白衣の佳人」          
   楠木繁夫・・・・ 「白い椿の唄」「緑の地平線」「慈悲小鳥の唄」      
   霧島 昇・・・・ 「新妻鏡」
   村田英雄・・・・ 「人生劇場」                   

詩人・佐藤惣之助は1916年、最初の詩集である『正義の兜』を出版。

翌年には、第2詩集である『狂へる歌』を出版している。「詩魔に憑かれた魔性の人」(朔太郎)と評された。

惣之助は、1911年川田花枝と結婚。 その後、昭和8年(1933)1月に夫人花枝と死別、同年8月萩原朔太郎の妹周子と再婚。

義兄萩原朔太郎は、太平洋戦争開戦5か月したころ、昭和17年(1942)5月11日肺炎のため東京の自宅で死去、享年55歳。

義兄・朔太郎が死亡した4日後、5月15日に惣之助は後を追うようにして死去。(外出中、腦溢血のため。)

もともと「純粋詩」というジャンルにいた詩人・佐藤惣之助がいわゆる歌謡曲をてがけたのは、
昭和7年の、映画「金色夜叉」で関種子が歌った「金色夜叉(お宮の唄) 」(古賀政男作曲) と、
同じく藤山一郎が歌った「金色夜叉(貫一の唄) 」(佐々紅華作曲) あたりのようだ。

その後も古賀政男とコンビで、「人生の並木路」「男の純情」「緑の地平線」「白い椿の唄」「青い背広で」その他沢山の名曲を世に送り出した事で知られるが、昭和17年5月に亡くなったのが惜しまれる。     

歌謡曲の作詞をし始めた昭和一桁時代も以降も、「處女線を截る」「花心」などの詩集、随筆「釣心魚心 」「怒れる神 」(昭和14年)、「わたつみの歌」 「青年詩集」(昭和16年)、「春すぎし」(昭和17年) などの詩集を亡くなる直前まであらわしている。

最後の仕事は、昭和17年9月20日初版發行の釣の入門書だったようです。(創元社・創元選書94 )

歌謡作品としては、昭和16年の「馬」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲〕・ ・「めんこい仔馬」と同じ映画、や昭和17年4月の国民歌謡「働く力」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)。

詩人・佐藤惣之助はものすごく広い作品を残していて、戦後に活躍できなかったのは大きな損失。

昭和12年からNHK「国民歌謡」ができ、名前を変えて戦後の「ラジオ歌謡」まで、たくさんの名曲の
宝庫となったのですが、「国民歌謡」の前身は昭和11年4月からのNHK「新歌謡曲」で、その第一曲目が佐藤惣之助作詞、弘田竜太郎作曲、関種子が歌った「野薔薇の歌」。

野薔薇の歌(佐藤惣之助作詞、弘田竜太郎作曲、関種子歌)
ほのぼのと夜明けの野ばら
ほろぼろと幼き野ばら
七つの妹がいたならば
水のにおいの野の頬に
花より薄き紅染めて
今朝もなかずに遊ぼうものを

CD「20世紀の奇跡 ラジオの時代1」コロムビア

古賀政男は、自伝「古賀政男「歌はわが友、わが心」(人間の記録93 日本図書センター)で、「私が作曲の醍醐味を知ったのは、やはり惣之助さんと出会ってからだ」と回顧している。

佐藤惣之助の名詞は古賀政男の曲と出あうことによって、いつの時代にも、それぞれの聴く人の人生に重ねあわせることができる、時代を超えるすばらしい名曲となったということでしょう。

昭和7年頃からの佐藤惣之助の作詞活動は、17年に亡くなるまでの10年間余りながら、「人生の並木路」「新妻鏡」「青い背広で」「男の純情」など古賀メロディを中心とし日本人に心の琴線に触れる多くの殊玉の名曲、それに新民謡、他の国民歌謡その他を含めて660篇余りにも及ぶ。

昭和9年(1934)5月15日、コロムビアを退社した古賀政男によって、銀座にテイチク東京文芸部、通称古賀文芸部を発足させ明大マンドリンクラブの後輩7人を呼び寄せ、11年にはビクターとの3年契約の終えた藤山一郎を呼び寄せる。

ここに、世にいう「テイチク黄金時代」(古賀政男第二期黄金時代)が始まる。

テイチク黄金時代の立役者は、楠木繁夫、ディックミネ、杉狂児(東京音楽学校)など、それに昭和11からビクターから移った藤山一郎が加わる。

日活と提携して沢山の映画音楽、映画主題歌も作られ、月に40曲以上もの映画主題歌が作られたという。

ミスターテイチク・楠木繁夫の名前を決定的にしたのが、日活映画『緑の地平線』の主題歌《緑の地平線》のヒットである。

・日活映画1935阿部豊監督「緑の地平線」
主題歌 緑の地平線(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲、楠木繁夫歌)
挿入歌 ゆかりの唄(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲、ディックミネ歌)
挿入歌 夕べ仄かに(島田芳文作詞、、古賀政男作曲、デックミネ歌)松島詩子版もある。


1935(昭和10)年10月新譜。まるで、テイチクのこの世の春を呼ぶかのように絹のような肌ざわりのある楠木繁夫の美声がこの曲にのった。《緑の地平線》は、楠木繁夫の生涯最大のヒット曲であった。

原 節子(1920年6月17日 - 2015年9月5日)は、日本の大女優。「永遠の処女」と呼ばれ、戦前から戦後にかけて活動し、日本映画の黄金時代を体現した。

初めて映画出演は15歳、昭和10年〈1935) 阿部豊監督日活映画、岡譲二、原節子出演「緑の地平線」では、ゆかり役。

挿入歌,「ゆかりの唄](佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲)はゆかりをうたったもの。

他に「白衣(びゃくえ)の佳人』『検事とその妹』『勝利の日まで』『麗人』など戦前戦後にかけて、「古賀作品」と関係の深い作品に多数出演している。

NHKニュースによると、 [原節子]の出演映画の一つ、昭和12年渡辺邦男監督 日活映画「検事とその妹」のワンシーンが修復に成功し10秒間ほどが公開となった。

ゆかりの唄

作詞:佐藤惣之助
作曲:古賀政男
歌 :ディック・ミネ (台詞;星玲子)

都のともしび たのしく燃ゆれど
わが胸は
露にむしばむ かよわき花
涙にかがやく 初恋も
あゝ短きは 乙女の命

あゝ傷つきぬわが胸は、真白きリラの花のごと、
一人さびしく夕月に、すすり泣きつつしのびつつ、
あわれ今宵も散りて行く、ああ美わしの花よ、
なれの名は乙女、はかなくも消え行く雪よ、
なれの名も乙女、紅そめし頬も、
みどりのくろ髪も、束の間の秋の嵐にちりゆく。

高嶺の白雲 ほのかになびけど
わが夢は
さびし浅間の煙の影
嘆けどうつつに 消えゆきて
あゝ短きは 乙女の命



昭和10年(1935)10月1日、日活映画『緑の地平線』の挿入歌。いずれも佐藤惣之助の詩、星玲子の朗読があり、日本最高のジャズシンガーの称号を持つディック・ミネが歌唱しました。戦後、藤山一郎も歌っている。

「緑の地平線」(佐藤惣之助作詞、古賀政男作曲,楠木繁夫歌)とは前奏から対照的に、繊細な乙女の心情
を描く物静かな名曲。

戦後まで活躍した大女優原節子(1920年6月生まれ))の映画初演は,この昭和10年(1935)、15歳の時で、
『ためらふ勿れ若人よ』(田口哲 監督、1935年8月)節子 をはじめに戦後まで多くの映画に出演。

その中で、初期に「古賀メロディ」を主題歌とする作品で始まってる。

原節子
『緑の地平線』前篇(阿部豊監督、1935年)ゆかり(原初のトーキー作品)
『緑の地平線』後篇(阿部豊監督、1935年)ゆかり(原初のトーキー作品)
『白衣(びゃくえ)の佳人』(阿部豊監督、 1936年)  由紀子
『検事とその妹』(渡辺邦男監督、1937年) 明子
『蛇姫様』第一編(衣笠貞之助監督、1940年)琴姫
『勝利の日まで』(成瀬巳喜男 監督、1945年)(冒頭の15分のみ現存、原はクレジットされているが出演    場面を確認できないため、原節子作品リストに掲載されることがない幻の作品)
『麗人』    (渡辺邦男 監督、 1946年)菊小路圭子


☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110
☆昭和「日本映画黄金時代」と映画主題歌
http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=443967449&ls=50

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