<多摩よこやまの道 散策マップ(クリックで拡大)>
梅雨台風が去って、今日はひさしぶりの晴れ間がのぞく天気。
卯月の会のSさんを誘って、多摩よこやまの道を散策することとした。
多摩よこやまの道は多摩市の南方にあって、川崎市や町田市との市境の多摩丘陵に続く道。鎌倉街道上ノ道・鎌倉裏街道・軍事戦略鎌倉道・奥州古道・奥州廃道・古代東海道などと交錯する古代の交通の要衝の道だった。一般道を通る所もあるが、概ねは緩やかで歩き易い尾根道が続いている。
松戸7時30分、千代田線で小田急唐木田行で直行、終点2つ前の小田急永山駅で下車。
小田急永山駅 9時
諏訪四丁目バス停 9時27分
電車見橋を渡る
小田急と京王線が並行して走っているのがわかる
橋上から、多摩よこやまの道を眺める
弓の橋を渡る
丘の上広場入口 9時36分
多摩よこやまの道の入口で、横に広がる丘陵が続いている。
多摩よこやまの道案内を見つけた
ちょっと上がると丘の上広場にでる
ここから北方、小田急永山駅方面を眺める<(クリックで拡大)>
広い歩きやすい道が続く
桜の木が多く、満開時は花見客で賑わうようだ。
巨木発見
さくらの広場付近から
諏訪岳14米とあり、国土地理院の三角点がある
黒川散策路への分岐路
もみじの広場につづく道
防人見返りの峠にでる 10時16分
防人見返りの峠展望台
万葉集では望郷や別れを惜しむ道筋として「多摩の横山」が詠われている。古代、国防警備の目的で北九州に配置された防人という兵士たちは東国から陸路で都へ、さらに難波津(現在の大阪府の海岸)から船で瀬戸内海を通り九州へ向かった。再び生きては戻れない覚悟の防人たちが、この「多摩よこやまの道」の尾根で故郷を振り返りながら、家族との別れを惜しんだという。そんな姿が浮かんでくるようだ。
防人見返りの峠からの眺め<(クリックで拡大)>
遠くに富士山が垣間見えた。手前は丹沢山系だろうか。
道脇にホタルブクロが咲いていた
鞍部を右に迂回してゆく
国士舘大学脇に続く道
その道脇にあった多摩よこやまの道の案内碑
碑の下部に万葉歌が刻まれていた。
→詳細は万葉アルバムへ
古道五差路 10時52分
古道五差路跡、当時は往来する人々で賑わったであろう。現在も五差路のままである。
この道を右に下るとすぐに、幕府の大軍勢が通った現鎌倉街道にでる。
鎌倉街道を越えていく
多摩よこやまの道がさらに続く
いったん舗装道路に出る 恵泉女学園大学付近
道路から入ったところに一本杉公園入口がある 11時19分
公園内の池
芝生広場に万葉歌碑が建っている
赤駒を 山野に放し 捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ (宇遅部黒女)
この万葉集は、「赤駒を山野の中に放牧して捕らえられず、夫に多摩の横山を歩かせてしまうのだろうか」という防人の妻の心づくしの歌。東国から遠く北九州で国防の兵役につく防人は、再び故郷の土を踏むことはまずありえなかったようだ。武蔵野を眺望できる横山の尾根道で故郷を振り返りながら、家族との別れを惜しんだ防人の姿が浮かぶようだ。「よこやまの道」はこの万葉集の「横山」から名づけられたのである。
→詳細は万葉アルバムへ
旧有山家住宅
18世紀初頃の民家。
玄関から入った土間には竈があり、角には荒神様が祀られていた。
囲炉裏
かまどと荒神様
旧加藤家住宅
18世紀後半の民家。
めずらしい竹簀子床
座敷の竹簀子床などは古式の特徴である痕跡を残している。
つる棚があるところを通り
鎌倉裏街道のなごりという暗がりの小路を行く
通称「鎌倉裏街道」である。新選組の近藤勇や土方歳三らが小野路にあった道場へ出稽古のために通った道でもあるそうだ。ここは当時の姿が残っている貴重な場所となっている。
一本杉公園駐車場に出る 11時45分
散策はここで終了
バスで「多摩センター」駅に戻り、そばやを見つけて昼食。
松戸に戻ってから、中華店で2次会となった。
梅雨台風が去って、今日はひさしぶりの晴れ間がのぞく天気。
卯月の会のSさんを誘って、多摩よこやまの道を散策することとした。
多摩よこやまの道は多摩市の南方にあって、川崎市や町田市との市境の多摩丘陵に続く道。鎌倉街道上ノ道・鎌倉裏街道・軍事戦略鎌倉道・奥州古道・奥州廃道・古代東海道などと交錯する古代の交通の要衝の道だった。一般道を通る所もあるが、概ねは緩やかで歩き易い尾根道が続いている。
松戸7時30分、千代田線で小田急唐木田行で直行、終点2つ前の小田急永山駅で下車。
小田急永山駅 9時
諏訪四丁目バス停 9時27分
電車見橋を渡る
小田急と京王線が並行して走っているのがわかる
橋上から、多摩よこやまの道を眺める
弓の橋を渡る
丘の上広場入口 9時36分
多摩よこやまの道の入口で、横に広がる丘陵が続いている。
多摩よこやまの道案内を見つけた
ちょっと上がると丘の上広場にでる
ここから北方、小田急永山駅方面を眺める<(クリックで拡大)>
広い歩きやすい道が続く
桜の木が多く、満開時は花見客で賑わうようだ。
巨木発見
さくらの広場付近から
諏訪岳14米とあり、国土地理院の三角点がある
黒川散策路への分岐路
もみじの広場につづく道
防人見返りの峠にでる 10時16分
防人見返りの峠展望台
万葉集では望郷や別れを惜しむ道筋として「多摩の横山」が詠われている。古代、国防警備の目的で北九州に配置された防人という兵士たちは東国から陸路で都へ、さらに難波津(現在の大阪府の海岸)から船で瀬戸内海を通り九州へ向かった。再び生きては戻れない覚悟の防人たちが、この「多摩よこやまの道」の尾根で故郷を振り返りながら、家族との別れを惜しんだという。そんな姿が浮かんでくるようだ。
防人見返りの峠からの眺め<(クリックで拡大)>
遠くに富士山が垣間見えた。手前は丹沢山系だろうか。
道脇にホタルブクロが咲いていた
鞍部を右に迂回してゆく
国士舘大学脇に続く道
その道脇にあった多摩よこやまの道の案内碑
碑の下部に万葉歌が刻まれていた。
→詳細は万葉アルバムへ
古道五差路 10時52分
古道五差路跡、当時は往来する人々で賑わったであろう。現在も五差路のままである。
この道を右に下るとすぐに、幕府の大軍勢が通った現鎌倉街道にでる。
鎌倉街道を越えていく
多摩よこやまの道がさらに続く
いったん舗装道路に出る 恵泉女学園大学付近
道路から入ったところに一本杉公園入口がある 11時19分
公園内の池
芝生広場に万葉歌碑が建っている
赤駒を 山野に放し 捕りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ (宇遅部黒女)
この万葉集は、「赤駒を山野の中に放牧して捕らえられず、夫に多摩の横山を歩かせてしまうのだろうか」という防人の妻の心づくしの歌。東国から遠く北九州で国防の兵役につく防人は、再び故郷の土を踏むことはまずありえなかったようだ。武蔵野を眺望できる横山の尾根道で故郷を振り返りながら、家族との別れを惜しんだ防人の姿が浮かぶようだ。「よこやまの道」はこの万葉集の「横山」から名づけられたのである。
→詳細は万葉アルバムへ
旧有山家住宅
18世紀初頃の民家。
玄関から入った土間には竈があり、角には荒神様が祀られていた。
囲炉裏
かまどと荒神様
旧加藤家住宅
18世紀後半の民家。
めずらしい竹簀子床
座敷の竹簀子床などは古式の特徴である痕跡を残している。
つる棚があるところを通り
鎌倉裏街道のなごりという暗がりの小路を行く
通称「鎌倉裏街道」である。新選組の近藤勇や土方歳三らが小野路にあった道場へ出稽古のために通った道でもあるそうだ。ここは当時の姿が残っている貴重な場所となっている。
一本杉公園駐車場に出る 11時45分
散策はここで終了
バスで「多摩センター」駅に戻り、そばやを見つけて昼食。
松戸に戻ってから、中華店で2次会となった。