卯月の会、今月は赤坂駅から氷川神社・南部坂へと散策するコース。
今日は秋晴れに恵まれ、半袖でちょうど良い行楽日和。
千代田線「赤坂駅」10時15分スタート
TBS放送センター(ビックハット)を横に見ながら歩く
<赤坂氷川神社>
天暦五年創祀以来、地域の信仰篤く、忠臣蔵浅野内匠頭夫人遙泉院実家だった現地に、享保十五年将軍吉宗公により遷座。江戸七氷川、元准勅祭東京十社の一。八代より十四代まで将軍朱印状・神馬額絵等文化財多数あり。氏子勝海舟翁参拝の四合稲荷が境内に鎮座。
ほどなく赤坂氷川神社の裏入口に着く
社殿がある境内への階段、太鼓橋と池(左)
勝海舟ゆかりの四合(しあわせ)稲荷
稲荷四社を明治31年遷座合祀し、幕末より赤坂在住の勝海舟により、『四合(しあわせ)稲荷』と称えられたという。
階段上の狛犬
境内には7対の狛犬、2対のキツネが見られるという。マニアには最高の場所らしい。
大イチョウ
幹径約2.4m、幹周約7.5mを測る樹齢400年の巨樹。
浅野土佐守邸跡の立札(左)、摂社「九神社」(右)
「忠臣蔵」の浅野内匠頭の正室・瑶泉院の実家だったところで、浅野内匠頭が切腹の後、瑶泉院はここにおり、
大石内蔵助が別れの挨拶に来た話は有名。
摂社「九神社」は浅野家屋敷跡といわれている。
祖神社・春日神社・鹿嶋神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社、以上の九社を合祀したお社になっている。
境内のたたずまい
楼門から本殿につづく
ここは神前式結婚に人気があり、今日も行われていた。
本殿
絵馬堂、絵馬
絵馬堂には「月岡芳年筆『ま組』火消し絵馬」(港区指定文化財)なるものが架かっているようだが、
外からはまるで見れない状態だった。
石灯篭
ここが赤坂氷川神社の正門にあたる
境内を出たところが、本氷川坂
坂沿いを反対側に歩くとアメリカ大使館宿舎が右手に見えてくる
歩いていると、外人の家族づれによく行きかうようだ。
アメリカ大使館宿舎
松代藩真田家跡から三井本家屋敷になり財閥解体により接収されたところだそうだ。
南部坂 上から眺める
浅野家断絶後、浅野内匠頭の夫人瑶泉院は、生家である三次浅野土佐守の下屋敷(現在の赤坂氷川神社の所にあった)に住んでいた。元禄十五年(1702)の十二月十四日は朝から雪が降り続いており、その中で翌日に討ち入りを控えた大石内蔵助は瑶泉院に暇乞いにおもむいたが、吉良方に計画の漏れることをおそれて、ついに討ち入りのことを告げずに去る。瑶泉院が見送った南部坂が講談や歌舞伎で有名な坂で、”嘆く瑶泉院、苦しむ内蔵助”と、これが有名な「南部坂 雪の別れ」の場面である。
南部坂を下から眺める
いにしえの面影はまるで感じられない。しいて言えば道左の石垣(アメリカ大使館宿舎)に多少感じられるかとも思う。
坂下に出ると六本木通り。タクシーを拾って赤羽橋へ。
赤羽橋駅近くにある、「銘林閣」へ。
中華ビュッフェ食べ放題+生ビール付 の昼食。
散策はここで終了、松戸へ戻り2次会となった。
今日は秋晴れに恵まれ、半袖でちょうど良い行楽日和。
千代田線「赤坂駅」10時15分スタート
TBS放送センター(ビックハット)を横に見ながら歩く
<赤坂氷川神社>
天暦五年創祀以来、地域の信仰篤く、忠臣蔵浅野内匠頭夫人遙泉院実家だった現地に、享保十五年将軍吉宗公により遷座。江戸七氷川、元准勅祭東京十社の一。八代より十四代まで将軍朱印状・神馬額絵等文化財多数あり。氏子勝海舟翁参拝の四合稲荷が境内に鎮座。
ほどなく赤坂氷川神社の裏入口に着く
社殿がある境内への階段、太鼓橋と池(左)
勝海舟ゆかりの四合(しあわせ)稲荷
稲荷四社を明治31年遷座合祀し、幕末より赤坂在住の勝海舟により、『四合(しあわせ)稲荷』と称えられたという。
階段上の狛犬
境内には7対の狛犬、2対のキツネが見られるという。マニアには最高の場所らしい。
大イチョウ
幹径約2.4m、幹周約7.5mを測る樹齢400年の巨樹。
浅野土佐守邸跡の立札(左)、摂社「九神社」(右)
「忠臣蔵」の浅野内匠頭の正室・瑶泉院の実家だったところで、浅野内匠頭が切腹の後、瑶泉院はここにおり、
大石内蔵助が別れの挨拶に来た話は有名。
摂社「九神社」は浅野家屋敷跡といわれている。
祖神社・春日神社・鹿嶋神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社、以上の九社を合祀したお社になっている。
境内のたたずまい
楼門から本殿につづく
ここは神前式結婚に人気があり、今日も行われていた。
本殿
絵馬堂、絵馬
絵馬堂には「月岡芳年筆『ま組』火消し絵馬」(港区指定文化財)なるものが架かっているようだが、
外からはまるで見れない状態だった。
石灯篭
ここが赤坂氷川神社の正門にあたる
境内を出たところが、本氷川坂
坂沿いを反対側に歩くとアメリカ大使館宿舎が右手に見えてくる
歩いていると、外人の家族づれによく行きかうようだ。
アメリカ大使館宿舎
松代藩真田家跡から三井本家屋敷になり財閥解体により接収されたところだそうだ。
南部坂 上から眺める
浅野家断絶後、浅野内匠頭の夫人瑶泉院は、生家である三次浅野土佐守の下屋敷(現在の赤坂氷川神社の所にあった)に住んでいた。元禄十五年(1702)の十二月十四日は朝から雪が降り続いており、その中で翌日に討ち入りを控えた大石内蔵助は瑶泉院に暇乞いにおもむいたが、吉良方に計画の漏れることをおそれて、ついに討ち入りのことを告げずに去る。瑶泉院が見送った南部坂が講談や歌舞伎で有名な坂で、”嘆く瑶泉院、苦しむ内蔵助”と、これが有名な「南部坂 雪の別れ」の場面である。
南部坂を下から眺める
いにしえの面影はまるで感じられない。しいて言えば道左の石垣(アメリカ大使館宿舎)に多少感じられるかとも思う。
坂下に出ると六本木通り。タクシーを拾って赤羽橋へ。
赤羽橋駅近くにある、「銘林閣」へ。
中華ビュッフェ食べ放題+生ビール付 の昼食。
散策はここで終了、松戸へ戻り2次会となった。