テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
(縮小画像はクリックで拡大表示)
「リンクメニュー」(分類別目次)機能付。

赤坂 氷川神社から南部坂へ

2012年09月29日 | 散歩
 卯月の会、今月は赤坂駅から氷川神社・南部坂へと散策するコース。
今日は秋晴れに恵まれ、半袖でちょうど良い行楽日和。


千代田線「赤坂駅」10時15分スタート


TBS放送センター(ビックハット)を横に見ながら歩く

<赤坂氷川神社>
天暦五年創祀以来、地域の信仰篤く、忠臣蔵浅野内匠頭夫人遙泉院実家だった現地に、享保十五年将軍吉宗公により遷座。江戸七氷川、元准勅祭東京十社の一。八代より十四代まで将軍朱印状・神馬額絵等文化財多数あり。氏子勝海舟翁参拝の四合稲荷が境内に鎮座。


ほどなく赤坂氷川神社の裏入口に着く


社殿がある境内への階段、太鼓橋と池(左)


勝海舟ゆかりの四合(しあわせ)稲荷
稲荷四社を明治31年遷座合祀し、幕末より赤坂在住の勝海舟により、『四合(しあわせ)稲荷』と称えられたという。


階段上の狛犬
境内には7対の狛犬、2対のキツネが見られるという。マニアには最高の場所らしい。


大イチョウ
幹径約2.4m、幹周約7.5mを測る樹齢400年の巨樹。


浅野土佐守邸跡の立札(左)、摂社「九神社」(右)
「忠臣蔵」の浅野内匠頭の正室・瑶泉院の実家だったところで、浅野内匠頭が切腹の後、瑶泉院はここにおり、
大石内蔵助が別れの挨拶に来た話は有名。
摂社「九神社」は浅野家屋敷跡といわれている。
祖神社・春日神社・鹿嶋神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社、以上の九社を合祀したお社になっている。


境内のたたずまい


楼門から本殿につづく


ここは神前式結婚に人気があり、今日も行われていた。


本殿


絵馬堂、絵馬
絵馬堂には「月岡芳年筆『ま組』火消し絵馬」(港区指定文化財)なるものが架かっているようだが、
外からはまるで見れない状態だった。


石灯篭


ここが赤坂氷川神社の正門にあたる


境内を出たところが、本氷川坂


坂沿いを反対側に歩くとアメリカ大使館宿舎が右手に見えてくる
歩いていると、外人の家族づれによく行きかうようだ。


アメリカ大使館宿舎
松代藩真田家跡から三井本家屋敷になり財閥解体により接収されたところだそうだ。


南部坂 上から眺める
浅野家断絶後、浅野内匠頭の夫人瑶泉院は、生家である三次浅野土佐守の下屋敷(現在の赤坂氷川神社の所にあった)に住んでいた。元禄十五年(1702)の十二月十四日は朝から雪が降り続いており、その中で翌日に討ち入りを控えた大石内蔵助は瑶泉院に暇乞いにおもむいたが、吉良方に計画の漏れることをおそれて、ついに討ち入りのことを告げずに去る。瑶泉院が見送った南部坂が講談や歌舞伎で有名な坂で、”嘆く瑶泉院、苦しむ内蔵助”と、これが有名な「南部坂 雪の別れ」の場面である。


南部坂を下から眺める
いにしえの面影はまるで感じられない。しいて言えば道左の石垣(アメリカ大使館宿舎)に多少感じられるかとも思う。

 坂下に出ると六本木通り。タクシーを拾って赤羽橋へ。
赤羽橋駅近くにある、「銘林閣」へ。


中華ビュッフェ食べ放題+生ビール付 の昼食。

散策はここで終了、松戸へ戻り2次会となった。

多摩川三碑と等々力緑地

2012年09月17日 | 散歩
 多摩川にちなむ有名な万葉の歌がある。
「多摩川に さらす手づくり さらさらに 何ぞこの児の ここだ 愛しき」(万葉集巻14)である。
この歌の歌碑が多摩川付近(狛江市・調布市)に三碑あり、これを今回訪ねた。
さらに足を伸ばし、等々力緑地(川崎市中原区)にある歌碑も訪ねることにした。

自宅を8時過ぎに出、新宿から京王線で京王多摩川駅に10時前に到着。


京王多摩川駅からスタート

多摩川三碑の一つ、お目当ての多摩川小学校が見つからず、遊んでいた小学生に道を尋ねたどり着いた。 


多摩川小学校(調布市多摩川)
門が開いていたので、中に入り写真を撮ることができそう!


万葉仮名で刻された万葉歌碑
「多摩川に さらす手づくり さらさらに 何ぞこの児の ここだ 愛しき」(万葉集巻14)
   →万葉アルバム


しばらく歩くと多摩川に出る


河原では少年野球の真っ最中だった


京王線鉄橋をくぐってすぐに・・・


第8消防区分団火見櫓(調布市多摩川5丁目)があり、その中に・・・


多摩川三碑の二つ目の万葉歌碑があった
   →万葉アルバム


多摩川全景 <クリックで拡大>


土手から京王線鉄橋をみる
サイクリング道路として整備されていた。休日でもあり、多数のサイクリングを楽しむ人に出会った。


反対側(狛江方面)


多摩川河原


河原に咲く花々


多摩川全景 <クリックで拡大>


多摩川の堰


魚を採る人たち


六郷用水取水口付近
かつて近くに料亭「玉翆園」があり、多摩川で舟遊びや川魚料理を楽しめ、お客さんで賑わった。
玉翆園の石垣の一部が残っていた。


多摩川三碑目がなかなか見つからず、探していたら、万葉歌碑の行き先案内版を見つけた。


六郷用水取水口近くの歌碑公園(狛江市中和泉)に万葉歌碑がある
民家に挟まれた狭い空き地か、公園というほどでもない。百日紅の赤い花が咲き誇っており、ベンチが置かれていた。


万葉歌碑
多摩川三碑の三つ目の万葉歌碑であるが、こちらの歌碑が最も古く由緒もあるもの。
   →万葉アルバム

 ここからバスで狛江駅へ


狛江駅 12時40分


乙女の像
駅前広場にある。碑文に万葉歌が載っており、川辺の水面を見つめ、その流れに思いを寄せる乙女とある。

 昼食をとり、ここから南武線で武蔵中原駅へ


武蔵中原駅


富士通工場 大きな工場の側道を歩く


春日神社 静かで落ち着いた神社である。


とどろきアリーナに着く
ここが等々力緑地の入り口でもある。アリーナ(陸上競技場、野球場、サッカー場、プール等のスポーツ施設)は今回は横切るだけ!。


等々力緑地四季園をすぎ・・・


等々力緑地ふるさとの森に着く
市民ミュージアム横のすぐ横に位置している。


ふるさとの森の入り口付近に、お目当ての万葉歌碑がある。
(左手に見えるのが万葉歌碑)
置かれた場所を移したようで、入口近くの市民ミュージアムに近いところに建っていた。


ふるさとの森に佇む万葉歌碑(川崎市中原区)
森の中でなかなか存在感があるようだ。


万葉歌碑 丸い穴が開いている独特の珍しい形をした歌碑である。
橘(たちばな)の 古婆(こば)の放髪(はなり)が 思(おも)ふなむ 心愛(うつく)し いで吾(あ)れは行かな (巻14-3496)
   →万葉アルバム

 バスで武蔵小杉駅へ


武蔵小杉駅 15時前

ほぼ今回の目的を果たし、渋谷経由で帰路、松戸へ。

森と広場 残暑最中

2012年09月07日 | 散歩
 9月に入っても、まだまだ残暑が厳しい。
森と広場に立ち寄って、新しく購入したデジカメを試してみた。
PENTAX Optio VS20 で、デジカメながら、光学20倍ズームレンズが魅力である。
またパノラマや魚眼などの機能がついている。


千駄堀池全景1(パノラマ)<クリックで拡大>


千駄堀池全景2(パノラマ) <クリックで拡大>


自然観察舎から(パノラマ) <クリックで拡大>


カワセミ1 (20倍ズーム)
三脚なしで、20倍ズームで構えると、かなりぶれる。それでもここまではっきり撮れた。


カワセミ2 (20倍ズーム)
次回は三脚で挑戦してみよう。


千駄堀池の小島 (ズーム)


千駄堀池 (魚眼使用)


モーツァルトCDの風景19:旧約聖書ダヴィデの詩篇

2012年09月03日 | モーツァルト
モーツアルト:「オラトリオ 悔悟するダヴィデ K.469」
1785年3月初演。ミサ曲ハ短調K.427のキリエとグローリアがモーツァルト自身によって、オラトリオ《悔悟するダヴィデ》(K.469)に歌詞を変えて転用された。

歌詞の作者は明らかではないが、1783年以来モーツァルトと親交のあったダ・ポンテが「ダヴィデ」を扱った詩編を書いていたことも知られ、それがこの作品の作詞者であると推測されている。
内容は旧約聖書のダヴィデの詩篇に基づいているが、直接ダヴィデに関係した物語ではない。
主の力により苦しみから解放され、救われる、という信仰の喜びを歌う内容になっている。
音楽が先に出来、「ミサ曲ハ短調K.427」からの流用で2曲のアリアと合唱を加えて、それに合わせて後から歌詞を付けたとされる。


Miniature with King David(Schnutgen-Museum)

<モーツァルト:オラトリオ「悔悟するダヴィデ」K.469,エクスルターテ・ユビラーテK.165 マーシャル(S),マリナー指揮/シュトゥットガルト放送管弦楽団 (PHILIPS 420 952-2 輸入盤)>
「モテット<エクスルターテ・ユビラーテ>」は有名な曲。第二楽章のほのぼのとした温かさは絶品。終楽章のアレルヤは、ソプラノのコンンチェルトさながらである。


Pieta Rottgen,Holzskulptur,c,1300,Rheinisches Landesmuseum,Bonn

<モーツァルト:オラトリオ「悔悟するダヴィデ」K.469,アヴェ・ヴェルム・コルプスK.618 ラーキ(S), ファリエン(S),クイケン指揮/ラ・プティット・バンド (harmonia mundi BVCD-5002 輸入盤)>
「モテット<アヴェ・ヴェルム・コルプス>」はモーツァルトの教会音楽の行きついた頂点はこの曲であるという。わずか三分半の小品ながら奇蹟としかいいようがない。


Le Sauveur du Monde,Cliche Giraudon

<モーツァルト:ミサ曲ハ短調K.427,フリーメーソンのための葬送音楽K.477 オルツ(S),ラーモア(S) ヘルヴェッヘ指揮/エリゼー室内管弦楽団 (harmonia mundi HMX 2901393 輸入盤)>
「ミサ曲 ハ短調K.427」は1783年10月ザルツブルク聖ペータース教会で初演。未完ながら驚嘆すべき作品。キリエとグローリアはモーツァルト自身によって、オラトリオ《悔悟するダヴィデ》(K.469)に転用された。映画「アマデウス」のモーツァルトとコンスタンツェの結婚式のシーンでこの曲の冒頭のキリエが流れる場面は感動的だった。
冒頭の「キリエ」は陰鬱な雰囲気で始まるが、次第に長調を織り交ぜながら、突如として始まるソプラノの独唱は天上に駆け上がるかのような感動に溢れた心を打つ曲である。

「フリーメーソンのための葬送音楽」は深遠な感動を呼ぶ作品である。

ブログセンタ