テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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モーツァルトCDの風景20:宗教絵画の世界

2012年10月04日 | モーツァルト

マウルベルチュ:「Himmhlfahrt Mariens」

<モーツァルト:モテット<エクスルターテ・ユビラーテ>K.165・レジナ・チェリ ニ長調K.108・レジナ・チェリ 変ロ長調K.127他 カークビー(S),ホグウッド指揮/アカデミー室内合奏団 (L'OISEAU-LYRE 411 832-2 輸入盤)>
「エクスルターテ・ユビラーテ」は有名な曲。第二楽章のほのぼのとした温かさは絶品。終楽章のアレルヤは、ソプラノのコンンチェルトさながらである。
「レジナ・チェリ ハ長調」は知られざる秀作。「天の元后」と題されるこの音楽は聖母マリアに、御子キリストの復活を祝うもので、晴れやかで清澄な音楽である。


コレイン・デ・コテル:《恩寵の玉座》 (1510頃)

<モーツァルト:ミサ<ドミニクス・ミサ>K.066・ミサ曲<三位一体の祝日のためのミサ>K.167 シュリック(S),ノイマン指揮/コレギウム・カルトジアヌム (Virgin 7243 5 61303 2 輸入盤)>
「ドミニクス・ミサ」は13歳で作曲した大ミサ曲で晴れやかな曲である。
「三位一体の祝日のためのミサ」は独唱をいっさい排した特異なミサ曲。第6曲アニュス・デイはゆるやかな旋回音を伴う、たっぷりとした壮麗な楽想から始まり、弦の繊細な挿入音型がやさしさを添え、穏やかな終章をなす。


マリアロッシ:「Rossi:La Gloria」

<モーツァルト:ミサ曲<クレード・ミサ>K.257・聖体の祝日のためのリタニアK.243 マグヌス(S),アーノンクール指揮/ウィーン・コンツェントォス・ムジクス (TELDEC 9031-72304-2 輸入盤)>
「聖体の祝日のためのリタニア」はモーツァルトの教会音楽の多彩な魅力をこの一曲に集めたような傑作。こんなすばらしい曲なのに録音は少ない。


ポントルモ:「十字架降下」(1525)

<モーツァルト:ミサ曲 ハ短調K.427 ルッセル(S),マーク指揮/パドヴァ・ベネト管弦楽団 (ARTS 47385-2 輸入盤)>
「ミサ曲 ハ短調」は1783年10月ザルツブルク聖ペータース教会で初演。未完ながら驚嘆すべき作品。


フラ・アンジェリコ:「受胎告知」

<モーツァルト:ミサ曲 ハ長調<戴冠式>K.317・証聖者のためのヴェスペレK.339 スティック・ランドール(S),リステンパート指揮/ラ・サール室内管弦楽団 (ACCORD 220 412 輸入盤)>
「戴冠式ミサ」は1791年にプラハで行われたレオポルトⅡ世の戴冠式で演奏されて以来この名がついた。式典にふさわしい名作。
「証聖者のためのヴェスペレ」はザルツブルク時代の最後をしめくくる名作。<ラウダーテ・ドミヌム>のソプラノ独唱が特に美しい。マリア・シュターダーの絶唱は、開始部が印象深い。


セバスティアーノ・リッチ:「S.Franciscus of Paola reawakens a dead chid」

<モーツァルト:ミサ曲<聖三位一体のミサ>K.167・ミサ・プレヴィスK.258・ミサ・プレヴィス<オルガン・ミサ>K.259他 ボニー(S),マグヌス(A),アーノンクール指揮/ウィーン・コンツェントォス・ミジクス (TELDEC WPCS-6481)>
「オルガン・ミサ」、第5曲ベネディクトスは動きのある愛らしい楽想にのせた独唱、第6曲アニュス・デイは第1ヴァイオリンが美しく優雅な旋律を奏し第2ヴァイオリンがピチカートでそれにともなう、親しみに溢れるセレナード風のアニュス・デイ。


ルーベンス:「Christ's Charge to Peter」(1616)

<モーツァルト:ミサ曲<聖三位一体のミサ>K.167・ミサ・プレヴィスK.140・ミサ・プレヴィスK.65 ドーナス(S),ケーゲル指揮/ライプツィヒ放送交響楽団 (PHILIPS PHCP-3808)>
「聖三位一体のミサ」は独唱をいっさい排した特異なミサ曲。第6曲アニュス・デイはゆるやかな旋回音を伴う、たっぷりとした壮麗な楽想から始まり、弦の繊細な挿入音型がやさしさを添え、穏やかな終章をなす。


ウェスト:「Death on the Pale Hors」(1776)

<モーツァルト:レクイエム ニ短調K.626・キリエ ニ短調K.341 ルーベンス(S),ヘルヴェッヘ指揮/エルゼー室内管弦楽団 (harmonia mundi HMC 901620 輸入盤)>
「レクイエム」はラクリモーザの8小節目で絶筆となった。ジェスマイヤーおよびアイブラーの補作がある。
「キリエ ニ短調」は正に隠れた最高傑作だと思う。最近この曲が、一七八〇年ではなく最晩年のものではないかと考えられるようになった。

モーツァルトCDの風景19:旧約聖書ダヴィデの詩篇

2012年09月03日 | モーツァルト
モーツアルト:「オラトリオ 悔悟するダヴィデ K.469」
1785年3月初演。ミサ曲ハ短調K.427のキリエとグローリアがモーツァルト自身によって、オラトリオ《悔悟するダヴィデ》(K.469)に歌詞を変えて転用された。

歌詞の作者は明らかではないが、1783年以来モーツァルトと親交のあったダ・ポンテが「ダヴィデ」を扱った詩編を書いていたことも知られ、それがこの作品の作詞者であると推測されている。
内容は旧約聖書のダヴィデの詩篇に基づいているが、直接ダヴィデに関係した物語ではない。
主の力により苦しみから解放され、救われる、という信仰の喜びを歌う内容になっている。
音楽が先に出来、「ミサ曲ハ短調K.427」からの流用で2曲のアリアと合唱を加えて、それに合わせて後から歌詞を付けたとされる。


Miniature with King David(Schnutgen-Museum)

<モーツァルト:オラトリオ「悔悟するダヴィデ」K.469,エクスルターテ・ユビラーテK.165 マーシャル(S),マリナー指揮/シュトゥットガルト放送管弦楽団 (PHILIPS 420 952-2 輸入盤)>
「モテット<エクスルターテ・ユビラーテ>」は有名な曲。第二楽章のほのぼのとした温かさは絶品。終楽章のアレルヤは、ソプラノのコンンチェルトさながらである。


Pieta Rottgen,Holzskulptur,c,1300,Rheinisches Landesmuseum,Bonn

<モーツァルト:オラトリオ「悔悟するダヴィデ」K.469,アヴェ・ヴェルム・コルプスK.618 ラーキ(S), ファリエン(S),クイケン指揮/ラ・プティット・バンド (harmonia mundi BVCD-5002 輸入盤)>
「モテット<アヴェ・ヴェルム・コルプス>」はモーツァルトの教会音楽の行きついた頂点はこの曲であるという。わずか三分半の小品ながら奇蹟としかいいようがない。


Le Sauveur du Monde,Cliche Giraudon

<モーツァルト:ミサ曲ハ短調K.427,フリーメーソンのための葬送音楽K.477 オルツ(S),ラーモア(S) ヘルヴェッヘ指揮/エリゼー室内管弦楽団 (harmonia mundi HMX 2901393 輸入盤)>
「ミサ曲 ハ短調K.427」は1783年10月ザルツブルク聖ペータース教会で初演。未完ながら驚嘆すべき作品。キリエとグローリアはモーツァルト自身によって、オラトリオ《悔悟するダヴィデ》(K.469)に転用された。映画「アマデウス」のモーツァルトとコンスタンツェの結婚式のシーンでこの曲の冒頭のキリエが流れる場面は感動的だった。
冒頭の「キリエ」は陰鬱な雰囲気で始まるが、次第に長調を織り交ぜながら、突如として始まるソプラノの独唱は天上に駆け上がるかのような感動に溢れた心を打つ曲である。

「フリーメーソンのための葬送音楽」は深遠な感動を呼ぶ作品である。

モーツァルトCDの風景18:旧約聖書ユディトの物語

2012年08月07日 | モーツァルト

ボッティチェリ(1472)<ユディトの帰還> 1472年頃

旧約聖書外伝より「ユディトとホロフェルネス」
ユディトはベツリアの町に住む、裕福な未亡人であった。大変に美しく、神への信仰が厚かった。ホロフェルネス率いるアッシリア軍がベツリアの町を包囲した。
ユディトは召使とともにはアッシリアの陣地へ行った。ユディトは取り囲まれているベツリアの町について、もう神の加護のない町であるから、攻略方法を教えると言って敵将ホロフェルネスに近づいた。
ユディトの美しさに気を許したホロフェルネスは彼女を酒宴に招いた。
ユディトはホロフェルネスが酔いつぶれて寝込んでしまうのを待ち、首を切り落とした。
ユディトはホロフェルネスの首をベツレアの町に持ち帰った。将軍のいないアッシリア軍はあっさりと敗退した。

 この旧約聖書の物語をメタスタージョがイタリア語で脚色した台本で、モーツァルトがオラトリオを作曲した。
モーツァルト:オラトリオ 「救われたベトゥーリア」全曲 K.118 である。
「救われたベトゥーリア」は、モーツァルトが15歳の時に作曲された2部の宗教劇。台本は、美しいユディトが敵将ホロフェルネスの首を持ち帰り、ユダヤ人の危急を救うという、旧約外典ユデト書の物語を自由に脚色したもの。
ニ短調の序曲をはじめ、短調の曲が多く、モーツァルトのシリアスな表現が聴く者の心を打つ。

<モーツァルト:宗教劇「救われたベトゥーリア」K.118 マーク指揮/パドヴァ・ヴェネト室内管弦楽団 (DENON COCO-9945-6)>

ボッティチェリは召使に首を持たせて帰還する場面を描いているが、
「ユディトとホロフェルネス」の場面は多くの画家が描いている。
その中から3点を以下に載せる。
アローリとクラーナハは切り落とした首をもつユディトを描いている。
カラヴァッジョは首を切り落とす瞬間を描いている。


アローリ(1613)


クラーナハ(1530)


カラヴァッジョ(1598)


モーツァルトCDの風景17:ロココ美術の画家たち

2012年07月03日 | モーツァルト
 ロココ美術は、18世紀ルイ15世統治下のフランスを中心に、欧州各地を席巻した優美な装飾様式。「ロカイユ(貝殻装飾)」が語源で、曲線を多用した装飾性の高い形体、明瞭かつ軽快な色彩、優雅でありながら甘美性も備わる表現、雅宴画と呼ばれる独自の絵画様式などが特徴として挙げられる。また神話的主題や統治者の栄光を称える作品が典型例であるも、肖像画、風俗画、静物画などでもロココ独特の様式美が示されている。
 モーツァルトの音楽はロココ美術の世界と重なるものを持っている。


プーシェ<田園の情景>

<モーツァルト:歌劇「羊飼の王様」(全曲)K.208 サッカ(T),マレイ(S) アーノンクール指揮/ウィーン・コンツェントス・ムジクス (TELDEC 4509-98419-2 輸入盤)>
歌劇「羊飼の王様」は十九歳の作品。マリア・テレジアの末の皇子がザルツブルクを訪問した際、歓迎の出し物として作曲された。


プーシュ<エウロペの掠奪>

<モーツァルト:交響曲第40番K.550・第41番<ジュピター>K.551 アバド指揮/ロンドン交響楽団 (Composers GCP-1002)>
「ジェピター交響曲」はモーツァルト最後の交響曲。モーツァルトが長生きしてもこの作品を越えることはできなかったであろうといわれている。


ド・トロワ<狩りの昼食>(1737年頃)
ロココ萌芽期の画家。装飾的で演劇性に富んだ画面展開と、光輝性を帯びた独特の色彩描写で貴族好みの絵画作品を制作。

<モーツァルト:セレナードNo.7<ハフナー>K.250・セレナードNo.6<セレナータ・ノットルナ>K.239 コープマン指揮/アムステルダム・バロック・オーケストラ (ERATO 0630-13737-2 輸入盤)>
「ハフナー・セレナード」はハフナー家の婚礼の前夜、夏の庭園で演奏された素敵な曲。ヴァイオリンのソロも楽しい。
「セレナータ・ノットルナ」は二つの小オーケストラの掛け合いが面白い。


ルーベンス<愛の庭 -当世風社交-> 1635年頃

<モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」(ハイライト)・歌劇「ドン・ジョバンニ」(ハイライト) クレンペラー指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、クレンペラー指揮/ニューフィルハーモニア管弦楽団 (F.MINC.TC-007)>


ランクレ(1690-1743)<遊んでいる子供>

<モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番K.467・第27番K.595・セレナードNo.13「アイネ・クライネ」K.525 グルダ(P)、スワロフスキー指揮/ウィーン・フォルクスオパー管弦楽団 (PREISER RECORDS 90021 輸入盤)>
「ピアノ協奏曲 第21番」は第二楽章の絶妙な美しさで知られる名作。名演が多く選択に迷う。
「ピアノ協奏曲 第27番」は夕映えのような愛らしい傑作、「春のあこがれ」コンチェルト。


ヴァトー<シャンゼリゼ(エリュシオンの園)> 1716-1717年頃

<モーツァルト:セレナード第13番K.525・第8番K.286・第6番K.239 ホグウッド指揮/エンシェント室内管弦楽団 (L'OISEAU-LYRE F35-21020)>
セレナード No.13「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」K.525は誰でも知っている曲。
セレナード No.8<ノットゥルノ>K.286は四つの小オーケストラの掛け合いで、こだまのように響き交わすという特異な位置を占める作品。第1楽章はアンダンテのゆったりとした旋律。
セレナード No.6<セレナータ・ノットルナ>は二つの小オーケストラの掛け合いが面白い。


ヴァトー<シテール島の巡礼> 1717年
ロココはヴァトーから始まる。彼の絵は優雅な中に哀愁があり、まだ17世紀風ではある。

<モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番K.466・第21番K.467 ゼルキン(P),アバド指揮/ロンドン交響楽団 (Composers GCP-1029)>
「ピアノ協奏曲第20番」は有名な傑作。ドラマティックな第一楽章が特にすばらしい。
「ピアノ協奏曲第21番」は第二楽章の絶妙な美しさで知られる名作。名演が多く選択に迷う。

モーツァルトCDの風景16:ロココ美術の華フラゴナール

2012年06月07日 | モーツァルト
 画家フラゴナール(1732-1806)は18世紀のロココ美術盛期から末期を代表するフランスの、まさにモーツァルトと同時代に活躍した画家である。
高い技量磐石な基礎を感じさせる的確な描写技法や構図・構成を駆使し、歴史画、神話画、宗教画、肖像画、風俗画、風景画、寓意画など様々なジャンルの作品を手がける。
特に不道徳性の中に甘美性や官能性を感じさせる独自の風俗的主題や寓意的主題を扱った作品は画家の天武の才能が示されている。
 この点でロココ美術の画家の中でもフラゴナールはモーツァルトに一番近いように感じる。


フラゴナール:「Diana and Endymion」

<モーツァルト:交響曲第6-10番 K.43-74 ワード指揮/ノルウェー室内管弦楽団 (NAXOS 8.550872 輸入盤)>
「交響曲第6番」はウィーン旅行の際に作られた。初めて第三楽章にメヌエットが入った四楽章形式。二重唱を模した第二楽章が美しく、第四楽章では十二歳の作曲者の心が躍動している


フラゴナール:「Jupiter and Callisto」

<モーツァルト:交響曲第11-14番 K.84-114 ワード指揮/ノルウェー室内管弦楽団 (NAXOS 8.550873 輸入盤)>
「交響曲第12番」は第3楽章トリオ部に弦楽五重奏曲K.516アダージョ部の有名な主題が登場している。
「交響曲第14番」は第3楽章にK.485のロンド主題が出てくる。「モーツァルトのロンド」と名付けたいほどいろいろな曲に登場する。


フラゴナール:「錠前」

<モーツァルト:歌劇<フィガロの結婚>ハイライト・歌劇<ドン・ジョヴァンニ>ハイライト ショルティ指揮/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 (Composers GCP-1060)>


フラゴナール:「ぶらんこ」

<モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジークK.525・3つのドイツ舞曲K.605他 マリナー指揮/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ (Composers GCP-1008)>


フラゴナール:「愛の泉」

<モーツァルト:弦楽五重奏曲第3番K.515・第4番K.516 アンサンブル415 (harmonia mundi KKCC-305)>
「弦楽五重奏曲第3番」はモーツァルトの室内楽の中で、規模の大きさ、楽想の豊かさ、完成度の高さ、どれをとっても第一級の名作。翌年の<ジュピター>にも比すべき大作。
「弦楽五重奏曲第4番」は小林秀雄の<モオツアルト>に引用(「疾走するかなしさ」)されている曲。ト短調の特色が最もよく出ており、悲しみの表情は心をえぐるばかりだ。


フラゴナール:「Patre jouant de la flute」

<モーツァルト:セレナードNo.10<グラン・パルティータ>K.361・セレナードNo.12<ナハト・ムジーク>K.388 ヘルヴェッヘ指揮/シャンゼリゼ・オーケストラ (harmonia mundi HMC 901570 輸入盤)>
セレナード No.10<グラン・パルティータ>は映画<アマデウス>でサリエリとモーツァルトとの初めての出会いの場面で使われた。実にすばらしい曲。
セレナード No.12<ナハト・ムジーク>は室内楽風に緻密に作られた秀作。木管八重奏曲。この曲は後に弦楽五重奏曲に編曲されている。


フラゴナール:「公園の集い(庭園での集い)」

<モーツァルト:3つのチェンバロ協奏曲K.107・レオポルト・モーツァルト:室内ソナタ第4番・ヨハン・クリスティアン・バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ ロンドン・バロック (harmonia mundi KKCC-146)>
「チェンバロ協奏曲」はクリスティアン・バッハのソナタ(作品5)の編曲である。

モーツァルトCDの風景15:楽器を奏でる絵画

2012年05月11日 | モーツァルト
 ヨーロッパのロココ絵画等に楽器を奏でる絵画が多くみられる。
モーツァルトの音楽にこれらロココ調の楽器を奏でる絵画は大変良く似合うものだ。
田園風景や天上での典雅な響きはまさにモーツァルトの世界である。


ドゥルーエ:「田園の楽奏」 

<モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲K.299・フルート協奏曲第1番K.313他 ベズノシューク(F)、ホグウッド指揮/エンシェント室内管弦楽団 (L'OISEAU-LYRE POCL-5243)>  
「フルートとハープのための協奏曲」はド・ギーヌ公爵とその令嬢のために1778年にパリで書かれた。典雅なロココ模様のようにからみあう二つの楽器の個性を存分に生かした人気の高い名作。


ドゥルーエ:「田園の楽奏」原画
18世紀の王侯貴族の家族の肖像のような絵画である。中央の二人の女性の美しさは格別である。その婦人と背景の奥行きの深い緑とが見事に調和している。ジャン・ジャック・ルソーの「自然に帰れ」というスローガンは忠実に実行されている。まるで楽器の音色までが自然に溶け込んでいるかのようである。


ロセッティ(1828-1882):「ヴェロニカ・ヴェロネーゼ」

<モーツァルト:ピアノと管楽器のための五重奏曲K.452・ベートーヴェン:ピアノと管楽器のための五重奏曲 アシュケナージ(P)、マクドナル(ob)、ブライマー(cl)、シビル(ho) (DECCA 421 151-2 輸入盤)>
「ピアノと管楽器のための五重奏曲」はモーツァルトが「自分がいままで書いた最上のもの」と手紙で語っている会心作。管楽器とピアノの小型のコンチェルトのようである。


ギャムリン:「ハープを奏でる婦人」

<モーツァルト:オーボエ協奏曲K.314・ファゴット協奏曲K.191、フルートとハープのための協奏曲K.299 ポンゼール(ob)、バーロン(fg)、ハゼルゼット(fl),クワスト(hp) コープマン指揮/アムステルダム・バロック・オーケストラ (ERATO 4509-91724-2 輸入盤)>
「ファゴット協奏曲」はさながら老いたる道化師のようなこの楽器の持ち味を十分に生かした面白い曲。
「フルートとハープのための協奏曲」はド・ギーヌ公爵とその令嬢のために1778年にパリで書かれた。典雅なロココ模様のようにからみあう二つの楽器の個性を存分に生かした人気の高い名作。


ルーベンス:「天使たちの合奏」

<モーツァルト:ミサ・プレヴィスK.258・ミサ・ロンガK.262 ケーゲル指揮/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 (PHILIPS PHCP-3809)>
「ミサ・ロンガ ハ長調」はロンガとはいえ30分位のミサ曲。最近まで録音がなかった知られざる傑作。


カルモンテル:「戸外の四重奏」

<モーツァルト:ホルン協奏曲No.1~4 K.412他 グリアー(ho)、マッギーガン指揮/フィルハーモニア・バロック・オーケストラ (harmonia mundi HMU 907012 輸入盤)>
「ホルン協奏曲」、モーツァルト時代のナチュラル・ホルンの魅力は、現代の楽器では味わえない。


シャルダン:「ヴァイオリンを持った青年」

<モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタNo.20・No.28・No.41 レオンハルト(P)、クイケン(V) (SEON SBK 62953 輸入盤)>
「ヴァイオリンソナタ 第28番」、若いモーツァルトの心のおののきと寂寥感が伝わってくる。私にとっても、かけがえのない曲の一つ。「珠玉の名作」。
「ヴァイオリンソナタ 第41番」、<フィガロ>が作曲された頃に書かれた作品。第二楽章は旋律の美と転調の面白さで引き付けられる。「ジュピター」のフーガ主題が現れる。

モーツァルトCDの風景14:フリーメイソン

2012年04月02日 | モーツァルト
 モーツァルトがフリーメーソンのメンバーであったのは有名な話しで、「魔笛」がフリーメーソンの入信儀礼(イニシエーション)と人間の変容について描いていることもこれに関係している。
 フリーメイソンは、会員同士の親睦を目的とした友愛団体。イギリスで発生し世界中に派生した男性の入社的秘密結社である。
 モーツァルトはフリーメイソンのために、いくつか作曲し提供していた。


ウィーンにあったフリーメイソンの会合(1790)

クラリネット協奏曲はモーツァルトの友人でありフリーメイソンの会員でもあったクラリネットの名手アントーン・シュタードラーのための作曲されたものである。

<モーツァルト:交響曲第40番K.550・クラリネット協奏曲K.622・セレナードNo.13「アイネ・クライネ」 グッドマン指揮/ハノーバー・バンド (Nimbus NI 5228 輸入盤)>


カンタータ<フリーメイソンの喜びK.471>の表紙には、ロッジ(フリーメイソンの支部のこと)のグランドマスターであるイグナーツ・フォン・ボルンが知恵の女神から冠を授けられる様子が描かれている。

<モーツァルト:フリーメイソンのための音楽-全曲 ケルテス指揮/ロンドン交響楽団 (LONDON KICC 9260)>
モーツァルトがウィーンのロッジの慶弔の行事のために書いた音楽、すなわち実用に供された音楽がこのCD1枚に集約されている。

モーツァルトCDの風景13:モーツァルトの家族

2012年03月07日 | モーツァルト
 モーツァルトは1756年1月27日、ザルツブルクに生まれる。
父レオポルトは36歳、母アンナ・マリアは35歳、姉マリーア・アンナは4歳だった。
母は1778年7月息子のパリ遠征に同行中に、熱病を発して異国に客死した57歳。(モーツァルト22歳)
1782年8月コンスタンツェ・ヴェーバーと結婚。(モーツァルト26歳、コンスタンツェ20歳)
父は1787年5月亡くなったときはザルツブルク宮廷副楽長の職だった65歳。(モーツァルト30歳)
モーツァルトは1791年12月ウィーンで亡くなった。(35歳)
姉は判事のもとに嫁ぎ1829年10月に78歳の長寿で亡くなった。
コンスタンツェはモーツァルト死後ニッセンと再婚し1842年3月に80歳の長寿で亡くなった。


モーツァルト家族の肖像画

<モーツァルト:2台のピアノのためのソナタK.448・フーガK.426他 ビルソン、レビン(P) (NONESUCH 27P2-2808 輸入盤)>
モーツァルトは幼少時から四歳上の姉マリーア・アンナとよくピアノ連弾を楽しんでいたことがあり、ピアノ連弾の曲を多く作曲している。
「2台のピアノのためのソナタ ニ長調」は二台のピアノの演奏会には欠かせない名作。ピアノ同士の会話の面白さを満喫できる素敵な曲。
「フーガ ハ短調」はバッハを勉強していたころの作品。重厚で大胆なフーガだ。


上と同じ肖像画による別のCDジャケット

<モーツァルト:ピアノ協奏曲No.20・21・26から楽章抜粋 演奏者記載なし (H&A 8004-5)>


父レオポルト・モーツァルト

<モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3・4・5 K.216・8・9 スタンデイジ(V)、ホグウッド指揮/エンシェント室内管弦楽団 (L'OISEAU-LYRE POCL-5242)>
これらの曲はモーツァルトが父の故郷であるアウグスブルクで演奏したとされるもの。
「ヴァイオリン協奏曲 第3番」は十九歳のモーツァルトの奇蹟のような傑作。
「ヴァイオリン協奏曲 第4番」は第三番より独奏が際立つ。歯切れのよい主題で始まるフィナーレが特に聴きどころだ。
「ヴァイオリン協奏曲 第5番」は五曲のシリーズを締めくくるにふさわしい傑作。トルコ風のロンドなど、聴き手をあきさせない多彩な内容。


母アンナ・マリア・モーツァルト

<モーツァルト:弦楽五重奏曲第1番K.174・第3番K.515他 エーデル四重奏団 (NAXOS 8.553103)>
「弦楽五重奏曲 No.1」はモーツァルトが母とパリ旅行した際に、携えていった愛着のある曲だった。
十七歳の終わりに作られた傑作。四楽章とも充実している。第三、四楽章は後に書き改められたもの。
「弦楽五重奏曲 No.3」はモーツァルトの室内楽の中で、規模の大きさ、楽想の豊かさ、完成度の高さ、どれをとっても第一級の名作。翌年の<ジュピター>にも比すべき大作。


モーツァルトの弟子フンメル
フンメルはウィーンのモーツァルトの家に住込みで2年間に渡ってピアノを師事した。
モーツァルトのオーケストラ作品をピアノソロや室内楽に編曲していることで有名。

<モーツァルト:交響曲第38番<プラハ>K.504・交響曲第41番<ジュピター>K.551の室内楽編曲版 ヒル(fp)、アンサンブル・ロットチェント (MDG 605 0858-2 輸入版)>
バイオリン+チェロ+フルート+ピアノという形態によるモーツァルトの弟子フンメルの珍しい編曲集。

モーツァルトCDの風景12:モーツァルトの肖像

2012年02月06日 | モーツァルト
 モーツァルトのCDジャケットで、さまざまなモーツァルトの肖像画を見ることができる。
どの肖像画がモーツァルト本人に一番似ているのかどうかは、今になってはわからないようだ。
各人の好み?で判断するのも良いかと思う。


モーツァルトの肖像が9つもデザインされているCDジャケット

<モーツァルト:"真作か偽作か?"~管弦楽のための作品集 コンソルティウム・クラシクム管楽合奏団 (EMI WWCC-5010-11)>
このCDには真作とされてこなかった作品を7曲取り上げている。
聴く人の感性でこの曲がモーツァルトのものかどうか判断するのが面白い。








(右):<モーツァルト:「未完のモーツァルト~28のフラグメント集~」 オランダ・ソロイスツ・アンサンブル (EMERGO EC 3992-2) >
モーツァルトは、弦楽五重奏曲や弦楽四重奏曲などのジャンルで、かなり苦労して作曲に取り組んでいたようで、その証拠に今日まで残されている多くのフラグメント(断片)があり、その数は150以上にものぼるという。その中からモーツァルトが書いた部分のみを演奏したのがこのCDであり、珍しいCDである。


(左):<モーツァルト:交響曲第35番K.385・39番K.543・41番K.551 クレメンティ四重奏団 (AGORA AG 004 輸入盤)>
モーツァルトの交響曲を四重奏で演奏した珍しいCD。これは作曲家クレメンティ(ジャケット左下の肖像)が弦楽四重奏用に編曲したものだ。


これは変形型CDのレーベルに描かれているモーツァルト
ザルツブルクのモーツァルト・ハウスで購入したものだと思うが、形状が珍しいレアなCDである。遊び心がある。

<モーツァルト:ピアノ協奏曲No.20・21・26から楽章抜粋 演奏者記載なし (H&A 8004-5)>


誤ってモーツァルトと伝えられてきた肖像画
実際はフィルミアン伯爵の息子カールの肖像画だった。
 
<モーツァルト:4手のピアノのためのソナタK.497・K.521他 シフ,マルコム(P) (DECCA 440 474-2 輸入盤)>
「4手のピアノのためのソナタK.497」はシンフォニーのような趣きをもつ第一楽章、ロマンティックな第二楽章が、特に素敵だ。
「4手のピアノのためのソナタK.521」は爽快な第一楽章、甘美な第二楽章、喜びにあふれた第三楽章。この分野の最後を飾る名作。父の死が知らされた日に作曲された。

モーツァルトCDの風景11:ウィーンの生活と死

2012年01月03日 | モーツァルト
1781年 3月、25歳のモーツァルトはザルツブルク大司教ヒエロニュムス・コロレドの命でミュンヘンからウィーンへ移るが、 5月9日、司教コロレドと衝突し、解雇され、ザルツブルクを出てそのままウィーンに定住を決意する。翌年には「シュテファン大聖堂」でコンスタンツェ・ヴェーバーと挙式。モーツァルトはウィーン市内の住居を転々とした。ウィーンの生活は1791年(35歳)12月に35歳で亡くなるまでの10年間だった。

<グラーベン通り>
ウィーンに定住していたモーツァルトは1781年8月の末、ウェーバー家の下宿を出てこの街区の新居に移った。
このグラーベンの家では「後宮からの誘拐」のほか、「管楽器のためのセレナードK.375」「2台のピアノのためのソナタK.448」などの名作が書かれた。


当時の絵画:グラーベン通り

<モーツァルト:弦楽五重奏曲No.5 K.593・No.6 K.614 ターリッヒ四重奏団 (CALLIOPE CAL9233)>
「弦楽五重奏曲 No.5」は終楽章の第一主題が、後の人による改ざんと判明され、新全集で訂正されている。第二楽章が特にすばらしい。
「弦楽五重奏曲 No.6」はハイドンの弦楽四重奏曲<鳥>の引用が出て来る。小鳥のさえずりのような、人間臭の少ない音楽。


現在のグラーベン通り

<旧ウィーン大学>


当時の絵画:旧ウィーン大学

<モーツァルト:ピアノ協奏曲No,14・No.23・No.24 ビルソン(P)、ガーディナー指揮/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ (ARCHIV 447 295-2)>
「ピアノ協奏曲 第14番」は自作品目録に記録された最初の曲。長調と短調の間をたゆとう第二楽章が特に愛らしい。
「ピアノ協奏曲 第23番」は全体に流麗極まりなく、嬰ヘ短調で書かれた第二楽章の美しさはたとえようがない。
「ピアノ協奏曲 第24番」はこの分野の頂点に立つ名作。当時の聴衆の理解を越える表現の深さがある。この曲は現代のピアノと大編成のオーケストラがふさわしい。


現在はオーストリア科学アカデミー(旧ウィーン大学講堂)


<カール教会>
 モーツァルトも1762年11月4日に訪れている


当時の絵画:カール教会

<モーツァルト:クラリネッド重奏曲K.581・クラリネット、ヴィオラとピアノのための三重奏曲<ケーゲルシュタット・トリオ> ラルキブデッリ (SONY SK 53 366 輸入盤)>
「クラリネット五重奏曲」は私の愛してやまない曲。バセット・クラリネットなど当時の楽器を使ったこの演奏の美しさは、たとえようがない。
「クラリネット、ヴィオラとピアノのための三重奏曲<ケーゲルシュタット・トリオ>」は九柱戯というボーリングをやりながら書いたという曲。クラリネット、ヴィオラ、クラヴィーアの組み合わせによる音色と曲想が味わい深い。


現在のカール教会


<シュテファン大聖堂>
1791年12月5日午前零時55分、コンスタンツェとその妹ゾフィーに見守られ、モーツァルトはその生涯を終えた。モーツァルトの葬儀は12月6日火曜日午後3時に行われたという。モーツァルトの家から聖シュテファン大聖堂へと棺が運ばれ、大聖堂内陣の十字架礼拝堂に安置され、最後の祝福も行われたと伝えている。


ショルティ指揮モーツァルトのレクイエム(ウィーンのシュテファン大聖堂にて)
1991年12月5日。モーツァルト没後200年記念の典礼ミサを伴った演奏会。

<モーツァルト:レクイエム ニ短調K.626 オジェー(S),バルトリ(MS) ショルティ指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (LONDON POCL-1192)>
「レクイエム ニ短調」はラクリモーザの8小節目で絶筆となった。ジェスマイヤーおよびアイブラーの補作がある。

モーツァルトCDの風景10:ウィーンの宮殿

2011年12月02日 | モーツァルト
<シェーンブルン宮殿>
 ウィーン市の南西にあるハプスブルク家の夏の離宮。
18世紀半ばマリア・テレジアの時代に完成した時は1441室の大宮殿になっていた。
鏡の間では幼いモーツァルトがマリア・テレジアの前でピアノを弾いたことがあり、
御前演奏した際、宮殿の床で滑って転んでしまい、モーツァルトはその時手を取った7歳のマリア・アントーニアのちのマリー・アントワネット(マリア・テレジアの娘)にプロポーズしたという逸話がある。
また正面入り口左にはマリア・テレジアが建てたハプスブルク家専用の宮殿劇場があり、モーツァルトはここで指揮をしたことがある。
モーツァルトがたびたび訪れた場所なのである。


当時の絵画:シェーンブルン宮殿

<モーツァルト:クラリネット協奏曲K.622・クラリネット協奏曲 変ホ長調K.Anh.C14.04他 クレッカー指揮/プラハ室内オーケストラ (MDG 301 0755-2 輸入盤)>
「クラリネット協奏曲K.622」は最後の年の秋に完成された名作。モーツァルトがたどりついた固有の世界を代弁する作品の一つといえる。


現在のシェーンブルン宮殿
建物はほとんど変わらず、庭園の様子に違いがある。


ネプチューンの泉とグロリエッテ
シェーンブルン宮殿の広大な庭園にある施設のひとつ。

<モーツァルト:交響曲第32番K.318・第33番K.319・第34番K.338 アーノンクール指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 (TELDEC 4509-91190-2 輸入盤)>
「交響曲 第32番」は序曲の形で書かれていて、短いながら堂々とした作品。
「交響曲 第33番」はモーツァルトの<田園シンフォニー>ともいわれる楽しい曲。
「交響曲 第34番」はザルツブルク時代の最後を飾る秀作。繊細な第二楽章と奔放なフィナーレが聴きどころ。


シェーンブルン宮殿の庭園にあるローマの遺跡

<モーツァルト:弦楽四重奏曲第3番K.515・第4番K.516 ラルキブデッリ(オリジナル楽器) (SONY SRCR 9808)>
オリジナル楽器による繊細で鮮やかな演奏が、天才の光と陰を美しく映し出す。
「弦楽五重奏曲 No.3」はモーツァルトの室内楽の中で、規模の大きさ、楽想の豊かさ、完成度の高さ、どれをとっても第一級の名作。翌年の<ジュピター>にも比すべき大作。
「弦楽五重奏曲 No.4」は小林秀雄の<モオツアルト>に引用「疾走するかなしさ」されている曲。ト短調の特色が最もよく出ており、悲しみの表情は心をえぐるばかりだ。

<ベルヴェデーレ宮殿>
 シェーンブルン宮殿の東側に位置している。
 ハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンの夏の離宮。オイゲンはハンガリーにおけるトルコ支配を打ち破るなど、皇帝軍指揮官として知られる。
プリンツ・オイゲンの死後、1752年にハプスブルク家のマリア・テレジアに売却された。
モーツァルトがここで演奏した記録はわからないが、おそらく度々訪れたところであろう。


カナレット:「ベルヴェデーレ宮殿から見たウィーン」 ウィーン美術史美術館所蔵


<モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番K.271・第17番K.453 ビルソン(FP)、ガーディナー指揮/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ (ARCHIV 447 291-2 輸入盤)>
「ピアノ協奏曲 第9番」はこの分野での最初の傑作。悲劇の舞台を見るような第二楽章、多彩な第三楽章が特に優れている。
「ピアノ協奏曲 第17番」は非常に美しいパパゲーノ風の第一、第三楽章に対し、第二楽章は明暗が激しく交錯し、言葉のないドラマのよう。


ベルヴェデーレ宮殿の入口に向かい、庭園の緩やかな坂を上がる。
振り返って庭園の姿を見てみると、シュテファン大聖堂の尖塔がはっきりと確認でき、北の方角を見ていることになる。
このアングルで描かれたカナレット絵画と同じ構図で、なかなか良い眺めなのだ。


絵画:正面から眺めたベルヴェデーレ宮殿

<モーツァルト:セレナードNo.11K.375・六重奏曲K.Anh.183、プレーレ:六重奏曲 ナイディヒ独奏、モーツァフィアート・チャールズ・ナイディヒ (SONY SK 64 306 輸入盤)>
「セレナード No.11」はウィーン時代に書かれた。木管八重奏曲。


現在の正面から眺めたベルヴェデーレ宮殿
今はクリムトの絵等を展示した美術館になっている。

モーツァルトCDの風景9:プラハ旅行

2011年11月07日 | モーツァルト
モーツァルト30歳1786年 5月1日、オペラ『フィガロの結婚 K.492』をブルク劇場で初演し、翌年プラハで大ヒットしたためプラハを訪問する。
 モーツァルトが初めてプラハを訪れたのは、31歳の時だった。
招待したのは親友のドゥシェク夫妻で、モーツァルトに別荘を与えた。
ここで完成されたオペラが<ドン・ジョヴァンニ>である。
モーツァルトは、その生涯のうちで4回、プラハを訪れており、最後の旅行先もプラハだった。
晩年の作曲活動と切り離せない町であり、交響曲第38番<プラハ>はその象徴といえる。

プラハ左岸の丘の上に広がるプラハ城内の一角にストラホフ修道院が建っている。


プラハ ストラホフ修道院
1787年にモーツァルトが訪れている。モーツアルトがこの教会でオルガン演奏をしたことがあり、亡くなったときには世界に先がけて追悼ミサが行われたそうだ。

<モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番K.216・第5番K.219 マゼール(V)、マゼール指揮/イギリス室内管弦楽団 (KLAVIER KCD 11046 輸入盤)>
指揮者マゼールがヴァイオリニストとしてきらびやかで華麗な演奏をし指揮ぶりをした一枚。
「ヴァイオリン協奏曲 第3番」は十九歳のモーツァルトの奇蹟のような傑作。
「ヴァイオリン協奏曲 第5番」は五曲のシリーズを締めくくるにふさわしい傑作。トルコ風のロンドなど、聴き手をあきさせない多彩な内容。


現在のストラホフ修道院


ストラホフ修道院の内部
中世から受け継がれてきたという「神学の間」と呼ばれる図書室。
もうひとつの「哲学の間」と共に古い写本と膨大な蔵書を誇っている。

モーツァルトCDの風景8:イタリア旅行

2011年10月04日 | モーツァルト
 モーツァルトのイタリア旅行は1769年から1771年にかけて(13~15歳)3回に及ぶ、いずれも父子2人の旅だった。
父レオポルトの息子の音楽教育の最後の仕上げはイタリアで音楽を学ばせることだった。
 第1回イタリア旅行は1769年12月13日(モーツァルト13歳)に父子を乗せた馬車が故郷を後にし、インスブルックを経て標高1300mのブレンナー峠を越えてイタリアに入った。
父と共にミラノ、ボローニャ、ローマを巡回する。システィーナ礼拝堂では、門外不出の秘曲とされていたグレゴリオ・アレグリ(Gregorio Allegri)の9声部の『ミゼレーレ』を聴き、暗譜で書き記したといわれる。ナポリでは数十日に及ぶ滞在を楽しみ、当時大変な話題の発掘されてから間もない古代ローマ遺跡ポンペイを訪れている。
 イタリア旅行は三度におよぶが、なかでも、ボローニャでは作曲者であり教師でもあったマルティーニ神父に、対位法やポリフォニーの技法を学んだ。教育の成果はすぐに現れなかったが、15年後の円熟期にモーツァルトは対位法を中心的な技法としていた。モーツァルトはほとんどの音楽教育を外国または旅行中に受けた。

<ローマ>
 ローマの古代遺跡フォロ・ロマーノ
紀元前6世紀頃からローマ帝国がテトラルキアを採用する293年にかけて、国家の政治・経済の中心地であったが、ローマ帝国が東西に分裂し、首都機能がラヴェンナに移されると異民族の略奪に曝されるようになり、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまった。
 フォロ・ロマーノは、東西約300m、南北約100mに渡って存在する古代ローマの中心部「フォルム・ロマヌム」の遺跡である。古代ローマでは、たいていの都市に政治・宗教の中心としてフォルム(英:フォーラムの語源)と呼ばれる広場が置かれていたが、このフォロ・ロマーノは首都に開設された最初のフォルムであり、最も重要な存在であった。


18世紀の風景画:フォロ・ロマーノ
モーツァルトは1770年イタリア旅行中にローマに滞在し交響曲を書き上げた。

<モーツァルト:交響曲旧9番・旧44番・旧47番・旧45番・旧11番 ホグウッド指揮/エンシェント室内管弦楽団 (L'OISEAU-LYRE F00L-20363)>


<グラッパ>
グラッパはパドヴァの北東に位置するビチェンツァ県の町。
この地の名の由来でもあるグラッパ山を控えている。
町の名を有名にしたのは、ブドウの絞りかすを発酵、蒸留させてつくるアルコール度の高いお酒、グラッパの生産も大変盛んであるから。
酒好きのモーツァルト父子が訪れたのかも。


グラッパのヴェッキオ橋
「交響曲旧第13番」は序曲風のスタイルとは一線を画した堂々たる交響曲である。
「交響曲旧第14番」は第3楽章にK.485のロンド主題が出てくる。「モーツァルトのロンド」と名付けたいほどいろいろな曲に登場する。


現在のグラッパのヴェッキオ橋


<北イタリアの宮廷劇場>

モーツァルトがイタリア旅行中に訪れたであろう北イタリアの宮廷劇場。
ミラノの宮廷劇場か?。

<モーツァルト:セレナードNo.11 K.375・「魔笛」(管弦楽版)K.620 ホーブリチ指揮/ナハトムジーク (GLOSSA GCD 920601 輸入盤)>
木管古楽器演奏で芳醇で典雅な響きを聴かせてくれる。

モーツァルトCDの風景7:西方への大旅行

2011年09月14日 | モーツァルト
 第三回目の「研鑽と才能披露の旅」に向け、1763年6月9日モーツァルト一家はザルツブルクをあとにした。
ウィーン旅行の際に購入した自家用馬車で一家は旅に出たのである。この旅には従僕のS.ヴィンターが同行した。
 今回はドイツ各地、ベルギー(当時はフランドル)、フランス、イギリス、オランダそしてスイスにまで及び、ザルツブルクには1766年11月29日に戻るという、約3年半にも亘る旅となるのであった。
この旅行はモーツァルト親子が経験した最大規模の旅行となり、俗に「西方への大旅行」と
称されている。モーツァルトは7歳でこの旅行に出発し、故郷ザルツブルクに帰着した時には10歳と10ヶ月になっていた。

<パリ>



メレヴィル城と庭園(フランス)
16世紀に建てられたマナーハウス。18世紀の庭園芸術の傑作。
しかし、一部壊された城を1709年王のメレヴィル侯爵ピエール・デルペシュが再建、息子のジャンがホテルデュパンの塔やヴィエーユ寺院のルネッサンス様式を習って窓や西正面の玄関を飾る。
1784年投資家のジャン・ド・ラボルトは南北の翼を改築しようとして、その庭園の設計からやり直した。

<モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番K.467・ロンドK.382他 ピリス(P)、グシュルバウアー指揮/リスバン・グルベンキアン財団室内管弦楽団 (ERATO WPCC-5273 輸入盤)>
「ピアノ協奏曲 第21番」は第二楽章の絶妙な美しさで知られる名作。名演が多く選択に迷う。
「コンサート・ロンド」はK.175のピアノ協奏曲終楽章をウィーンでの再演時に親しみやすく華やかさを盛り込んだもの。


現在のメレヴィル城

<ロンドン>


ロンドン:ラネラーのトロンダの内部
(Interbi della Rotonda di Ranelagh) 1754年
18世紀イタリアを代表する景観画家カナレット、英国滞在期の著名な傑作『ロンドン:ラネラーのトロンダの内部(ラニラのトロンダ内部)』。
当時、最も賑わっていた行楽庭園のひとつである≪ラネラー・ガーデン≫内へ建てられていたトロンダと呼ばれる円形建造物の舞台・社交施設の内部が画題とされている。
 描かれた10年後に同時代のモーツァルトがこの施設で演奏をおこなったことも知られてる。
画面中央の大支柱を中心に、円状に形成されるトロンダの内部では、当時の最新の流行を取り入れた衣服で着飾った人々が優雅に会話や音楽を楽しんでいる。画面右側に配される音楽演奏者用の席では、今まさに演奏がおこなわれている様子である。

<モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番K.488・第24番K.491 カーゾン(P)、ケルテシュ指揮/ロンドン交響楽団 (DECCA 452 888-2 輸入盤)>
「ピアノ協奏曲 第23番」は全体に流麗極まりなく、嬰ヘ短調で書かれた第二楽章の美しさはたとえようがない。私の特に好きな曲。
「ピアノ協奏曲 第24番」はこの分野の頂点に立つ名作。当時の聴衆の理解を越える表現の深さがある。この曲は現代のピアノと大編成のオーケストラがふさわしい。

モーツァルトCDの風景6:ウィーン旅行

2011年09月04日 | モーツァルト
1762年1月(モーツァルト6歳)にミュンヘン旅行したあと、9月には、一家で3ヶ月半、第1回目のウィーンへ出かける。このときのハイライトは、オーストリア女帝陛下マリア・テレジアと皇帝フランツ1世の御前で姉弟で演奏したことである。
女帝は既に有名になりつつあった姉弟をいたく歓迎し、モーツァルトをひざに抱きキッスした、というエピソードがある。


ウィーン ホーフブルク王宮
大広間レドゥーテンザール
1760/10/10に女帝マリア・テレジアの皇太子ヨゼフ2世とイザベラ・ド・パルマの結婚を記念して開かれた音楽会。

<モーツァルト:3つのディヴェルティメントK.439b他 シュタードラー・トリオ (GLOSSA GCD 920602 輸入盤)>
バセットホルン三重奏の形で演奏されている、しっとりと奥深い音色の魅力ある1枚。


中央右端にモーツァルトが描かれている。となりはザルツブルク大司教。
実際にはモーツァルトはこの時来ておらず、のちにモーツァルトの人物画が描き加えられたものだそうだ。


シェーンブルン宮殿
1762年10月13日、6歳のモーツァルトはここで女帝マリア・テレジアらに拝謁した。
御前演奏した際、宮殿の床で滑って転んでしまい、モーツァルトはその時手を取った7歳のマリア・アントーニアのちのマリー・アントワネット(マリア・テレジアの娘)にプロポーズしたという逸話がある。

<モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番K.482・第26番K.537<戴冠式> ビルソン(フォルテピアノ) ガーディナー指揮/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ (ARCHIV POCA-2538)>
「ピアノ協奏曲 第22番」は重厚な大作。ハ短調で書かれた第二楽章が特に優れている。第三楽章には、オペラの一場面を思わせるような変イ長調のアンダンテの部分が挿入されている。
「ピアノ協奏曲 第26番<戴冠式>」は有名だが深味に欠ける曲。あまりに高みへ行ってしまったモーツァルトは聴衆のために再び平易さを考えたようだ。


御前演奏のご褒美として女帝から贈られた大礼服を着たモーツァルト
大礼服は女帝の皇子や皇女の 古着だが、他にも時計や指輪なども贈られたようだ。
一平民のモーツァルト一家にとって、それは身に余る光栄だった。帰郷後に記念に、この栄誉ある服を見に着けさせて描かせたのがこの絵である。

<モーツァルト:初期チェンバロ作品集 エリック・スミス (PHILIPS PHCP-3594)>
「メヌエット ト長調K.001e」は16小節からなっている。冒頭の旋律が後半で展開される仕方に進歩のあとがみられる。典雅な趣のメヌエット。
「四手のためのピアノ・ソナタ ハ長調K.019d」はモーツァルト一家の有名な肖像画で、ナンネルの左手をモーツァルトの右手が越えている。この曲を演奏しているのかもしれない。

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