テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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東京スカイツリー 予約入場

2012年05月29日 | 散歩
 東京スカイツリーの5月22日開業から一週間目。
東京スカイツリーの天望デッキの入場予約に当選していたので、予約日にあたる今日出掛けた。
一日に予約入場が8万人、商業施設を含めた東京スカイツリータウンは20万人だそうだ。
朝から好天に恵まれたため、スカイツリーからの展望が期待できそうだ。予約時間は9時。


天望デッキ(下:350m)、天望回廊(上:450m)が今日入場するところ。 (写真は今日午後、東駒形4から)

 松戸の家を7時36分のバスで出発。

<東京スカイツリーへ>

8時30分 東京スカイツリー駅着


東武橋からツリーを眺める


北十間川辺が綺麗に整備されていた


スカイツリー入口 9時


チケットカウンターで予約を提示し発券
すこし並んだが、予約していたためスムースに発券できた。

<天望デッキ>

天望デッキ行きエレベータへ


エレベータ内部 壁面が綺麗に飾られている


あっという間に天望デッキ到着


天望デッキの窓に鈴なり
天望デッキに居る時間は制限されることがないようだ。そのわりにはさほど混んではいない。


ツリーのガイドさん


天望デッキからの眺め


浅草方面 はるか遠くはかすんでいるようだ


ガラス床から下部を見る 少し足がすくむ。


さらに天望回廊に行ってみる チケット代ひとり1,000円払う。

<天望回廊>

天望回廊へのエレベータから上を見る なかなか見れないところ!


天望回廊のようす


天望回廊からの眺め 下に天望デッキの屋根が見える


天望回廊の上の方から回廊のスタート部分を見る


ここが回廊最高地点


451.2mと表示してあった


東京タワー方面を眺める
東京タワーははるか下方にかすんで見える


錦糸町方面を眺める 
精工舎跡地に建つオリナスが見える


下りのエスカレータ内部


5Fに到着

<東京スカイツリーから昼食場所へ>

1Fのスカイツリーショップ
ショップは買い物客であふれかえっていた。


スカイツリー型ボトルの販売


北十間川辺


花かご越しのスカイツリー

昼食はテレビ放映で人気があった店:野口鮮魚店(墨田区東駒形4-6-9)まで歩く。
東駒形親水公園を通って、10分以上歩いた。


野口鮮魚店、上海鮮ちらし(1,500円)
すこし並んだだけで、11時30分開店と同時に入れた。ちらしがネタが良く新鮮で最高においしい!


食後、大横川親水公園で

<東京ソラマチ>

東京ソラマチ入口
ソラマチ内は大勢の人であふれていた。


ソラマチからの景色


ハロー・キティの店(4F)


世界のビール博物館(7F) カフェ&レストランもあり、今日は眺めるだけ。


すみだまち処(5F) すみだの特産品を展示販売していた。パンフレットコーナーもあった。


コニカミノルタプラネタリウム天空(7F)
実は午後2時の座席を予約購入して時間が来て行ってみたら、故障でクローズになり払い戻しされた。
プラネタリウム観れなかったのは残念! だが、故障の見返りに優待券をゲットできた。


帰りは押上駅から 午後2時30分
今日はトータル1万歩を超える歩きで、人ごみもあったので、よけいに疲れた。
特に足がパンパン状態になってしまった。


天望デッキ、天望回廊のチケット


みやげ品1


みやげ品2

天理市 上ツ道・中ツ道を巡る

2012年05月27日 | 旅行
 昨年、天理市から山の辺の道を散策し万葉歌碑を訪ねたが、市内のいくつかの歌碑が未だ訪ねていなかったので、
今回奈良に来たついでに、天理市内の残りの歌碑を巡ることにした。
天理駅から上ツ道(かみつみち)(現在の上街道)を櫟本(いちのもと)町まで北上し、業平神社・和邇下神社、
そして中ツ道(なかつみち)(現在の天理環状線)を南下し前栽(公民館)・井戸堂(山辺御県座神社)・長柄(運動公園)を回り、天理駅に戻った。

古代のなごりを残す官道に、かすかに万葉のいぶきを感じるひと時であった。


上街道(石上町付近)
古代日本における官道のひとつ上ツ道(かみつみち)といわれたところ。

<業平神社>
天理市櫟本町の在原神社は業平生誕の地とされ、『伊勢物語』の23段「筒井筒」のゆかりの地でもある。境内には筒井筒で業平(と同一視される男)が幼少期に妻と遊んだとされる井戸がある。

 
神社境内
境内は手入れもされておらず、かなり寂れた感じがした。


拝殿


芭蕉の句碑
松尾芭蕉が2度にわたりこの地を訪問し、俳句を詠む。 
うぐひすを 魂にねむるか 嬌標(たまやたま) はせを(芭蕉)


ひとむらすすき
謡曲「井筒」に登場する、一群の薄(すすき)とか、詳しくはわからない。

<和邇下神社>
和邇下神社(わにしたじんじゃ)
和邇下という名前から和邇氏に関連のある神社、ご祭神はスサノオ、オオナムチ、イナダヒメ。
和邇下神社は、古代豪族の和邇氏の宗家が本拠とした和邇町にある。大きな古墳(和邇下神社古墳)の上に重要文化財の社殿が建っており、境内には一族であった柿本氏の氏寺"柿本寺跡"、それから柿本人麻呂の墓と伝えられる歌塚も残っている。


和邇下神社古墳全景
和邇下神社古墳は、東大寺山丘陵の西麓台地上に築造された前方後円墳で、全長約120m・後円部直径約70m・高さ約5m・前方部幅50mほどで、前方部が短く端部が両側に撥形に開く特異な形態。和邇下神社は、東大寺山古墳群の一角、和邇下山古墳の上に所在する。


鳥居前


万葉歌碑
鳥居の直ぐ側に万葉歌碑がある。

さす鍋に湯沸かせ子ども櫟津(いちひつ)の桧橋(ひはし)より来む狐(きつ)に浴(あ)むさむ
(長忌寸意吉麻呂 巻16-3824)   →万葉アルバム


歌塚全景
ここは柿本寺(しほんじ)跡とされ、人麻呂の氏寺として奈良時代にはりっぱな伽藍だったようだ。江戸時代の古地図では場所を変えており、昭和になってその柿本寺も廃寺となり、近くの極楽寺が柿本寺に残されていた宝物などを引き継いで管理しているという。


人麻呂像


歌塚
人麻呂の遺髪を埋めたいわれている。
柿本朝臣は和邇氏の同族。神社の西に歌聖ゆかりの歌塚が建つ。任地の石見の国で死んだ人麻呂の遺髪を妻が持ち帰って葬ったものという。現在の碑は1732年に建てられ文字は後西天皇の皇女の筆になるもの。
碑裏の撰文は黄檗宗の長老百拙和尚の筆によるもので613文字の長文が刻まれている。


神社本殿
本殿は、桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺、桃山時代の様式をそなえ、古建築として昭和13年国宝に指定、現在重要文化財に指定されている。




柿本寺跡(奥)、神社社殿へ(右手)
山の辺の道のような雰囲気が感じられるところである。


記紀の歌碑
石の上 布留を過ぎて 薦枕(こもまくら) 高橋過ぎ ものきわに 大宅(おおやけ)過ぎ 春日(はるひ) 春日を過ぎ 妻隠る 小佐保を過ぎ 玉笥には 飯さへ盛り 玉盌(たまもひ)に 水さへ盛り 泣きそぼち行くも 影媛あわれ
(日本書紀武烈天皇即位前記)

影媛(かげひめ)は物部大連麁鹿火(もののべのおおむらじ・あらかひ)の娘で、平群大臣真鳥(へぐりのおおおみ・まとり)の息子・鮪(しび)と愛し合っていた。ところが、小泊瀬稚鷦鷯皇子(おはつせわかさざきのおうじ:武烈天皇)が影媛に求婚してきた。皇子の求めに影媛が応じなかったため、皇子は鮪を乃楽山(ならやま)で攻め殺させてしまう。そのことを知った影媛は、鮪の後を追って乃楽山へ行き、恋人が殺されてしまったことを見届けて、泣きながらこの歌を詠んだという。

何故この記紀がこの地に関係しているのだろうか?
”高橋”は、天理市和邇町の和邇下神社あたりを充てる説がある。北山之辺道の布留と大宅の中間にあたるから。ただし、現在このあたりに高橋という地名はなく、「東大寺要録」という古文書に次の記録があることから、このあたりがこの歌の高橋にあたると推論されているに過ぎない。


和邇下神社古墳の石棺の天井石
昔、ここの境内に柿本寺があった。柿本人麻呂を輩出した柿本氏の氏寺だった。
柿本寺は当時、東大寺の末寺として規模も大きく立派な伽藍が立ち並ぶ寺だったと思われる。


JR櫟本駅付近


中ッ道を南下して西名阪自動車道をくぐる


道沿いにあった道標
右手が丹波市(たんばいち)とある。丹波市は天理市になる以前の町名だ。


山の辺の山々を展望

<中ッ道沿い、前栽公民館>
天理市前栽町(せんざいまち)、ちょっと難解な地名。
中ッ道沿いの布留川のそばにあり、布留ゆかりの万葉歌碑が建っている。


前栽公民館


万葉歌碑
石上(いそのかみ) 振之早田乎(ふるのわさだを)雖不秀(ひでずとも)縄谷延与(なはだにはへよ) 守乍将居(もりつつをらむ)
 (巻7-1353)   →万葉アルバム

万葉に”石上布留の早稲田”とあるように、古代稲作がさかんに行われていたようだ。  


布留川
大和川の支流のひとつで、支流も含めてほぼ天理市を流れている。布留という古代の天理の地名がそのまま川の名前になっている。

<山辺御県座神社>
山辺御県座神社(やまべのみあがたにいますじんじゃ)
御県座神社というのは、大和の国だけに存在している。御県というのは、朝廷の直轄地を示している。時代的には、大化の改新以前とされている。社名から山辺地方の朝廷直轄地に鎮座される神様ということになる。


鳥居


神社境内


社殿


万葉歌碑
境内には元明天皇の万葉歌碑があり、天皇はこの中ツ道を辿って平城京に遷って行ったと思われる歌が詠まれている。
中つ道は、藤原京から平城京への遷都の道だとされている。

飛ぶ鳥 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ
(巻1-78)   →万葉アルバムへ


神社の池
山辺の御井の伝承がある井戸がここにあるが、この池も何かいわくがありそうだ。


三輪山を望む

<長柄運動公園>
長柄運動公園(ながらうんどうこうえん)
元明天皇が中ツ道を辿って平城京に遷っていったことから、ここに万葉歌碑がある。
この地も比定されているのであろうか。

体育館


テニスコート脇の万葉歌碑
飛ぶ鳥 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ
(巻1-78)   →万葉アルバムへ

ここから天理駅まで戻り、散策終了。

松戸 金ケ作の森 森めぐりツアー

2012年05月13日 | 散歩
 「第1回オープンフォレスト in 松戸」が12日(土)から20日(日)まで開催されている。
今日は森めぐりツアー”金ケ作の森”に参加した。
常盤平駅から金ケ作自然公園-三吉の森-立切の森を巡るツアーだ。


常盤平駅前 10時集合。
天気が良いせいか、100名を超える参加者が集まった。

<金ケ作自然公園>
 ここは私有地だが松戸市に委託されて公共の公園になっているところ。
長い間管理されていなかったため、樹木が上に伸びすぎ痩せているのが目立つが、自然林を利用した公園である。


金ケ作自然公園入口付近


案内人による説明
里山の整備は楽しいが反面大変な苦労がつきまうものと感じた。


自然公園の木立


自然公園、子供の遊び場


<三吉の森>
 金ケ作自然公園の東方に位置する。
小嶋家の私有地だが、ボランティア団体”三樹の会”が森の整備活動を委託されている。ケヤキとシラカシの巨木が茂る屋敷林を骨格として作られた森である。


入口


御神木
これはシラカシの大木のようだ。


御神木にかけられた説明版を指しながら、ここの地主の小嶋氏が説明していた。
「金ケ作の地名」について
 ”徳川家康公が北総の一帯を野馬の生産地にするべく小金牧(五牧)を開いた。第八代将軍吉宗は、新田開発に力をいれる一方、鹿狩りを好み、小金牧に江戸近住の百姓一万三千人も借り出しての大掛かりな狩をした。五牧の一つ中野牧に狩りの為の陣屋に金ケ作陣屋(現在の常盤平陣屋前)の名が、歴史上初めて出てくる。・・現在の金ケ作は江戸時代「川越の森」と呼ばれ、川越藩の飛び地であった。”
「小嶋家」について
 ”吉宗の推し進めた新田開発の奨励は川越藩でも、天明元年(1781)川越藩の飛び地である川越の森(現在の金ケ作)に川越藩の庄屋石川彦次右衛門と庄八(粕谷家)による開発、その後、小嶋家、岡田家、加藤家、本国石川家分家筋等七家による入植がなされた。小嶋家は古くは紀州に先祖を持ち、代々川越藩の豪農で、この地の開拓は(初代)又兵衛氏が川越藩の親元の資金援助のもと入植する。・・現在の当主は九代目に当たる小嶋功氏である。”


御神木の札


大きなかまど


竹笛で遊ぶ


竹炭作り


しなちくを作っていた


竹を使った遊び道具 竹馬・竹ポックリ


園内散策をする。
 随所に竹林も目立つ。里山ではかつては竹はかごの材料などに使われたため、適時伐採がなされていたため、竹の繁殖が抑えられ里山も維持されていた。しかし、現在は竹材料として使う頻度が減ったため、放置しておくと竹がたちまちにはびこり、里山をだめにしてしまうようだ。竹の除去と竹の利用がボランティア活動のポイントのようだ。


里山の整備で大事なのは、下草に日が射すように樹木を間伐すること、これを行うと昔から埋まっていた種が芽をだすので、種をまかなくても、いろいろな野草が芽生えてくるようだ。


キンランを発見


ギンランも見つかった

 しかし、発見場所が明らかになると、誰かが掘り起こして持ち去ってしまうことがあるという。キンランもギンランもその土地の蘭菌がないと生きていけないランであるのに。

<立切の森>
 金ケ作自然公園の隣接地にあり、道路きわに東西に細長いのが特徴。


入口付近


園内


シュンラン、花は終わっていた

12時30分森めぐり終了。
今日は半日程のここちよい森林浴を体験した。

モーツァルトCDの風景15:楽器を奏でる絵画

2012年05月11日 | モーツァルト
 ヨーロッパのロココ絵画等に楽器を奏でる絵画が多くみられる。
モーツァルトの音楽にこれらロココ調の楽器を奏でる絵画は大変良く似合うものだ。
田園風景や天上での典雅な響きはまさにモーツァルトの世界である。


ドゥルーエ:「田園の楽奏」 

<モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲K.299・フルート協奏曲第1番K.313他 ベズノシューク(F)、ホグウッド指揮/エンシェント室内管弦楽団 (L'OISEAU-LYRE POCL-5243)>  
「フルートとハープのための協奏曲」はド・ギーヌ公爵とその令嬢のために1778年にパリで書かれた。典雅なロココ模様のようにからみあう二つの楽器の個性を存分に生かした人気の高い名作。


ドゥルーエ:「田園の楽奏」原画
18世紀の王侯貴族の家族の肖像のような絵画である。中央の二人の女性の美しさは格別である。その婦人と背景の奥行きの深い緑とが見事に調和している。ジャン・ジャック・ルソーの「自然に帰れ」というスローガンは忠実に実行されている。まるで楽器の音色までが自然に溶け込んでいるかのようである。


ロセッティ(1828-1882):「ヴェロニカ・ヴェロネーゼ」

<モーツァルト:ピアノと管楽器のための五重奏曲K.452・ベートーヴェン:ピアノと管楽器のための五重奏曲 アシュケナージ(P)、マクドナル(ob)、ブライマー(cl)、シビル(ho) (DECCA 421 151-2 輸入盤)>
「ピアノと管楽器のための五重奏曲」はモーツァルトが「自分がいままで書いた最上のもの」と手紙で語っている会心作。管楽器とピアノの小型のコンチェルトのようである。


ギャムリン:「ハープを奏でる婦人」

<モーツァルト:オーボエ協奏曲K.314・ファゴット協奏曲K.191、フルートとハープのための協奏曲K.299 ポンゼール(ob)、バーロン(fg)、ハゼルゼット(fl),クワスト(hp) コープマン指揮/アムステルダム・バロック・オーケストラ (ERATO 4509-91724-2 輸入盤)>
「ファゴット協奏曲」はさながら老いたる道化師のようなこの楽器の持ち味を十分に生かした面白い曲。
「フルートとハープのための協奏曲」はド・ギーヌ公爵とその令嬢のために1778年にパリで書かれた。典雅なロココ模様のようにからみあう二つの楽器の個性を存分に生かした人気の高い名作。


ルーベンス:「天使たちの合奏」

<モーツァルト:ミサ・プレヴィスK.258・ミサ・ロンガK.262 ケーゲル指揮/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 (PHILIPS PHCP-3809)>
「ミサ・ロンガ ハ長調」はロンガとはいえ30分位のミサ曲。最近まで録音がなかった知られざる傑作。


カルモンテル:「戸外の四重奏」

<モーツァルト:ホルン協奏曲No.1~4 K.412他 グリアー(ho)、マッギーガン指揮/フィルハーモニア・バロック・オーケストラ (harmonia mundi HMU 907012 輸入盤)>
「ホルン協奏曲」、モーツァルト時代のナチュラル・ホルンの魅力は、現代の楽器では味わえない。


シャルダン:「ヴァイオリンを持った青年」

<モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタNo.20・No.28・No.41 レオンハルト(P)、クイケン(V) (SEON SBK 62953 輸入盤)>
「ヴァイオリンソナタ 第28番」、若いモーツァルトの心のおののきと寂寥感が伝わってくる。私にとっても、かけがえのない曲の一つ。「珠玉の名作」。
「ヴァイオリンソナタ 第41番」、<フィガロ>が作曲された頃に書かれた作品。第二楽章は旋律の美と転調の面白さで引き付けられる。「ジュピター」のフーガ主題が現れる。

森と広場 放射能除染

2012年05月08日 | 散歩


芝生でお弁当を食べてる子供たち(つどいの広場)
芝生の奥にカラフルな柵ができている。


実はこの柵は除染のため立ち入り禁止のもの
「つどいの広場」は手前が解放されたが、奥半分はまだ立ち入り禁止中だ。


「木もれびの森」の柵にあった立ち入り禁止の表示
これによると、「放射線量低減のため、芝生の深堀り作業を行っています。刈取り後の芝生地の養生のため、作業開始日から来年(平成24年)5月上旬まで、同広場内の芝生地の利用はできません。」とあった。
芝生の深堀り作業ってなんだろう?


「光と風の広場」の芝生は全面立ち入り禁止中
芝刈取りはすでに終了し芝生地の養生中のようだ。作業員が雑草除去作業をしていた。


湧水の場所


花壇


野草園


シャガ(左)・ムラサキサギゴケ(右)


パークセンターにあった、「お知らせ」によると、
「芝生の深堀りとは、芝生の地下茎だけを残して表土を削り取る作業」とのことだった。
実は去年の10月4日から始まっていたようだ。すでに作業を終え芝の養生中で、まもなく立ち入り禁止が解かれるようだ。

また「森と広場の放射能マップ」が掲示されてあった。
これによると、0.25から最大で0.41μSV/H だった(今年4月測定)。
松戸市の目安とする数値は0.3μSv/hなので、まだオーバーしている箇所も見られるようだ。


千駄堀池 ここにも柵があった


自然観察舎で、”カワセミ”を見つけた


またコサギも優雅に飛んでいた

 森と広場ももうすぐ除染を終え、5月中旬以降芝生も開放されるようだが、まだ除染作業も継続するようなので、全面開放はまだ先のようだ。
公園で遊ぶ子供たちの安全確保がなにより先決だろう。
放射能除去はまだまだ長い時間と労力がかかりそうだ。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012

2012年05月05日 | クラシック音楽
 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン、別名「熱狂の日音楽祭」。
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンというと2006年のモーツァルトの祭典が思い起こされる。
あの時は二日間かけてコンサートを聴くほかに何か所かのエリアコンサートを梯子して歩いたのを思い出す。
 →「熱狂の日音楽祭 モーツァルトと仲間たち」聴きまくり

 今年は<ロシアの祭典>ということで、チャイコフスキーやラフマニノフに代表されるロシア音楽である。
今回は入手したチケットのコンサートと主会場の東京国際フォーラムのみ回ってきた。


東京国際フォーラム


会場 地上広場には屋台村なども出て、家族連れでにぎわっていた。


地上ホール ミニコンサート


地下展示場 無料コンサート
東邦音楽大学ブラス・クワイアによるロシア音楽のブラスバンド演奏が行われていた。 


生け花で曲をイメージ
ペトルーシュカ(左)・火の鳥(中)・春の祭典(右)

 このあと、Aホールでコンサート鑑賞をした。
リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」
ウラル・フィルハーモニー管弦楽団
ドミトリー・リス指揮

 ロシア音楽を本場ロシアの演奏で聴くと、広大なロシア大地の重厚な息遣いが感じられてくる。メランコリックなバイオリン独奏と色彩豊かなオーケストレーション、輝かしいティンパニーの響きがホールに鳴り響いた。

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