奈良から帰京する日、京都により、昨年寄れなかった平野神社の桜見物などをして帰るつもり。
だがこの日は朝からあいにくの雨。
とりあえず先に下鴨神社に行こうとバスに乗る。バスは満員で外人旅行者が多く目立った。さすが京都という感じ。
下鴨神社到着。 10時30分。
西参道入り口から入場した。
下鴨神社
太古、この地を占有していた賀茂氏が創祀したわが国最古の神社の一つである。祭神として、賀茂建角身命と玉依姫命を祀る。
正式には「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」。京都は鴨川を中心に町づくりがなされており、鴨川の下流にまつられている
お社というところから「下鴨(しもがも)さん」とか「下鴨神社(しもがも)」と親しくよばれている。
毎年5月15日、都大路に王朝絵巻を繰広げる葵祭は有名である。
賀茂川と高野川に挟まれた三角洲に広がる原生林・糺の森。この森の中に賀茂御祖神社(下鴨神社)は鎮座している。
下鴨神社西参道入り口
橋殿(はしどの)
御蔭祭のとき、御神宝を奉安する御殿。
舞殿(まいどの)と楼門
舞殿は下鴨神社境内の中央に位置し、葵祭の時天皇の勅使が御祭文を奏上され東游が奉納される場所。
正面鳥居
輪橋(反り橋)
輪橋は日頃から渡れないように封印されている。下の流れは御手洗池から流れてくる御手洗川。
八咫烏(やたからす)
下鴨神社に祀られている「賀茂建角身命(かもたてつぬみのみこと)」は昔、八咫烏(やたがらす)に化身して、神武天皇を熊野から大和へ道案内したと伝えられている。八咫烏と言えば、サッカー日本代表チームの胸のエンブレムに描かれている黒い鳥で、ボールをゴールに導くように、という願いが込められている。
神官の行列
楼門
現存の「楼門」は寛永5年(1628年)に建て替えられたもの。
連理の賢木(れんりのさかき)
不思議なご神木。2本の木が途中から1本に結ばれており、縁結びの神の力で結ばれたと言い伝えられている。
縁結びのご神木は「京の七不思議」の一つとされている。
境内のお茶屋て一服。茶屋から一服しながら眺める境内は静かな佇まいで、気持ちが安らぐ。
甘いぜんざいを賞味する。甘いものがスーと喉を通ると疲れがとれるようだ。
奈良の小川
周辺は平成の発掘で平安時代からほぼ同じ位置に小川の遺稿、小川のそばでは石敷遺跡が見つかりこの辺りで祭事が行われていたといわれている。古来からのならの小川の場所を復元されている。
糺の森(ただすのもり)参道
境内糺の森は、約12万平方メートル(約3万6千坪)で古代山城北部が森林地帯であった頃の植生と同じ生態が保たれている貴重な森林であり、国の史跡に指定されている。
ここは秋の紅葉の頃には色鮮やかな景観が広がる別天地になるようだ。ぜひ秋に再訪したいと感じながら歩く。
ここから雨の中をぶらぶらと出町柳駅まで歩き、そこでタクシーをひろい、平野神社へ。
着いたら雨が止み、桜も少し見栄えが良いかなと感じる。11時40分着。
平野神社
平野神社は桜の名所として知られており、特に夜桜は有名である。現在、境内には五百本余の桜の木が植えられている。寛和元年(985年)に花山天皇が4月の桜の咲いているときに祭りを行ったことから、桜の名所として有名になったというが、一方、花山天皇が桜の木を自ら手植えしたことがこの場所を桜の名所として有名にしたという説もあるようである。
平野神社鳥居
楼門までの参道両脇に朱塗りの燈籠がきれい。
しだれ桜をバックに写真を撮るシーンが目立つ
楼門をバックに
楼門をくぐると、桜の銘木が多く植えられており、その中からいくつかを紹介。
「寝覚(ねざめ)」
平野神社発祥の桜だという。花は白い一重咲き。
「八重紅枝垂」
「胡蝶(こちょう)」
大輪の薄紅色。蝶が舞っているような風情。
「衣笠(きぬがさ9」
平野神社の原木のひとつ。
御衣黄桜(ぎょいこう)」
珍しい品種で、緑と黄が混ざる花の色だという。清酒黄桜はこの名前からきたとか。
「芝山」
花弁は白く円形。
「大島」
一重で大輪。
「嵐山(らんざん)」
本殿
しだれがみごと
ここから、桜園に入る。
平野神社/北野天満宮の西北の神社で桜の名所で知られており、京都で一番桜の開花が早くその時期は多くのメディアの取材で賑わうようだ。満開時期は神社脇の桜園に多くの茶店が並ぶという。
地元の小学生が描いた絵の提灯が夜に灯ると、幻想的だという。夜桜もいいな~。
以下は桜園を巡りながら、気に入った桜を撮ってみた。
以上、平野神社の桜三昧でした!
13時頃、神社を出て、和食処を見つけて、昼食。
春のたけのこ満載の弁当。おいしくて、心も満たされた気分でした。
このあと、バスで京都駅へ戻り、天気も良くないので早めの帰京へ。