テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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皇居半周ウォーク(五人の会)

2008年06月14日 | 散歩
 梅雨なのに行いが良いせいか好天に恵まれた、皇居半周ウォーク。
五人の会の東京散策は神楽坂・早稲田に続いて2回目。
地下鉄九段下駅からスタート。「靖国神社」-「昭和館」-「皇居東御苑」が今回のコース。
 「靖国神社」は皆んな若い頃に来て以来の参拝とか。そのため初めてのような新鮮さで見物することができた。明治維新以来の戦没者を主に246万6532柱が祭神となっているが、第二次大戦のA級戦犯が合祀されていることが内外で物議をかわしているところだ。軍馬慰霊像があり明治以来500万頭の軍馬が戦場で斃れたそうで、これにはびっくりした。展示館である遊就館にはゼロ戦やC56蒸気機関車が展示されていた。A級戦犯問題さえなければ、戦没者慰霊のための格好の施設であるはずなのだが。
 「昭和館」は昭和の戦中・戦後のくらしを伝える実物資料を展示しているところ。戦中の統制下の暮らしぶりには心を痛めたが、我々の小学校時代の戦後復興時の”子供たちの戦後”展示に皆じっくりと見入っていた。粗末なバットとボールと布製グローブ、当時の教科書、街角のテレビ、プロレス人気、などなど。
昭和館を出たところで昼食。近くのそばやに駆け込み、生ビールと大もりそばでお腹を満たす。
 「皇居東御苑」では整備された天守閣跡に上ると一帯が良く見通せ気持ちが良い。周囲を歩くと松の廊下跡の立て札が見えた。立て札だけで何もないが天守閣に続く長い畳の廊下があったのが目に浮かぶようだ。
 ウォークのあとは例によって、松戸に戻り飲み会。酒を飲みながら我々の子供時代と今の息子達との想いをさかなに、ほどよい酔いが回ってきたようだった。

小粒でも味のあるカキランの花

2008年06月12日 | ラン
 毎年梅雨のこの時期に咲くのがカキランである。
カキランは花茎は50CMを超えるほど高く伸びるけれど、
花茎に付く花は1CM足らずの小粒なもの。
1本の花茎に5~6個の花を付ける。
5枚の花びらが柿色に見えるのでカキランの名が付いている。
ひ唇弁には、赤紫色と褐色の斑紋があり、血管のような赤紫色の筋模様が入っている。
小さな花に近寄って見ると、ラン特有の細やかな美しさに引かれる。
小粒ながら妖艶な感じもするが、花は短命で1日から2日で終わってしまうのである。

(写真は今日開花したカキラン)

セッコク(雷山)

2008年06月08日 | ラン
 石付きのセッコク(銘:雷山)が今年は見事な花をいっぱいに付けた。
このセッコクは茎が30CM程にも伸びる品種で、この石付きのせいか茎の繁殖がことのほか良い。
小さいが可憐な薄桃色で満開の桜のような雰囲気もある。
セッコクの花期はわりと長く半月程は咲き続けている。

梅雨入りの森と広場

2008年06月04日 | 散歩
 関東地方もどうやら梅雨入りしたようだ。
野草園ではこの季節らしい草花が見られた。
 チガヤ(イネ科)の真っ白な綿毛が目に付く。
この時期葉は先端から赤く染まるのだが、早いものは穂を出す。
穂は細長い円柱形で、、よく目立つ。
 アサザ(ミツガシワ科)の黄色の花が池いちめんに咲いていた。
かつては各地の湖沼・ため池に見られたが、今では絶滅危惧Ⅱ類 にランクされている。千葉県ではほかでは印旛沼・霞ヶ浦に見られるようだ。
かわいらしい黄色の花が群生しているのを見られるのは貴重なのだ。
 アジサイが咲き始めたようだ。まだわずかだが。
アジサイの奥にガクアジサイの群落が見えた。まだ蕾の状態だが、これから楽しみである。

昭和歌謡三大メロディ・メーカー~その3(服部メロディ)

2008年06月03日 | 歌謡曲
 服部メロディは、ジャズやタンゴの洒落た味付けの曲が何ともいえない味がある。
 服部良一は1907年大阪市平野区に生まれる。和製ポップスの代表格である。
少年音楽隊から始まり、その後大阪フィルハーモニック・オーケストラに入団。
1936年にコロムビアの専属作曲家となり、淡谷のり子の『別れのブルース』で一流の作曲家の仲間入りをはたす。中国の抒情を見事に表現した『蘇州夜曲』、モダンの余韻を残す『一杯のコーヒーから』、高峰三枝子が歌った感傷的なブルース調の『湖畔の宿』など、服部メロディーの黄金時代を迎えた。戦後は笠置シヅ子の『東京ブギウギ』などをヒットさせた。ジャズのフィーリングやリズムをいかし、和製ブルースの創作など日本のポップスの創始者としての地位を確立した。

 私の好きな服部メロディ:ベスト5

1944年「夜来香」(作詞:佐伯孝夫、作曲:黎錦光、歌:李香蘭)
    中国上海で李香蘭が中国語で歌った。
    その時ルンバのリズムにアレンジしたのが服部良一であった。
    戦後1950年に佐伯孝夫の日本語訳で歌われヒットした。
    李香蘭もいいが、テレサ・テンが歌っているのが好きだ。
1947年「胸の振り子」(詞:サトウハチロー、歌:霧島昇)
    素敵な一曲。戦争が終わった華やぎが伝わってくる
    ロマンティックなジャズ風が斬新である。
    石原裕次郎がこういう曲を歌うとなかなかうまい。
1948年「夢去りぬ」(詞:奥山靉、歌:霧島昇)
    1939年にHatterというペンネームで洒落たタンゴのアレンジで
    作曲したため、その後10年近くの間外国の曲と見られていた。
    服部良一がいかに世界的な感覚を持った作曲家であるかを証明する話だ。
    私はボニー・ジャックスが歌っているのを愛聴している。
1948年「東京の屋根の下」(詞:佐伯孝夫、歌:灰田勝彦)
    戦後の明るく希望に満ちた曲。
1949年「青い山脈」(詞:西条八十、歌:藤山一郎、奈良光枝)
    明るいこの歌は「日本の歌ベスト」のトップに選ばれたことがある。

 《この一曲》 夢去りぬ

         奥山 靉作詞
         服部良一作曲 

    夢いまだ さめやらぬ
    春のひと夜
    君呼びて ほほえめば
    血汐おどる
    ああ 若き日の夢
    今君にぞ通う
    この青春のゆめ
    さめて散る花びら

    過ぎし夢は はかなく
    消えて悲し 今はただ
    君がやさし 面影
    むねにえがき 今日もまた
    ギターを弾きて 歌うは
    君の大好きな あの歌
    今はせつなくひびく 恋の思い出よ

   ※ああ 若き日の夢
    今君にぞ通う
    この青春のゆめ
    さめて散る花びら

 蘇える青春の日々が甘美な調べに乗って、語っているかのようである。
 タンゴの調べも良いが、歌詞もまた良い。私はこの曲が大好きである。

(写真はCD「浪漫街道 特集:服部メロディ」のジャケット)

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