梅雨の中休み、湿度が高く肌に湿気がつきまとうが、雨にはならず散歩には問題なし。
JR四ッ谷駅、10時スタート
四ッ谷駅
赤坂迎賓館をバックに浴衣の撮影をしていた
ベルサイユ宮殿を彷彿とさせる赤坂迎賓館
迎賓館は、かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった広大な敷地の一部に、明治42年(1909)に東宮御所(後に赤坂離宮となる。)として建設されたもので、当時日本の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設した日本における唯一のネオ・バロック様式の洋風建築物である。
戦後、わが国が国際社会へ復帰し、国際関係が緊密化してゆくなかで外国の賓客を迎えることが多くなったため、「旧赤坂離宮」を改修して迎賓館とすることになった。
学習院初等科の正門
若葉東公園の大きなユリノキ
若葉一丁目の路地にある、鯛焼き屋「わかば」
東京のたい焼き御三家:人形町の人形町の「柳家」、麻布十番の「浪花屋総本家」。そして、四谷の「わかば」。
早速持ち帰りに4個購入、512円也。
中にアンコがたっぷり入っており皮が薄い、一個でもボリュームたっぷり。
一歩、大通りから足を踏み入れると、東福院坂・坂町坂・円通寺坂・観音坂など、四谷にはたくさんの坂が存在する。そして、その坂を歩いていくと神社仏閣がたくさん存在することに気づく。
観音坂を下り天王坂に至るところに、須賀神社があった。
須賀神社は江戸時代には四谷鎮守の天王様として信仰を集めた。 須佐之男命(スサノオノミコト)・宇迦能御魂命(ウカノミタマノミコト)を祀る。
外苑東通りから入った閑静な住宅街、四谷怪談で知られるお岩を祀る於岩稲荷田宮神社と筋向かいにある於岩稲荷陽運寺、どちらもお岩ゆかりの神社と寺院ということで、本家争いをしている。
於岩稲荷陽運寺
お岩は御家人田宮家の独り娘。養子で迎えた夫と夫婦仲もよく、家計を切り盛りして財政難にあえぐ田宮家を再興。お岩が屋敷内の稲荷を熱心に信仰したことのご利益で家運が上がったと評判になり、繁盛稲荷として屋敷社が広く知られるようになる
東海道四谷怪談は鶴屋南北が江戸で評判のお岩稲荷の縁起話に絡めた戯曲で、お岩の生涯とは全く関係がない。
夫、伊右衛門に毒を盛られて非業の死を遂げたのは怪談話であって、実際のお岩は知徳にたけた良妻だった。お岩にちなんで家内安全、商売繁盛、縁結びなど諸々のご利益にあやかれる。
右側にお岩ゆかりの古井戸がある
昔は御霊水として使われていた。
心願成就の石と絵馬
於岩稲荷田宮神社
実在のお岩は貞女の鑑、の記事がおかれていた
信仰の深さを表す献額
水かけお岩地蔵
新宿通りの地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅の傍に「水かけお岩地蔵尊」がある。
四谷三丁目交差点
そばや「弁天庵」(「四谷三丁目駅」3番出口そば)で昼食
セルフサービスのそばやなので値段が安いが、味は悪くない。
かき揚げそば大・おつまみセット・そして生ビールで乾杯。
新宿御苑
大木戸門 から入場
江戸時代に信州高遠藩主内藤家の屋敷があったこの地に、新宿御苑が誕生したのは明治39年のこと。皇室の庭園として造られましたが、戦後、国民公園となる。
広さ58.3ha、周囲3.5Kmの庭園には、プラタナス並木が美しいフランス式整形庭園や広大な芝生とユリノキが高くそびえ、明るくのびやかな景観を呈しているイギリス風景式庭園、昔ながらの日本庭園を巧みに組み合わせており、近代西洋庭園ともいわれている。また、数少ないわが国の風景式庭園の名作とされている。
玉藻池
<フランス式整形庭園>
プラタナスの並木
ベンチでしばしの休憩にもってこいの場所だった。
庭園造形美
<イギリス風景式庭園>
広くのびのびした気持ちのよい場所だ。
写真右手の大きな木に白い花が見えるので、近くに寄って見ると、
タイサンボクの花が咲いていた
花の直径は15~25cmにもなり、日本で見られる樹木では最大級。明治時代に植えられたもの。
ユリノキの大木
明治初期に植えられ樹齢約100年になる。
<日本庭園>
旧御涼亭
日本庭園の池
橋の上からコイとカメのえさの取り合いを眺めている
新宿御苑の新宿門
花園神社
新宿の歌舞伎町・新宿ゴールデン街の裏にある神社。1648年(慶安元年)に創建。内藤新宿に宿場街ができる50年前に建てられ、今なお新宿の鎮守として伝統を守り続けている。 唐十郎らの芝居や、上々颱風をはじめ国内外のアーティストによるライブが行われる舞台として、親しみを持っている人も多い。芸能の起源が神事であるように、花園神社と新宿の文化もまた、密接に結びついている。
唐獅子像
文政4年(1821)に造立された雌雄一対の銅製の唐獅子像。
尾張公の別邸内に創建され、別邸内に花園があったところから花園神社と呼ばれている。
鳥居と絵馬
散歩の締めは、新宿やきとり横丁
新宿駅西口の一角に今も戦後の闇市の名残りが残る「思い出横丁」という飲食店街があり、別名:やきとり横丁と呼ばれている。
居酒屋「鳥園」で焼き鳥で一杯!
松戸に戻ったあと、松戸東口の中華料理店にて反省会
JR四ッ谷駅、10時スタート
四ッ谷駅
赤坂迎賓館をバックに浴衣の撮影をしていた
ベルサイユ宮殿を彷彿とさせる赤坂迎賓館
迎賓館は、かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった広大な敷地の一部に、明治42年(1909)に東宮御所(後に赤坂離宮となる。)として建設されたもので、当時日本の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設した日本における唯一のネオ・バロック様式の洋風建築物である。
戦後、わが国が国際社会へ復帰し、国際関係が緊密化してゆくなかで外国の賓客を迎えることが多くなったため、「旧赤坂離宮」を改修して迎賓館とすることになった。
学習院初等科の正門
若葉東公園の大きなユリノキ
若葉一丁目の路地にある、鯛焼き屋「わかば」
東京のたい焼き御三家:人形町の人形町の「柳家」、麻布十番の「浪花屋総本家」。そして、四谷の「わかば」。
早速持ち帰りに4個購入、512円也。
中にアンコがたっぷり入っており皮が薄い、一個でもボリュームたっぷり。
一歩、大通りから足を踏み入れると、東福院坂・坂町坂・円通寺坂・観音坂など、四谷にはたくさんの坂が存在する。そして、その坂を歩いていくと神社仏閣がたくさん存在することに気づく。
観音坂を下り天王坂に至るところに、須賀神社があった。
須賀神社は江戸時代には四谷鎮守の天王様として信仰を集めた。 須佐之男命(スサノオノミコト)・宇迦能御魂命(ウカノミタマノミコト)を祀る。
外苑東通りから入った閑静な住宅街、四谷怪談で知られるお岩を祀る於岩稲荷田宮神社と筋向かいにある於岩稲荷陽運寺、どちらもお岩ゆかりの神社と寺院ということで、本家争いをしている。
於岩稲荷陽運寺
お岩は御家人田宮家の独り娘。養子で迎えた夫と夫婦仲もよく、家計を切り盛りして財政難にあえぐ田宮家を再興。お岩が屋敷内の稲荷を熱心に信仰したことのご利益で家運が上がったと評判になり、繁盛稲荷として屋敷社が広く知られるようになる
東海道四谷怪談は鶴屋南北が江戸で評判のお岩稲荷の縁起話に絡めた戯曲で、お岩の生涯とは全く関係がない。
夫、伊右衛門に毒を盛られて非業の死を遂げたのは怪談話であって、実際のお岩は知徳にたけた良妻だった。お岩にちなんで家内安全、商売繁盛、縁結びなど諸々のご利益にあやかれる。
右側にお岩ゆかりの古井戸がある
昔は御霊水として使われていた。
心願成就の石と絵馬
於岩稲荷田宮神社
実在のお岩は貞女の鑑、の記事がおかれていた
信仰の深さを表す献額
水かけお岩地蔵
新宿通りの地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅の傍に「水かけお岩地蔵尊」がある。
四谷三丁目交差点
そばや「弁天庵」(「四谷三丁目駅」3番出口そば)で昼食
セルフサービスのそばやなので値段が安いが、味は悪くない。
かき揚げそば大・おつまみセット・そして生ビールで乾杯。
新宿御苑
大木戸門 から入場
江戸時代に信州高遠藩主内藤家の屋敷があったこの地に、新宿御苑が誕生したのは明治39年のこと。皇室の庭園として造られましたが、戦後、国民公園となる。
広さ58.3ha、周囲3.5Kmの庭園には、プラタナス並木が美しいフランス式整形庭園や広大な芝生とユリノキが高くそびえ、明るくのびやかな景観を呈しているイギリス風景式庭園、昔ながらの日本庭園を巧みに組み合わせており、近代西洋庭園ともいわれている。また、数少ないわが国の風景式庭園の名作とされている。
玉藻池
<フランス式整形庭園>
プラタナスの並木
ベンチでしばしの休憩にもってこいの場所だった。
庭園造形美
<イギリス風景式庭園>
広くのびのびした気持ちのよい場所だ。
写真右手の大きな木に白い花が見えるので、近くに寄って見ると、
タイサンボクの花が咲いていた
花の直径は15~25cmにもなり、日本で見られる樹木では最大級。明治時代に植えられたもの。
ユリノキの大木
明治初期に植えられ樹齢約100年になる。
<日本庭園>
旧御涼亭
日本庭園の池
橋の上からコイとカメのえさの取り合いを眺めている
新宿御苑の新宿門
花園神社
新宿の歌舞伎町・新宿ゴールデン街の裏にある神社。1648年(慶安元年)に創建。内藤新宿に宿場街ができる50年前に建てられ、今なお新宿の鎮守として伝統を守り続けている。 唐十郎らの芝居や、上々颱風をはじめ国内外のアーティストによるライブが行われる舞台として、親しみを持っている人も多い。芸能の起源が神事であるように、花園神社と新宿の文化もまた、密接に結びついている。
唐獅子像
文政4年(1821)に造立された雌雄一対の銅製の唐獅子像。
尾張公の別邸内に創建され、別邸内に花園があったところから花園神社と呼ばれている。
鳥居と絵馬
散歩の締めは、新宿やきとり横丁
新宿駅西口の一角に今も戦後の闇市の名残りが残る「思い出横丁」という飲食店街があり、別名:やきとり横丁と呼ばれている。
居酒屋「鳥園」で焼き鳥で一杯!
松戸に戻ったあと、松戸東口の中華料理店にて反省会