1987年9月、大阪毎日ホール公演「ウィーン夢のまち ~メラニー・ホリデイ~」
大阪転勤して3年目、高校時代に親しんだウィンナ・ワルツ、その後なんとなく遠ざかっていたが、ひさしぶりにコンサートに妻と共に思い切って出かけてみた。
ウィーン・フォルクスオパーの名花でアメリカ生まれの美貌の歌姫、メラニー・ホリデイのコンサートであった。購入したシートが最前列の左寄り。舞台に一番近いところの席である。
第1部がオペレッタの名アリア、レハール「メリー・ウィドウ」より”ヴィリアの歌”、レハール「ジュディッタ」より”私の唇”など。
第2部がミュージカルの名アリア、「サウンド・オブ・ミュージック」メドレー、「エビータ」より”アルゼンチンよ泣かないで”など、
といった、名曲ばかりで肩のこらないコンサートであった。
今でも鮮烈に印象に残っているのは、歌姫が豪華なピンク系のドレスをまとって舞台の袖から現れ、舞台を左右に動きながらウィンナ・ワルツの名アリアを歌いだす。ドレスの絹ずれのかすかな音となんともいえない甘い香水の香りが漂ってきて、芳醇な歌声を聴きながらまるで夢を見ているような心地であった。
ウィンナ・ワルツを管弦楽曲で親しんでいたが、オペレッタ(喜歌劇ともいう、ウィンナ・ワルツをベースにしたコミカルな歌劇のこと)の世界があったこと、オペレッタのアリアの心地よいメロディに、私の一時中断していたクラシック音楽趣味が再び目を覚ましてきた時期であった。
その後、私はオペレッタに夢中になり、ヨハン・シュトラウス、レハール、オッフェンバック、スッペ、等の作曲家のいろいろなオペレッタを収集し始めたのである。
大阪転勤して3年目、高校時代に親しんだウィンナ・ワルツ、その後なんとなく遠ざかっていたが、ひさしぶりにコンサートに妻と共に思い切って出かけてみた。
ウィーン・フォルクスオパーの名花でアメリカ生まれの美貌の歌姫、メラニー・ホリデイのコンサートであった。購入したシートが最前列の左寄り。舞台に一番近いところの席である。
第1部がオペレッタの名アリア、レハール「メリー・ウィドウ」より”ヴィリアの歌”、レハール「ジュディッタ」より”私の唇”など。
第2部がミュージカルの名アリア、「サウンド・オブ・ミュージック」メドレー、「エビータ」より”アルゼンチンよ泣かないで”など、
といった、名曲ばかりで肩のこらないコンサートであった。
今でも鮮烈に印象に残っているのは、歌姫が豪華なピンク系のドレスをまとって舞台の袖から現れ、舞台を左右に動きながらウィンナ・ワルツの名アリアを歌いだす。ドレスの絹ずれのかすかな音となんともいえない甘い香水の香りが漂ってきて、芳醇な歌声を聴きながらまるで夢を見ているような心地であった。
ウィンナ・ワルツを管弦楽曲で親しんでいたが、オペレッタ(喜歌劇ともいう、ウィンナ・ワルツをベースにしたコミカルな歌劇のこと)の世界があったこと、オペレッタのアリアの心地よいメロディに、私の一時中断していたクラシック音楽趣味が再び目を覚ましてきた時期であった。
その後、私はオペレッタに夢中になり、ヨハン・シュトラウス、レハール、オッフェンバック、スッペ、等の作曲家のいろいろなオペレッタを収集し始めたのである。