テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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ウィーン音楽の魅力~3 歌姫メラニイ・ホリデイ

2007年07月31日 | クラシック音楽
1987年9月、大阪毎日ホール公演「ウィーン夢のまち ~メラニー・ホリデイ~」
 大阪転勤して3年目、高校時代に親しんだウィンナ・ワルツ、その後なんとなく遠ざかっていたが、ひさしぶりにコンサートに妻と共に思い切って出かけてみた。
ウィーン・フォルクスオパーの名花でアメリカ生まれの美貌の歌姫、メラニー・ホリデイのコンサートであった。購入したシートが最前列の左寄り。舞台に一番近いところの席である。
 第1部がオペレッタの名アリア、レハール「メリー・ウィドウ」より”ヴィリアの歌”、レハール「ジュディッタ」より”私の唇”など。
 第2部がミュージカルの名アリア、「サウンド・オブ・ミュージック」メドレー、「エビータ」より”アルゼンチンよ泣かないで”など、
といった、名曲ばかりで肩のこらないコンサートであった。
 今でも鮮烈に印象に残っているのは、歌姫が豪華なピンク系のドレスをまとって舞台の袖から現れ、舞台を左右に動きながらウィンナ・ワルツの名アリアを歌いだす。ドレスの絹ずれのかすかな音となんともいえない甘い香水の香りが漂ってきて、芳醇な歌声を聴きながらまるで夢を見ているような心地であった。
 ウィンナ・ワルツを管弦楽曲で親しんでいたが、オペレッタ(喜歌劇ともいう、ウィンナ・ワルツをベースにしたコミカルな歌劇のこと)の世界があったこと、オペレッタのアリアの心地よいメロディに、私の一時中断していたクラシック音楽趣味が再び目を覚ましてきた時期であった。
 その後、私はオペレッタに夢中になり、ヨハン・シュトラウス、レハール、オッフェンバック、スッペ、等の作曲家のいろいろなオペレッタを収集し始めたのである。

ウィーン音楽の魅力~2 ニュー・イヤーコンサート

2007年07月24日 | クラシック音楽
 私は毎年正月元旦の夜に生中継されるニュー・イヤーコンサートを楽しみにしている。これは元旦にウィーン楽友協会の大ホール(黄金のホール)で行なわれるマチネのコンサートで、主にシュトラウス一家のワルツやポルカなどが演奏される。
大晦日の紅白歌合戦よりニュー・イヤーコンサートを見ることで新しい年が来たと感じるのである。
 思い出すと毎年大指揮者が代わる代わる指揮していたのがわかる。調べて見ると、
ヴィリー・ボスコフスキー, 1955–1979
ロリン・マゼール, 1980–1986, 1994, 1996, 1999, 2005
ヘルベルト・フォン・カラヤン, 1987
クラウディオ・アバド, 1988, 1991
カルロス・クライバー, 1989, 1992
ズービン・メータ, 1990, 1995, 1998, 2007
リッカルド・ムーティ, 1993, 1997, 2000, 2004
ニコラウス・アーノンクール, 2001, 2003
小沢征爾, 2002
マリス・ヤンソンス, 2006
ジョルジュ・プレートル, 2008 (予定)

 ウィーン楽友協会の大ホールは内部は黄金に輝いており毎年違った花々で舞台周りを飾られる。最高のオーケストラと最高の指揮者、それに最高のホールの音響と、そろったところでウィンナ・ワルツが演奏される。こんな至福の時間は他にない。毎年違った沢山の花々で舞台が飾られ、毎年かならず演奏されるのが「美しく青きドナウ」、オペラ座のバレエ団がウィーンの宮殿で踊る映像も素敵である。ラスト曲は決まって「ラデツキー行進曲」である。

 このニュー・イヤーコンサートを一度現地で生で聴きたいものだと思っているが、夢であり叶いそうもない。夢はまだ叶わないが、ほんの少しだけ夢の一部が実現した。なんとウィーン楽友協会の正面に立つことが出来たのである!。
 2006年1月9日、東欧4カ国ツアーでウィーンに寄った際に、少し自由時間があったのでケルントナー通りからウィーン楽友協会、リング通りに出てウィーン国立歌劇場まで歩いて見て回った。ウィーン楽友協会の前で左から正面から右からと写真に収めることができた。端正な佇まいが印象的であった。公演は開催されていなかったが、ホールの中からウィンナ・ワルツが流れてくるような気がした。いつか次回はホールの中で聴いて見たい、と夢を新たにした。

ウィーン音楽の魅力~1 最初に買ったLPレコード

2007年07月17日 | クラシック音楽
 私は高校時代に放送研究会というクラブ活動に熱を入れていて、主に学校で「レコード鑑賞会」を主催していた。全てクラシック音楽だったため、それが私のクラシック音楽趣味の始めであった。先輩や同級生に詳しいのがいて、交響曲のメロディやオペラのアリアを口ずさんだりして、それが新鮮な刺激になった。
 私は未だクラシック音楽の扉を開けたばかりの状態だったが、親にねだって4畳半の自室になんとか収まる山水のセパレート・プレーヤーを買ってもらった。今思うと馬鹿でかかったように思う。
 さっそく小遣いで買った最初のLPレコードがウインナワルツの名曲を収めたものだった。当時のLPは3000円程したと思う。昭和34年で国家公務員初任給が10,200円、定食が150円だったから、LPレコードは相当高価だった。
 私はこのウインナワルツのLPを針を取り替えながら何回も聴いた。未だステレオレコードでなかったのであるが、オーケストラの濃厚な響きやワルツのメロディに虜になったものだ。
この記念すべきLPレコードは、ブルノー・ワルター指揮コロムビア交響楽団の
「ヨハン・シュトラウス」(コロムビアレコード、WL-5212)である。
A面第1曲が「皇帝円舞曲」だったので、それ以来ウインナワルツの中でも「皇帝円舞曲」が一番印象深いものとなった。
他に「こうもり序曲」「ウィーン気質」「ウィーンの森の物語」「ジプシー男爵序曲」「美しく青きドナウ」の合計6曲が入っていた。今ひさしぶりに聴いて見るとレコードのかすれた音と音質面で決して良い音ではない。しかし聴いていると当時が懐かしく蘇ってくるのである。

 その30年後にCD「ウィンナ・ワルツ大全集」を入手した。CD13枚組でシュトラウス一家の音楽が述べ166曲も収納されている。もちろんステレオで音質も最高。ウィンナワルツの名指揮者ボスコフスキー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるウィーン情緒あふれる歴史的名アルバムである。

 この2つを並べて思うに、LPからCDへと移り変わった時代の大きな変化と多様化で、現代はさまざまな優れたものが安価に手に入る、なんという恵まれた時代だが何か満たされないものも感じる。沢山のものが手に入りすぎて、ひとつのものに集中できない不安がある。昔同じLPを針を替えながら何回も聴いたような集中力を取り戻さなければならないような気がするのである。

 ウィンナワルツとオペレッタ(喜歌劇)を総称して「ウィーン音楽」と呼ぶ。
私はウィンナワルツでクラシックに目覚め、その後オペレッタの魅力に次第に惹かれてきた。それを引き金ににモーツァルトを中心とするクラシック音楽が好きになっていったのである。その基盤となる「ウィーン音楽」について述べてみようと思う。

フウラン

2007年07月11日 | ラン
 梅雨の最中に芳香を漂わせる可憐な白い花。それがランの仲間である「フウラン」である。漢字で風蘭と書く。字のごとく風にただようような可愛らしく可憐なランである。丈夫なランで5月ごろ葉と葉の間から新根が発生して鉢の縁にまで伸び出す程で、着生蘭(気根植物)らしいたくましさを感じる。
 花はかすかに淡桃色がかかる白色で、花を横から見ると、弧を描く長いしっぽ(距という)があるのが特徴。このランの魅力は何といっても、高貴な香水のような気品に満ちた芳香であろう。決して強い匂いではなく、かすかでありまたハットするような香りを時々あたりに漂わせるのである。

 7月11日の今日開花。昨年に比べ2日早く、一昨年に比べ8日早い。
今年は猛暑なのかも知れない。

(写真は今日咲いたフウラン)

夏のテニスは強いボールを打とう!

2007年07月05日 | テニス
 夏のテニスは暑さとの闘いでもある。
暑いからといって、気を抜いたり力を抜いたりしていると、余計に疲れるようだ。
だから、むしろ強いボールを打つように心がける。
先週の木曜では、コーチから強いボールでのリターンの練習を行った。
ボールを打ったあとの腕の返しを、車のワイパーのように腕を思い切り返すことにより、強いリターンでもボールにドライブがかかりオーバーせず、程よくコート内に落ちる。このドライブを思い切りかけて強いリターンを返す練習をした。
練習ではコーチから緩く良いボールがくるので、狙ったところに返すことが5割以上できたようだ。
 ただゲームとなると、大事に返そうとするために、返球でドライブがかからず、当てにいってしまうケースが出る。そのため返球がラインオーバーしてしまうことが多い。また当てにいったため、返球が甘く逆に叩かれてしまうケースもある。
 ゲームでも思い切り強いドライブがかかったリターンを返すようなプレーを心がけたいものである。

(写真は梅雨空に咲く我が家のテッセン)

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