(宇治散策マップ)
2泊3日の関西の旅。
3日目は京都宇治。
奈良からJRで宇治駅へ。平等院・宇治川沿い・宇治神社沿い・源氏物語ミュージアムと散策してきた。
万葉と王朝文化の両方に浸れる、ハイレベルの観光地である。
宇治は中学の修学旅行、20年前の旅行、につぐ3度目である。世界遺産観光地で道標・標識や散策路が整備され、平等院等の旧跡で復元され真新しい色彩も目立つようになったが、優雅で風流さを残していって欲しいと感じた。
JR宇治駅着 9時30分
駅から宇治橋通り商店街をゆく
ほどなく宇治橋の畔につく
ここには「紫式部象」がおかれていた。
平等院正門 9時45分
正門から参観券を払って入場。
平等院鳳凰堂
平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂。華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、このうえなく貴重な建築である。
このはね橋は比較的新しく再建されたもののようだ。
庭をぐるっと一周して鑑賞できる。
池面に映る鳳凰堂も優雅な姿である。
平等院ミュージアム鳳翔館(開館:2001年)
この鳳翔館は初めて訪ねるところで、国宝や復元壁画を展示している。平等院庭園との調和を考え、施設の大半が地下構造になっているようで、目立たないように建てられている。
木造雲中供養菩薩像
52躯のうち、半分の26躯が展示されていた。鳳凰堂内ではうす暗く鑑賞しにくかったが、ここでは明るい展示方法で細部まで鑑賞することができた。
飛天壁画復元模写
鳳凰堂本尊の背後に、顔がわずか四ミリに満たない日本最小の飛天が描かれており、これを復元模写したものが、ここに展示されていた。”実に見事”
梵鐘(平安時代 12世紀)
「天下の三名鐘」の1つとしても有名。 鬣を真上に逆立たせた竜頭が飾られたり、宝相華唐草の地文の上に鳳凰や、踊る飛天などが刻まれている。
優雅に楽器を奏でる飛天が何体も刻まれ、実に見事な王朝文化に相応しい梵鐘といえる。”見飽きなかった!”
鳳凰堂の壁画復元
当時の鳳凰堂内部を創建当時の姿に復元。これは復元壁画の一部。きらびやかな壁画復元は創建当時をしのぶことができ、見ごたえがあった。
平等院の参観を終了。11時。
宇治川に平行している、「あじろぎの道」を散策
あじろぎの道は、宇治川の流れを見ながらそぞろ歩きのできる「源氏物語散策の道」。近辺には平等院や宇治十帖ゆかりの古跡があり、「あじろぎ(網代木)」というのは、鎌倉時代まで行われていた宇治川の伝統的な漁法の「網代(竹や木で編んだ魚を獲るための仕掛け)」を繋ぎとめた杭(くい)のことだそうだ。
観光センター玄関前にあった万葉歌碑
→詳細は万葉アルバムへ
上流を望むと右手に喜撰橋・左手に中の島橋、手前は屋形船
橘橋(中州へつながる橋)を渡る
地味だが風流のある橋のようだ。
中州にかかる朝霧橋(中州から宇治神社側へ)
中州にある万葉歌碑
→詳細は万葉アルバムへ
中州の「しだれ桜」、”宇治川しだれ”と銘がある。
朝霧橋から上流を眺める
朱塗りで存在感がある橋。上流側は正面に愛宕山を望める。
朝霧橋を渡った袂にある万葉歌碑
→詳細は万葉アルバムへ
宇治十帖モニュメント
源氏物語宇治十帖の中で、浮舟(モニュメントの向かって右側の女性)は薫に連れられて宇治に移る。匂宮(モニュメントの向かって左側の男性)は浮舟の居場所を探り出し宇治を訪れる。そして、二人はともに小舟で橘の小島へ渡っていく。モニュメントはそのときの場面をモチーフにしている。
宇治神社
明治維新までは宇治神社とその東奥に位置する宇治上(うじかみ)神社は一対の関係であった。
宇治上神社
宇治神社と宇治上神社が鎮座するこの一帯は応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡とみられ、皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが両神社の起源とみられる。
「さわらびの道」 左手に万葉歌碑。
さわらびの道は、「源氏物語散策の道」として市民はもとより、観光客など宇治を訪れる多くの人々に親しまれており、源氏物語ミュージアム、宇治十帖ゆかりの古跡、神社などがあり、しっとりとした雰囲気の中で源氏物語の世界に誘われる。
→詳細は万葉アルバムへ
源氏物語ミュージアムの方につづく路
源氏物語ミュージアム 11時40分。
1998年に開館した公立博物館。
館内で、お茶を頂き、一休み。
館内の展示を観て回る
映像展示「源氏物語と王朝絵巻」など、映像に合わせて展示にスポットライトがあたり動作するものもある。
源氏物語ミュージアムをあとにして、JR宇治駅に向かう。
宇治橋をわたる
源氏物語宇治十帖は「橋」に始まり「橋」に終わる文学で、物語にとって宇治橋は欠かせないものであり、この宇治橋はその象徴でもあるようだ。
水量が豊富で流れも早い
川の流れと遠くの山々の景色は奈良・平安時代と変わりがないのだろう。
途中の商店街で、軽く昼食をとり、帰路。
JR宇治駅からJR京都駅経由、新幹線で帰京。
2泊3日の関西の旅。
3日目は京都宇治。
奈良からJRで宇治駅へ。平等院・宇治川沿い・宇治神社沿い・源氏物語ミュージアムと散策してきた。
万葉と王朝文化の両方に浸れる、ハイレベルの観光地である。
宇治は中学の修学旅行、20年前の旅行、につぐ3度目である。世界遺産観光地で道標・標識や散策路が整備され、平等院等の旧跡で復元され真新しい色彩も目立つようになったが、優雅で風流さを残していって欲しいと感じた。
JR宇治駅着 9時30分
駅から宇治橋通り商店街をゆく
ほどなく宇治橋の畔につく
ここには「紫式部象」がおかれていた。
平等院正門 9時45分
正門から参観券を払って入場。
平等院鳳凰堂
平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂。華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、このうえなく貴重な建築である。
このはね橋は比較的新しく再建されたもののようだ。
庭をぐるっと一周して鑑賞できる。
池面に映る鳳凰堂も優雅な姿である。
平等院ミュージアム鳳翔館(開館:2001年)
この鳳翔館は初めて訪ねるところで、国宝や復元壁画を展示している。平等院庭園との調和を考え、施設の大半が地下構造になっているようで、目立たないように建てられている。
木造雲中供養菩薩像
52躯のうち、半分の26躯が展示されていた。鳳凰堂内ではうす暗く鑑賞しにくかったが、ここでは明るい展示方法で細部まで鑑賞することができた。
飛天壁画復元模写
鳳凰堂本尊の背後に、顔がわずか四ミリに満たない日本最小の飛天が描かれており、これを復元模写したものが、ここに展示されていた。”実に見事”
梵鐘(平安時代 12世紀)
「天下の三名鐘」の1つとしても有名。 鬣を真上に逆立たせた竜頭が飾られたり、宝相華唐草の地文の上に鳳凰や、踊る飛天などが刻まれている。
優雅に楽器を奏でる飛天が何体も刻まれ、実に見事な王朝文化に相応しい梵鐘といえる。”見飽きなかった!”
鳳凰堂の壁画復元
当時の鳳凰堂内部を創建当時の姿に復元。これは復元壁画の一部。きらびやかな壁画復元は創建当時をしのぶことができ、見ごたえがあった。
平等院の参観を終了。11時。
宇治川に平行している、「あじろぎの道」を散策
あじろぎの道は、宇治川の流れを見ながらそぞろ歩きのできる「源氏物語散策の道」。近辺には平等院や宇治十帖ゆかりの古跡があり、「あじろぎ(網代木)」というのは、鎌倉時代まで行われていた宇治川の伝統的な漁法の「網代(竹や木で編んだ魚を獲るための仕掛け)」を繋ぎとめた杭(くい)のことだそうだ。
観光センター玄関前にあった万葉歌碑
→詳細は万葉アルバムへ
上流を望むと右手に喜撰橋・左手に中の島橋、手前は屋形船
橘橋(中州へつながる橋)を渡る
地味だが風流のある橋のようだ。
中州にかかる朝霧橋(中州から宇治神社側へ)
中州にある万葉歌碑
→詳細は万葉アルバムへ
中州の「しだれ桜」、”宇治川しだれ”と銘がある。
朝霧橋から上流を眺める
朱塗りで存在感がある橋。上流側は正面に愛宕山を望める。
朝霧橋を渡った袂にある万葉歌碑
→詳細は万葉アルバムへ
宇治十帖モニュメント
源氏物語宇治十帖の中で、浮舟(モニュメントの向かって右側の女性)は薫に連れられて宇治に移る。匂宮(モニュメントの向かって左側の男性)は浮舟の居場所を探り出し宇治を訪れる。そして、二人はともに小舟で橘の小島へ渡っていく。モニュメントはそのときの場面をモチーフにしている。
宇治神社
明治維新までは宇治神社とその東奥に位置する宇治上(うじかみ)神社は一対の関係であった。
宇治上神社
宇治神社と宇治上神社が鎮座するこの一帯は応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡とみられ、皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが両神社の起源とみられる。
「さわらびの道」 左手に万葉歌碑。
さわらびの道は、「源氏物語散策の道」として市民はもとより、観光客など宇治を訪れる多くの人々に親しまれており、源氏物語ミュージアム、宇治十帖ゆかりの古跡、神社などがあり、しっとりとした雰囲気の中で源氏物語の世界に誘われる。
→詳細は万葉アルバムへ
源氏物語ミュージアムの方につづく路
源氏物語ミュージアム 11時40分。
1998年に開館した公立博物館。
館内で、お茶を頂き、一休み。
館内の展示を観て回る
映像展示「源氏物語と王朝絵巻」など、映像に合わせて展示にスポットライトがあたり動作するものもある。
源氏物語ミュージアムをあとにして、JR宇治駅に向かう。
宇治橋をわたる
源氏物語宇治十帖は「橋」に始まり「橋」に終わる文学で、物語にとって宇治橋は欠かせないものであり、この宇治橋はその象徴でもあるようだ。
水量が豊富で流れも早い
川の流れと遠くの山々の景色は奈良・平安時代と変わりがないのだろう。
途中の商店街で、軽く昼食をとり、帰路。
JR宇治駅からJR京都駅経由、新幹線で帰京。