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私の趣味3点+その他の紹介です。
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宇治 平等院から宇治川沿いへ

2014年06月11日 | 旅行
                 (宇治散策マップ)

 2泊3日の関西の旅。
3日目は京都宇治。
奈良からJRで宇治駅へ。平等院・宇治川沿い・宇治神社沿い・源氏物語ミュージアムと散策してきた。
万葉と王朝文化の両方に浸れる、ハイレベルの観光地である。
宇治は中学の修学旅行、20年前の旅行、につぐ3度目である。世界遺産観光地で道標・標識や散策路が整備され、平等院等の旧跡で復元され真新しい色彩も目立つようになったが、優雅で風流さを残していって欲しいと感じた。


JR宇治駅着 9時30分


駅から宇治橋通り商店街をゆく


ほどなく宇治橋の畔につく
ここには「紫式部象」がおかれていた。


平等院正門 9時45分
正門から参観券を払って入場。


平等院鳳凰堂
平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂。華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、このうえなく貴重な建築である。


このはね橋は比較的新しく再建されたもののようだ。


庭をぐるっと一周して鑑賞できる。


池面に映る鳳凰堂も優雅な姿である。

平等院ミュージアム鳳翔館(開館:2001年)
 この鳳翔館は初めて訪ねるところで、国宝や復元壁画を展示している。平等院庭園との調和を考え、施設の大半が地下構造になっているようで、目立たないように建てられている。


木造雲中供養菩薩像
52躯のうち、半分の26躯が展示されていた。鳳凰堂内ではうす暗く鑑賞しにくかったが、ここでは明るい展示方法で細部まで鑑賞することができた。

飛天壁画復元模写
鳳凰堂本尊の背後に、顔がわずか四ミリに満たない日本最小の飛天が描かれており、これを復元模写したものが、ここに展示されていた。”実に見事”


梵鐘(平安時代 12世紀)
「天下の三名鐘」の1つとしても有名。 鬣を真上に逆立たせた竜頭が飾られたり、宝相華唐草の地文の上に鳳凰や、踊る飛天などが刻まれている。
優雅に楽器を奏でる飛天が何体も刻まれ、実に見事な王朝文化に相応しい梵鐘といえる。”見飽きなかった!”

鳳凰堂の壁画復元
当時の鳳凰堂内部を創建当時の姿に復元。これは復元壁画の一部。きらびやかな壁画復元は創建当時をしのぶことができ、見ごたえがあった。

 平等院の参観を終了。11時。


宇治川に平行している、「あじろぎの道」を散策
あじろぎの道は、宇治川の流れを見ながらそぞろ歩きのできる「源氏物語散策の道」。近辺には平等院や宇治十帖ゆかりの古跡があり、「あじろぎ(網代木)」というのは、鎌倉時代まで行われていた宇治川の伝統的な漁法の「網代(竹や木で編んだ魚を獲るための仕掛け)」を繋ぎとめた杭(くい)のことだそうだ。


観光センター玄関前にあった万葉歌碑
   →詳細は万葉アルバム


上流を望むと右手に喜撰橋・左手に中の島橋、手前は屋形船


橘橋(中州へつながる橋)を渡る
地味だが風流のある橋のようだ。


中州にかかる朝霧橋(中州から宇治神社側へ)


中州にある万葉歌碑
   →詳細は万葉アルバム


中州の「しだれ桜」、”宇治川しだれ”と銘がある。


朝霧橋から上流を眺める
朱塗りで存在感がある橋。上流側は正面に愛宕山を望める。


朝霧橋を渡った袂にある万葉歌碑
   →詳細は万葉アルバム


宇治十帖モニュメント
源氏物語宇治十帖の中で、浮舟(モニュメントの向かって右側の女性)は薫に連れられて宇治に移る。匂宮(モニュメントの向かって左側の男性)は浮舟の居場所を探り出し宇治を訪れる。そして、二人はともに小舟で橘の小島へ渡っていく。モニュメントはそのときの場面をモチーフにしている。


宇治神社
明治維新までは宇治神社とその東奥に位置する宇治上(うじかみ)神社は一対の関係であった。


宇治上神社
宇治神社と宇治上神社が鎮座するこの一帯は応神天皇の皇子で、宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡とみられ、皇子の亡くなった後、邸宅跡にその霊を祭ったのが両神社の起源とみられる。


「さわらびの道」 左手に万葉歌碑。
さわらびの道は、「源氏物語散策の道」として市民はもとより、観光客など宇治を訪れる多くの人々に親しまれており、源氏物語ミュージアム、宇治十帖ゆかりの古跡、神社などがあり、しっとりとした雰囲気の中で源氏物語の世界に誘われる。
   →詳細は万葉アルバム


源氏物語ミュージアムの方につづく路


源氏物語ミュージアム 11時40分。
1998年に開館した公立博物館。
館内で、お茶を頂き、一休み。


館内の展示を観て回る


映像展示「源氏物語と王朝絵巻」など、映像に合わせて展示にスポットライトがあたり動作するものもある。

 源氏物語ミュージアムをあとにして、JR宇治駅に向かう。


宇治橋をわたる
源氏物語宇治十帖は「橋」に始まり「橋」に終わる文学で、物語にとって宇治橋は欠かせないものであり、この宇治橋はその象徴でもあるようだ。


水量が豊富で流れも早い


川の流れと遠くの山々の景色は奈良・平安時代と変わりがないのだろう。

 途中の商店街で、軽く昼食をとり、帰路。

JR宇治駅からJR京都駅経由、新幹線で帰京。

奈良 佐保川沿いを歩く

2014年06月10日 | 旅行
          (奈良 佐保川沿い マップ)
 関西の旅。2日目。
昨日今日と梅雨の晴れ間が続く。今日も暑い一日になりそう。

 今日は万葉の佐保川の香りを求めて、奈良の佐保川沿いを歩く。
奈良の有名な観光地から、ちっとはずれた地域を歩く。観光客もいない静かでのんびりしたルートだった。


近鉄奈良駅


大宮通りを観光客で賑やう若草山方面と反対方向に向かう


ほどなく右手に「西方寺」
西方寺は南都総墓所(浄土宗)と言われ、広大な墓地に石塔が林立しているようだ。
無名だった頃の宮本武蔵が修行の為に滞在したところだそうだ。


境内の歌碑 万葉歌碑(左手)・そのひと言碑(右手)


そのひと言碑
含蓄のある言葉が並んでいる


西芳寺に隣接する船橋通り商店街へ向かう


墓地を挟んだ西側の船橋通り商店街の入口にある「荼羅坊」の屋上に『みてござる観音』が立っている。
黄金の観音像は西方寺の方向に向いている。


商店街の終点に橋が見え、佐保川にぶつかるようだ。


橋から佐保川を眺める
佐保川は奈良市街近くを流れることから、古来詩歌に詠まれることも多かった。しかし現在は住宅が密集する地域。


大仏鉄道記念公園(橋そばにあり)
明治31年に関西鉄道加茂 - 当駅間開通に伴い、ここに大仏駅が開業したが、わずか9年で廃線となった。SL車輪がモニュメントとして置かれている。


佐保川の流れ
佐保川河畔に大伴家持の邸宅があったという。
奈良市内を流れる佐保川中流の堤には両側に古くから桜並木があり、春になると花見客が訪れて賑わう。また江戸時代には「南都八景」の一つとして「佐保川の蛍」が挙げられていた。


河畔の柳の木と万葉歌碑。
万葉当時は柳並木があったようで、歌に詠まれている。
「うち上のぼる 佐保の川原の 青柳は 今は春へと なりにけるかも」(大伴坂上郎女 巻8-1433)
   →詳細は万葉アルバム


川の水が綺麗になっており、水辺には遊び場が随所にできていた。ちびっこたちが楽しそうだ。


川が綺麗になり、ホタルを放流しているようだ。


川沿いの遊歩道に万葉歌碑が2基奈並んでいた。
そのひとつに、
「振り放さけて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも」(大伴家持 巻6-994)
とあり、家持が16歳の時に大伴坂上郎女の娘の大嬢に贈った歌とされている。
   →詳細は万葉アルバム


橋梁に”佐保川 水辺の楽校”とあり、橋わきの佐保川小学校の学外授業の場所になっているようだ。


佐保川小学校脇の万葉歌碑
「佐保川の清き河原に鳴く千鳥 かはづと二つ忘れかねつも」(作者未詳 巻7-1123)
   →詳細は万葉アルバム


佐保川を東に振り替えると、川向こうに春日山がみえるようだ。

 ここから、奈良市役所へ移動。


奈良市役所
前庭に、万葉歌碑が建っていた。
「あをによし奈良の都にたなびける 天の白雲見れど飽かぬかも」(巻15-3602)
   →詳細は万葉アルバム

 市役所の西隣がイトーヨーカドー奈良店。


イトーヨーカドー奈良店
正面玄関前の広場一角に、長屋王邸跡の碑があった。昭和63年に発掘調査が行われ、大量の木簡が出土し、長屋王の邸宅であることが判明した。平城宮の東南に隣接した広大な敷地だった。

 昼食は店内のイタリアン料理を、時間をかけゆっくりと堪能した。

 イトーヨーカドー奈良店の通りの反対側に宮跡庭園がある。


平城京左京三条二坊宮跡庭園
発掘調査で昭和50年(1975)に発見された庭園遺跡。長屋王邸に隣接しており、関係がありそうだ。


園池には底に玉石が敷き詰められた屈曲した水流の跡があり、曲水宴で使われたとみられている。


復元された大型の建物は、背後から高床の板の間に上がることができる。


宮跡庭園から三条大路の北側にイトーヨーカドー奈良店(長屋王邸跡地)がみえる。

 大宮からバスで、近鉄奈良駅へ。

京都 北野天満宮と上七軒

2014年06月09日 | 旅行
 梅雨の時期、2泊3日の関西の旅に出かけた。
初日は京都、ワンポイントで北野天満宮を歩くことにした。
ただこの日は梅雨の晴れ間で、なんと36度で蒸し暑さは最高!
京都からは地下鉄で。


地下鉄「今出川」駅下車。


同志社大学がみえた
会津の烈女・山本八重が嫁いだ新島襄が創立した私学校。ふと昨年のNHK大河ドラマを思い出した。

タクシーで北野天満宮まで行く。
昼食は天満宮前の通り、インターネットで見つけたお目当ての店を探す。ほどなく見つかる。


寿司割烹「華庄」

ひょうたん弁当を早速注文。
ひょうたん型の四層に分かれた器から、並べてみるのが楽しい。やさしい味で食べごたえがあった。写真にはないが、あとでハモの吸い物が出てきた。妻も満足そうだった。


<北野天満宮>
 菅原道真公を祀り、一般に「北野の天神さん」と呼ばれ、学問の神として崇められている。


一の鳥居


石灯籠と二の鳥居


楼門
文道の大祖風月の本主の額が掲げてある。


臥牛象三体
牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされている。


絵馬堂
京都に現存する絵馬堂のなかで最も古く、規模も大きい。


中門(三光門)
三光門の由来は、豊富な彫刻の中に、日・月・星があることによる」と書かれている。


中門をくぐると、拝殿があらわれる

天満宮では修学旅行の学生が多数目立ち、賑やかだった。


拝殿(国宝)
御祭神菅原道真公をお祀りする本殿。桃山建築の代表。 現在の社殿は、慶長12年に造営された。


拝殿を横からながめる


本殿(国宝)
現存の本殿、石の間、拝殿、楽の間(合1棟)は、慶長12年(1607年)に建立されたもの。
入母屋造の本殿と、同じく入母屋造の拝殿の間を「石の間」で接続して1棟とする、権現造社殿で国宝に指定されている。
屋根はすべて檜皮葺き。


もみじ苑
豊臣秀吉が行った区画整理のひとつである御土居(全長は約22.5kmもあったと推測される土手)が一部残っている。
御土居の大欅(けやき)「東風(こち)」
秀吉が御土居を築いた当時から成長を続けているとある。京の地より天高く大宰府へ東風を吹かせ続けているそうだ。


中に入ると、もみじの木々におおわれ、秋の紅葉は見事だろうと想像される。


菅原道真の歌碑を見つける。
「このたひは ぬさもとりあへす たむけやま もみちのにしき かみのまにまに」(古今集)
(歌意:このたびの旅は、出発の慌ただしさに、御幣の用意もできかねました。ところが手向山に来ますと木々の紅葉はさながら錦を織り成したよう。代りにこの紅葉を御幣として捧げますので、どうぞ神の御心のままにお受け下さい。)

北野天満宮東門を出る。
そこはすぐ、京都花街のひとつ、上七軒の通りになっている。

<上七軒>
室町時代に北野天満宮の再建の際に残った機材を使って7軒の茶店を建てた。これが「上七軒」の由来だそうだ。


上七軒の通り
なかなか風情のあるところだ。


暑い初夏の昼下がり、道を歩く人は少なく、通りも静かだった。
通りの一角から花街を彷彿とさせる三味線の音が聞こえてきて、二人共しばし暑さを忘れさせてくれたのが、ラッキーだった。

帰りはバスで京都駅まで。車窓から京都の街並みを眺めながら・・・。


京都駅ビルのカフェで小休止。




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