テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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浅草今戸 それと忘年会

2011年12月21日 | 散歩
 今年ラストの卯月の会、再び浅草を訪ね、今回は今戸近辺の寺社参りのあと、浅草寺界隈をぶらつき、
浅草で忘年会(2次会)を行った。松戸に戻りカラオケで3次会と、これで無事年を越せそうな感じとなりました。



東武浅草駅前 北めぐりん(台東区循環バス・15分おきに発車している)で今戸へ
料金が100円均一と安いのが魅力。

<待乳山聖天>


待乳山聖天
 「まつちやま・しょうでん」と読む。浅草の観音様のすぐ北側にある正しくは「待乳山本龍院」、浅草寺よりも歴史のある寺院。
創建は飛鳥時代という浅草の隠れた名勝地。、関東三聖天のひとつで、浅草七福神の毘沙門天でもある。
毎年1月7日は「大根まつり」で、風呂吹き大根が頂けるとか。


聖天(大聖歓喜天)を祀り、夫婦和合と金運に御利益がある。


大根をデザインした二股大根の模様が面白い


お供えする大根も置かれている


江戸時代のなごりを留める築地塀


江戸時代には隅田川を一望する景勝地として賑わったようだが、今は東京スカイツリーを一望できる場所になった。


本堂


正面に二股大根と巾着の模様が
ご本尊は聖天さま(大聖 歓喜天)。 二股大根と巾着を組み合わせた紋が使われている。
「大根」は、身体を丈夫にしていただき、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合を御加護頂ける功徳。
「巾着」は、財宝で、商売繁盛を表すそうだ。境内のあちこちに二股大根と巾着のシンボルが目立つ。


江戸最古の歌碑であったが、現在のは戦火で失われたあとに拓本から再建されたもの。
元禄の頃に活躍した歌人、戸田茂睡(とだもすい)の歌碑だそうだ。
(「あはれとは夕越えてゆく人もみよ まつち(待乳)の山に残すこと(言)の葉」)

ここから今戸神社に向かう


山谷堀公園を通る スカイツリーが見える

<今戸神社>


今戸神社
 招き猫発祥の地として知られる神社。
浅草の浅草寺の北、1キロほどのところにある八幡神社で、古名は「今之津八幡神社」。古来から武蔵と下総の交通の要所であった橋場付近にある。かつては「今之津」と呼ばれた地に建立されている。八幡神社周辺は中世から港町として大変栄えていた。その創建は古く、御冷泉天皇の御代、康平6(1063)年と伝わっている。


オス猫とメス猫が一体となった良縁招き猫や、各種縁結びのお守りが販売されている。
良縁祈願の祈祷も受け付けられている。また祭神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)は日本神話の八百万の神を生んだ始まりの夫婦神で、縁結びに大きな御利益があるとされている。


社殿に並んでいる招き猫


社務所入口には招き猫のグッズ/を山ほど陳列している


二種類の絵馬があった 良縁祈願の言葉が添えられていた


今戸神社の周辺は「今戸焼き」の発祥地としても知られており、招き猫もこの今戸を発祥としている。
またこの地は新撰組の沖田総司の終焉の地でもあった

今戸神社をあとに、昼食のそばや探し
東浅草一丁目交差点に見つけた。


そばや「巴屋」、ビールで乾杯し、モツ煮込みつきのたぬきそばを食す

昼食を終え、バスで浅草駅に戻り、浅草寺界隈をぶらつく

<浅草寺界隈>


仲見世通を歩くと、正月が間近を感じる


見慣れた五重塔と宝蔵門


門の向こうにスカイツリーが見える


浅草寺本堂


最近改装を終え、きれいになったようだ


天井絵が見事、堂本印象の筆だそうだ


伝法院通りを歩くと、そこにもスカイツリーが


忘年会(2次会)はここ「ひもの屋」に決定
ひものがなかなか美味、ビールも進み、そのあと焼酎で

松戸に戻ったあと、松戸駅東口近くの「ビッグエコー25」で3次会はカラオケ
これで大満足、今年も無事良い年を越せそうな予感がした。

7年前に散歩した「浅草から三ノ輪へ」はこちら

同好会テニス大会と忘年会

2011年12月19日 | テニス
 月曜同好会の恒例の大会。
今日は天気も良く、風もなくわりと穏やかな日差しでテニス日和である。
女性会員が以前より少なくなって4名になってしまったため、
今日の参加者は12名だが、うち女性は3名と少ない。

9時30分に集合して、10時からゲーム開始。
いつもの練習と同じくじ引きで順番を決め、ペアも決めていく。
いつもと違うのは、いつもは4ゲームマッチだが、大会では4ゲーム先取のルールになっている。
ペアや相手によって、多少有利不利が生じるのは、むしろ面白い方法である。

各自ペアを変えながら、4回戦ゲームを行ったのである。
ゲームの勝敗の決め手はミスがいかに少ないかのようだ。
ラリーが続いた時に我慢できず強打して失敗するケースが目立つが、特に男性陣に多いようだ。
最近の女性たちはプレーでミスが少なく、堅実な試合運びが勝につなげている。
12時30分大会終了。

 18時に北松戸駅に集合して、忘年会会場へ。
昨年と同じ松戸競輪場そばのカラオケ来夢来人(ライムライトと呼ぶ)。
昨年と比べ結果として、今回は我々の同好会だけの貸切になった。
先に食事を済ませ、飲み放題のビールや酒を飲みながら、カラオケが続く。
我々だけで和気藹々と22時近くまで続いた。

忘年会には今年いっぱいで退会する女性のIさんも参加してくれて、
皆んなの良い思い出になったが、来年はちょっぴり寂しくなってしまうようだ。




森と広場 今年は最高の紅葉!

2011年12月07日 | 散歩
 二十一世紀の森と広場、毎年モミジの紅葉の最盛期に合わせて訪れているが、今日はおそらく過去数年間で最も美しい紅葉が見られたのではないかと思う。
紅葉は雨が降った次の日の太陽の日差しが差し込む午前中が特に美しい。
またモミジは日差しを直接受けている方から眺めるより、日差しを背にして眺めるのが、はるかに美しく見える。
モミジを写真で撮る時は日差しを背にして撮ったほうが、モミジらしい写真になるようだ。

モミジの紅葉は一番遅いため、他の樹木の紅葉は過ぎており、すでに葉が散ったものもある。
森を眺めると、これらの樹木がパッチワークのように彩り豊かに染まっているようで、これもなかなか捨てがたい。


池辺で絵を描く人


赤い草が印象的


パッチワークのような小山


花壇は年末恒例の葉牡丹に


ススキの穂が光っている

 ここから森と広場のモミジの紅葉のスポットを見に行く


私の紅葉のスポット


湧水が流れる道沿いのある一群のモミジ


まさに紅葉の真っ盛り


日差しを背にして


人のいないベンチ


紅葉に光が射して


黄色も鮮やか


地面近くまで


紅葉の向こうに広場が


湧水が赤く染まる


赤味が少しだけ


自分で名づけた湧水小橋


白い木肌に紅葉がアクセント


紅葉に近づいて


アップでどうぞ


おまけです。柿の紅葉?

モーツァルトCDの風景10:ウィーンの宮殿

2011年12月02日 | モーツァルト
<シェーンブルン宮殿>
 ウィーン市の南西にあるハプスブルク家の夏の離宮。
18世紀半ばマリア・テレジアの時代に完成した時は1441室の大宮殿になっていた。
鏡の間では幼いモーツァルトがマリア・テレジアの前でピアノを弾いたことがあり、
御前演奏した際、宮殿の床で滑って転んでしまい、モーツァルトはその時手を取った7歳のマリア・アントーニアのちのマリー・アントワネット(マリア・テレジアの娘)にプロポーズしたという逸話がある。
また正面入り口左にはマリア・テレジアが建てたハプスブルク家専用の宮殿劇場があり、モーツァルトはここで指揮をしたことがある。
モーツァルトがたびたび訪れた場所なのである。


当時の絵画:シェーンブルン宮殿

<モーツァルト:クラリネット協奏曲K.622・クラリネット協奏曲 変ホ長調K.Anh.C14.04他 クレッカー指揮/プラハ室内オーケストラ (MDG 301 0755-2 輸入盤)>
「クラリネット協奏曲K.622」は最後の年の秋に完成された名作。モーツァルトがたどりついた固有の世界を代弁する作品の一つといえる。


現在のシェーンブルン宮殿
建物はほとんど変わらず、庭園の様子に違いがある。


ネプチューンの泉とグロリエッテ
シェーンブルン宮殿の広大な庭園にある施設のひとつ。

<モーツァルト:交響曲第32番K.318・第33番K.319・第34番K.338 アーノンクール指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 (TELDEC 4509-91190-2 輸入盤)>
「交響曲 第32番」は序曲の形で書かれていて、短いながら堂々とした作品。
「交響曲 第33番」はモーツァルトの<田園シンフォニー>ともいわれる楽しい曲。
「交響曲 第34番」はザルツブルク時代の最後を飾る秀作。繊細な第二楽章と奔放なフィナーレが聴きどころ。


シェーンブルン宮殿の庭園にあるローマの遺跡

<モーツァルト:弦楽四重奏曲第3番K.515・第4番K.516 ラルキブデッリ(オリジナル楽器) (SONY SRCR 9808)>
オリジナル楽器による繊細で鮮やかな演奏が、天才の光と陰を美しく映し出す。
「弦楽五重奏曲 No.3」はモーツァルトの室内楽の中で、規模の大きさ、楽想の豊かさ、完成度の高さ、どれをとっても第一級の名作。翌年の<ジュピター>にも比すべき大作。
「弦楽五重奏曲 No.4」は小林秀雄の<モオツアルト>に引用「疾走するかなしさ」されている曲。ト短調の特色が最もよく出ており、悲しみの表情は心をえぐるばかりだ。

<ベルヴェデーレ宮殿>
 シェーンブルン宮殿の東側に位置している。
 ハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンの夏の離宮。オイゲンはハンガリーにおけるトルコ支配を打ち破るなど、皇帝軍指揮官として知られる。
プリンツ・オイゲンの死後、1752年にハプスブルク家のマリア・テレジアに売却された。
モーツァルトがここで演奏した記録はわからないが、おそらく度々訪れたところであろう。


カナレット:「ベルヴェデーレ宮殿から見たウィーン」 ウィーン美術史美術館所蔵


<モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番K.271・第17番K.453 ビルソン(FP)、ガーディナー指揮/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ (ARCHIV 447 291-2 輸入盤)>
「ピアノ協奏曲 第9番」はこの分野での最初の傑作。悲劇の舞台を見るような第二楽章、多彩な第三楽章が特に優れている。
「ピアノ協奏曲 第17番」は非常に美しいパパゲーノ風の第一、第三楽章に対し、第二楽章は明暗が激しく交錯し、言葉のないドラマのよう。


ベルヴェデーレ宮殿の入口に向かい、庭園の緩やかな坂を上がる。
振り返って庭園の姿を見てみると、シュテファン大聖堂の尖塔がはっきりと確認でき、北の方角を見ていることになる。
このアングルで描かれたカナレット絵画と同じ構図で、なかなか良い眺めなのだ。


絵画:正面から眺めたベルヴェデーレ宮殿

<モーツァルト:セレナードNo.11K.375・六重奏曲K.Anh.183、プレーレ:六重奏曲 ナイディヒ独奏、モーツァフィアート・チャールズ・ナイディヒ (SONY SK 64 306 輸入盤)>
「セレナード No.11」はウィーン時代に書かれた。木管八重奏曲。


現在の正面から眺めたベルヴェデーレ宮殿
今はクリムトの絵等を展示した美術館になっている。

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