テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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飛鳥山散策 そして都電で三ノ輪へ

2011年10月25日 | 散歩
毎月定例の卯月の会散策。
王子の駅前から無料モノレールで飛鳥山へ。
江戸時代の桜名所、明治になって日本最初の公園に指定されるという由緒ある公園。
桜の季節はさぞ見事だろうと想像を巡らした。

散策後は都電に乗り三ノ輪へ。ここで老舗のそばやで昼食。
そのあと隣町までタクシーでいき、昼から呑める居酒屋に入り二次会。
今日はそばと酒処がメインの一日だった。


王子駅


飛鳥山公園入り口、モノレールが見える


これが話題のあすかパークレール
48メートルで片道2分という日本最短? 料金は無料!


飛鳥山
「東京都で一番低い」とされる港区の愛宕山(25.7メートル)よりも低い25.4メートルだが、国土地理院の地形図には記載されていないという。


公園一帯は桜の木々が目立つ。ソメイヨシノの他に関山など品種も多数あるようだ。




飛鳥山の碑
8代将軍吉宗が飛鳥山を整備して公共園地としたことを記念して、王子権現社別当金輪寺住職宥衛が元文2年(1737)閏11月に建立したもの。


児童公園
都電やD51の実物が鎮座している。


花が咲いている木を見つけた!



十月桜という品種。ちょうど今の時期に咲くようだ。近くで見ると可憐で美しい! 


旧渋沢庭園内の青淵文庫
ステンドグラスが特徴的な1925年建造。写生の良いポイントのようだ。


幼稚園児が仲良く昼食


公園内を元来た入り口に戻る


王子からは都電荒川線で三ノ輪橋へ


三ノ輪橋駅


ジョイフル三ノ輪というアーケード商店街


商店街の中にある砂場総本家で昼食
冷え冷えの生ビールで乾杯し、大ざるを注文。なかなかの味だった。

商店街をぶらつき、次の目的地を目指す。
近くだが住所しかわからないのでタクシーを呼ぶ。カーナビが便利だ。


酒処・丸千葉(日本堤1-1-3)
14:00開店にぴったり一番乗り。さしみ三点盛り、貝づくしなど魚が新鮮。その他メニューも豊富。
ここは昼間から呑める店として穴場のようだ。


店の角の清川二丁目交差点。東京スカイツリーが近くに見える場所なのだ。

タクシーで南千住に行き、常磐線で松戸へ帰る。

小雨降る那須高原 

2011年10月22日 | 旅行
 義姉のお見舞いを兼ねて、那須高原に車で出かけた。
東北自動車道・那須ICをおりる。


那須町の見舞い先施設を訪ねる


玄関と廊下
ブロック毎に分かれ個室になっている。静かで清潔そうな雰囲気。
ほとんど寝たきりの義姉だが、良い環境の中でなによりだった。

見舞いを終え、那須高原へ。予約したホテルに入る。


りんどう湖ロイヤルホテル


13階から眺めた那須岳
那須岳の上部半分に雲がかかっている。
那須岳の上の方は紅葉しているようだが、この辺は紅葉はまだ早いようだ。


こちらは、りんどう湖


夕食:まつたけご飯、まつたけ土瓶蒸し、etc
土瓶蒸しの香りはなかなか心地よいものだ。
食後、のんびりと露天風呂につかる。雨よけの傘を頭にかぶってみたが、風情のあるものだ。

<2日目>

朝、雨が上がっていたので、池田の先の義兄の別荘に寄る。
休憩したあと、沼原湿原へ行ってみることにした。


南が丘牧場をすぎ板室温泉への道を走る


沼原湿原への道


道路工事のため沼原湿原へは通行止め! 残念だが、またの機会にしよう。

しかたなく、また雨がやや強くなってきたので、初めての美術館を鑑賞することにした。


那須ステンドグラス美術館へ


美術館全景
イギリスのコッツウオルズ地方の建物をモチーフに建てられたようだ。


セント・ラファエル礼拝堂
美術館内に3つの礼拝堂があり、それぞれアンティークステンドグラスが多く配されている。
小さな礼拝堂でトロンボーン演奏を聴いたあと、この礼拝堂でパイプオルガン演奏も聴くことができた。
ここの礼拝堂ではついさっきまでウェディングが行われていたようだ。


聖書の風景のステンドグラス
美術館最大のステンドグラス、有名なティファニーの工房で製作されたもの。


ステンドグラスランプ(以上3点は美術館サイトより借用しました)
このようなランプが館内の随所に置かれており、目を楽しませてくれる。

美術館の隣の教会で、まさにウェディングの最中だった。

美術館を出たあたりでは雨がけっこう降り出していた。
帰路は気分を換えて、常磐道経由で走ることにした。


道の駅東山道伊王野の大きな水車


水車で挽いたそば粉のそばが食べられるそば処(左)、鴨南そば(右)
おいしく、こしのあるそばだった。

雨はあがり車の運転はしやすくなった。
このあと、黒羽経由で常磐道に乗り松戸へ帰った。






市川真間 手児奈まつり

2011年10月09日 | 散歩
 市川市真間にある手児奈霊堂の秋の行事、今年で17回目を迎える「手児奈まつり」を訪ねた。

手児奈霊堂は万葉時代の手児奈伝承の奥津城と伝えられるほとりに建てられたお堂である。
昔、葛飾の里に手児奈という美しい娘がいて、彼女は自分と結婚しようと男たちが相争ったことに悩み耐えかねて、真間の入り江に身を投げてしまった。里人は彼女を哀れみ、入水した辺りに塚をつくって葬ったという。この物語が広く使えられ都にも伝播し、万葉集にいくつか歌われたのである。

松戸駅から市川駅行きバスに乗る。


バス停「真間山下」で下車
この国道14号線はほぼ当時の海岸線といわれている。道路を隔てて江戸川が流れている。


かつての真間の入り江(江戸川) 真間川への分岐口が見える。


真間川を歩き、真間の手児奈霊堂に向かう


真間の継ぎ橋
入り江の浅瀬に杭を打ち、板を渡して継ぎ足し、砂洲との往来に供したらしい。
万葉歌「足の音せず 行かむ駒もが 葛飾の 真間の継ぎ橋 止まず通はむ」(巻14-3387)
    →万葉アルバム


手児奈霊堂
お墓の傍らに文亀元年(1501年)に日与上人が、手児奈の霊を感じて、奥津城処(墓)の跡と伝えられる辺りにお堂を建てた。これが現在の手児奈霊堂。霊堂には、昔の入り江の面影を残す池が水をたたえている。


手児奈のハッピ




手児奈霊堂境内の万葉歌碑
万葉歌「勝鹿の 真間の井を見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児奈し思ほゆ(巻9-1808)
    →万葉アルバム


亀井院境内の万葉歌碑と井戸
手児奈霊堂の隣に亀井院がある。万葉の真間の井は、ここの裏庭の井戸のことであると伝えられている。
手児奈霊堂境内と同じ万葉歌(巻9-1808)
    →万葉アルバム


手児奈霊堂境内の稲荷神社と神輿

手児奈通りを歩行者天国の本会場に向かう。


手児奈橋


手児奈橋下の真間川にかかる万葉歌陶板


ブラスバンドと手児奈おどり


手児奈太鼓


ふたたび手児奈霊堂へ


霊堂と絵馬



手児奈霊堂の古池, 真間の入り江の唯一の名残りとも。湧水があるのか、涸れることがないらしい。


江戸芸かっぽれ踊り


ハイハイレース
手児奈霊堂には安産と子育て祈願があり、このような面白い行事がある。


稚児行列


お菓子みこし
みこしの四方八方がお菓子で飾られているのだ。


通りの家屋に架かる「てこな」のプレート


手児奈神輿
この神輿は女性が担ぎ手である






稲荷神社神輿
こちらは男性が担ぎ手




帰路:真間川

バス停「真間山下」まで歩き、松戸へ。


モーツァルトCDの風景8:イタリア旅行

2011年10月04日 | モーツァルト
 モーツァルトのイタリア旅行は1769年から1771年にかけて(13~15歳)3回に及ぶ、いずれも父子2人の旅だった。
父レオポルトの息子の音楽教育の最後の仕上げはイタリアで音楽を学ばせることだった。
 第1回イタリア旅行は1769年12月13日(モーツァルト13歳)に父子を乗せた馬車が故郷を後にし、インスブルックを経て標高1300mのブレンナー峠を越えてイタリアに入った。
父と共にミラノ、ボローニャ、ローマを巡回する。システィーナ礼拝堂では、門外不出の秘曲とされていたグレゴリオ・アレグリ(Gregorio Allegri)の9声部の『ミゼレーレ』を聴き、暗譜で書き記したといわれる。ナポリでは数十日に及ぶ滞在を楽しみ、当時大変な話題の発掘されてから間もない古代ローマ遺跡ポンペイを訪れている。
 イタリア旅行は三度におよぶが、なかでも、ボローニャでは作曲者であり教師でもあったマルティーニ神父に、対位法やポリフォニーの技法を学んだ。教育の成果はすぐに現れなかったが、15年後の円熟期にモーツァルトは対位法を中心的な技法としていた。モーツァルトはほとんどの音楽教育を外国または旅行中に受けた。

<ローマ>
 ローマの古代遺跡フォロ・ロマーノ
紀元前6世紀頃からローマ帝国がテトラルキアを採用する293年にかけて、国家の政治・経済の中心地であったが、ローマ帝国が東西に分裂し、首都機能がラヴェンナに移されると異民族の略奪に曝されるようになり、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまった。
 フォロ・ロマーノは、東西約300m、南北約100mに渡って存在する古代ローマの中心部「フォルム・ロマヌム」の遺跡である。古代ローマでは、たいていの都市に政治・宗教の中心としてフォルム(英:フォーラムの語源)と呼ばれる広場が置かれていたが、このフォロ・ロマーノは首都に開設された最初のフォルムであり、最も重要な存在であった。


18世紀の風景画:フォロ・ロマーノ
モーツァルトは1770年イタリア旅行中にローマに滞在し交響曲を書き上げた。

<モーツァルト:交響曲旧9番・旧44番・旧47番・旧45番・旧11番 ホグウッド指揮/エンシェント室内管弦楽団 (L'OISEAU-LYRE F00L-20363)>


<グラッパ>
グラッパはパドヴァの北東に位置するビチェンツァ県の町。
この地の名の由来でもあるグラッパ山を控えている。
町の名を有名にしたのは、ブドウの絞りかすを発酵、蒸留させてつくるアルコール度の高いお酒、グラッパの生産も大変盛んであるから。
酒好きのモーツァルト父子が訪れたのかも。


グラッパのヴェッキオ橋
「交響曲旧第13番」は序曲風のスタイルとは一線を画した堂々たる交響曲である。
「交響曲旧第14番」は第3楽章にK.485のロンド主題が出てくる。「モーツァルトのロンド」と名付けたいほどいろいろな曲に登場する。


現在のグラッパのヴェッキオ橋


<北イタリアの宮廷劇場>

モーツァルトがイタリア旅行中に訪れたであろう北イタリアの宮廷劇場。
ミラノの宮廷劇場か?。

<モーツァルト:セレナードNo.11 K.375・「魔笛」(管弦楽版)K.620 ホーブリチ指揮/ナハトムジーク (GLOSSA GCD 920601 輸入盤)>
木管古楽器演奏で芳醇で典雅な響きを聴かせてくれる。

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