テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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神楽坂から早稲田へ

2007年11月25日 | 散歩
 好天に恵まれた今日は、「五人の会」の「神楽坂から早稲田散歩」の日。
都内を歩くのは皆ひさしぶりのようで、顔が生き生きとしている。
飯田橋駅から神楽坂ケヤキ通りを昇る。けやきが黄色にそまっている。
毘沙門天の朱塗りのお堂が鮮やか。階段脇の虎の石像は迫力満点。
ケヤキ通りから脇の路地を物色しながら歩く。
すりへった石畳が迷路のように入り組んで、隠れ家のような店に出くわす。
早稲田通りに出て歩き、途中で一休み。
目指す箱根山は標高44.6mで東京23区で最も高いところ。
頂上が見晴台になっているが、周囲の立ち木が大きくて展望は良くない。
 早稲田通りの三朝庵で全員同じ大もりそばを食す。歩いた後なので大変うまい。
 近くの穴八幡宮を参拝。イチョウとくすのきが大木になっていて神社の歴史を感じる。七五三詣でのお嬢ちゃんを連れた家族が一組来ていた。
 早稲田大学構内を経由して都電荒川線に向かう。
大隈講堂と黄葉したイチョウが格好の写真のアングルになる。
大学構内の建物の中にトイレを探して廊下を歩いていたら、学生の頃のなつかしさが脳裏をかすんでくる。
 散歩の終わりは都電浅草線で早稲田駅から町屋駅までのんびりと移動する。
 散歩の最終的な終着点は松戸で飲み会!
大衆割烹丸吉で散歩の疲れを吹き飛ばす。
「五人の会」は、健康的な会だなあと思いを新たにし、次回は柏で飲み会をすることを取り決めて解散となった。

紅葉の二十一世紀の森と広場

2007年11月24日 | 散歩
 二十一世紀の森と広場の紅葉のピークが今日だろうと予想して行って見た。
ほぼ紅葉のピークを迎えつつあった。
 広場の中で一番の紅葉ポイントは、”つどいの広場”である。
今年は猛暑がありここに来て急に寒くなってきたので、例年にも増して綺麗な紅葉だった。

 (紅葉と晩秋の景色の写真)

田無神社酉の市

2007年11月23日 | 散歩
 松戸から足を伸ばして、田無神社(西武新宿線「田無」駅から徒歩10分)の酉の市を見に行った。酉の市そのものに興味があったのではなく、この日に境内で「大見世物」が興行されるので、それがメインだった。
 興行時間が午後6時からの番だった。夕闇と共に寒くなってきたので、屋台で焼き鳥で一杯引っ掛けて神社に戻り、しばらく焚き火にあたり暖をとった。酉の市の招福の吉兆を満載した飾り熊手が売れると威勢のいい掛け声が聴こえてくる。

 「大見世物」は、かつて見世物小屋として全国の神社祭礼で行われていたのを一部復元したもの。この日は浅草雑芸団による、ろくろ首と子供だましの見世物があり、そのあと劇団みんわ座による”江戸写し絵”が演じられた。
この”江戸写し絵”はヨーロッパの映画に百年も先行した芸能で、幻灯機を使って和紙のスクリーンに映し出す方法だが、ガラスに描いた浮世絵をたくみにチェンジしながら、極彩色の映像がスクリーンに動き出す。スクリーン脇で弁士が解説する。なかなか見ごたえのあるもので、江戸時代にこのような映画まがいの芸能が存在していたことに驚くのである。
 田無神社は、本殿が入母屋造で4面いたるところにみごとな浮き彫り彫刻が施されていた。この日は年に一度の公開日で江戸末期の彫刻技術のすばらしさを堪能できた。

古都奈良探訪4-当麻寺

2007年11月15日 | 旅行
 15日午前中二上山に登り、午後からは山麓に位置し二上山を望む当麻寺を訪ねた。当麻寺を訪ねるのは8年前以来で通算で5回目になる。20年前には小学生の息子を連れて女房と近鉄文学散歩に参加して当麻寺から竹内街道を経て磯長谷まで歩いたのを思い出す。また当麻寺で年1度催される練供養会式を見に来たこともあった。当麻寺と周辺を含めた当麻路には心引かれて何回も来ているのは、中将姫伝説と浄土信仰の聖地だからである。
 当麻寺は本堂が曼荼羅堂で、左右に金堂と講堂から成る特異な伽藍配置である。
本堂の本尊も彫像ではなく当麻曼荼羅という大きな織物であること。
また東西2塔からなる三重塔もここだけしかない。
中将姫が一夜にして織り上げたという伝説の当麻曼荼羅が中心となって当麻曼荼羅信仰として全国各地に伝播していった。当麻曼荼羅に描かれた浄土の世界を絵解きして浄土信仰を広めていったともいえる。
 (当麻曼荼羅については私の別ブログを参照されたい
  
金堂には白鳳時代の大きな弥勒佛が座している。未だこれだけ金箔が残っているのは珍しい。
 私は当麻寺塔頭のひとつ中之坊が好きで来ると必ず寄る。中之坊には中将姫が剃髪して法如になった場所で剃髪堂があり、小さな足跡が残る誓いの石がある。
また大和三庭園の一つのみごとな庭がある。
 寺の周辺には二上山ゆかりの大津皇子と大伯皇女の万葉歌碑も整備されていた。
 
 夕方まで周辺を散策し近鉄当麻寺駅まで歩く。駅前になじみの中将餅の店があり、餅を食す。疲れていたのでさわやかな甘さとお茶のしぶさが身体を満たしていくようだ。
 いつもの定番の柿の葉寿司を買い込み、近鉄経由京都から新幹線に乗り込んだ。柿の葉寿司は大好きだが、今日買ったのはさばの味と柿の香りと酢飯が程よく調和してとてもおいしい。あっという間に平らげた。この次ぎはどこを訪ねようかと考えながら・・・。



古都奈良探訪3-ニ上山

2007年11月15日 | 旅行
 15日は当麻路を歩いた。
午前中はニ上山登山で山頂を目指す。21年ぶりである。
山頂といっても標高515m足らずなので大したことはないと思っていたが。
近鉄「ニ上神社口」から雄岳頂上まで2時間弱の登り。
後半の1時間あたりから割りときつくなってきたようだ。
山道沿いにいくつか紅葉に接することが出来た。
山頂に非業の死を遂げた大津皇子の墓がある。以前とまったく変わらない。
時間が止まっていたかのようだ。
小休止して下山。
下山途中に延暦寺末寺である祐泉寺がひっそりと建っている。
小さな山門付近の紅葉が見事で、日の光を映して輝いていた。
大池を過ぎた辺りから振り返るとニ上山がよく見える。
当麻寺付近まで来て、共同墓地に中将姫十三重石塔が建っている。
石塔ごしにニ上山をツーショットで撮ることができた。

 石塔の中将姫と二上山の大津皇子を折口信夫が「死者の書」で結び付けた。
実際には時代が違う人物なのであくまで創作の世界なのであるが、
それが不思議に現実を帯びて感じられるのである。
 また二上山と午後訪ねる当麻寺は深い結びつきがある。
飛鳥の地から彼岸のさい夕日が西方の二上山のふたこぶ中央に沈む。
その二上山の麓に当麻寺が建てられ、浄土曼荼羅信仰としてあがめられてきた。
太陽が沈むところに浄土があるという信仰なのだ。

古都奈良探訪2-奈良町・寺

2007年11月14日 | 旅行
 奈良町は門前町として発展した。
その中心となる寺院が元興寺である。
元興寺は南都七大寺の1つに数えられた大寺であった。
今はわずかに残った極楽坊(曼荼羅堂)と甍に残る飛鳥時代の行基瓦で往時を偲ぶことができる。
江戸末期に火災で五重塔を失い、礎石址に寂しさが漂う。
奈良町に小寺が多く見られるのは、平城京の外京として発達したためである。
その中の高林寺と誕生寺を参拝した。
高林寺を訪ねると住職珠慶尼が丁寧に説明と案内をしてくれた。
中将姫の父である藤原豊成の屋敷跡と伝えられている。庭に豊成公古墳がある。
尼寺として代々細々と寺を守ってきた気概が感じられた。
本堂に豊成公と中将姫父子の木像が安置されているが、この日は他の行事があり木像は拝見できなかった。
誕生寺では留守番のおばさんが案内してくれた。本堂には中将姫自作と伝えられる座像が置かれていた。境内に中将姫産湯の井戸、二十五菩薩の石像が極楽堂へと順序良く並べられている。
表通りでは観光客がそぞろ通り過ぎていくが、この2つの寺は静寂として観光客も訪れないようだ。たまに団体客が参拝にくるとのこと。小寺ながら境内もきちんと掃き清められていて、心休まるひとときであった。


古都奈良探訪1-奈良町・町家

2007年11月14日 | 旅行
 古都奈良巡りの今年は奈良町と当麻路に絞った。
どちらも中将姫伝説ゆかりの地である。
中将姫伝説ゆかりの地探訪は別のブログ「いにしえの旅」で
詳しくふれる予定なので、このサイトでは観光気分で載せようと思う。

 さて11月14日は奈良町を訪ねた。
奈良町は平城京の外京として出来、のち寺社の門前町として発達した。
江戸末期から明治にかけての町屋の面影を今に伝えている。
迷路のような小路を歩くと、いろんな表情に出会える。
奈良町の典型的な格子の家は、間口が狭く奥行きが深く、
母屋・中庭・離れ・蔵からなっている。
町屋の格子から外を眺めると、タイムスリップしたかのような錯覚を覚える。
 町屋の軒先には魔除けのために身代わり猿が吊るされている。
昼食を町屋のたたずまいの”食空間 蓬”でとった。
みそ汁から始まって、おぼろ豆腐・和風あんかけ中華そば・ポテトコロッケ・おでん・杏仁豆腐と6品が1品づつ順番に出てくる。雰囲気の良い空間でゆったりとして昼食をとることができた。
奈良町では観光客をもてなす心づかいがあちこちで感じられた。


マイブーム 歌謡曲:ふるさと

2007年11月10日 | 歌謡曲
          ここをクリックすると、五木ひろしの「ふるさと」が聴けます(YouTube)

 10月から始まったNHKテレビの朝ドラ「ちりとてちん」。
このドラマがなかなか新鮮で面白くせつないところもあり、放映からずっとはまっている。心配性でコンプレックスだらけのヒロイン(貫地谷しほり)が、高校卒業を目前に一大決心!故郷の福井・若狭から大阪へと飛び出し、そこで上方落語と出会う。やがて彼女は落語家を志すことに。恋あり涙あり笑いありのドラマである。
上方落語の演題を出演者の寸劇で紹介する場面がたびたび出てくるので、上方落語に興味がわいてくるし、出演者の寸劇もみな芸達者で面白い。
タイトルの由来は三味線のメロディを擬音化した言葉である。
 ヒロインの母(和久井映見)が五木ひろしの”ふるさと”が大好きで、ヒロインが大阪へ飛び出す際に母がのど自慢大会で歌って送り出す、またヒロインがこの曲を三味線でやっとひける様になる、などと随所で”ふるさと”の曲が出てくる。五木ひろし自身も11月1日放映でチョイ役?で登場した。

 あらためてこの歌をCDで聴いていると、なかなかいい歌なのである。
さっそく携帯オーディオに書き込んで、毎日聴いている。
今後のドラマの展開が楽しみである。
うれしいことに、またひとつ愛聴曲が増えたのである。


    ふるさと(昭和48年)

      作詞:山口洋子 
      作曲:平尾昌晃

  1 祭りも近いと 汽笛は呼ぶが
    洗いざらしの Gパンひとつ
    白い花咲く 故郷(ふるさと)が
    日暮れりゃ恋しく なるばかり

  2 小川のせせらぎ 帰りの道で
    妹ととりあった 赤い野苺(のいちご)
    緑の谷間 なだらかに
    仔馬は集い 鳥はなく
    ああ 誰にも故郷がある 故郷がある
  3 お嫁にゆかずに あなたのことを
    待っていますと 優しい便り
    隣の村では いまごろは
    杏(あんず)の花の まっさかり

  4 赤いネオンの 空見上げれば
    月の光が はるかに遠い
    風に吹かれりゃ しみじみと
    想い出します 囲炉裏(いろり)ばた
    ああ 誰にも故郷がある 故郷がある
  
(写真はNHK連続テレビ小説「ちりとてちん」サイトより)

秋色4題

2007年11月04日 | 散歩
二十一世紀の森と広場で、秋色を探った。
茶色:草モミジ
  自然生態園の木道わきのスゲが草モミジになった。
  尾瀬のクサモミジを思い出させる。
赤色:ヤマハゼ
  自然生態園の中央にあるヤマハゼの木。
  赤・黄・茶と色とりどり、実もつけていた。
黄色:タチバナモドキ
  ピラカンサの仲間。中国原産だとか。見事な黄色である。
コバルトブルー:カワセミ
  特に秋の色というわけではないが、
  この時期にとってひときわ鮮やかな色である。
  自然観察舎の窓からすぐ近くまできて、小魚を探して
  水に突っ込む早業はみごとである。

(写真は11月3日の秋色4題)

  

池面に映る逆さの秋景色

2007年11月03日 | 散歩
 我が家から歩いて10分足らずのところに、二十一世紀の森と広場がある。
一番の散歩コースで四季折々デジカメをもち訪れる。
今日は秋晴れで風がなくおだやかな天気。
そのため千駄堀池に空や木々が鏡のようにくっきりと映し出された。
池面に映る映像から秋の深みを一段と感じるようだ。
秋の色を探ってみると、木道わきの茶色の草モミジ・黄色の実をつけたタチバナモドキ・鮮やかな朱色のヤマハゼなどが見られた。
自然観察舎ではコバルトブルーのかわいいカワセミが出迎えてくれた。

(写真は二十一世紀の森と広場の千駄堀池の池面4題)

マイブーム 歌謡曲:珍島物語

2007年11月01日 | 歌謡曲
          ここをクリックすると、天童よしみの「珍島物語」が聴けます(YouTube)

 最近の私の好きな歌謡曲が「珍島物語」だ。
珍島(チンド)は韓国の西南端に位置する島で、この島と対岸の茅島里(モドリ)の間、旧暦の3月初めの頃に約2.8キロメートルが幅40数mにも及び、潮の干満の差で潮が引いたときに、海底が道のように現れる現象が起こる。「神秘の海道」といわれている。
 この情景を題材にした歌が「珍島物語」である。
私は今年の5月に韓国旅行をして帰った後、何故かこの歌が好きになり、携帯オーディオに入れて繰り返し聴いている。
散り散りになった家族の出会いが、道ができて出会えるという歌詞が、
場所は違うが南北朝鮮の家族の出会いを念じているように感じる。
韓国旅行で北朝鮮との境を目の当たりにしたのがこの歌と重なる。


   珍島物語(平成8年)
   
       中山大三郎:作詞・作曲

  海が割れるのよ 道ができるのよ
  島と島とが つながるの
  こちら珍島から あちら茅島里(もどり)まで
  海の神様 カムサハムニダ
  霊登(ヨンドン)サリの 願いはひとつ
  散り散りになった 家族の出会い
  ねえ わたしここで 祈っているの
  あなたとの 愛よふたたびと

  遠くはなれても こころあたたかく
  あなた信じて 暮らします
  そうよいつの日か きっと会えますね
  海の神様 カムサハムニダ
  ふたつの島を つないだ道よ
  はるかに遠い 北へとつづけ
  ねえ とても好きよ 死ぬほど好きよ
  あなたとの 愛よとこしえに

  霊登サリの 願いはひとつ
  散り散りになった 家族の出会い
  ねえ わたしここで 祈っているの
  あなたとの 愛よふたたびと


 この歌は天童よしみの持ち歌であるが、
私の携帯オーディオには、五木ひろし と 石川さゆり の歌が入っている。
ドラマチックに歌う五木ひろしとしっとりと歌う石川さゆり、
どちらも甲乙付けがたい。

 霊登祭(ヨンドンサリ)とは、この時期の珍島の祭りである。
すこし長くなるが、調べた霊登祭(ヨンドンサリ)の伝説を記す。

 「珍島の伝説」

 500年あまり前、ソン・ドンジという人が流刑地の済州島に流される途中、風乱のために漂流し、珍島郡回洞に住むようになりました。
その子孫たちが暮らす頃、村は虎の被害が深刻でとても住めない状態になってしまいました。そこで村人は向かい側の茅島へ避難します。
しかし慌てて避難してしまい、ポンおばあさんだけが残されてしまいます。おばあさんは別れた家族に会いたくて、毎日祈りました。するとある日、夢の中に竜王が現れ、「明日、虹をかけるから海を渡るがよい」と約束されます。言われた通り茅島近くの海岸まで出ると突然回洞と茅島の間に虹のように道が現れました。
おばあさんは無事に家族と再会しますが、「私の祈り叶って海に道が開き、おまえたちに会うことができた。もう死んでも悔いはない」と言い残し、そのまま息を引き取ってしまいます。
これを見た住民達はここで毎年、祭祀を行うことにしました。
その後、愛をかなえられない人がここで願いをすれば叶うという伝説が伝えられるようになったのです。

(写真は「神秘の海道」の実写、他のサイトから借用しました)

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