テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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紅シュスラン

2006年06月30日 | ラン
日本に自生するシュスラン属はすべて常緑種の小型野生ラン。
なかでも紅シュスランは花がサーモンピンク色で、シュスランの仲間では最も美しいといえる。
花は筒状の部分が長く胴長で、花の先が開いている。
葉は白い模様が入っていて、ビロード状できれいである。
小型だが、なかなか観賞価値のあるランといえる。
購入年の昨年は咲かず、今年初めて咲いた。

バックハンド・ストローク

2006年06月29日 | テニス
今日は梅雨の晴れ間の蒸し暑い陽気だ。
テニス勉強会で、私は不得意なバックハンドストロークをコーチの球出しで練習した。
私のバックハンドは、スイングがはっきりしていないようだ。トップスピン・スイングは難しいので、
スライスのスイングに絞ったら良いとのこと。
ラケット面を上向きにし、上から下に振り抜くスイングである。
徹底的にスイングの練習をして身に付くようにしないといけない。

心に残る歌謡曲~その3(1970年代)

2006年06月28日 | 歌謡曲
1.知床旅情(森繁久弥 1972年 森繁久弥作曲)
    森繁の独特の節回しがよいが、加藤登紀子のすんだ声もいい。
2.喝采(ちあきなおみ 1972年 鈴木淳作曲)
    生のコンサートで観た、ちあきの喝采は、すごかった!。 
3.さらば青春(小椋佳 1973年 小椋佳作曲)
    青春時代を共に歩んだ、小椋の作品の中でも、これがベスト。
4.酒場にて(江利チエミ 1974年 鈴木邦彦作曲)
    チエミの声は、現代でも通用する力がある。 
5.ともしび(八代亜紀 1975年 鈴木淳作曲)
    デパートで流れていたこの曲が忘れられない。
6.北の宿から(都はるみ 1975年 小林亜星作曲)
    はるみ節が効いていた、誰でも愛した歌。 
7.昔の名前で出ています(小林旭 1976年 叶弦大作曲)
    かっこよかった小林。カラオケでよく歌った曲。
8.すきま風(杉良太郎 1976年 叶弦大作曲)
    杉の声がしぶい。これもカラオケの18番の曲。
9.わかれうた(中島みゆき 1977年 中島みゆき作曲)
    みゆき節の歌い方は、なかなか真似はできないが、いいね。
10.舟歌(八代亜紀 1979年 浜圭介作曲)
    日本の演歌を代表する歌だと思う。全盛期の八代は凄かった。
    作曲家浜圭介本人が歌ったCDもなかなか味がある。


  《この一曲》  舟歌

          阿久悠作詞
          浜圭介作曲

  お酒はぬるめの 燗(かん)がいい
  肴(さかな)はあぶった イカでいい
  女は無口な ひとがいい
  灯(あか)りはぼんやり 灯(とも)りゃいい
  しみじみ飲めば しみじみと
  想い出だけが 行き過ぎる
  涙がポロリと こぼれたら
  歌い出すのさ 舟唄を
  沖のかもめに 深酒(ふかざけ)させてヨ
  いとしあの娘(こ)とヨ
  朝寝するダンチョネ

日本の演歌とは、こういう歌なんだと、世界に誇れる、
まさに演歌中の演歌であろう。「雨の慕情」もいい。
全盛期の八代亜紀は独特の心に響く声と凄みがあった。

心に残る歌謡曲~その2(1960年代)

2006年06月25日 | 歌謡曲
1.君恋し(フランク永井 1961年 佐々紅華作曲)
    低音の魅力、私も。20歳前後の頃、よく歌ったものだ。
2.寒い朝(吉永小百合 1962年 吉田正作曲)
    大学時代ワンゲルの冬合宿で朝の炊事当番をしながら歌ったものだ。
    サユリストとコマキストに分かれていた。
3.高校三年生(舟木一夫 1963年 遠藤実作曲)
    大阪の彼女を訪ねた時、パチンコ店で聞いたこの曲を忘れない。
4.君といつまでも(加山雄三 1965年 加山雄三作曲)
    ワンゲルの山行きの際に、皆んなでよく歌った。
5.小樽の人よ(鶴岡雅義と東京ロマンチカ 1965年 鶴岡雅義作曲)
    30代頃のカラオケの定番だった。
6.女の意地(西田佐知子 1965年 鈴木道明作曲)
    西田のあやしい魅力に惹かれた、けだるい声にしびれた。
7.初恋によろしく(西郷輝彦 1966年 米山正夫作曲)
    20代前半愛唱していたのを、60過ぎになって再び出逢った。
    この年になっても、わくわくして青春が蘇るような歌だ。
8.赤いハンカチ(石原裕次郎 1966年 上原賢六作曲)
    裕次郎の魅力と自分の魅力を重ねてみたりして、もてたりした。
9.世界は二人のために(佐良直美 1967年 いずみたく作曲)
    佐良の声はスケールの大きい声だった。たまに聴くといい。
10.長崎は今日も雨だった(前川清 1969年 彩木雅夫作曲)
    これも30代過ぎのカラオケの定番曲。長崎は学生以来行ってない。

 《この一曲》 初恋によろしく

          星野哲郎作詞
          米山正夫作曲


   想い出しておくれ 想い出しておくれ 
   野ばらよ野ばら 棘ある野ばら
   想い出しておくれ
   君と君と君と 歩いたこの小道
   あゝそよ風も ほらささやくよ
   初恋によろしく

西郷輝彦の荒削りの歌声がとても好感がもて、この歌に合っている。
青春の頃の想い出がこの歌にリンクして、懐かしい。
20歳頃の山行きの際に作った自作歌集を紐解いたら、
やはりというか、この歌が載っていた。興味のあるものは、年が経ても
消えうせないんだなあと、感慨を新たにした。

私のモーツァルト愛聴曲⑧:4手のピアノのためのソナタ ニ長調 K.381

2006年06月24日 | モーツァルト
この曲は、モーツァルト15歳、ザルツブルクで姉ナンネルとのピアノ連弾の共演のために書かれた作品。
第1楽章、みごとに息のあった連弾が始まると途中で<フィガロの結婚>の<恋とはどんなものかしら>の旋律が現れてちょっとびっくり、第2楽章は大変穏やかで美しい旋律で、私の大好きな楽章である。
モーツァルト姉弟の楽しい共演のもようが目に浮かんでくるようだ。15歳の時にあたためていた旋律が後年オペラ<フィガロの結婚>で開花したことを思うと、モーツァルトは自分が作曲した旋律を心の引き出しに大事にしまって、それを時々口ずさみながら新しい作曲を作る上でのバネにしていたのではないかと推定される。
私の愛聴CD:マルタ・アルゲリッチ、アレキサンダー・ラビノヴィチ(ピアノ)
現代最高の女流ピアニストといわれるアルゲリッチと盟友ラヴィノヴィチの何とも余裕のある楽しい演奏である。
<TELDEC 4509-91378-2>

(写真はモーツァルト姉弟のピアノ連弾を描いた絵画の複製)

カキラン

2006年06月23日 | ラン
梅雨の最中に野生ランの一種の「カキラン」が咲いた。
茎は50~60cm程伸び、茎上の柿色の1cm程の小さい花を
多数つける。
花は短命で2日程度で終わるし、小さく目立たないし、
葉も草のようだし、取り得が少ない。
しかし、なかなか味のあるランではないか。

松戸 雷電神社

2006年06月23日 | 散歩
 松戸市竹の花。
雷神信仰の神社。祭神は別雷命(わけいかづちのみこと)。
雷神を鎮めるための雷神祭・雷除祭(かみなりよけのまつり)などは、古来各地で行なわれた。豊饒をもたらす存在として祀られていた雷神であったが、また古い水の神でもあり、ここの神社にも竹ケ花雷電湧水がある。
 雷神信仰はやがて北野天満宮の出現によって、天神信仰に集約されていったようだ。




ユニークな狛犬


本堂(左)、浅間神社碑(右)冨士講の山岳信仰の名残が今でも残る。


急な石段


名も無い石仏たち


竹ケ花雷電湧水

心に残る歌謡曲~その1(1950年代まで)

2006年06月22日 | 歌謡曲
1.かえり道の歌(加古三枝子1940年 古関裕而作曲)
   戦前の国民歌謡の曲だが、不思議な歌詞だが、どこか懐かしい、
   義兄が酒に酔うとよく歌ったのを思い出す。
2.夢去りぬ(霧島昇 1940年 服部良一作曲)
   服部良一のタンゴ風の曲が何故か、最近になって好きになった。
   ボニージャックスのくせのないハーモニーが最高。 
3.青春のパラダイス(岡晴夫 1946年 福島正二作曲)
   青春の躍動感がすばらしく、昔はこういう青春歌がたくさんあった。
   良い時代だったと思う。近年ボニージャックスのCDを座右に。
4.啼くな小鳩よ(岡晴夫 1947年 飯田三郎作曲)
   小学生の時、家の手回し蓄音機に耳を傾けた、最初の曲。
   この曲を聴いて歌謡曲、しいては音楽全般が好きになったのかも。
5.あの夢この歌(三鷹淳 1948年 古賀政男作曲)
   古賀メロディーの中で一番好きな曲。歌詞がイイ。
6.越後獅子の歌(美空ひばり 1951年 古賀政男作曲)
   何故か懐かしい郷愁を覚える歌。少女ひばりの声がぴったり。
7.高原列車は行く(岡本敦郎 1954年 古関裕而作曲)
   軽快な歌で会社の宴会の余興で歌った思い出がある。
8.別れの一本杉(春日八郎 1955年 船村徹作曲)
   演歌の名曲中の名曲だ。錦糸町の居酒屋「一本杉」が懐かしい。
9.逢いたいなアあの人に(島倉千代子 1957年 上原げんと作曲)
   中学の修学旅行できれいなバスガイドさんが歌っていたのが、
   今でも鮮明に憶えている。初恋だったのカモ。
10.有楽町であいましょう(フランク永井 1958年 吉田正作曲)
   10代から40代に至るまで大好きな歌だった。
   有楽町は仕事で遊びでデートで、たくさんの思い出がある。


 《この一曲》 かえり道の歌

          竹中 郁 作詞
          古関祐而 作曲

  夜ふけに帰る 町かどに
  あかりを消した 飾り窓
  花のすがたが 美しい
  花の寝がおが 美しい

  いつもこの町 この角で
  白い小犬が ついてくる
  連れてかえって やりたいが
  わたし一人が
  わたし一人が
  くらすのに

なんとも異色な歌詞である。意味は単純なのだが、
どことなく哀愁感が漂い、また淡い恋心も感じる。
戦争がもうすぐ始まる激動の昭和15年(1940年)に、
国民歌謡としてこんな歌が生まれていたのに、驚く。
近年、声楽家の藍川由美がCDを出している。

テニス月曜同好会の大会

2006年06月19日 | テニス
昨日の雨がうそのように今日は晴れ上がる。
朝から同好会の大会が行われた。
ABグループ別々にくじ引きして、Aの人とBの人がダブルスのペアーを組む。
実力ある同志がペアーになったり、その逆もあったりで、
いつもの大会のしきたりである。
2ブロックに分かれ4チームづつ総当たり戦。
各チーム4試合を戦うわけ。
いつもの練習試合のように和気会い合いで始まる。
私と先輩のお姉さんと組んだチームは1勝2敗。
その後順位決定戦に勝ち結局8チーム中5位となった。
今日はすごい湿気と暑さでかなりバテバテ、
しかし75歳前後の先輩達が元気にがんばっていた。
ダブルスはお互いの気遣いが大切で、
相棒が好プレーを演じた時はハイタッチして、
失敗した時はどんまいどんまいと声をかける。
ゲームをとった時は嬉しいものだ。
なにか元気をもらえたような一日だった。

セロジネ・フラクシダ

2006年06月18日 | ラン
ラン科セロジネ属は東南アジア一帯に自生する着生ランの種類。
セロジネ・フラクシダはヒマラヤ原産で、下垂性の白色の花でリップの中央が黄金色になり、ろう質で芳香がある。初夏咲で低温性のため夏の暑さにも強い特徴がある。
昨年10月に通販で購入して以来、一冬越して開花した。
花は原種のせいか小型で開花期間は短い。
冬以外は木陰に吊るして栽培している。

私のモーツァルト愛聴曲⑦:ディベルティメント ト長調 K.136

2006年06月17日 | モーツァルト
この曲は、モーツァルトがなんと15歳、ザルツブルクで作曲。
15歳にして、プロ中のプロの音楽を書いてしまった、信じがたいことである。
ディベルティメントは、「喜遊曲」と訳され、祝いの食卓のバックグラウンド音楽なので、堅苦しくなく優雅に流れるような曲想から成っている。
この曲は、躍動感・スピード感・たわむれ・優雅さ・変化とバランス感覚などモーツァルトらしさが15歳にして既に全開した証を示している。
イタリア旅行から戻ったばかりで、イタリアの明るく豊かな印象が良く反映されている。
第1楽章はいかにも典雅なイタリア的な明るさと躍動感がすばらしい、第2楽章はゆったりとした優雅な舞曲風、第3楽章は歯切れの良いスピード感、と全3楽章通して聴いてみると、変化とバランス感覚がすばらしい。一番モーツァルトらしい音楽でないかと思う。
私の愛聴CD:シャンドル・ヴェーグ指揮ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ(CAPRICCIO COCO-80239)
ヴェーグ指揮は、爽やかさが溢れモーツァルトの気持ちに没入しているような見事な演奏である。コンサートホールを備えた音楽院であるザルツブルクの「モーツァルテウム」から世界に発信された世界一折り紙付きの演奏に拍手を送りたい。

セッコクの花

2006年06月16日 | ラン
セッコクの花が咲いた。
セッコクの名は「石斛(せきこく)」がなまったもので、古くから薬草として用いられていた。セッコクのなかで古典園芸として多くの品種が生み出されたものを「長生蘭」と呼ばれている。
今日咲いたのは、長生蘭の中の「雷山」という茎の長い品種である。
セッコクは着生ランなので、吊りシノブに着生させると良く育つ。
写真は、軽石鉢にオサランとともに着生させたもの。
左下に見えるオサランの方は花芽はもう少し先だ。

尾瀬ヶ原を歩く3

2006年06月14日 | 旅行
燧ヶ岳(ひうちがたけ)が正面に見える。至仏山より残雪が少ない。
学生時代、燧ヶ岳を登って頂上から裏燧を下り御池を経て会津駒ケ岳まで縦走したことを思い出す。燧ヶ岳の登りはかなりきつかったのを覚えている。

(写真は尾瀬ヶ原から燧ヶ岳を望む<2006/6/12>)

尾瀬ヶ原を歩く2

2006年06月13日 | 旅行
至仏山は残雪がかなり見られる。今年は例年に比べ雪が多かったようだ。
牛首付近の小川にかかる橋が鉄橋部分がひん曲がって壊れていた。大雨のせいか大雪のせいか・・・。新しい橋がかかっていた。

(尾瀬ヶ原より至仏山を望む<2006/6/12>)

尾瀬ケ原を歩く1

2006年06月12日 | 旅行
6月12日(月)梅雨の合間の好天に恵まれ、鳩待峠から尾瀬ケ原までの山旅を楽しんだ。
水芭蕉のシーズンはひさしぶりで、山ノ鼻付近では水芭蕉は7分咲き程度になっており、ところどころに群落が見られた。
尾瀬の旅はかれこれ10回程になるが、水芭蕉の季節は少なく2回目かと思う。
尾瀬は7月のニッコウキスゲ、10月頃の草モミジが好きでよく来ている。

(写真は山ノ鼻付近の水芭蕉<2006/6/12>)

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