テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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駒場 散策

2015年07月29日 | 散歩
 初めて「駒場」を訪ねた。


「駒場東大前」駅


駒場公園入口

旧前田侯爵邸
 旧加賀藩主、前田家第16代当主の利為の自邸として昭和4年(1929)に建てられた洋館と昭和5年に建てられた和館。世が世なら足を踏み入れることもできなかった華族のお屋敷に無料で入れる。イギリスのカントリーハウスを思わせるすてきな洋館。
参観者も少なく、静かで、ゆっくりと見て回ることができた。


旧前田侯爵邸


洋間


ホール


階段


ステンドグラス


日本近代文学館
 日本近代文学の資料の収集と保管,公開を目的として,1963年に学界と文壇の協力で創立された。
今回は常設展示を見て回ることにした。


日本近代文学館


エントランス


初版本などの展示


竹久夢二「どんたく」


堀辰雄「堀辰雄詩集」


 このあと、駒場の東京大学構内のレストランで昼食。

「ルヴェ・ソン・ヴェール 駒場」
大学構内のしゃれたレストランである。

日本民芸館
 民藝品を蒐集、研究すること等を志向して柳宗悦らの企画によって1936年に開設された日本民藝館。柳宗悦が中心となり設計された和風意匠に洋風が加えられた旧館と、道路に面した石塀は国の有形文化財に登録されている。バーナード・リーチ、河井寛次郎、棟方志功などの作品も所蔵している。
館内は重厚な作りで、参観者もそこそこ入場している。
民芸品は地味で、解説が少なく少しわかりにくい展示が多かった。しかし、民芸品の価値を高めた功績は大きく、国内のみならず海外にも、もっと紹介すべきだろう。


日本民芸館


エントランス






駒場野公園
 東京教育大学(現筑波大学)の農学部が筑波に移転した後 公園として整備され、昭和61年に開園した。広さ2.8ヘクタールの園内には、雑木林や水田があって、かつての駒場野の面影を残し、野鳥などが数多く生息している。近代農学発祥の地だそうだ。
静かな、雑木林を歩いていると、ここが東京渋谷の近くなんだということが、忘れてしまう。


入口


雑木林や水田


木道


バーべキュー広場

 駒場の公園・文学・民芸と、多彩な分野を一堂に見れたのは、収穫だった。

日比谷公園から田端へ

2015年07月08日 | 散歩
 若い頃から何回も来たことがある日比谷公園を、ひさしぶりに散策した。


日比谷公園
 明治36年に開園した、日本最初の洋風近代式公園である。


心字池
日比谷公園に残る貴重な江戸時代の遺構。日比谷公園のある場所は江戸時代は大名の屋敷地の跡地で、石垣などに面影を残す。


洋館


第一花壇




松本楼


氷あずき
名物のカレーライスにはまだ時間が早いから、氷あずきを注文。懐かしい味がして、美味だった。


雲形池、鶴の噴水が有名。


小音楽堂


海上保安庁音楽隊の演奏
偶然、生演奏の迫力を実感できた。

 このあと、有楽町駅近くで昼食。
昼食後、田端まで行く。

田端文士村記念館
 芥川龍之介、小杉放庵、室生犀星、板谷波山など、田端を拠点にした文士・芸術家たちの作品資料の展示や講演会を行っている施設。
田端は明治の中頃、雑木林や田畑の広がる閑静な農村だったが、明治22年、上野に東京美術学校(現、芸大)が開校されると、若い芸術家が次第に集まるようになった。
明治33年に小杉放庵、36年に板谷波山が移り住むと、吉田三郎(彫刻家)、香取秀真(鋳金家)、山本鼎(洋画家)らが次々と田端に住むようになり、明治末期には芸術家による「芸術村」のようになる。
そこへ、大正3年に芥川龍之介、5年に室生犀星が田端に住み始め、彼らの文士としての名声が高まるにつれ、萩原朔太郎、堀辰雄、菊池寛、中野重治らも田端に移り住むようになり、大正から昭和の初めにかけて、田端は「文士村」となった。



田端文士村記念館
ここも入場無料。文学館は人が少なく、おちついて参観できるのでいいね。


館内の展示


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