テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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目黒自然教育園と恵比寿麦酒記念館

2009年10月31日 | 散歩
                  (目黒自然教育園全景<自然教育園サイトより>)

 今日は「卯月の会10月例会」、松戸駅9時30分集合。
10時30分、地下鉄「白金台」駅下車。天気良し気持ちの良い一日。
駅からすぐ目の前に広がる目黒自然教育園に向かう。


目黒自然教育園正面入り口
目黒自然教育園は樹齢500年の古木があり、江戸時代松平讃岐守の下屋敷であったところ。またこの場所は室町時代には「白金長者」と呼ばれる豪族が住んでいたと伝えられ、当時盗賊や野火を防ぐために作られた土塁の跡が園内の外周部や館跡の周囲に残されている。東京のほぼ中央で、武蔵野の豊かな自然がほとんど手つかずの状態で残っている貴重なエリアである。
園内全域が昭和24(1949)に天然記念物及び史跡に指定されている。


白金台の一角にこのような大自然があるとは驚きである。ここの広さは6万坪なのである。
入園時にピンクのリボンを受け取る。 これは自然保護のため、入園者が同時に300人を超えないようにするもので、リボンを300用意し退出時に回収したリボンを含めて、リボンがなくなったら入場制限をするという方法。
これにより常時300人までしか入園できないという。1人平均にして200坪になるのである。


シイの巨木。
このような巨木が随所に見られる。


ひんやりとした森林浴を満喫


赤い実を沢山つけたイイギリの高木が目立つ。
イイギリは落葉高木で、葉が桐の葉に似ていて、昔、御飯を包むのに使われたことからこの名前が付けられたとのこと。園内各所にこの木に赤い房状の実がたくさんぶら下がっているのが見られる。


「大蛇(おろち)の松」というクロマツの巨木、樹齢300年だそうで、江戸時代の松平讃岐守の下屋敷のあった所で、この松はその頃に植えられたものであるという。


水生植物園


水生植物園全景


つりふねそう(つりふねそう科)


まゆみ(にしきぎ科)


ひょうたん池
その名の通り、瓢箪(ひょうたん)の形をしている。


物語の松(道左側)、江戸時代松平讃岐守の下屋敷の面影を伝えるもの。


植物園を出て、外苑西通りに入ったところにある、そばや「利庵(としあん)」で昼食。
乾いたのどをビールで潤して、定番のせいろう750円、出汁巻き卵800円(写真は2つ分)を食す。出汁巻き卵はあたたかくておいしい、せいろうは量が少なすぎ。おおもりは注文できずだった。ただそばは腰があり味も良かった。


東京都庭園美術館の建物と洋風庭園
ここも旧白金御用地。元は同じだが、現在では「自然がある、都会のオアシス」という点では同じものの、教育園が「作らない自然」であり、庭園美術館が「手入れした自然」ということのようである。


洋風庭園のバラ


和風庭園


東京都庭園美術館をあとにして、恵比寿麦酒記念館に向かう。
上大崎2丁目付近のお屋敷町、長者丸という名がこの地域の古い地名で、その名を冠した高級マンションが見られる。丸というのは中世の城郭、白金長者の子孫がここに居館を建てたことから、長者丸と呼ばれるようになった。


恵比寿ガーデンプレイスの人工的な建築美


恵比寿麦酒記念館
恵比寿三越のうしろに位置している。
明治23年(1890)、日本麦酒醸造会社が、当時三田村と呼ばれていたこの土地に設立した工場で「恵比寿ビール」が誕生した。この銘柄が、後に駅、そして街の名前として広まっていったのである。
 私が中学1年の時に社会科見学で、ここで撮った集合写真がある。
背景にニッポンビールの広告と、高く積まれたビール瓶ケースが写っている。今は華やかなガーデンプレイスの場所で当時を回想すると、あまりの変わりように言葉もなかった。


銅釜
ビールづくりのシンボルともいえる銅製仕込釜。かって恵比寿工場で実際に使われていたもの。


4種類のビールを飲みくらべできる「飲みくらべセット(500円)」を注文。

散策後は松戸に戻り、いつもの「さくら水産」で2次会。
最近全国に松戸の名を知らしめている2つの事件(女子大生殺人放火事件、結婚詐欺事件)などについて語り合った。
次回は11月28日(品川から旧東海道・大森へ)に決定。

 (過去の散策リンク)2003/05/22 目黒 自然教育園から林試の森公園へ 




秋深まる 森と広場

2009年10月27日 | 散歩
                             (千駄堀池)

 台風の影響で昨日から降り続いていた雨も止み、今日は秋晴れの一日となった。
「森と広場」の中を深まる秋を求めて、デジカメを片手に出かけた。 


つどいの広場


これはススキに似ているが、イネ科のオギで、水辺に株を作らず一本づつ生える。


湧水の流れとチラカシバ(イネ科)


紅葉が進む


千駄堀池と広場の橋








みどりの里


9月4日に散策した時、名前が不明だったが、農作業をしていたおじさんに聞くことができ、「高粱(こうりゃん)」だとわかり、一区画が高粱畑になっていた。イネ科の食料になるもので、中国北部で栽培されるモロコシの一種である。


自然観察舎ですぐ近くにカワセミが止まり、その後ザリガニをみごとに捕まえていた。

大宮 博物館と氷川神社

2009年10月24日 | 散歩
                      (氷川神社の七五三詣の風景)

 今日は思い付いて早速散歩に出かけた。場所は大宮駅、さいたま市立博物館で開催している展示会がねらいだったが、足を伸ばし大宮氷川神社で華やかな彩りを写真に収めた。


大宮駅                               ラーメン七福神

昼過ぎに大宮駅に着く。ここに降り立ったのは初めてか?と思う。
早速腹ごしらえに、調べていた7軒のラーメン店が競っている「ラーメン七福神」を探して、この中のラーメン店「青葉」に入る。荻窪系の有名なラーメン。味もよろしかった。

二ノ鳥居                              2Kmも続く長い参道

二ノ鳥居は木造では関東一の高さを誇る大鳥居。
ケヤキ(埼玉県の木)の並木が続く長い氷川神社参道を歩く。

さいたま市立博物館                         「街にキネマがあったころ」展

参道途中にある「さいたま市立博物館」に寄る。
「街にキネマがあったころ」特別展を参観。明治40年代初頭に演芸場などを中心に始まり、その後映画館「浦和劇場」を中心に地域における文化の創造に大きく関わってきた昭和初期までの映画館事情、がテーマであった。
 無声映画「剣聖 荒木又右衛門」のビデオ上映を鑑賞。羅門光三郎演じる荒木又右衛門の36人斬りの大乱闘!の痛快チャンバラ映画。
活動弁士のナレーションがなかなか面白かった。

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《 大宮氷川神社 》
 大宮の氷川神社は武蔵一宮氷川神社とよばれ、埼玉、東京、神奈川に点在する数百の氷川神社の本拠として、二千年以上の歴史を持っている。大宮の地名の発祥でもあるところだ。


三ノ鳥居

博物館を出ると程なく三ノ鳥居。神前結婚の人達に出逢った。


神橋

境内を進むと朱塗りが映える神橋とその奥に楼門が見える。



楼門


楼門から見た舞殿


舞殿とクスノキの古木の奥に拝殿がみえる、


楼門


神池ごしに神橋を望む


境内を神前結婚の行列が静かに進む

寒蘭 明鳳(めいほう) 

2009年10月23日 | ラン
 2006年11月にインターネット通販から購入した寒蘭5種のうち1種・明鳳(めいほう)が開花した。
購入した中で始めて3年を経ての開花である。

 明鳳は黄緑地に紅褐色の線が入った更紗(サラサ)の大輪で、平肩咲き。
舌は黄地の無点花。
 平肩咲きは副弁(側弁)が水平に伸びて一直線となる咲き方で、一文字咲きともいう。

 大輪で平肩咲きなので、とても見栄えの良い寒蘭である。

長屋門(松戸市千駄堀の市指定文化財)

2009年10月22日 | 散歩
                             (安蒜家長屋門と全景)

 私の地元である千駄堀地区の長屋門見学会に参加した。
家から歩いて10~20分の所にあり、散策の折に眺めてはいたが、門の中に入って見学するのは初めてである。
 2箇所の長屋門は平成14年に松戸市の有形文化財に指定されている。

 長屋門とは大名屋敷などにに見られる部屋付きの門で、農村部でも村役人など特定の農民にのみ建築が許され盛んに造られた。

<土屋家長屋門>
土屋家長屋門の建築年代は不明だが、土屋家の屋敷を描いた明治27年(1894)作成の銅版画にこの長屋門が描かれており、それ以前に建てられたことがわかる。
 この長屋門は、松戸市内に現存する長屋門の中でも規模が大きく、保存も良好であり、江戸時代末期から明治時代初期の建築技術を伝えるものとして貴重なものである。構造及び規模は、木造・寄棟造・瓦葺で桁行14.54m、梁行3.64mである。(松戸市文化財マップより)

道路側から見た土屋家長屋門




明治27年(1894)作成の銅版画


中庭、土蔵と茶室


長屋門


長屋門と土蔵


ボケの実(左)とカリン(右)
広い庭はきれいに手入れがされていて、実のつく木々がたくさんあった。

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<安蒜家長屋門>
 安蒜家長屋門は、その棟札から天保11年(1840)に建てられたことがわかる。下総地方西部の長屋門のうちでは、最も古いものの一つで、松戸市内に現存する長屋門の中でも規模が大きく、建築年代、施工大工が明確であり、江戸末期の建築技術を伝えるものとして貴重なものである。構造及び規模は、木造・寄棟造・瓦葺で桁行14.78m、梁行4mである。(松戸市文化財マップより)


道路側から見た安蒜家長屋門




堂々たる門である。


門から外を眺めると、そこは「二十一世紀の森と広場」である。


家屋の独特の屋根の構造


玄関先にかけられていた槍と弓


長屋門の一部と宿り木がみられる古木

松戸神社 神幸祭

2009年10月18日 | 散歩
                              (神幸祭の四神像)

 今日は平成10年以来、11年ぶりに松戸神社の神幸祭、通称「四神(しじん)の祭」が秋晴れのもとに行われた。今日一日だけの祭りである。
 松戸は水戸街道の宿場町で、松戸神社は江戸時代水戸家の帰依を受けていた。天領で水戸家の影響下にあった松戸の祭ではこの四神像が使われていたが昭和以降に絶えていたようだ。平成になって松戸神社の神輿倉に長い間しまわれていた江戸後期の四神像が見つかった。これを平成2年に再興したのが神幸祭である。


神幸祭の出陣式(10時過ぎには厳粛に式次第が続いていた、建屋の中に神輿、奥に四神が見える)


(松戸のはっぴ姿がりりしい)

 神社の朱塗り橋のたもとに陣取って、行列を待ち構えた。
行列を撮るにはもってこいの場所のようで、沢山の人が陣取っていた。


神社提灯・先導(11時出発)


奉祝旗・稚児行列


神幸旗・鼻高面


先太鼓


大榊


四神(これがメインの四神旗である)


四神のアップ


紅白旗


氏子鳶頭・手古舞


獅子屋台・五色旗(こちらは神社の裏手からスタートした)


日像旗・月像旗


御盾


前衛神職・神饌辛櫃(しんせんからひつ)


紫羅翳(むらさきのさしば)


宮神輿


宮司・傘持ち・巫女
 神幸祭行列は以下、町会神輿が続くがこれらは省略する。


 神幸祭行列は11時に神社を出発し午前中は松戸駅東口界隈を、午後は西口界隈を巡り、17時に神社に戻るコースになっている。
 写真は松戸駅東口歩道橋からの行列。

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<四神像との関連だろうか?>


松戸神社の手水舎
手水舎の4柱にみごとな四神の彫刻が彫られているのを見つけた。
四神の祭と何らかの関係があるようだが、詳しいことはわからない。




風早神社三匹獅子舞

2009年10月11日 | 散歩
 松戸市上本郷にある風早神社。10月10日は「三匹獅子舞」奉納の日。
13時から始まる。


上本郷の三匹獅子舞は、江戸時代中頃に伝えられ、神に供えた鹿(しし)の頭を模しているとされ、五穀豊穣・厄病退散を祈願したもの。大獅子(おおじし)・女獅子(めじし)・中獅子(なかじし)が、太鼓を打ち鳴らしながら横笛にあわせて力強い舞を披露する。野猿坊(ヤエンボ)が獅子の世話を焼いている。舞のあらすじは中獅子が女獅子にぞっこんになるのを大獅子ががまんできず、女獅子をめぐり大獅子と中獅子がけんかをするというもので、最後に大獅子が勝って喜びを表わして締めになるというストーリー。

 1回11曲を2時間かけて舞う。これを3回繰り返す。11曲目の最後の曲だけが舞い手の年功によって異なっているが、その他は同じ舞である。上本郷地区では毎年同じ日に昼に風早神社・夜に明治神社で行われている。松戸市内ではこの他に和名ヶ谷地区の日枝神社・大橋地区の胡録神社で行われる。

<当日のビデオ紹介>
三匹獅子舞 9.「さがりは」の場面の映像(YouTube)
(9曲は、三匹が並んで、一斉に跳躍したり腰を落としたりする激しく美しい動作)
三匹獅子舞 12.「橋がかり」の場面の映像(YouTube)
(12曲は2回目の11曲目に当たる曲。笛・太鼓・所作が徐々に盛り上がり、迫力を増していき、大獅子と中獅子のケンカが始まる)

<以下は写真の抜粋>














 松戸市の公民館成人講座「三匹獅子舞を知ろう」(9月9日)に参加した折、講師の戸定歴史館の山田尚彦さんの話の中で、京都に始まった「風流踊(ふりゅうおどり)」が江戸に流れてきて、東日本では三匹獅子舞に発展したとのこと。西日本では太鼓踊りに発展したため獅子舞は存在しないということだった。
 また水戸の佐竹氏が秋田に転封された際、芸人が付いていったため、関東に良く似た三匹獅子舞が秋田に見られるという話があり、私の先祖が佐竹氏家臣だったので、大変興味を引いた。


江戸図屏風の獅子舞(江戸東京博物館)


錦糸町から押上へ、新タワーを観る

2009年10月10日 | 散歩
                       (新タワーと東武橋親柱の電灯)

 午後から天気が良くなったので、ひさしぶりに私が青年期を過ごした会社があった「錦糸町から押上」方面を散策した。


錦糸町駅前。向こうに楽天地の看板が見える。JRのガードは昔と変わらない。
ガードの向こうのビルは、この前までロッテ会館だったのが、新しい高層ビルに。


四ツ目通りを進む。会社に通っていた通りだ。
懐かしい「ふるさと」(お好み屋)、会社の目の前にあった「ふくや」(中華)。


錦糸公園は現在リニューアル中だとか。懐かしい公園内の道。若い頃汗を流したテニスコート!。


会社が移転した跡地は、複合ショッピング・モール「オリナス」、景色が一変してしまった。


四ツ目通りをさらに押上方面に直進し、都立深川商高付近に来ると、異様な建築物が目に入ってきた。今日のお目当ての新タワー「東京スカイツリー」。


さらに進み業平二丁目にある天祖神社境内から。


浅草通り(業平一丁目交差点)から。


そして、タワーの間近に到着。「東武橋」から見たタワー全景(タワー西側)。
現在の高さ164mだそうだ。完成すると、地上600mを超える、世界一の高さを誇る展望タワーになる、2011年完成予定。
 説明によると、「第一展望台は、地上350m。二層の吹き抜けとガラス張りによる開放感が広がります。さらに上の第二展望台をぐるりと取り囲んでいるのは天空回廊(てんくうかいろう)。東京湾や関東平野を一望にできます。地上450m。これまで見たことのない眺望を楽しむ、まさに空中散歩です。」だそうだ。
見物人もかなり出ていた。


航空写真が掲示されていたので、参考に。


こちらは、反対側の京成橋からのタワー(東側)。


おまけに、押上電車区線路から見たタワー。
嗚呼、今日は建設途中の新タワーを満喫した!。
建設途中のタワーの写真は二度と撮れなくなるので、10年後・20年後には貴重な映像になるかも知れない。

大江戸両国・からくり祭(両国)

2009年10月10日 | 散歩
 江戸の伝統芸を体感できる催しがあると知って、両国に出かけた。


 両国駅西口から国技館通りに出ると、力士のオブジェがいくつか置かれている。
通りの向こうに、チャンコ霧島の店が見える。通りの突き当たりが会場だ。

「大江戸両国・からくり祭」、今年で4回目だそうだ。
場所は両国の回向院となりにある両国シティコアの広場。
この場所は江戸時代には「東両国広小路の賑わい」として活気あるところだったようだ。そのようすを再現した祭りである。

午前の部が11時から始まる。


1.相撲甚句(両国相撲甚句会)
 大相撲でおなじみの呼出し三郎さんの相撲甚句。朗々としていて聞いてて気持ちが良い。相撲甚句の歌詞は歌舞伎や落語からきているので、最後にオチがあるようだ。
呼出し三郎さんの相撲甚句のビデオを撮ってきました(YouTube)。


2.江戸踊り(櫻川寿々慶他)
 江戸情緒が感じられる、素朴で楽しい踊り。


3.銭太鼓(サークル響)
 音の出る筒をあやつり踊る。おかめとしょっとこ面をつけての踊りは楽しい。


4.江戸の紙切り(桃川忠)
 紙切り名人が登場。軽やかな手さばきで見事な紙切り絵があっという間にできた。


5.江戸の手妻(藤山新太郎一門)
 手妻(たづま)とは手品のこと。江戸時代街角で行われていた芸の再現。


6.綱渡り(軽業師大助)
 最後のシメは綱渡り。はらはらしながら、なかなか見ごたえがあった。

13時すぎに終了。
江戸情緒にあふれたひとときであった。
昼食後、錦糸町へ移動。次へ。

みなずき会 部内大会

2009年10月05日 | テニス
 今日は9時30分から12時30分までみなずき会の部内大会。
家を出る時、小雨がぱらつき、なんとも心もとない天気であったが、
テニスコートについたら、小雨もおさまり練習を開始できた。
10時からの部内大会スタート。
番号札を各自引き、それによってダブルスの組み合わせを毎回変えて決めていく方式。
組み合わせしだいで、運不運があり、簡単に勝てそうな相手と、その逆になることもある。
今日の私の組み合わせは、かなりラッキーな面があった。
おかげで4試合行って、4勝0敗(ゲーム数で勝16、負3)であった。
途中、小雨が降り出し、試合の続行が危惧されたが、なんとか予定通り大会を終えることができた。

13時から場所をレストラン「こはく」に移し、「昼食会」。
成績発表で、私はみごと準優勝だった。
成績はさておき、いつもの練習試合と同じで毎回組み合わせが変わることで、
皆で和気藹々とゲームを楽しむことができるのが、良いことなのでろう。
今日は14名参加(男8、女6)できた(3名不参加)。
食事をしながら、年末の忘年会や合宿の話で盛り上がった。

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