テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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韓国ソウル観光 その6 エンディング

2007年05月24日 | 旅行
 夜のオプション観光。

20日(日)ソウルタワーと明洞
標高262mの南山の頂上に立つ電波塔で、高さは海抜360mにもなる。展望台からの360度のパノラマはなかなかすばらしく、中央に黒く漢江が流れているのがわかる。教会の十字架の明りがやたらと目に付く。宗教分布で韓国ではキリスト教が大半をしめているのが実感できた。ソウルタワーは下から眺めると塔が真っ白く浮かび上がって印象的であった。

21日(月)韓国民俗公演
中区にあるコリアハウスは朝鮮時代の私邸でのちに迎賓館として使われていた場所に、作られた美しい伝統韓屋である。その中の民俗劇場で伝統公演が行われている。「佳人剪牡丹」は宮廷舞踊で美しい舞姫らが二組に分かれて、大きな花瓶に差してある牡丹の花々を引き抜きながら舞う。「扇子舞」は巫俗で踊られていた踊りを近代舞踊家が芸術的に再構成した踊りで扇を9人で見事に円陣を作って丸くかたどるのが優美であった。

ソウルは東京以上に人であふれている、高層マンション乱立がすごい。
若者は茶髪がほとんどなく黒髪が目立つ。スリムな女性が多い。
車の運転の荒っぽいのが目立つ、観光の途中で乗用車が事故で横転したのを見た。
北朝鮮との境を流れるイムジン川から韓国ぞいは鉄縄文が延々と続く、南北分断を目の当たりにした。
朝昼晩と食事はキムチがつきもの、あきるくらい食べたが日本ほどにんにく臭くない。
韓国は日本文化の伝承地でもあることを改めて認識した。かつては近くて遠い国だった韓国も何か日本人の血と同じものが流れているのを強く感じる旅であった。




韓国ソウル観光 その5 大長今テーマパーク

2007年05月23日 | 旅行
 5月21日(月) 午後観光。

(韓国ドラマ『チャングムの誓い』。韓国語のタイトルは、『大長今』。李氏朝鮮時代の中宗の時に、から御医(国王の主治医)まで上がった実在人物、徐長今(ソ・チャングム)という一人の女性の一代記を描いたドラマ。幼い頃に親をなくしたチャングムは宮中の宴会料理を担当していたカン・ドックに育てられ、母の遺言に従って官女になるために宮廷に入る。好奇心旺盛で生まれつきの味覚の才能と賢さで韓尚宮(正五位の女官)として認められるまでになる。しかし周りの妬みを買ってカモ事件に巻き込まれ、遠く済州島に転属されてしまう。しかしそこで長今は"医女"と出会い、彼女から医術を習って今度は"医女"として再び宮中へ上がり、困難や陰謀にも屈せず、医術の功績をあげ王から絶大な信頼を受け、紆余曲折の後ついに中宗の御医(王の主治医)になるというストーリー。)

 ソウル郊外の楊州市にあるドラマの一大オープンセット場が、「大長今テーマパーク」として公開されている。王に差し上げる料理を支度していた水刺間(スラッカン)・配膳を行う台所である退膳間(テソンガン)・王の住む宮殿である大殿(デジョン)・罪人を監禁する獄舎(オクサ)などや宮殿の外に養父カン・ドックが住んでいた村落もあった。
 妻と同時に全54話にもなる長大なこのドラマにはまったのは2年前になろうか。韓国の宮廷のようすや宮廷料理に興味がわき、チャングムの波乱にとんだ半生に一喜一憂したものだ。オープンセットとはいえ良くこれだけのものを作ったかと感心するし、撮影終了したあとにテーマパークとして又々外貨を稼いでいるのには韓国人のパワーを感じた。






















韓国ソウル観光 その4 世界遺産:水原華城

2007年05月22日 | 旅行
 5月21日(月) 午前観光。

世界遺産:水原華城

朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代第22代、正祖(チョンジョ)が2年9ヶ月をかけて1796年に完成させた城郭で西洋技術を駆使した城郭都市だ。正祖王はここに遷都することを考えていたようだが、4年後に死去したため、その夢は果たせなかった。華城行宮という王様の別邸(現在復元中)を中心に、全長5.7キロの万里の長城のような城郭と、東に蒼龍門、西に華西門、南に八達門、北には長安門がある。東西南北の四方にある楼門、アーチ型の水門が美しい華虹門、市内を一望できる西将台などからなる。1997年に世界遺産に指定されている。

 北の長安門から長城の道を東側まで1時間程歩いた。これだけのものを作って遷都しなかったとは無駄だったのか。しかし政治の渦の中から離れたため破壊されず後世に残り、現在は世界遺産として国の財産となっている。皮肉なものだ。水原華城の城郭の中に宮中文化の中心であった華城行宮がある。韓流ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」のロケ地でもあった。しかしここには行けずじまいだったのが残念であった。








韓国ソウル観光 その3 ソウル市内観光

2007年05月21日 | 旅行
 5月20日(日) 午後の観光。

1.北村韓屋村
北村韓屋村は、景福宮と昌徳宮の間の北岳山のふもとにある韓屋保存地区である。北村は高官大爵と王族、士大夫たちが集まって居住して来た貴族の家の跡地で、韓屋はすべて朝鮮時代の瓦の家で、あちこちにいまだに残っている何軒かの韓屋は、この時代の名声をそのまま残している。
狭い小路に昔の韓屋が立ち並ぶ風景は、この地域の味をかもし出している。仏教美術博物館、装身具博物と国楽院、宮廷料理研究院がある。
 また北村韓屋村には、ペ・ヨンジュン、チェ・ジウが出演した『冬のソナタ』の舞台になったチェ・ジウの家と中央高等学校がある。妻が一番感激した場所のようだった。ドラマでは遠くにある設定だったが、この2箇所が目と鼻の先にあるのには驚いていた。
2.徳寿宮
1590年に建てられた李朝最後の王宮だ。韓国の首都ソウルの市庁近くにある。韓国の数々の歴史の舞台となったことでも有名だ。もともとは、朝鮮王朝の第9代王である成宗(ソンジョン)の兄の月山大君の私邸であった。日本に最後まで抵抗した高宗皇帝は、1907年強制退位させられてから亡くなる1919年までをここ徳寿宮(トクスグン)で過ごした。正殿である中和殿は玉座が置かれており、建物を覆う模様が色鮮やかで美しいのが印象的であった。静観軒は西洋スタイルの休憩場所で高宗が宴会などに利用していた。 ソウル中心部にありソウル市民の憩いの場所でもあるが、保存修復状態も良く鑑賞価値は十分にあった。


北村韓屋村


徳寿宮


徳寿宮


昌徳宮


ワールドカップ交差点

韓国ソウル観光 その2 南北分断の地

2007年05月20日 | 旅行
 5月20日(日)午前の観光。

(1)臨津閣(イムジンカク)自由の橋
 臨津閣(イムジンカク)は、ソウルから北に向かって「自由路(ジャユロ)」をずっと進んだところにある。川沿いには鉄条網が延々と続いている。南北分断を目の当たりにした。
板門店の手前の、許可なく自由に出入りできる最後の地点でもある。
 自由の橋は現在、臨津江(イムジンガン)を渡る唯一の橋である。1953年、休戦協定が締結された後、戦争捕虜13000人がこの橋を通って帰って来る時に「自由万歳」と叫んだので「自由の橋」と呼ばれている。

(2)望拝壇
 1千万離散家の痛みを慰めるために望拝壇では毎年陰暦元日、陰暦お盆なるとここで北朝鮮に残してきた父母の合同祭祀を行っているという。

(3)オドウサン統一展望台
 ソウルから自由路に沿って車で30分あまり行くと、オドウサン統一展望台がある。ここに登ると、臨津江(イムジンガン)とその向いにある北朝鮮住民の生活の樣子が一目で見られる。今日は天気は良かったが川霧のせいか、かなたにかすかに見えていた。展望台の中の展示室には北朝鮮の生活用品・食品・貨幣・バッジなどが陳列されていた。


臨津閣(イムジンカク)の自由の鐘


統一展望台の模型


統一展望台内にある北朝鮮の学校教室モデル



韓国ソウル観光 その1 プロローグ

2007年05月19日 | 旅行
 5月19日から22日までの4日間、初めて韓国ソウル周辺観光に出かけてきました。

 5月19日、韓国ソウルに出発。
成田からの航空機は初めてのアシアナ航空、2時間25分の飛行であった。
その短い時間に機内食がでた。韓国風の少し辛い味付けでわりとおいしかった。
ソウル郊外のインチョン空港に到着し、バスでソウル市内へ向かう。
車窓からのソウルの街の風景を楽しむ。
川幅の広い漢江がゆったりと流れている。川沿いにモダンな国会議事堂が見えた。
市内に近づくと、高層マンションが乱立しているのが目立つ。
韓国は地震がないようなので、しょろっとして何とも軽量な感じがする。
夕食後、韓国エステを初体験!アカスリとオイルマッサージ、かなり痛いが気持ちの良いものだった。

連休明けテニスの再開

2007年05月07日 | テニス
 5月連休中はいつもテニスが出来ず、体がなまった状態であった。
いよいよ初夏の気候の中でのベストシーズンのテニスがやってきた。
今日から半袖シャツでプレー、プレー中に飲む飲料も500ml1本では足りないようだ。
昨日からの雨が上がったばかりで湿度がかなり高いようで、汗がなかなか引かない。
3月に痛めた左足肉離れの影響が残って、足のかかと付近が多少違和感があるため、あまり無理をしないでプレーをしたが、ついつい頑張ってしまう。
先輩から、高くバウンドしたボールをスライスで返球できるようにと指摘された。
バックハンドストロークはかなり良くなってきており、次はスライスか。

(写真は今日のテニス同好会のプレー)

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