テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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向島を巡る

2009年03月31日 | 散歩
   今日は車で出掛けたついでに、向島界隈を巡ってみた。
   水戸街道(6号線)の「言問橋東」を右折すると、すぐに牛嶋神社がある。
   車は牛嶋神社境内に駐車OK。
   牛嶋神社と隅田公園は隣合わせなので、とても便利である。




1.牛嶋神社
   牛嶋神社は隅田川の東岸、もと水戸徳川邸跡の隅田公園に隣接して鎮座している。
   牛島の由縁は、天武天皇の時代(701~764)に隅田川に沿う旧本所一帯の土地を昔「牛嶋」と呼び、
   国営牧場として設置され、天保元年(701)にはこの地区を浮島牛牧といい、
   その鎮守として牛嶋神社と称したとのこと。
   正面の鳥居は珍しい三輪鳥居である。

  撫で牛
   江戸時代から庶民に親しまれた「撫で牛」(なでうし)が祀られている。
   文政八年(1825)奉納の青銅製。体の悪い所と同じ場所をなでると病気が治るという牛の像。

   本殿前には狛犬の代わりに狛牛があるのが特長。




2.隅田公園(墨田区向島側)
   関東大震災後、帝都復興計画に基づいて、火除け地として造園された。
   東京大空襲による被害や、高速道路工事・防潮堤工事で一時期荒廃していたが、
   現在では埴樹・散歩道の改修などによって、面目を一新している。
   園内には「水戸徳川邸旧阯」と刻んだ石柱、藤田東湖の「正気之歌」詩碑がある。
   園内には桃や桜が見られ、桜は5分咲き程のようだった。

   水戸街道を松戸方面に戻り明治通りを左折してすぐの、「無添くら寿司」で昼食。
   100円寿しのわりには、ねたも新鮮で旨かった。
   なぜここで昼食を摂ったかというと、ここの駐車場に車を停めて、
   向島百花園を散策できることである(1時間程度ならOK)。




3.向島百花園
   仙台の出身で、日本橋の骨董屋佐原菊塢が、寺島のこの地に3000坪の土地をもとめて別荘とし、
   交流のあった文人・墨客(蜀山人・亀田鵬斎・加藤千陰・村田春海ら)とともに、
   三百数十本の梅の木を植えて造園にあたった。
   「百花園」とは、「四季百花の乱れ咲く園」という意味で、
   早春の梅、水仙、福寿草から始まり春、夏、秋の山野草、秋の萩などの植物を植栽し、
   四季それぞれの花の野趣にみちた庭園となった。
   春夏秋時折寄ってみたい場所である。

   桜では、気品のある江戸彼岸桜がほぼ満開で見頃を迎えていた。
   ぼけ、花桃、みつまた、レンギョウ、ユキヤナギの花木や、
   コデマリ、雪割草、イカリソウ、ヒマラヤユキノシタ、などが咲いていた。
   きぶしの実が垂れ下がっているのも風情があって面白い。

向島百花園の万葉歌碑はこちらです。

   

駒込から白山・小石川へ(五人の会)

2009年03月28日 | 散歩
           (上の写真は六義園しだれ桜。クリックすると大きく表示します)

 五人の会メンバーのTSさんが3月初旬に突然他界した。1月の築地・月島散策での元気な姿からは想像もできず、ショックで言葉もなかった。
今日は故人を偲びながらの散策となった。
松戸駅9時30分集合、「JR駒込」下車スタート
花曇りの陽気で、4月が近いというのに北風が冷たいようだった。


1.六義園
   元禄15年に川越藩主の柳沢吉保が築庭した回遊式築山泉水庭園。
   和歌に詠まれた名勝、紀州和歌浦の景色などを再現した。明治には岩崎弥太郎の別邸になったこともある。
   内庭大門にあるシダレザクラが今日は満開!。

   中の島「妹山・背山」は男女の関係を表現しているとのこと。


2.駒込富士神社
   前方後円墳ともいわれている。駿河の富士浅間を祀る神社。
   氏子をもたず、富士講組織で成立。地元の人は「お富士さん」と呼んでいる。
  駒込天祖神社(神明さまと地元で崇敬される古社)に立ち寄る。
  昭和29年造営の社殿。神社近くに子育てと縁結びの地蔵尊が祀られている。


3.吉祥寺
   多くの学僧が集まった禅学(曹洞宗)の学問所である。
   戦火をくぐりぬけた山門。七堂伽藍を有したが大戦で焼失。わずかに山門と経蔵だけが難を逃れた。
   二宮尊徳、榎本武揚らの墓があり、恋人吉三との悲恋を伝える八百屋お七の塚も立っている。


4.南谷寺<目赤不動尊>
   赤目不動と呼ばれたこともある江戸五色不動のひとつである。


5.白山神社
   創建は天暦2年(948)といわれ、1000年以上の歴史をもつ神社。
   アジサイの名所としてよく知られる。歯痛にご利益がある。
   昼食は小石川植物園そばの、そばや「斉藤庵」で、寒かったので温かいそばを食す。
   食事のあとは体が温かくなったばかりでなく、日差しが出てきて気温も上がり暖かくなってきたようだ。



6.小石川植物園
   都心で森林浴が楽しめる日本最古の植物園、めずらしいサクラの木が見られる。
  サクラはソメイヨシノ系は未だ3分咲きといったところ。
  ソメイヨシノ系の品種が多く見られ、満開時は色とりどりのサクラで覆われるようだ。
  山桜系はほぼ満開のようだった。
  山本周五郎の「赤ひげ診療譚」の舞台になった小石川養生所を前身とする東大教育実習施設で、
  16万㎡の園内には温室・庭園・樹林などがあり、約4000種の植物を栽培する。
  ニュートンのリンゴの木、メンデルが実験で使ったブドウの木もある。

  薬用植物園を栽培している畑はこの植物園の中心をなすもので、
  めずらしい花が咲いていた。


  沖縄原産のシマサルスベリの巨木が並んでいるが、花は小さくて目立たないそうだ。
  敷地内には本郷から移築した美しい洋館造りの旧東京医学校本館もある。


6.播磨坂桜並木
  120本の桜並木だそうで、今日は文京区桜まつりの会場として賑やかであるが、
  桜の花は未だ1分咲き程度で、折角のまつりが華やかさに欠けていた。

7.伝通院
   徳川家康の生母お大の方、二代将軍秀忠の長女千姫が眠る浄土宗の寺。
   開創は応永22年(1415)江戸時代に幕府の庇護で大伽藍を整え、僧侶の学問所ともなった。


8.小石川後楽園
   中国の風物を盛り込み水戸黄門が完成させた。
   水戸徳川家の中屋敷として造り始めた回遊式築山泉水庭園。朱塗りの通天橋。
   今日はかなり歩いて皆足にきているようなので、正門を見て終えることにした。

   このあと、「JR水道橋」駅から御徒町駅で降り反省会を行なった。

(過去の散策リンク)2003/04/10 桜満開の小石川植物園

モーツァルトの歌劇5:《後宮からの逃走》 K.384

2009年03月25日 | モーツァルト
オーストリア皇帝ヨーゼフ2世の依頼により製作され、1782年7月16日、ウィーンのブルク劇場で初演された。モーツァルトは前年に故郷のザルツブルクからウィーンに移住したばかりであったが、初演の成功によりウィーンでの名声を確立した。このオペラは、ブルク劇場でドイツ語オペラを成功させるという、皇帝の長年の望みを果たすものであった。それ以前にこの劇場で成功したドイツ語オペラは、外国語作品の模倣や翻訳によるものだけだったのである。
管弦楽を駆使した重厚なドイツ音楽は多くの聴衆を魅了し、「後宮からの誘拐」はモーツアルト存命中だけでも100回を越える公演が行われ、モーツアルトの代表作として知られることになった。



あらすじは、
<第1幕>
恋人のコンスタンツェ、その侍女のブロンデ、そして従僕のペドリロが航海中に海賊に襲われ、トルコの太守セリム・パシャの宮殿に売られてしまったことを聞いたベルモンテはさっそく3人を救出するために太守の宮殿にやってきた。宮殿の中の様子をうかがうベルモンテは番人オスミンに一度は追い返されたが、その後、今や太守から信頼されるまでに至った従僕のペドリロと再会し、3人を救出するための計画を打ち明ける。
一方、太守セリム・パシャはコンスタンツェに求愛をし続けているのだが、コンスタンツェはなかなか承知しない。もう我慢も限界と太守はコンスタンツェに対して明日までが回答の期限と言って退出させた。
そこへやってきたのがベルモンテを連れた従僕ペドリロ。ペドリロはベルモンテをイタリアの建築家と太守に紹介してところ、建築好きの太守はベルモンテを宮殿に雇い入れることになった。つまりベルモンテは太守セリム・パシャのお墨付きで宮殿に侵入することができたのである。
<第2幕>
今は女奴隷となってしまったブロンデを番人オスミンが口説いている。一方、太守セリム・パシャはコンスタンツェに求愛をし続けている。しかしどちらも結果はなかなか芳しくないようである。
番人オスミンを追い返した侍女ブロンデのところへ従僕ペドリロがやってきて、救出のためにベルモンテが宮殿に侵入したことを伝える。ベルモンテからの指示事項は「番人オスミンに眠り薬入りの酒を飲ませる」であった。
ペドリロが番人オスミンを眠り薬入りの酒で眠らせたところで4人は再会を喜ぶ。
<第3幕>
真夜中に4人ははしごを使って脱出しようとしたが大失敗、全員捕まってしまった。
4人は太守セリム・パシャのところに連れられてくるが、ベルモンテが太守セリム・パシャの仇敵の息子と判明したためさあ大変。4人は死を覚悟したが、太守セリム・パシャの寛大な処置として4人を放免して故国に送り返すことを決めた。トルコ兵たちが太守セリム・パシャの徳と栄光を讃えて幕となる。
上演時間は2時間20分前後

<私の好きなアリア>
第1幕第4曲レチタティーヴォとアリア「不安げに、燃えるように」(ベルモンテ)
  ベルモンテが歌う有名なアリア。
第1幕第6曲アリア「恋をしていて幸せでした」(コンスタンツェ)
  愛を迫るセリムにコンスタンツェが悲しげに歌う。
第2幕第8曲アリア「優しくしたり、ご機嫌とったり」(ブロンデ)
  軽妙な美しい歌から、プロンデは『フィガロの結婚』のスザンナに通じる役柄である。
第2幕第11曲アリア「ありとあらゆる拷問が」(コンスタンツェ)
  演奏至難なコロラトゥーラの超絶技巧で長大で華麗なアリアである。
第2幕第12曲アリア「なんという喜び」(ブロンデ)
  「フルート協奏曲ニ長調」のフィナーレの旋律であるフランス風のロンド。
第3幕第20曲レチタティーヴォと二重唱「私のためにお前は死ななければならないのだ」(ベルモンテ、コンスタンツェ)
  悲痛な覚悟で歌う愛の二重唱。

<この演奏を聴く> DVD

<決定盤>

マルク・ミンコフスキ指揮,ザルツブルク・モーツアルテウム管弦楽団
1997年 ザルツブルク音楽祭 演出フランソワ・アブ・サレム、
コンスタンツェ(クリスティーネ・シェーファー)、ブロンデ(マリン・ハルテリウス),
ベルモンテ(ポール・グローヴズ),ペドリロ(アンドレアス・コンラート),
オスミン(フランツ・ハヴラタ),太守セリム(アクラム・ティラヴィ)

何といってもコンスタンツェ役のクリスティーネ・シェーファーが素敵だった。
歌唱力も抜群で演技力もあり、若くてルックスもいい。
第11曲のコンスタンツェのアリアの前奏で演奏者(オーボエ、フルート、バイオリン、チェロ)が舞台に上がり演奏する演出が面白かった。
またブロンデ役のハルテリウスもおどけたしぐさで魅力的だった。
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<その他>

ケーニヒ指揮,チューリッヒ歌劇場管弦楽団
2002年 チューリッヒ歌劇場公演 演出ジョナサン・ミラー
コンスタンツェ(マリン・ハルテリウス)、ブロンデ(パトリシア・ペティボン)、ベルモンテ(ピョートル・ペチャーラ、太守セリム(クラウス・マリア・ブランダウアー)

1997年のザルツブルグ音楽祭まではブロンデ役だったハルテリウスがここではコンスタンツェ役をやっているが、なかなか魅力的だ。
太守セリムとコンスタンツェの微妙な正確描写が見所だった。
ブロンデ役のペティボンのコミカルな演技も楽しい。

三郷・流山 神社めぐり

2009年03月17日 | 散歩
 車で三郷・流山の古社3箇所を巡った。

<三郷丹後稲荷神社>

丹後稲荷神社(三郷市丹後)
丹後神社の名前の由来は丹後村という地名である。 丹後村は、明治22年に早稲田村となり、現在は三郷市早稲田8丁目となっている。このあたりは古来から早稲の産地として知られている。

左手に見えるのが「葛飾早稲発祥地の碑」


葛飾早稲発祥地の碑文(表)と葛飾早稲万葉歌碑(裏)
万葉歌碑の説明はこちら


神社社殿

<流山茂侶神社>

茂侶(もろ)神社(流山市三輪野山619)
平安期に編集された延喜式内社に列する。大和三輪山の大物主命を分霊する。


神社参道


「ヂンガラ餅行事」の説明版
若衆が大きな供餅を引きちぎりあい、奪いあう「餅取り」を行う。行事はかつては近郷から若衆が集まり裸で餅を奪いあうもので、奇祭とよばれていた。その餅の割れ方でその年の作柄を占ったと言われている。


葛飾早稲発祥を伝える碑
「古書は、当社を中心とした一帯を葛飾早稲の故地と伝える。伝統のヂンガラ餅神事もあるいは古代の新嘗(にいなめ)の祭りに発したものか」と書かれている。


葛飾早稲の万葉歌碑
万葉歌碑の説明はこちら


神社横に続く三輪野山散策の森」

<流山諏訪神社>

諏訪神社(流山市駒木655)
古くから“駒木のおすわ様”と呼ばれ、地元住民から厚く信仰されている。かつて源義家が奥州平定に臨む前に戦勝祈願のために訪れており、それにちなんだブロンズ像が建てられている。御鎮座1200年を迎えた古社。


神社境内


葛飾早稲の万葉歌碑
万葉歌碑の説明はこちら


山上憶良の万葉歌碑
銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも(巻5-803)


藤原仲麻呂の万葉歌碑
いざ子ども たはわざなせそ 天地の固めし国そ 大倭島根は(巻20-4487)

なぜ諏訪神社にこの2つの歌碑があるのかはおそらく、諏訪神社は七五三で賑わうようなので、子供を大切にしなさいということで建立されたのではないかと思われる。


馬にちなむ万葉歌碑が見られる。
諏訪神社付近一帯は馬の産地であり、のちに江戸幕府が軍馬牧場の小金牧として指定したが、その先史を伝えるとされる(諏訪神社の境内には「神馬の像」および「馬を連れた源義家像」の2体の青銅像が置かれている。)

(右)3314 つぎねふ 山城路(みち)を 他夫(ひとづま)の 馬より行くに 
己夫(おのづま)し 歩(かち)より行けば 見るごとに ね(音)のみし泣かゆ
そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と 我が持てる まそみ鏡に
あきづきれ 負ひ並(な)め持ちて 馬買へ我が背 (巻13)

(左)3317 馬買はば妹かちならむよしゑやし石は踏むとも我は二人行かむ(巻13) 


七五三参りとして近郷では有名な神社で、境内の「童謡の小径」には童謡の石碑が多数見られる。


「ねんねんころりの童謡歌碑」

モーツァルトの歌劇4:《クレタの王イドメネオ》 K.366

2009年03月14日 | モーツァルト
モーツァルトの作曲したオペラ・セリアの代表作だ。
ミュンヘンの選帝侯カルル・テオドールからオペラ作曲の依頼を受け、1781年1月29日、つまりモーツァルトの25歳の誕生日の2日後に、ミュンヘン宮廷劇場(現キュヴィリエ劇場)で初演された。
歌手が拙劣であったことと、当時の聴衆にとってこの作品が耳新しすぎたために、初演したあとは上演されなくなった。再び関心がもたれたのは1931年にスイスのバーゼルで上演されてからだった。
現在では、荘厳なオーケストレーションと感情豊かな合唱からも、モーツァルト三大オペラに引けを取らない魅力で高い人気を誇っている。

レジデンツ内キュヴィリエ劇場(ミュンヘン)

あらすじは、
「クレタ王イドメネオはトロイア戦争から凱旋の帰途、嵐に遭遇するが、海神ネプチューンに助けられる。王は、上陸して最初に出会う人間を生贄に捧げると海神に誓うが、息子イダマンテに出会ってしまう。家臣は、イダマンテをクレタに滞在中で彼を愛するアルゴスの王女エレットラとともにアルゴスへ向かわせるべく提案。だがイダマンテは捕らわれの身となっている敵国トロイアの王女イーリアと愛し合っている。イダマンテの危機にイーリアは自らを生贄にと申し出る。突然、海神の託宣が聞こえイダマンテを国王にと告げ、人々はイーリアとイダマンテの結婚を祝福する。」
演奏時間 第1幕約56分、第2幕約45分、第3幕約67分、合計約2時間50分。

<私の好きなアリア>
第2幕第11曲アリア「もし私が父上を失い」(イリア)
  情感豊かなアリアで、管楽器がアリアと効果的に交錯している。
  のちの『フィガロの結婚』の伯爵夫人が歌う美しいカヴァティーナを思わせる。
第2幕第13曲アリア「いとしい方よ、しぶしぶながら」(エレットラ)
  強い女であるエレットラがここでは気持ちのやさしいアリアを歌う。
第3幕第19曲アリア「暖かい微風よ」(イリア)
  簡素なたたずまいの中に、愛の祈りをこめた名作で、このオペラの中の最も美しいアリアである。
第3幕第20曲二重唱「この言葉を聞いて私が死ぬのなら」(イダマンテ、イリア)
  二人が相思相愛であることを確認しあう、なかなか濃密な二重唱だ。


<この演奏を聴く> DVD
指揮ロジャー・ノリントン、管弦楽カメラータ・ザルツブルク ザルツブルク・バッハ合唱団
モーツァルト劇場 2006年8月22日
演出ウルセル&カール=エルンスト・ヘルマン
イドメネオ(ラモン・ヴァルガス)、イダマンテ(マグダレーナ・コジェナー)、イリア(エカテリーナ・シウリナ)、エレットラ(アーニャ・ハルテロス)、アルバーチェ(ジェフェリー・フランシス)、祭司長(ギュンター・グロイスベック)、海神ネプチューン(アンドレアス・シュラーガー)

奥舞台の前にオーケストラ・ピットを囲んでロの字形に行き来ができるところでアリアを歌い演技するのが動きがあって面白い。半円形がいびつに切り取られた奥舞台での合唱はなかなか重量感があり効果的である。
海神が緑の服に貝殻のついたシャツ、顔は真っ白、頭には海藻が巻きついている不気味な衣装で、イドメネオにまとわりついてドラマを盛り上げている。
イダマンテ役のコジェナーは王の息子としては、少し線が細い感じだった。
当時はカストラートの男声で歌う役どころなのだが。
イリア役のシウリナは声の良く通るリリックなソプラノで純情で一途なイリアの想いを表現していた。
エレットラ役のハルテロスは赤いドレスで怖い表情をみせ強烈な性格を印象づけた。
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指揮ハーディング、ミラノ・スカラ座管弦楽団 2005年12月
演出ボンディ
イドメネオ(デーヴィスリム)、イダマンテ(バチェルリ)、イリア(ティリング)、エレットラ(ベル)
こちらは若さがある演奏だが、演出があまりいいとは言えなかった。
舞台のセットや背景に大きな変化がなく、それに現代風の衣装で登場する人物にも魅力を感じられなかった。




セロジネ・インターメディア

2009年03月12日 | ラン
セロジネ・インターメディアは、花弁が白で、花芯が黄色いラン科セロジネ属の代表品種の常緑多年草。
両親はヒマラヤに咲くセロジネ・クリスタータとジャワなど東南アジアの高地に咲くセロジネ・マッサンゲアナ。緑の葉と白い花の分量が同じぐらいの割合で出ており、耐寒性だけでなく耐暑性にも優れ、この仲間の最強健種である。花付きも良く育て易い品種である。

 昨年大きくなった二つの鉢を株分けして、新らたに三つ目の鉢をこしらえた。
この三つ目の鉢が見事に開花した。
この花は育て易い上、さらに毎年株が確実に増えていくので、楽しみである。

タイリントキソウ

2009年03月10日 | ラン
タイリントキソウ(大輪朱鷺草)、別名タイワントキソウ/台湾朱鷺草ともいう。
小型ではあってもカトレアに似た華やかな花が楽しめる地生ラン。花が大きく、径8~10cmあり、冬場に球茎を凍らせないようにすれば丈夫に育つ。春に花茎が伸び花後に葉が展開し冬には葉は枯れ、新しい球茎から翌年に開花する。台湾原産なので、タイワントキソウとも呼ばれる。なお、日本原産のトキソウとは属まで異なる別物である。

 昨年株が大きく育ったので、一回り大きな鉢に植え替えたら、
鉢いっぱいになる程に株が広がってきた。
おかげで今年は昨年以上にたくさんの花を付けることができた。

モーツァルトの歌劇3:《羊飼の王様》 K.208

2009年03月07日 | モーツァルト
モーツアルトが19歳のときの劇的セレナータ。初演は1775年 4月23日 ザルツブルク大司教宮殿で、オーストリアの王子たちの接待のために演奏会形式で上演された。生前に再演された記録はなく、死後も上演されなかった。
モーツァルト没後200年(1991年)で初めて全曲版CDが作られたということである。

ザルツブルク大司教宮殿

あらすじは、
「シドンの正当な王位継承者であるアミンタは、その事実を知らずに羊飼いとしてシドン近郊の村に住み、貴族の娘エリーザと恋仲にある。一方、マケドニアのアレッサンドロ大王は、シドンの暴君を追放しその王位を正当な後継者に復させようとしていたが、アミンタがその人であることをシドンの貴族で部下のアジェーノルから知らされた。アジェーノルは追放された支配者の娘タミーリと恋仲にあるが、タミーリは大王を恐れてエリーザの家に羊飼いとして隠れていた。大王は探していた先王の娘タミーリがアジェーノルから元気であることを知らされ、アミンタとタミーリを結婚させて、シドンの国を与えようと決意した。しかし、タミーリからアジェーノルを愛していると迫られ、エリーザからもアミンタなしでは生きていられないと直訴され、羊飼いの姿で現れたアミンタからは、王位をタミーリに譲り自分はエリーザとともに羊飼いに戻りたいという申出を受けた。大王は突然の申し出に驚いたが、彼らの無欲な純愛の心を賞賛して、改めてアミンタにはエリーザを妃としてシドンの王とし、アジェーノルとタミーリには別の王国を約束すると英断をした、大王の善政を讃えた盛大な祝典劇である。」
上演時間は約2時間。

<私の好きなアリア>
第1幕第3曲 アリア「穏やかな空気と晴れた日々」(アミンタ)
  田舎暮らしの素晴らしさを歌う明るく晴れ晴れとした一押しのアリア。
第1幕第7曲 二重唱「王座につくためにお行きなさい、いとしい人」(エリーザ、アミンタ)
  不安なアミンタは王になっても、君の忠実な羊飼いであることに変わりはないと歌い、
  エリーザは愛する私を忘れないでねと歌う。美しい二重唱である。
第2幕第8曲 アリア「むごい人よ、ああ私をご覧なのね」(エリーザ)
  いとしい人(王になったアミンタ)からひき離そうとするアジェノーレをなじる。
  アミンタに対する真の愛情がこもっている。
第2幕第10曲 アリア(ロンド)「あの人を僕は愛そう、心変わりはすまい」(アミンタ)
  アミンタがエリーザへの愛情を歌いあげる、ヴァイオリン独奏付きのもっとも有名なアリア。


<この演奏を聴く> CD
残念ながら未だ全曲DVDは未入手のため、全曲CDにて鑑賞。
指揮:アーノンクール、演奏:ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス 1995年5月
アレッサンドロ(ロベルト・サッカ)、アミンタ(アン・マレイ)、エリーザ(エヴァ・メイ)、タミーリ(インガ・ニールセン)、アジェーレノ(マルクス・シェファー)

アーノンクールのきびきびした指揮ぶりはひき付けられるものがある。
古楽器オーケストラを使用しており、新鮮で奥深い音楽になっている。


アリアを歌った映像では、
「NHKニューイヤー・オペラコンサート2008」で、
ソプラノの森麻季が第1幕第3曲のアリアを歌ったのが、印象に残っている。




モーツァルトの歌劇2:《偽りの女庭師》 K.196

2009年03月03日 | モーツァルト
この『偽りの女庭師』という邦訳が一般的だが、あまり良い訳でないようで、他に『愛の女庭師』『恋の花つくり』『にせの花作り女』と訳されることもある。イタリア語のオペラで原題”La Finta Giardiniera”。モーツアルトのオペラ・ブッファ(世俗的内容の喜劇オペラ)第2作。19歳の誕生日前に書かれた作品。初演は1775年1月13日、ミュンヘンのサルヴァトール劇場。

(2004年新国立劇場「愛の女庭師」パンフレット)

あらすじは、
「ベルフィオーレ伯爵は許嫁を刺し殺したと思って逃亡。実は彼女は生きていて、庭師に身をやつして、従僕と共に別の土地で暮らしている。そこの市長は彼女にぞっこん。また市長家の女中はしたたか者。ベルフィオーレ伯爵と市長の姪の結婚話が進んでいる。ひとりの騎士がこの姪を追いかけている。最後は三組のカップル成立にたどりつくが、市長はあいかわらずひとりぼっち、・・」という楽しいドタバタ喜劇である。

なんとも他愛もない話で、結局馬鹿にされるのは市長ということになる。どこか「フィガロの結婚」と似ている。このオペラはバイエルン選帝侯に依頼されたもので、その選帝侯の目の前でこんな作品を上演したモーツァルトに、なにか図太いものを感じるようだ。
しかし、このオペラはモーツァルト存命中にたった3回しか上演できなかったという。
上演時間は約3時間10分。

<私の好きなアリア>
第1幕第3曲アリア「胸のうちにわしが聞くのは」(市長)
  熱い想いをフルートとオーボエの掛け合いや、ビオラ、トランペットやティンパニーの響きなどを織り交ぜながら歌うアリア。
   大げさな管弦楽の伴奏が喜劇的で面白い。
第1幕第11曲カヴァティーナ「雉鳩は嘆く」(サンドリーナ)
  故郷から遠く離れた境遇を嘆いて歌う、このオペラ一押しの美しいアリア。
  『フィガロの結婚』の伯爵夫人を思わせるカヴァティーナである。
第2幕第13曲アリア「罰してやりたい、恥ずべきあなたを」(アルミンダ)
  ファゴットとオーボエのやりとりと、ホルンの小気味良い伴奏で、
  オペラのなかで最も激しく悲痛な音楽になっている。
第2幕第21曲アリア「残酷な男たちよ」(サンドリーナ)。
第2幕第22曲カヴァティーナ「涙と嗚咽で」(サンドリーナ)。
  サンドリーナが続けて嘆き悲しむ歌だが、変化があって美しいアリア。


<この演奏を聴く> DVD
指揮:アーノンクール、演奏:チューリッヒ歌劇場・シンティルラ管弦楽団
チューリッヒ歌劇場 2006年2月
演出トビアス・モレッティ
市長(ルドルフ・シャシング)、庭師サンドリーナ(エヴァ・メイ)、伯爵(クリストフ・シュトレール)、アルミンダ(イザベル・レイ)、ラミーロ(リリアーナ・ニキテアヌ)、セルペッタ(ユリア・クライター)、ナルド(ガブリエル・ベルムデス)

元々の設定は18世紀中頃のラーゴネーロを舞台にした話だが、今回のは平々凡々とした現代化バージョンの演出。3時間を越えるとりとめのない内容のわりには変化が乏しい舞台である。第1幕はいばらが散らばる舞台で不毛の愛のゆくえがたんたんと演じられ退屈気味だが、それがねらいかも。
いくつかのきらりとしたアリアを楽しむしかないようだ。
第2幕第20曲アリア「この世を楽しもうと思うものは」(セルベッタ)で、
セルペッタ(ユリア・クライター)が歌いながら梯子を登り2階ボックス席まで上がるシーンは見もの。
よくも歌いながら出来るものだと、高度恐怖症の私はヒヤヒヤして観た。
第2幕フィナーレで、暗闇の中を手探りで相手を探すシーンは、
後の「フィガロの結婚」フィナーレの描写と似ていて興味深く感じた。

余談になるが、2004年10月23日(土)新国立劇場で「愛の女庭師」(主催:モーツァルト劇場、指揮:大井剛史、演奏:アンサンブルofトウキョウ、サンドリーナ:鵜木絵里、アルミンダ:菊池美奈)を観劇していたその時に”新潟県中越地震”が発生し、客席でゴーという音と天井と舞台の袖がゆれて驚いたことがある。その時、舞台上では何事もなかったように演じ続けていたのには感服した思い出がある。





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