卯月の会の散策、今月は「神田」。
一部予定を変更して、湯島天神にも寄ることにした。
そこで、今回は「湯島から神田へ」としました。
千代田線「湯島」駅に9時40分に着き、スタート。
湯島天神へは歩いてすぐ。
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湯島天神の女坂(左)と男坂(右)
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湯島天神社殿(平成7年(1995年)12月に再建とわりと新しい)
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泉鏡花筆塚と梅園
泉鏡花の「婦系図」の舞台として演劇に映画に歌謡曲に「湯島の白梅」の名を高らしめた。
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梅まつりが終了し、一輪だけ咲いていた湯島の白梅
湯島天神から南へ600m程、清水坂下から神田明神へ。
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神田明神石鳥居
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隨神門から神田明神社殿
その創建は古く、天平2(730)年といわれる。祭神は大己貴命であるが、12世紀初頭に、現在の皇居に居館を設けた江戸氏の氏神と伝えられる江戸大明神を合祀した。さらに朝敵の汚名をきせられながらも坂東の民衆に敬愛されてきた平将門(?~940)の霊を、いつしか境内鎮守の明神として祀るようになり、江戸の産土神・氏神として代々の領主や民衆に信仰されるようになった。
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神田明神社殿(昭和9年(1934)権現造の鉄筋コンクリート・総漆朱塗)、鳳凰殿(左)
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境内の桜は5分咲き
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珍しい獅子山
社殿の右には文化財指定の獅子山がある。苔むした岩、流れ落ちる滝を見下ろすように山の上には獅子が彫られている。下には子供の獅子が上を見上げている構図。
享保年間(1716~1735)の作
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銭形平次の碑
社殿の右脇には銭形平次と八五郎の碑がある。「実在の人物でないのに?」と説明文を読んでわかった。作家や出版社が建てたもので遊び心があって面白い。
湯島聖堂を出て本郷通りの向かいに湯島聖堂がある。
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湯島聖堂の杏壇門(きょうだんもん)
寛政2(1790)年、武士の学問を重視した老中松平定信は、儒学のなかで朱子学を正学とし、他の学派を異学とする寛政異学の禁を定めて、朱子学の振興をはかり、幕府の正式の学校とした。やがて昌平坂学問所と名づけられ、直参の弟子のほか、諸藩の俊才が青雲の志を抱いて集まる最高の学府となった。
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杏壇門の屋根の奇怪な動物?
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湯島聖堂の築地塀、奥に聖橋がみえる
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湯島聖堂の入徳門
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湯島聖堂の庭のムラサキハナナ(ダイコンソウ)
湯島聖堂から神田川沿いにすこし下ると、昌平橋に出る。
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昌平橋から神田川を眺めると、3つの線路が交差している貴重な場所だった。
昌平橋を渡って神田川沿いの道を今度は登ると、御茶ノ水駅付近につく。
そこを南にすこし下るとニコライ堂だ。
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ニコライ堂
日本ハリストス正教会の東京復活大聖堂である。石造の重文としてはもっとも古い物。コンドルの設計によって建てられた。
日本最大のビザンチン様式建築物。
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ニコライ堂境内に入ってみたら、堂内参観は午後からだった
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明大通り
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富士見坂
左のロシア料理「サラファン」は若い頃から何回か入ったなつかしい店。
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昼食はこんごう庵(神田神保町1-18)で「へきそば」、もちろん生ビールで乾杯
「へきそば」は、コシがあってなかなかおいしかった。天婦羅盛り合わせも美味だった。
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すずらん通り
ここも若い頃からよく歩いた通り。昔は「中華街」だったそうだ。
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猿楽町を歩くと桜が咲いていた
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夏目漱石が学んだ錦華小にある「我輩は猫である」の碑(現在の御茶ノ水小学校)
漱石は明治11年、錦華小学校(現お茶の水小学校)を卒業している。
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男坂(左)と女坂(右) とにかく神田は坂が多いところだ。
神田散策を終えて水道橋駅へ。
その後、小石川後楽園に行ってみようということになり、そこへ向かう。
坂道で多少へばったががんばろう!
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