飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(奈良):桜井市金屋、磯城瑞籬宮伝承地

2016年06月15日 | 万葉アルバム(奈良)


磯城島(しきしま)の 大和の国に 人ふたり
ありとし思はば 何か嘆かむ    
   =巻13-3249 作者未詳=


この敷島の大和の国にあなたと同じ人が二人いると思うことができるなら、なにをこんなに嘆くことがありましょうか。ほかに誰もいないからこそ、こんなにも嘆くのです。という意味。

「磯城島の→大和の国」は、枕詞。
「人ふたり」 自分にとり他に二人といないかけがえのない人の意で、作者は男につれなくされ、一晩中ため息をついて悩んでいるのだろうか。あるいは、何らかの事情で通えぬ男を案じているのかも。一筋の恋という思いが強く感じられる名歌である。


 歌碑は桜井市三輪、磯城瑞籬宮伝承地に建っている。俳人、山口誓子の筆によるもの。

磯城瑞籬宮伝承地(しきのみずかきのみや)
かつての祟神天皇の磯城瑞籬宮跡( しきのみずかきのみや )の伝承地とされていろ。
発掘調査を行なえば何かがわかるのかもしれなあいが、まだこの地域は本格的な調査は行なわれていないようだ。
祟神天皇の治世期とされる三世紀後半において大和王権の大王の重要な仕事は季節の四至の祭祀やそれによる農業の指導であったといわれている。

万葉アルバム(奈良):桜井市三輪、平等寺

2016年06月11日 | 万葉アルバム(奈良)


わが衣 色に染めなむ うまさけ
三室の山は もみぢしにけり    
   =巻7-1094 柿本人麻呂=


三輪山はすっかり紅葉してしまった。あの山に入っていったら、自分の着物までも真っ赤になるだろう。という意味。

三室の山は三輪山のこと。
三輪山は奈良県の最北部一帯の奈良盆地の南東部も位置する奈良県桜井市の南東部にそびえる、なだらかな円錐形の山である。標高467m。「三諸山(みもろやま)」ともいう。
太古より神宿る山とされ、三輪山そのものが神体であるとの考えから、常人は足を踏み入れることの出来ない、禁足の山とされ、江戸時代には幕府より厳しい政令が設けられ、神社の山札がないと入山できなかった。

「うまさけ(味酒)」は「三輪」の枕詞。
神に供える酒を「みわ」といったことから、「三輪」に掛かる枕詞となった。また、三輪山の別名である「三室」「三諸」にもかかる。また、酒は醸んで造ることから「神」にもかかる。


 歌碑は桜井市三輪、平等寺の山門を入ったすぐ左手に建っている。小説家、評論家林房雄の筆によるもの。

三輪平等寺は、581年聖徳太子が賊徒を平定するため、三輪明神に祈願して賊平定後十一面観音を刻んで寺を建立し大三輪寺と称したのがはじまりだという。平等寺は大神神社の実質的な神宮寺として中世から近世にかけて栄華を極めた。天保年間の記録によれば、平等寺の境内は南北3町、東西4町半だったという。
明治維新政府が行なった蛮行ともいうべき廃仏毀釈によって、平等寺は往時の権勢をすっかり失ってしまった。明治元年(1868)三月に施行された「神仏判然令」によって、神宮寺としての仏教活動が禁止され、社僧は還俗させられた。その6カ月後には、二重塔や護摩堂などが取り払われた。このとき、天平時代の傑作とされた本尊の十一面観音像が密かに聖林寺へ預けられたという。

万葉アルバム(奈良):桜井市三輪、芝運動公園

2016年06月10日 | 万葉アルバム(奈良)


三輪山を しかも隠すか 雲だにも
心あらなも 隠さふべしや    
   =巻1-18 額田王=


なつかしい大和の国の三輪山を、なぜそのように隠すのか、せめて雲だけでも思いやりがあってほしい。隠したりなんかしないでほしい、という意味。

 この歌は天智6年(667)に都を明日香の地から近江に移す時に詠んだ歌である。

 三輪山は大神神社のご神体として往古から崇敬されてきた山だ。463㍍のさほど高い山ではないが、記紀にも登場する歴史を語る山である。大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)の話が日本書紀崇神天皇の条にある。大物主神の本体は蛇であったという話だが、現在も大神神社では供物に蛇の好物の卵が使われる。正体を知った倭迹迹日百襲姫命は驚いて亡くなってしまった。それが桜井市箸中にある箸墓といわれる。


 歌碑は桜井市三輪の芝運動公園の駐車場わきに建っている。川端康成の筆によるもの。


芝運動公園に隣接して桜井市立埋蔵文化財センターがある
 この辺りは古くから磯城・磐余とも呼ばれ、大和政権を生み出す母体となった地域である。市内には数限りない文化の遺産が残っており、この文化遺産の保護および調査・研究を行う施設で、館内には、市内の出土品を紹介する展示室もある。

万葉アルバム(奈良):桜井市大福、三十八柱神社

2016年06月05日 | 万葉アルバム(奈良)


こもりくの 泊瀬の山は 色づきぬ
しぐれの雨は 降りにけらしも    
   =巻8-1593 大伴坂上郎女=


こもりくの泊瀬の山は色づいた。時雨の雨が降ったのだろう。という意味。

大伴坂上郎女が、竹田の庄で作った歌。竹田の庄は、坂上郎女が現在の奈良県橿原市東竹田町に所有していた田荘で、かなたに望む泊瀬の山が紅葉しているのを見て、「泊瀬では、きっと時雨が降ったのだろう」と思いをめぐらせている。時雨の雨を予測することは田荘の農作業に大切であり、この田荘を所有している大伴坂上郎女の気配りでもあるようだ。

なぜこの歌がここにあるのか?。竹田の庄は大福の隣(北西)にある橿原市東竹田町である。当時は此の辺りまで竹田の庄とされていたのだろうか?

隠国(こもりく)は、初瀬(泊瀬・はつせ)にかかる枕詞で、奥深い山間に隠れた地のことで、万葉の時代も歌に詠まれていた。
こもりくの初瀬の地には長谷寺があり、「初瀬寺・泊瀬寺・豊山寺」とも呼ばれてきた。長谷寺は真言宗豊山派の総本山。朱鳥元年(686)、道明上人が天武天皇のために千仏多宝仏塔を安置されたのが始まり。その後、神亀4年(727)に徳道上人は聖武天皇の勅願により、本堂に本尊の十一面観音菩薩をお祀りして依頼、全国の観音信仰の聖地になった。平安時代の王族・貴族からも「長谷詣で」といわれて手厚い信仰を受けていた。


 歌碑は桜井市大福の三十八柱神社境内に建ってゐる。万葉学者犬養孝さんの筆による。

三十八柱(みそやはしら)神社は推古天皇の"小墾田の宮"の伝承地といわれている。
近鉄大阪線の「大福」駅で下車し北へ約5分歩くと推古天皇の"小墾田の宮"の伝承地といわれる三十八柱神社が見えてくる。神社の説明板によると聖徳太子伝暦(917)の注記に「小墾田の宮は当時、大仏供(大福の古名)と云う里にヲハル田の宮とて小社あり其れ宮どころ也云々」と明記されていたとあり、拝殿左手に「小墾田宮伝承之地」と書かれた石碑も建てられている。


境内からも長谷方面の山が見えるが、やはり1kmほど西の橿原市東竹田あたりから見たほうが雰囲気がある。
中央が長谷方面の山であろう。

万葉アルバム(奈良):桜井市東新堂、桜井西中学校

2016年05月31日 | 万葉アルバム(奈良)


三輪山をしかも隠すか雲だにも
情(こころ)あらなも隠さふべしや
   =巻1-18 額田王=


なつかしい大和の国の三輪山を、なぜそのように隠すのか、せめて雲だけでも思いやりがあってほしい。隠したりなんかしないでほしい、という意味。

 この歌は天智6年(667)に都を明日香の地から近江に移す時に詠んだ歌である。

 三輪山は大神神社のご神体として往古から崇敬されてきた山だ。463㍍のさほど高い山ではないが、記紀にも登場する歴史を語る山である。大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)の話が日本書紀崇神天皇の条にある。大物主神の本体は蛇であったという話だが、現在も大神神社では供物に蛇の好物の卵が使われる。正体を知った倭迹迹日百襲姫命は驚いて亡くなってしまった。それが桜井市箸中にある箸墓といわれる。


 歌碑は桜井市東新堂の桜井西中学校正門内に建っている。碑文は保田與重郎の筆による。

万葉アルバム(奈良):橿原市四分町 鷺栖神社

2016年05月15日 | 万葉アルバム(奈良)


ひさかたの天(あめ)知(し)らしぬる君(きみ)ゆゑに
日月(ひつき)も知(し)らず恋(こ)ひ渡(わた)るかも    
   =巻2-200 柿本人麻呂=


今は、薨去されて天をお治めになるようになってしまった高市皇子であるのに、月日の流れ去るのも知らず、いつまでも恋い慕いつづけるわれわれである。という意味。

高市皇子が死んだ時、柿本人麻呂が詠んだ長歌に対する反歌である。
672年の壬申の乱、高市皇子は近江大津京にあり、挙兵を知って脱出し父天武天皇に合流し軍事の全権を委ねられ乱に勝利した。
柿本人麻呂が壮大な挽歌を寄せていることから、2人は親交があったのではないかと言われている。一方持統天皇のお抱え歌人としての人麻呂が、あくまで天皇の意思を体現して詠んだ歌だともいわれている。

 690年(持統4)、高市皇子は多数の官人を引き連れて藤原宮の予定地を視察した。その4年後に飛鳥浄御原宮から藤原宮へ遷都した。しかし高市皇子はその2年後に急死する。高松塚古墳に葬られたともいわれている。


 歌碑は藤原宮そばにある鷺栖(さぎす)神社に静かにたたずんでいる。

万葉アルバム(奈良):橿原市木原町 耳成公園木原

2015年09月20日 | 万葉アルバム(奈良)


耳成(みみなし)の 池し恨めし 我妹子(わぎもこ)が
来つつ潜(かづ)かば 水は涸(か)れなむ     
   巻16-3788 作者未詳=


耳無の池は何と恨めしいことだろう。私の愛しい人がやって来て身を投げたら、水が涸れてほしかったものを…。という意味。

昔、三人の男がいて、それぞれが一人の女に求婚した。その女が嘆息をついて言うには、「一人の女の命のはかなさは、露と同じで、三人の男の気持ちの和らぎ難いことは岩のようだ」と。そこで遂に池のほとりを彷徨い、女は身を投げて水中に没した。その時、男たちは深い悲しみに耐えられず、それぞれに思いを述べて作った歌三首〔娘子は名を縵児(かづらこ)といった〕、そのうちの一首がこの歌。

万葉集には、複数の男子が一人の妻を争った挙句、女性が自殺してしまうという伝説が数多く残されている。この耳成の"縵児(かづらこ)伝説"の他には、"桜児(さくらこ)伝説"、"真間(まま)の手児名(てこな)伝説"などが有名。

耳成山は、大和三山の中でも一番秀麗な姿をしていて、富士山のように円錐形をしている。その西麓の木原の地に縵児伝説の池があったとされているが、今は涸れてなくなってしまったようだ。写真の池は耳成山の南麓に近世になって新しく作られた池(古池)で、伝説上の池とは異なるが現在は公園になっており、美しい耳成山の姿を映して往時を忍ばせてくれる。
 
 

 この万葉歌碑は、橿原市木原町 耳成公園の池のほとりに建つ。

万葉アルバム(奈良):橿原市東竹田町 竹田神社

2015年09月05日 | 万葉アルバム(奈良)


うち渡す 竹田の原に 鳴く鶴(たづ)の
間(ま)なく時なし 我が恋ふらくは    
   巻4-760 大伴坂上郎女=


広々と広がる竹田の野原に啼く鶴の声が間無く時を択ばず聞こえるように、間無く時を択ばず私は貴女を心に留めています、という意味。

この歌は坂上郎女が一家の中心として稲刈りの采配に出掛けた際、奈良・佐保に住む娘・大嬢(おおいらつめ)に贈ったもの。竹田の原には毎日、鶴が飛んできて鳴いているが、あなたは元気にしていますか…といった内容。鳴く鶴に募る娘への思いを詠んだものだが、今なら車で3、40分の距離も、当時ははるか遠いところだったようだ。 
 

 この万葉歌碑は、橿原市東竹田町 竹田神社に建つ。
集落が密集する中に小さな社(やしろ)がひっそりたたずむ。稲穂の神といわれる祖神火明命(ほあかりのみこと)が祭られている。


万葉アルバム(奈良):橿原市常磐町 春日神社

2015年08月20日 | 万葉アルバム(奈良)


玉桙(たまぼこ)の 道は遠けど はしきやし
妹(いも)を相見に 出でてぞ我が来(こ)し   
   巻9-1619 大伴家持=


玉ぼこの道は遠いけど、愛しいあなたに会うために、はろばると私はやって来ましたよ、という意味。

大伴氏は竹田の庄(橿原市)と跡見(とみ)の庄(桜井市外)を経営していた。天平11年(739年)、竹田の庄(橿原市)に下向していた叔母・大伴坂上郎女のもとを、家持が訪ねたときに交わした歌で、このとき家持は23歳、「妹」はふつう男性から恋人に対してかける言葉ですから、叔母に対して用いるのは一般的ではありません。少しふざけて、庄への訪問を、逢引にやって来たように謡ったものだろうか。 
 

 この万葉歌碑は、橿原市常磐町 春日神社に建つ。

万葉アルバム(奈良):橿原市中曽司町 磐余神社

2015年08月10日 | 万葉アルバム(奈良)


ま菅よし 宗我(そが)の川原に 鳴く千鳥
間なし我が背子 我が恋ふらくは  
   巻12-3087 作者未詳=


曽我川の川原でいつまでも鳴いている千鳥のように、いつも私が恋い焦がれるのは、ほかでもない、あなたなのです、という意味。

宗我の河原は曽我川のこと。御所市重坂峠に発し、橿原市中曽司町で桧隈川を合わせ、東の飛鳥川、西の葛城川と並んで北流し、大和川に注ぐ。 曽我町は蘇我氏の本拠ともいわれる。 
 

 この万葉歌碑は、橿原市中曽司町 磐余神社に建つ。
曽我川の右岸に鎮座する磐余神社。平成に入って随所が改修新築されたため境内は真新しく、すがすがしい雰囲気に満ちている。鳥居をくぐってすぐ左手に、柿本人麻呂の万葉歌碑が建つ。
橿原市の旧真菅(ますが)村は、元々「宗我村」と呼ばれており、蘇我氏と縁の深い地域。菅(すが)は須賀、蘇我のことだろう。




万葉アルバム(奈良):橿原市地黄町 人丸神社

2015年07月10日 | 万葉アルバム(奈良)


秋山の 黄葉(もみぢ)を茂み 惑(まと)ひぬる
妹を求めむ 山道(やまぢ)知らずも 
   巻2-208 柿本人麻呂=


秋山の黄葉の茂みに迷ってしまった妻を探し求めるのだけれど、道が分からないのです、という意味。

この歌は柿本朝臣人麿が軽の地にいた妻が亡くなった際に詠んだ挽歌で、巻2-207の長歌に付けられた反歌二首のうちのひとつである。
妻が亡くなったのが黄葉の鮮やかな時期だったのであろう。
万葉集の時代の挽歌には、この歌のように「亡くなった人を呼び戻しに行きたいけれど道が分からない」との表現がよく見られる。
それも死者の魂や死後の世界の存在を常に身近に感じており、呼び戻せることもできるのだ、という思いがあった。
 
 

 この万葉歌碑は、橿原市地黄町人丸神社に建つ。

 橿原市地黄町人丸神社は、葛城市新庄の「柿本神社」から分祀したと伝えられ、江戸時代以降、「人丸神社」・「柿本人麻呂大明神社」と称していた。


万葉アルバム(奈良):橿原市今井町 今井まちなみ交流センター華甍

2015年06月14日 | 万葉アルバム(奈良)


明日香川 しがらみ渡し 塞(せ)かませば
流るる水も のどにかあらまし 
   巻2-197 柿本人麻呂=


明日香川に塞(せき)を渡してとめたら、流れ去る水も皇女の遠ざかることも、ゆるやかになるにちがいないのに。。という意味。

「しがらみ」は、動詞「しがらむ」の連用形から、川の中に杭を打ち渡して、それに柴や竹などを結び付けて、水流をせき止めるもの。
「のど」は、のどか、穏やか、というようなゆったりとした状態を表す。 
 

 この万葉歌碑は、橿原市今井町 今井まちなみ交流センター華甍の敷地内に建つ。

 今井まちなみ交流センター華甍は、明治36年旧高市郡教育博物館として建設されたもので、昭和4年より今井町役場にも使用されていた。
現在は今井町の資料館として今井町の歴史を詳しく分かりやすく解説する資料を一堂に集めた資料館。展示コーナーや映像シアターがあり今井町の歴史をさまざまな角度から知ることができる。


 今井町
かつて「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁栄した町で、現在も町の大半の町家が大切に保存され、江戸時代の姿を残している。

万葉アルバム(奈良):橿原市雲梯町 河俣神社

2015年05月18日 | 万葉アルバム(奈良)


思はぬを 思ふといはば 真鳥(まとり)住む
卯名手(うなて)の杜(もり)の 神し知らさむ
   巻12-3100 作者未詳=


愛していないのに愛していると言ったなら、あの立派な鳥が住んでいる雲梯の森の神様がご存知で、罰を与えられるでしょう、私は嘘は言いませんよ。という意味。

「真鳥(まとり)」は「立派な鳥」の意だが、多くの場合、鷲(わし)のことをいう。「真(ま)」は「完全な」「真実の」「立派な」「美しい」などの意味を添える接頭語。
「雲梯(うなて)の杜(もり)」は現在の河俣(かわまた)神社のこと。神奈備の杜として信仰されていた。 
 

(左手に万葉歌碑、右が曽我川)

 この万葉歌碑は、奈良県橿原市雲梯町689番地に鎮座する河俣神社に建つ。河俣神社の主祭神は鴨八重事代主神。式内社で、旧社格は村社。
『出雲国造神賀詞』に皇室を守護する神として「事代主命の御魂を宇奈提の神奈備に坐せ」とあり、この「宇奈提」は「雲梯」のことであるとして『延喜式』神名帳に記載される式内大社「大和国高市郡 高市御坐鴨事代主神社」に比定されている。


 春には桜並木、秋には紅葉の美しい曽我川の堤。近鉄坊城駅から北へ曽我川に沿って歩く道は、坊城の美しい自然を堪能できる格好の散策路。この曽我川の東岸、駅から歩いて15分ほどのところに鎮座するのが河俣神社である。川に沿うように細く長く続く参道は、堤に植えられた桜と境内の木々とが日陰をつくり、夏でも涼しい風が渡る。

万葉歌碑マップ探訪:桜井市 初瀬道・忍坂道 万葉歌碑群

2015年04月08日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(桜井市初瀬道・忍坂道地図:クリックすると拡大表示します)

 初瀬道は桜井から長谷寺に続く街道で、古代は万葉集発祥の地として、平安中期からは長谷詣で栄えてきた。
忍坂道は桜井と宇陀を結ぶ古道。記紀に記された神武東征の道であり、忍坂集落には、舒明天皇御陵、万葉歌人・鏡女王の墓や、額田王の念持佛と言われる石位寺の石仏があり、記紀、万葉のロマンあふれる道である。
 今回は山の辺の道の終点・大神神社から初瀬道・忍坂道と桜井市一帯の万葉歌碑を探訪した。(探訪日:2015/3/31)
桜井市の山の辺の道は、万葉歌碑マップ探訪:奈良 山辺の道(桜井編) 万葉歌碑群 で既に紹介済。


海柘榴市付近の初瀬川


 1.東新堂、桜井西中学校
  三輪山を しかも隠すか 雲だにも
  心あらなも 隠さふべしや  (巻1-18) 額田王 →詳細は万葉アルバム


 2.大福、三十八柱神社
  こもりくの 泊瀬の山は 色づきぬ
  しぐれの雨は 降りにけらしも (巻8-1593) 大伴坂上郎女 →詳細は万葉アルバム


 3.三輪、芝運動公園
  三輪山を しかも隠すか 雲だにも
  心あらなも 隠さふべしや  (巻1-18) 額田王 →詳細は万葉アルバム


 4.平等寺
  我が衣 色どり染めむ 味酒
  三室の山は 黄葉しにけり (巻7-1094) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


 5.磯城瑞籬宮伝承地
  磯城島の 大和の国に 人ふたり
  ありとし思はば 何か嘆かむ (巻13-3249) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 6.金屋、海柘榴市観音への入口
  紫は 灰さすものぞ 海石榴市の
  八十の衢に 逢へる子や誰れ (巻12-3101) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 7.佛教傳承地之碑隣
  夕さらず かはづ鳴くなる 三輪川の
  清き瀬の音を 聞かくしよしも (巻10-2222) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 8.金屋、初瀬川畔
  こもりくの 泊瀬の山 青旗の 忍坂の山は
  走出の よろしき山の 出立の くはしき山ぞ
  あたらしき 山の荒れまく惜しも (巻13-3331) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 9.慈恩寺・磯城島公園
  泊瀬川 早み早瀬を むすび上げて
  飽かずや妹と 問ひし君はも (巻11-2706) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 10.慈恩寺・磯城島公園
  巻磯城島の 大和の国は 言霊の
  助くる国ぞ ま幸くありこそ (巻13-3254) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


 11.大三輪病院近く
  苦しくも 降り来る雨か 三輪の崎
  狭野の渡りに 家もあらなくに (巻3-265) 長忌寸奥麿 →詳細は万葉アルバム


 12.脇本、春日神社近く
  夕されば 小倉の山に 伏す鹿し
  今夜は鳴かず 寐ねにけらしも (巻9-1664) 雄略天皇 →詳細は万葉アルバム


 13.黒崎、白山神社
  籠もよ み籠持ち ふくしもよ
  みぶくし持ち この岡に 菜摘ます子
  家告らせ 名告らさね・・・ (巻1-1) 雄略天皇 →詳細は万葉アルバム


 14.出雲、桜井東中学校北初瀬川沿い
  石走り たぎち流るる 泊瀬川
  絶ゆることなく またも来て見む (巻6-991) 紀鹿人 →詳細は万葉アルバム


 15.東中学校西門前狛川沿い
  人言を 繁み言痛み おのが世に
  いまだ渡らぬ 朝川渡る (巻2-116) 但馬皇女 →詳細は万葉アルバム


 16.忍坂、鏡王女墓近く
  秋山の 木の下隠り 行く水の
  我れこそ増さめ 思ほすよりは (巻2-92) 鏡王女 →詳細は万葉アルバム


 17.忍坂、生根神社
  こもりくの 泊瀬の山 青旗の 忍坂の山は
  走出の よろしき山の 出立の
 くはしき山ぞ あたらしき 山の荒れまく惜しも (巻13-3331) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 18.下、聖林寺石垣
  倉橋の 山を高みか 夜隠りに
  出で来る月の 光乏しき (巻3-290) 間人宿祢大浦 →詳細は万葉アルバム


 19.上之宮、春日神社
  家ならば 妹が手まかむ 草枕
  旅に臥やせる この旅人あはれ (巻3-415) 聖徳太子 →詳細は万葉アルバム


 20.桜井、市立図書館庭
  茂岡に 神さび立ちて 栄えたる
  千代松の木の 年の知らなく (巻6-990) 紀朝臣鹿人 →詳細は万葉アルバム

万葉歌碑マップ探訪:橿原市 北部周辺 万葉歌碑群

2015年04月03日 | 万葉歌碑マップ 探訪

(橿原市北部周辺地図:クリックすると拡大表示します)

 大和朝廷時代には歴史の中心として、江戸時代には自由都市として栄えた橿原。田園地帯にぽっかりと浮かぶ大和三山や、その合間を流れる飛鳥川、曽我川。美しく豊かなこの地は、万葉歌人にも愛されていた。 
その歌は万葉歌碑となり、まちのいたるところに点在している。
藤原宮跡以南は、万葉歌碑マップ探訪:橿原市 藤原古京 万葉歌碑群 で既に紹介済。
ここでは、藤原宮跡以北の街中に点在する歌碑を取り上げる。(探訪日:2015/3/30)


耳成山と耳成公園木原池


 1.橿原市雲梯町 河俣神社
  思はぬを 思ふと言はば 真鳥住む
  雲梯の杜の 神し知らさむ (巻12-3100) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 2.今井町 今井まちなみ交流センター華甍
  明日香川 しがらみ渡し 塞かませば
  流るる水も のどにかあらまし (巻2-197) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


 3.地黄町 人丸神社
  秋山の 黄葉を茂み 惑ひぬる
  妹を求めむ 山道知らずも (巻2-208) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム


 4.中曽司町 磐余神社
  ま菅よし 宗我の川原に 鳴く千鳥
  間なし我が背子 我が恋ふらくは (巻12-3087) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 5.常磐町 春日神社
  玉桙の 道は遠けど はしきやし
  妹を相見に 出でてぞ我が来し (巻9-1619) 大伴家持 →詳細は万葉アルバム


 6.東竹田町 竹田神社
  うち渡す 竹田の原に 鳴く鶴の
  間なく時なし 我が恋ふらくは (巻4-760) 大伴坂上郎女 →詳細は万葉アルバム


 7.木原町 耳成公園木原池
  耳成の 池し恨めし 我妹子が
  来つつ潜かば 水は涸れなむ (巻16-3788) 作者未詳 →詳細は万葉アルバム


 8.四分町 鷺栖神社
  ひさかたの 天知らしぬる 君故に
  日月も知らず 恋ひわたるかも (巻2-200) 柿本人麻呂 →詳細は万葉アルバム