テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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築地・月島・佃島(五人の会) その1

2009年01月25日 | 散歩
 今日は五人の会新春の初歩きにふさわしく、おだやかな晴天にめぐまれた。
築地をスタートし、月島・佃島を回って、築地に戻るコース。

築地駅9:30出発

1.築地本願寺
  インド様式の独特の本堂は、異国情緒豊かな外観だが、
 本堂内に入ると、日本の仏教内陣が広がっていた。
 境内にある菩提樹の古木は、まだ葉を落としたままだ。
2.築地市場
  今日は休日で市場は閉店していた。場外市場が少し開いていただけ。
3.波除(なみよけ)神社
  築地一帯は昔一面の海だった。
  万治年間(1658~60)に埋め立てが始まったが、
 築地の堤防工事だけが困難を極めた。
 ある時、海に漂う稲荷神の像を祀ると、波風はピタリと治まったという。
 災難を除き波を乗り切るとして波除神社が創建された。
 日本一の天井大獅子と最近復活されたお歯黒獅子(雌なのだ)が鎮座している。
 祭礼では女性の担ぎ手でお歯黒獅子が巡行するという。
4.勝鬨橋
  昭和45年以降開かずの橋になってしまったが、当時の風情は残っている。
 私が中学か高校の時に、橋の開いたのを見に来たのを思い出す。
 修理してでも、時々イベントなどで開けば、世の中元気付くのにと思う。
5.月島
  西仲橋から川沿いに築地の高層ビル群を望む。
 月島モンジャストリートを行く。
 (昼食は次の佃島散策のあとです)
 多くのもんじゃ店の中でも人気のある「もんじゃ麦」で昼食。
 もんじゃは食べても食べても腹の足しにならないようで、
 そのせいか生ビールが次々とお腹に吸い込まれていく。
 最後はお好み焼きでシメ。

 (過去の散策リンク)2003/05/07 築地・月島・佃島  
   

築地・月島・佃島(五人の会) その2

2009年01月25日 | 散歩
 昼食には未だ早かったので、先に佃島を散策することにした。
1.佃煮天安本店
  天保8年(1837)創業の佃煮の老舗。
 代々受け継がれてきた煮汁を使って伝統の味を維持している。
 買って食べてみたところ、味は濃いが、昔風で香りがしてごはんに美味しかった。
2.佃島渡船碑
  佃島の渡船の跡。昭和39(1964)年の佃大橋の完成で廃止となり、
 今は橋の脇に碑が建てられている。
3.石川島灯台
  隅田川沿いの川を見下ろせる場所に、
 沖を通る船のために1866年に築かれた石川島灯台の、 モニュメントが建っている。
4.住吉神社
  江戸初期、大阪摂津・佃村の漁民が江戸に移った際、
 大阪の住吉神社を分社したのが始まり。
 以来、海上の守り神として深い信仰を集めている。
 鳥居にかかっている陶製の「住吉神社扁額」は有栖川宮幟仁親王の筆によるもの。
 3年ごとに大祭が行なわれる。
5.船溜り
  朱塗りの佃小橋と船溜りは佃島の中心地である。
 佃小橋と背景のリバーシティ21の高層ビルの景色は新旧交差する景観である。
 大幟の柱が大祭から3年の間、保存性を高めるため、この川底に埋められている。
 地中が一番腐りにくいことを佃の漁師たちが知っていたからだそうだ。
6.聖路加タワー展望室
  佃大橋を渡り、築地方面に戻る。
 2棟の聖路加国際病院の一方の47階にある展望室にのぼる。無料なのがいい。
 眼下に隅田川、中央に勝鬨橋、佃島一帯も一望だ。
 東京タワーごしに富士山がかすかに見える。
 隅田川の光輝く川面が印象的だ。見ていて飽きない。
7.蘭学事始の碑
  聖路加国際病院の西側一帯は築地明石町でかっての外人居留地だったところ。
 中津藩屋敷跡があり、前野良沢と杉田玄白が「解体新書」を刊行し、
 福沢諭吉が日本初の蘭学塾を開いたところである。

 16時頃松戸に戻って、2次会敢行。
 実は1人寝坊して今日の散歩を欠席していたが、2次会に合流できた。
 ここで5人そろって、反省会?と次のプランに花が咲いた。

 (過去の散策リンク)2003/05/07 築地・月島・佃島 


 

奥信濃の旅-その3:松本

2009年01月20日 | 旅行
 3日目、帰路に松本に寄り散策。

松本城公園内を散策。松本城は日本最古(1593年築造)の五重天守で、戦うための黒い堅固な姿は、男気を感じさせなかなか風格がある。明治30年代ころより天守が大きく傾いたが、これを明治と昭和の大修理により現在の美しい姿に保つことができたようだ。

このあと、歩いて旧開智学校へ行く。
旧開智学校は、1876年(明治9年)に新築されて1963年(昭和38年)まで90年間使われていたのを移築した、わが国で最も古い小学校のひとつである。
明治時代の代表的な擬洋風建築で、校舎は白を基調として、屋根中央に八角塔があり内部に時報用の鐘が吊られている。二階建て車寄せ玄関は最も特徴的なもので、開智学校の標札をもつエンゼルの彫刻がある。校舎は白を基調とした漆喰仕上げになっている。

当時の木製の机を並べた教室や、懐かしい教科書やすごろくなどが展示されていた。2階に明治天皇御座所があり、金屏風に椅子が2つ展示されていた。天皇が松本行幸の際に立ち寄り、ここで用を足すための便座を使用したと説明にあった。天皇も人間だなあと感じたものである。

帰路は途中八ヶ岳PAに立ち寄った。雪をかぶる八ヶ岳が目の前にそびえていた。
渋滞もなく町田に17時30分に到着。そこから松戸の自宅へは19時30分着だった。

奥信濃の旅-その2:奥飛騨高山へ

2009年01月19日 | 旅行
 2日目は旅館から奥飛騨高山まで日帰りバス散策。
安房峠までの途中のスーパー林道は道幅が狭いため、バスの前に先導車が走る。
前から来る車とすれ違うのがギリギリで、崖上からの雪崩や、崖下への転落の危険が付きまとう。

 高山は昨年に続いての訪問である。高山に着いた頃は、小雨が降っていたが、しばらくして止んだ。
「高山祭屋台会館」は昨年はひとりで駆け足見学だったが、今回は皆んなでゆっくり見学。屋台への飛騨の匠の技はみごとの一言に尽きる。高山祭の屋台は京都の祇園祭のものより、繊細で優雅な印象を受けた。

「桜山日光館」、ここは初めての見学だったが、想像以上に見事であった。
日光東照宮の実物十分の一の模型で、陽明門をはじめ全ての建物を、装飾から彫刻・絵画にいたるまで実物に忠実にみごとに再現している。これは大正時代の飛騨の匠たち三十三人が十五年かけて完成させたものだそうだ。

昼食は高山ラーメンを味わった。このあと昨年も行った古い町並みをぶらついた。
まさか二年続いて来るとは思わなかったが、今回は雪景色の宮川が味わい深い景色を醸し出していた。

2日目の夕食では美味しい飛騨牛を食べることが出来た。
その後昨夜に引き続きカラオケ大会で盛り上がった。

奥信濃の旅-その1:白骨温泉

2009年01月18日 | 旅行
 兄弟8人による恒例旅行。一昨年義兄が亡くなって寂しくなったが、
今回は義兄の長男、すなわち私の甥が参加、もちろん一番若く酒も強い。

 町田出発し松本経由で上高地乗鞍スーパー林道を上ったところに白骨温泉がある。
白骨温泉付近のスーパー林道は降雪に覆われたうえに道幅が狭いため、
大型バスが通るのがやっとという感じ。ひとつ間違えると谷底に転げ落ちそうだった。

 白骨温泉の名前の由来は、成分中の石灰質が湯船に落ちる木の枝を真っ白に染め、人骨のように見えたことによる。
別名白船温泉ともいい、成分中の石灰質で湯船の内側が白くなることによる。
大正時代に中里介山の長編小説『大菩薩峠』で白骨温泉の表記が登場してからは、呼称は「白骨」で統一されるようになっていったらしい。
2004年に一部の旅館で入浴剤を混ぜていたことが発覚し話題となった。
しかしこの出来事で名を知られたため、以前より集客が良いとのことだ。

 泊まった「白船グランドホテル」は白船温泉郷で一番大きいホテル。
5つ星だけあって、館内も広く清潔で、真冬でも暖かい。
白濁した温泉は心地よく、露天風呂はまさに雪見風呂の風情であった。
しかし、妻に注意されていたにもかかわらず、つい長湯をして湯当たりしてしまった、反省!
食事の後は、持ち込んだカラオケセットで皆んなでカラオケ三昧。
酒を飲みながら、夜が更けるまでカラオケが途切れなかった。




今年のテニス始動

2009年01月08日 | テニス
5日(月)と8日(木)で、今年のテニスがスタート!!

5日は、さすがに正月の雑煮の食べすぎで、身体が重くなった気がして、
テニスに今ひとつシマリがない感じだった。
それでも、1月ながら、風もなく穏やかな天気で、じわっと汗をかいた。
この季節のテニスは天気さえ良ければ、1年の中でもベストでないかと感じる。

8日は、テニス勉強会。少人数なので休みなしで2時間プレー。
コーチから今年は、
「後衛が前に出て勝負するために、前に詰めた時のデッドゾーンの打ち方」
をマスターすることを、課題にしたい、と言われた。
早速今日コーチから特訓を受けたが、前に詰めながらの動きの動作で打つと
ミスが目立つ。前に詰めても打つ時は一瞬止まって構えてから打つように
しないとうまく返球できないことがわかった。
これは今年の大きな課題となりそうだ。

(写真は近隣の庭に咲いていたロウバイ)



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