豪雨と強風を残して去った台風15号、二日過ぎた今日はひさしぶりの秋晴れ。
澄み切った青空が広がり、暑くなく寒くなくまさに行楽日和。
今日は三人で上野公園を散策。何度も来ている上野公園をおのぼりさん気分で歩く。
上野東照宮から不忍池を通り下町風俗資料館を見学。
何度も来ているところだが、初めて見るような新鮮な場所もあった。
上野駅(公園口)
公園内はまだ紅葉は早い
見事な銅像!
上野といえば西郷さんの銅像が有名だが、上野動物園そばにあり目立たないが、近くに寄ってみると騎馬にまたがった見事な銅像があった。
明治維新の功労者であり、会津征討の総督(東征大将軍)に任じられ、日本赤十字社にも貢献された、伏見宮邦家親王の第8王子「小松宮彰仁親王」の騎馬像とのこと。
右折すると、上野東照宮へ
上野東照宮
徳川家康を祀る神社で、寛永4年(1627)、伊賀上野藩主藤堂高虎がみずからの屋敷地に建立するが、家康を崇拝していた3代将軍家光の命により慶安4年に大改築、江戸の象徴、金色殿として現在に残っている。
上野東照宮 大石鳥居
寛永10年 酒井忠世建築奉納。昭和17年国宝指定されている。
水舎門
慶安4年阿部重次建築奉納
石灯篭がたくさん並び壮観
修理中の唐門と拝殿(金色殿) 修理中で実物大写真が掲げられていた!
上野東照宮は、元和二年(1616年)二月駿河城に徳川家康を見舞いに赴いた、藤堂高虎、天海大僧正が危篤の家康鋼の病床で末永く鎮魂出きる場所を造って奉ってほしいとの遺言をうけ高虎の屋敷領地であった上野の山に、寛永四年(1617年)本営を造宮した。
その後三代将軍家光がこの寺院に満足出来ず慶安四年、現在の社殿(金色殿)を造形し以後江戸の象徴とした。
上野東照宮には家康、八代吉宗、十五代慶喜が奉られている。
唐門も慶安4年建築です。総金箔の門で、室町、桃山時代の技術を集大成したものとして評価されている。
普段は200円の拝観料を払うだけで内部参観できるのに、現在は修復中で再来年完了予定とのこと。そのときぜひ再訪したい。
『栄誉権現絵馬』 牡丹と狸をあしらったもの。
なぜ、たぬきなのか? 家康が狸と称されたからかも知れないが。社殿向かって左側にある栄誉権現は江戸時代に大奥など安置される各所で災いをもたらし、大正年間に東照宮に寄贈されると災いがなくなったと言われた神様で、「お狸さま」と呼ばれている。
現在では「他を抜く、狸」という縁起から、受験の神様として人気がある。
五重塔(左:境内からは木立に隠れて見えにくい、右:上野動物園内からの映像2011/6/21)
寛永八年に総国佐倉城主土井利勝の奉納によるもの。竣工8年後焼失するが直ちに寛永16年再建され現在に至る。
現在は、上野動物園敷地内にあるので、現在の東照宮からは近寄ることはできない。
上野東照宮を出る
公園道路わきに咲くヒガンバナ
上野大仏
上野公園の桜並木に面した小高い丘に、
明暦、万治年間(1655~61)に木食浄雲という僧により、7メートル程の大仏が建造され、元禄年間(1688~1704)に、輪王寺宮公弁法親王によって、この上に大仏を守る大仏殿が建造された。大正12年(1923)の関東大震災で再び首がもぎ落ちさらに、公園整備のために大仏は取り払われ、あげくのはてに、顔面部以外が戦争用途のために消失するという過酷なな運命を持った大仏。
寛永寺に保管されていた顔の表面部がレリーフ状となって、もともとの場所に安置されたのである。
上野精養軒(左)、鐘楼(右)
上野精養軒は明治5年創業のフランス料理の老舗、ハヤシライスが名物料理だった。
上野の山の時の鐘は、精養軒入口の小高いところにある。所属は東叡山寛永寺。鐘楼が設けられたのは寛文6年(1666)。現在の鐘は天明7年(1787)のものである。今でも正午と朝夕の6時には往時そのままの鐘の音が鳴り響く。
「花の雲 鐘は上野か 浅草か」 芭蕉が詠んだ句はここの鐘のことである。
これぞ和風自販機!
上野精養軒から下ったところに、竹塀の中から顔を出す珍しい自販機があった。
花園稲荷
創祀年月は不祥だが、古くからこの地に鎮座し、忍岡稲荷(しのぶがおかいなり)が正しい名称で、石窟の上にあった事から俗称、穴稲荷とも呼ばれている。
先日(9/21)の台風15号で倒れた桜の大木の切り株が残っていた。
公園道路の桜並木が綺麗なところ。巨大台風の傷跡だ。
清水観音堂(左)、絵馬(右)
寛永8年(1631年)に京都の清水寺に倣って建立されたお堂で、清水の舞台からは不忍池の蓮池が眺望できたそうだ。
不忍池・弁財天
寛永寺を創建した天海僧正が建立。創建当時のお堂は戦災で消失し、現在の堂は昭和33年(1958年)に再建したもの。ご本尊(八臂大弁財天)は、長寿や福徳・芸能の守りとして信仰されている。
不忍池
昼食タイム。公園からすぐ近くの、そばや「池の端藪蕎麦」を探す。なかなか見つからず、やっと仲町通りに見つけた。
池の端藪蕎麦(湯島3-44-7)
「かんだやぶ」から分家したのが昭和29年、藪蕎麦御三家の一つだが、1番安いとのうわさ。
板わさをつまみにエビスビールで乾杯。ざる二枚を注文。
藪特有の濃いそばつゆ、こしのあるそばは旨かった。
昼食を終え、下町風俗資料館を見学。
下町風俗資料館
関東大震災前のいまだ古き良き江戸の風情をとどめた、東京の下町の路地に囲まれた長屋、商家の家並みなどを再現している。
1F内部
長屋の住人たちの暮らしの場~路地と駄菓子屋の店先
便所(「ご不浄」と言われたころ)、井戸
見学を終え、ぶらり御徒町まで歩く。焼き鳥を探すが、昼間から開いている店が見つからない。やっと・・・
御徒町駅(南口)に近い飲み屋「ボヤキ」で2次会
生ビールと焼き鳥で。
みんなで味わったハイボールは、イマイチだったようだ。
酎ハイで口直し。