テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
(縮小画像はクリックで拡大表示)
「リンクメニュー」(分類別目次)機能付。

和歌山市 レンタカーの旅

2013年10月18日 | 旅行
 今回は奈良へ2泊3日の予定で来たが、2日目が天気に恵まれたこともあり、万葉の故地を訪ね和歌山市へ出かけた。
当初電車で行く計画だったが、奈良から片道2時間30分以上もかかるので、急きょレンタカーに変更してみた。
予約しないで店に行ったが幸い車がキープでき、関西初のレンタカーの旅となった。
奈良(9時発)から天理IC-<西名阪自動車道>-松原JCT-<阪和自動車道>-和歌山ICを通り、紀三井寺へ(11時着)。
 車はホンダ フィットで、最初は慣れるまで慎重に運転したが、セットしたカーナビが全てエスコートしてくれるので、安心できる。高速も空いていて快適なドライブとなった。


<紀三井寺>
(和歌山市紀三井寺)
 和歌の浦の絶景を望む景勝地に建っており、春は早咲の桜の名所として名高い。西国三十三所観音霊場第2番目の札所である。万葉集にも登場する名草山。和歌浦の対岸にある古くからの代表的なゆったりした山(標高230m)。金剛宝寺護国院(紀三井寺)はその名草山の中腹にある。紀三井寺の寺名のおこりは寺の境内に清浄水、楊柳水、吉祥水の三霊水があり、近江の三井寺と区別して紀三井寺とよぶようになったといわれている。


紀三井寺楼門
永正6年(1509年)に再建されたものといわれている(重要文化財に指定)。


長い石段
230段余りの石段が続いている。「楼門」から先は石段になっているが、かつてはここが坂であり、「結縁坂」といわれていた。由来に、『紀の国屋文左衛門は親孝行であった。ある日母を背負って紀三井寺に参詣、この坂を上ったが途中で草履の鼻緒が切れた。そこに玉津島神社の宮司の娘が通りかかり、鼻緒をすげ替えたのが縁となり、二人は結ばれたという。』とある。


本堂
現在の「本堂」は宝暦9年(1759年)に建立されたもの。本尊の「十一面観世音菩薩像」は為光上人が刻んだものといわれており、上人が感得した「千手観音像」はその胎内に納められているというが、何れも秘仏であり直接拝観できない。


万葉歌碑
名草山 言にしありけり 我が恋ふる 千重の一重も 慰めなくに  巻7-1213
   →詳細は万葉アルバム


境内から和歌の浦が望める


十一面観音立像
木造立像では日本最大となる大千手十一面観音像が、平成20年に開眼されている。


観音堂からの眺め<(クリックで拡大)>
これから向かう和歌の浦が眼下に一望できた。総延長1,200mの人工海浜である片男波海岸を見渡すことができる。


 紀三井寺をあとに、車で15分程で和歌の浦に到着。


<和歌浦・片男波公園>
(和歌山市和歌浦南3丁目)
 和歌浦は玉津島と片男波を結ぶ砂嘴と周辺一帯を指す場合と、広義ではそれらに加え、新和歌浦、雑賀山を隔てた漁業集落の田野、雑賀崎一帯を指すようだ。和歌浦は元々、若の浦と呼ばれていた。
片男波公園は和歌川と和歌浦湾に挟まれた小さな”半島”、万葉集にも詠まれている片男波の地にある公園の名称。


和歌の浦の東方に名草山を望む
高さは228㍍の小高い山であるが、中腹には先ほど訪問した西国三十三所第二番札所紀三井寺がある。


三断橋と妹背山
妹背山が干潟に浮かんでいる。遠く紀三井寺も望める風光明媚の地だ。


万葉館
ここで万葉の小路のパンフレットなどを入手。時間がないので館内見学はしなかった。
昼食はとなりにある「カフェ ドゥ シーソー」で、牛ステーキを食べリフレッシュ。なかなかの美味だ。
和歌浦の見晴らしが良い店内はゆったりして気分のよいところだった。。


万葉の小路
この万葉の小路には、和歌浦や玉津島にゆかりのある5つの歌碑が建てられている。


小路沿いを歩く 往復2Km程あったが、昼食後の腹こなしに丁度良い距離だ。


先端にある鶴のオブジェと万葉歌碑
万葉の小路の終点、片男波公園の先端にある五番目、最後の歌碑には、
   『若の浦に 白波立ちて 沖つ風 寒き暮は 倭し思ほゆ』の歌が刻まれている。
   →詳細は万葉アルバム


片男波海岸 夏場は海水浴場になる
「片男波」という地名は、山部赤人の万葉歌の「潟をなみ」という句から生まれたとされる。


塩釜神社
不老橋を渡って対岸に塩竃神社があり、その入り口のがけの上に、有名な山部赤人の歌碑が見える。
もともとは玉津島神社の祓所で、大正6年に現在のような独立した神社となった。海産物、安産の神様として信仰されてきた神社で、塩槌翁尊(しおつつのおじのみこと)を祭神としている。


山部赤人の万葉歌碑
近くに行けずに見上げるような位置にあるが、存在感のある歌碑だ。
和歌の浦(若の浦)に 潮満ち来れば潟を無み 葦辺をさして 鶴(タヅ)鳴き渡る 巻6-919 山部宿禰赤人
   →詳細は万葉アルバム


玉津島神社
塩竃神社を左に回り込むと、玉津島神社。祭神として稚日女尊(わかひるめのみこと)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)、衣通姫尊(そとおりひめのみこと)を祀っており、住吉大社、柿本大神とともに和歌三神と言われている。


万葉歌碑
犬養孝先生揮毫の万葉歌碑に出会えました! 山部赤人が人亀元年(724)聖武天皇行幸の際に玉津島神社を詠んだとされる。
やすみしし わご大王の 常宮(とこみや)と 仕へまつれる雑賀(さいか)野ゆ
背向(そがひ)に見ゆる沖つ島 清き渚に 風吹けば白波騒き
潮干(ふ)れば玉藻刈りつつ 神代より然(しか)ぞ貴き 玉津島山
巻9-917

反歌二首
沖つ島 荒磯(ありそ)の玉藻潮干(しほひ)満ち い隠りゆかば思ほえむかも
巻9-918

わかの浦に 潮満ち来れば潟を無(な)み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る
巻6-919

和歌浦にある船頭山、妙見山、雲蓋山、奠供山、鏡山、妹背山の六つの山は、その昔は小島だったようでそれらの小島をみんな、玉津島山と呼んでいたようだ。
   →詳細は万葉アルバム
   →詳細は万葉アルバム


不老橋
玉津島神社向かい側の橋。紀州藩主徳川治宝が1851年(嘉永4)に造らせた当時としては珍しい石組みのアーチ橋。徳川家が紀州東照宮に参拝する際におなり橋として渡っていた。


歌川広重の描いた和歌浦 
ここ不老橋からの眺めの方向とイメージがあうように感じる。


 ここから次の番所庭園へ 車で約20分。


<番所庭園(ばんどこていえん)>
(和歌山市雑賀崎番所ノ鼻)
 雑賀崎西端、和歌浦湾に突き出た岬「番所の鼻」にある芝生庭園である。庭園のある岬は江戸時代より紀州藩の海上への見張り番所が置かれた場所であったことから「番所の鼻」と呼ばれ、当庭園はその見張り番所の跡地を整備したものである。当庭園は紀伊水道に浮かぶ大島(男島)、中ノ島(女島)、双子島を眼前に望む景勝の地であり、夕日の名所としても知られる。


番所庭園全景(パンフレットより)


番所庭園入口


全景
別天地に来たような夢心地になった気分。


元番所台場遺跡
紀州藩が海の防備見張りのため遠見番所を設けたところである。


眼下に珍しい紀州青石(緑泥片岩)の海岸美が広がる


万葉歌碑
万葉時代神亀(七二四年)十月に、聖武天皇が大和の都から、お供の公家・宮廷人達と、和歌の浦に行幸されました折、藤原卿がここ番所庭園の北側に広がる海「雑賀の浦」の漁火を見て、詠まれたと言われている次の歌はあまりにも有名。

  紀の国の 雑賀(さひか)の浦(うら)に 出(い)で見れば
   海女(あま)の燈火(ともしび) 波の間(ま)ゆ見ゆ

この万葉歌碑も、犬養孝先生揮毫の歌碑である。
   →詳細は万葉アルバム


南側に、灯台と和歌の浦側を望む


中之島(女島)(左)と大島(男島)(右)


北側に、雑賀(さいか)の浦を望む 中之島・大島(左手)と和歌山港(右手)<(クリックで拡大)>
遠くに淡路島、友ケ島なども望める。

14時30分帰路に向かう、16時50分奈良に戻る。

 車での移動は大変楽しく疲れもなかったので、次回からの万葉の旅も機会をみて車で廻りたいと思う。

<レンタカー内容>
基本料金 6,510
保険代  1,050
ガソリン代  2,300
高速代  4,800
合計   14,660 走行距離209Km  




ブログセンタ