テニスとランとデジカメと

私の趣味3点+その他の紹介です。
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私の好きなポピュラー・シンガー その1(コニー・フランシス)

2006年07月29日 | ポピュラー・ソング
コニー・フランシスは1960年代を代表するアメリカのポピュラー・シンガーである。日本語で歌った「ヴァケイション」「可愛いベイビー」「ボーイ・ハント」などで、日本でも馴染みが深い。
コニーは、驚くほど多才でポップスからスクリーン・ミュージック、ジャズ、ブルース、カントリー、タンゴ、カンツォーネ、とオールランドプレイヤーだった。
コニーの泣き節はトレードマークだし、パンチの効いた歌声とコミカルな部分ももっていた。コニーの歌声は佳きアメリカの代表であった。
私はコニーの泣き節とスタンダード・ナンバーが好きで、20歳前後から今に至るまで一貫して変わっていない。20歳代で集めた7枚のLPレコードが懐かしい。
(私の心に残る歌)
1.ティル・ウィー・ミート・アゲイン
    アメリカの古い歌だが、若い時から好きな歌だ。
2.アルディラ
    コニーのイタリアン・ヒッツ。最高の歌い方だ。
3.ネヴァー・オン・サンディ
    映画音楽での最初のコニーのヒット曲。
4.想い出の中に
    スタンダード・ナンバー。コニーにぴったりの歌だ。
5.マイ・ハピネス
    これもスタンダード・ナンバーから。明るい歌。

 《この一曲》 ティル・ウィー・ミート・アゲイン
          (また逢う日まで)


            リチャード・ホワイティング作曲

Smile the while you kiss me sad adieu
When the clouds up high I'll come to you
Then the sky's would seem more blue
Down in lovers lane my daring

Wedding bells will ring so merrily
Every tear will be a memory
So wait and pray each night for me
Till we meet again

Then the sky's would seem more blue
Down in lovers lane my darling

So wait and pray each night for me
Till we meet again

再会を誓い合う別れの曲として、アメリカではずっと
歌い継がれてきている。
20代の頃、自家歌集を作ったことがあったが、その歌集をめくってみると、この曲が載っていた。当時山行の際に、皆で歌った思い出がある。
今でもとても良い歌だと感じている。

コクラン

2006年07月26日 | ラン
クモキリソウ属。黒紫色の花色のため黒蘭(コクラン)の名がある。
葉の間から15cm程度の花茎を伸ばし、径1cm程度の黒紫色の花を5~10程度つける。
とても小さな花なので、つい見落としがちになる。そのためいまひとつ人気もパットしないようだ。
しかし、花をよく見るとラン特有のかたちをしている。ランだなあと感慨無量になることもある。葉は明るい黄緑で観賞価値があるようだ。

青春の思い出の唱歌etc

2006年07月22日 | 唱歌
1.夏のゆうべ(フィンランド民謡、渡辺忠恕訳詩)
    若い頃、会社で残業で一人っきりになった時、
    この歌を大声で歌って気を晴らしていたことがあった。
2.カプリ島(ナポリ民謡、服部龍太郎訳詩)
    合唱で歌うと楽しい曲だ。20代からそのカプリ島に
    憧れて行きたいと思っているが、未だに実現できないでいる。
3.ともしび(ロシア民謡、楽団カチューシャ訳詞)
    20歳頃に良く通った新宿の歌声喫茶「ともしび」。
    この曲はテーマソングともいうべき曲だった。
4.故郷を離るる歌(ドイツ民謡、吉丸一昌作詞)
    小学校を3度替わり、長野飯田・茨城龍ヶ崎を第2の
    故郷として度々訪れるが、この曲がとてもぴったりする。
5.希望のささやき(ホーソン作曲、緒園凉子訳詩)
    女声合唱のハーモニーのすばらしさが味わえる。
6.初恋(越谷達之助作曲、石川啄木作詞)
    啄木の歌に作曲された、すばらしい曲だ。
7.早春賦(中田章作曲、吉丸一昌作詞)
    大声を出して歌いだしたくなる曲である。
8.朧月夜(岡野貞一作曲、高野辰之作詞)
    菜の花畑の情景が目に浮かぶ、これが日本の本当の
    原風景といえる程、この歌には歌ごころがある。
9.夏の思い出(中田喜直作曲、江間章子作詞)
    この歌を想い出すと、尾瀬に行きたくなる。
    尾瀬は今まで10回程行ったが、春夏秋どの季節も最高だ。
10.はるかな友に(磯部俶作詞作曲)
    日本の合唱曲の中の名曲中の名曲。
    合唱部で練習の最後はきまってこの曲で閉めた。


 《この一曲》 早春賦

          吉丸一昌作詞
          中田章作曲

  春は名のみの 風の寒さや
  谷の鶯 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず

  氷解け去り 葦は角(つの)ぐむ
  さては時ぞと 思うあやにく
  今日もきのうも 雪の空
  今日もきのうも 雪の空

  春と聞かねば 知らでありしを
  聞けば急(せ)かるる 胸の思いを
  いかにせよとの この頃か
  いかにせよとの この頃か

初春の高原の木々がやっと芽吹き始め、
うす紫色に染まりだす頃が、季節の中で一番好きだ。
この歌はその景色を思い浮かべると共に、
朗々と歌いだすと、とても気持が良く、
機会があると、大声で歌いだしたくなる。
CDでは「日本女声合唱団」のハーモニーがすばらしい。

暑くなく気持ちの良いテニス

2006年07月20日 | テニス
昨日まで西日本は豪雨が続き、関東でも数日間雨が降り続いた。今日は久しぶりに晴れ間が出て、気温も上がらず日差しも弱く、おかげで気持ちの良いテニスが出来た。
木曜テニス勉強会の今日の球出し特訓は、「ボレー」。
ラケットをやや開きスライスかげんで打つとローボレーも良く拾えた。
身体の正面に来る球が未だとりにくい。
コーチから、「グリップの握りが硬すぎる。
握りは柔らかく、打つ瞬間だけ強く握るように」と、注意された。
特訓のほか、ゲームもたっぷり出来たので、今日はナイスデイだった。

(写真は今日咲いていたキキョウの花)

青春の思い出のポップス その2(1970年代)

2006年07月17日 | ポップス
1.神田川(かぐや姫 1973年 南こうせつ作曲)
    新婚時代、近くの銭湯に通った思い出と重なる。
2.白いギター(チェリッシュ 1973年 馬飼野俊一作曲)
    妻もチェリッシュが好きで、一日中テープを流していた頃があった。
3.心の旅(チューリップ 1973年 財津和夫作曲)
    歌詞がなかなか良くて、口ずさんだりした。
4.なごり雪(イルカ 1975年 伊勢正三作曲)
    ”なごり雪”を歌詞にしたセンスといい、メロディーといい、いい曲。
5.わかって下さい(因幡晃 1975年 因幡晃作曲)
    ラジオから流れたこの曲は一度聴いて忘れない。
6.木綿のハンカチーフ(太田裕美 1975年 筒美京平作曲)
    高校生の姪がカラオケで歌ったのは、歌手以上にうまかった。
7.青春時代(森田公一とトップギャラン 1976年 森田公一作曲)
    青春時代の真ん中は道に迷っているばかり・・歌のとおりだったなあ。
8.秋桜(山口百恵 1977年 さだまさし作曲)
    夫婦共に母を亡くしているので、この曲は特別な思いがある。
9.いい日旅立ち(山口百恵 1977年 谷村新司作曲)
    百恵ちゃんの絶頂期だった。JRになる前の国鉄のコマーシャルソングにもなった。
10.まちぶせ(石川ひとみ 1981年 荒井由美作曲)
    70年代からはみ出したが、テンポが良く、今聴いても新鮮だ。


  《この一曲》 秋桜

          さだまさし作詞
          さだまさし作曲

  うす紅の秋桜が秋の日の 何げない日だまりに揺れている
  この頃涙もろくなった母が 庭先でひとつ咳をする
  縁側でアルバムを開いては 私の幼い日の思い出を
  何度も同じ話くりかえす 独り言みたいに小さな声で
  こんな小春日和の 穏やかな日は あなたの優しさがしみてくる
  明日嫁ぐ私に 苦労はしても 笑い話に時が変えるよ
  心配いらないと笑った

 
コスモスを秋桜と書くところがいいね。さだまさしは本当に良い歌を
たくさん作っている。山口百恵もいい歌に巡り合った。
この歌は亡き母を想い出す。
妻もこの歌を聴くと涙が出るそうで、最近までいっしょに聴くのを
ためらっていた程だ。

オサラン

2006年07月15日 | ラン
日本の特産種で静岡以南の樹木の幹や岩に着生する落葉性の小型野生ラン。
バルブはセッコクに似ているが2~3cmと小さい。白い小さな清楚な花を咲かすが、花の寿命はやや短い。可憐ではかない花である。
私のところのオサランは軽石にセッコクといっしょに着生させているが、軽石植えは生育が良いようである。背が高いセッコクと低いオサランとの組み合わせはまとまりが良く、鑑賞価値があると思う。
毎年、真夏の猛暑の頃に可憐な花を咲かせてくれる、一服の清涼剤となる。

フウラン

2006年07月14日 | ラン
フウランはラン科フウラン属で別名「風蘭」の名がある。名のように風にそよぐ楚々とした花の姿で、主に日本特産のランである。
葉は葉先が尖っており肉厚で、花は芳香に富んだ白い花を咲かせる。花・葉・香りの三拍子がそろった観賞価値の高い小型のランである。鑑賞用品種が多数作られ”富貴蘭”と呼ばれる東洋ランの一分野をつくっている。
私のこのフウランは品種銘はないが、大株に育っている。昨年よりちょうど一週間早く咲き出した。芳香はかすかに甘く上品さを漂わせる。夏の暑さを一瞬忘れさせる香りと花の姿である。


今年一番の暑さの中でのテニス

2006年07月13日 | テニス
今日は梅雨明け前では最高に蒸し暑く、午後1時には日差しもさんさんと輝き、おそらく35度に達する体感温度でないかと思った。
テニスの練習の合間に持参のボトルから飲料補給。500mlを2本持っていったが足りるだろうか。
熱中症を防ぐには、喉が渇いたら飲むのではなく、乾く前に飲むようにして、少しずつ回数を多くして飲むが、この蒸し暑さで汗が吹き出て止まない。タオルで拭いても吹いても止め処もなく出てくるようだ。
こんな暑い最中にテニスだなんて、しかもシルバーテニス、大丈夫?と言われるが、している本人達はテニスが好きだから、皆んな涼しい顔?をしてとは言わないが、緩慢な動作ながらテニスをしている。
2時間ばっちりテニスを終えると、家に戻ってシャワーをあびて、冷たいビールをグイと飲み干す。これが実にうまいのだ。だからテニスをやめられないのだ。次のテニスは17日(月)あゝ待ち遠しい!

(写真はギボウシの鉢植え、1980年(なんと26年前!)に霧降高原で採取したギボウシだが、毎年欠かさずこの時期に花が咲く。霧降高原で遊んだ当時2歳の次男は今年28歳になる。)

青春の思い出のポップス その1(1960年代)

2006年07月11日 | ポップス
1.恋のバカンス(ザ・ピーナッツ 1963年 宮川泰作曲)
    この歌に全国民が元気をもらったような気がする。
2.見上げてごらん夜の星を(坂本九 1963年 いずみたく作曲)
    キャンプファイヤーで歌うと、ぴったりだった。
3.学生時代(ペギー葉山 1964年 平岡精二作曲)
    高校時代、図書館・テニス・キャンプファイヤー、歌と同じだった。
4.夜明けのうた(岸洋子 1964年 いずみたく作曲)
    青春ならではの期待がこもった歌で、良く口ずさんだものだ。
5.夏の日の思い出(日野てる子 1965年 鈴木道明作曲)
    青春の思い出の曲の代表格。海辺のシーンが目に浮かぶ。
6.いつまでもいつまでも(ザ・サベージ 1966年 佐々木勉作曲)
    山を登りながら、この歌を口ずさんだ。
7.小指の思い出(伊東ゆかり 1967年 鈴木淳作曲)
    銀座でデート中に流れていた歌。同じく「恋のしずく」も。
8.風(トワエ・モア 1968年 端田宣彦作曲)
    フォークソングの代表的な歌。男女ペアーが新鮮だった。
9.天使の誘惑(黛じゅん 1968年 鈴木邦彦作曲)
    じゅんちゃんの健康的な歌に、はまったりもした。
10.白いブランコ(ビリー・バンバン 1969年 菅原進作曲)
    おだやかに、流れるような 、落ち着いた良さだった。


  《この一曲》 夜明けのうた

            岩谷時子作詞
            いずみたく作曲

  夜明けのうたよ 私の心の 昨日の悲しみ 流しておくれ
  夜明けのうたよ 私のこころに 若い力を 満たしておくれ

  夜明けのうたよ 私の心の あふれる思いを わかっておくれ
  夜明けのうたよ 私の心に 大きな望みを 抱かせておくれ
 
  夜明けのうたよ 私の心の 小さな幸せ 守っておくれ
  夜明けのうたよ 私の心に 思い出させる 故郷の空


岸洋子のシャンソン風の歌い方が新鮮な魅力だった。
東京オリンピックの年、日本の本当の夜明けになる期待感が、
当時の世相に受けいれられた。
岸洋子は「希望」「恋心」「想い出のソレンツァーラ」と、
よく通る声でヒット曲がたくさんあった。
シャンソンの「私の回転木馬」も岸洋子らしくて良い。

ウィンブルドンの話題

2006年07月10日 | テニス
テニスのウィンブルドン選手権も男女決勝が終了し、
男子がロジャー・フェデラー(スイス)で4連覇、
女子がアメリ・モレスモ(フランス)が初優勝、
という結果だった。
日本の杉山愛は3回戦で元女王ヒンギス(スイス)を破って4回戦に
臨んだが、ランク下のブレモン(フランス)にストレート負けを喫した。

月曜テニスでは練習前にフェデラーが話題にのぼった。
芝は、他のコートより球がバウンドしないため打点が低い。
フェデラーは、時にスライスを交えながら低めに球を集め、
打ちごろの球を返さなかった。
スライスは、球を深く打ち返させないため」とフェデラーは解説していた。

我々は芝のコートの経験がないが、クレーコートでも
スライスは断然有効である。
スライスが出来るように練習しよう!
しかし、今日は湿気が最高で蒸し暑く、汗が止め処もなく流れているのであった。

(写真は今日咲いていたオイランソウ<花魁草>)


私のモーツァルト愛聴曲⑩:歌劇「フィガロの結婚」 K.492

2006年07月08日 | モーツァルト
この歌劇は、モーツァルト29歳ウィーンで作曲。モーツァルトの歌劇には喜怒哀楽が織り成す人間味に溢れた魅力があるが、その中でも「フィガロの結婚」は当時の封建社会への痛烈な批判を盛り込んだポーマルシェの戯曲に、モーツァルトは数々の美しい旋律と登場人物の重唱・場面展開と音楽の変幻自在さを盛り込んだ。
フランス革命3年前に皇帝の許可を取り付けて作曲し初演に漕ぎ付けたことを考えると、普通ではありえないことが起きたと言えるし、モーツァルトだからこそ、ありえない事を成し得たとも言える。
旋律美に溢れたアリアを選んでみると、
第6曲”自分で自分がわからない”(ケルビーノ)
第9曲”もう飛ぶまいぞ、この蝶々”(フィガロ)
第10曲”愛の神よ、照覧あれ”(伯爵夫人)
第11曲”恋とはどんなものかしら”(ケルビーノ)
第19曲”スザンナは来ないかしら、楽しい思い出はどこへ”(伯爵夫人)
第20曲”そよ風に寄せる(手紙の二重唱)”(伯爵夫人とスザンナ)
第27曲”とうとうその時がきた、恋人よ早くここへ”(スザンナ)
などが上げられる。
私は中でもスザンナが歌う第27曲”とうとうその時がきた、恋人よ早くここへ”と、苦しむフィガロをからかうように、真の愛への憧憬を込めて歌う・・・大好きなアリアである。オペラの中心にいるのは常にスザンナであるが、何故かスザンナがひとりで歌うアリアはこの1曲だけであとは重唱である。それだけスザンナと他の登場人物とのからみが多く、スザンナの演技が見所のひとつとなっている。
私がこのオペラを好きになったのは1993年佐藤しのぶの伯爵夫人役の舞台だったと思う。その後、モーツァルトのオペラの魅力にはまり、「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」など観たりした。
余談になるが、2004年10月23日(土)新国立劇場で「愛の女庭師」を観劇していたその時に”新潟県中越地震”が発生し、客席でゴーという音と天井と舞台の袖がゆれて驚いたが、舞台上では何事もなかったように演じ続けていたのには感服した思い出がある。

私の愛聴CD:ガーディナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツ<ARCHIV POCA-1088/90>
ターフェルのフィガロとハグリーのスザンナが好感。スザンナ役のハグリーの演技がすばらしいのはDVDでないとわからないが。ガーディナー指揮の演奏も心地よい音色ときびきびした演奏である。

(写真はウィーン国立歌劇場階段室<2006/1>)




心に残る歌謡曲~その5(1990年代以降)

2006年07月05日 | 歌謡曲
1.少年時代(井上陽水 1990年 井上陽水作曲)
    郷愁を誘う歌詞がいいし、独特のメロディーもいい。
2.時の子守唄(イルカ 1990年 三木たかし作曲)
    テレビ時代劇の主題歌だったが、とても好きな歌だ。
3.流恋草<はぐれそう>(香西かおり 1991年 聖川湧作曲)
    香西の歌は半日流しっぱなしでも飽きない。特に妻は。
    中でもこの曲は一番香西らしい。
4.白い海峡(大月みやこ 1992年 伊藤雪彦作曲)
    歌がうまい。大月は亡きおふくろに似ているそうだ。
5.女・・・ひとり旅(田川寿美 1992年 鈴木淳作曲)
    この歌を何故か私は好きなんだが、妻はそうでもないようだ。
6.あばれ太鼓(坂本冬美 1993年 猪俣公章作曲)
    妻が一頃坂本の歌をマイカーで良く聴いていた。
    元気をもらえるようだと、仕事に出かける前に。
7.心愛的別走(孫淑媚<スン・シュメイ> 1995年 台湾)
    台湾歌謡曲だが、何とすばらしい日本的な演歌だろうか。
    歌がうまいし、独特の泣き節と声がすばらしい。
    この歌手は日本に来ればテレサ以上の人気が出るはずだ。
8.捨てられて(長山洋子 1995年 檜原さとし作曲)
    長山洋子はこの歌が一番いいね。こういう歌をもっと歌って欲しい。
9.しあわせになろうよ(長渕剛 2003年 長渕剛作曲)
    長渕の歌は他の誰にもない魅力が存在している。
    「乾杯」とこの歌は、元気になる歌だ。
10.母日和(川中美幸 2003年 弦哲也作曲)
    ひさしぶりに大変良い歌だ。歌詞が特に良い。


  《この一曲》 母日和
           阿久悠作詞
           弦哲也作曲           

  昔、母は・・・遠い故郷の 話をしてた
  この胸に しまっておいた 宝物だと
  あんたもさぁ そうゆう景色 抱いて抱いて 生きなさい
  いい人に いい人に なれるから

NHKコメディー「道中でござる」のオリジナル・ソングで、
毎週交代で、由紀さおり、川中美幸、坂本冬美、神野美伽、
長山洋子、林あさ美、田川寿美といったところが、
味のある歌い方を披露していた。
阿久悠の詩で、ひさびさの大ヒットだと思う。

松戸 金山神社

2006年07月04日 | 散歩
 松戸市根本339番1。
金山神社(かなやまじんじゃ)は、鉱山や鉱業、鍛冶などの金属にかかわる神である金山彦神や金山毘売神を祀っている神社。
境内の小山は富士塚で富嶽信仰と結びついており(松戸の富士山と言われる)、文化年間(1804~1817)に徳川幕府が作った絵図には御嶽権現と記されている。この富士塚は清水講という講が運営している。城跡を利用して造られたという高さ15メートルもある立派なものである。
富士塚は、富士山に登ったのと同じ御利益があると言われ、江戸時代以降各地でさかんに作られた。
金山神社のある丘は樹木が多く、城跡らしい雰囲気を残しており、中世の根本城のなごりと思われる。
また金山神社の神輿は東葛地域最大だそうだ。


旧水戸街道側の神社入り口


JRを跨ぐ歩道橋の両側に、古い灯篭が残っている。


神社北側の鳥居


社殿


狛犬


社殿入り口の素晴らしい彫刻


本殿うしろの建屋にみごとな彫り絵が見られる


富士講信仰の築山を登ると、


富嶽浅間大神の鳥居がある


登山記念碑がいくつも見られる

真夏のテニス乗り切ろう

2006年07月03日 | テニス
7月最初のテニスは、午前中3時間3面使用する日だが、休む人がいて12人と少ない。1面をちょうど4人で使用した。コーチレッスンを受けながらいつもの練習試合だ。
今日のコーチレッスンは「ストローク・ダッシュ・アンド・ボレー」の球出しである。フォア・ハンド・ストロークで打ったあとすぐに、前につめ返球をボレーで返す練習だが、前につめる繰り返しは息が切れるし汗はだらだら出るし大変である。
ダッシュはとても大事なんだが、試合ではなかなか実践する機会が少ない。もっと実践に意識的に取り入れないといけないと思う。
真夏のテニスは、500mlボトルが2本空になった。日焼け止めを塗っていたが汗でとれてしまった。
これから2ヶ月過酷な真夏のシルバー・テニスが続くのである。

(写真は今日咲いていたクレオメ、酔蝶草とも風蝶草とも呼ぶ)

心に残る歌謡曲~その4(1980年代)

2006年07月02日 | 歌謡曲
1.倖せさがして(五木ひろし 1980年 木村好夫作曲)
    私のカラオケの18番曲。のってくると、かならず歌いだす。
    結婚披露宴でも歌ったことがあるが、緊張した。
2.聖母たちのララバイ(岩崎宏美 1981年 木森敏之作曲)
    慈悲の心をもった観音菩薩をイメージする歌。いい歌だ。
3.哀しみ本線日本海(森昌子 1981年 浜圭介作曲)
    森昌子が再デビュー!一フアンとして大変うれしい。
    森昌子の声はクラシックのリリックソプラノ風で大好きだ。
4.しあわせについて(さだまさし 1982年 さだまさし作曲)
    この歌は、映画「ひめゆりの塔」の主題歌だったが、
    泣かせる程良い歌だ。さださん、いい歌をどんどん作ってね。
5.愛しき日々(堀内孝雄 1986年 堀内孝雄作曲)
    テレビドラマ「白虎隊」の主題歌だった。
    池上季美子の泣かせる演技がすばらしかった。
6.百万本のバラ(加藤登紀子 1987年 パウルス作曲)
    加藤のすきとおった声で歌うこの曲を何度寝る前に聴いたことか。
7.別れの予感(テレサ・テン 1987年 三木たかし作曲)
    テレサの歌の中でこの曲が一番好きだ。
    テレサの歌は今でも新鮮さがある。この先何年でも。
8.雪椿(小林幸子 1987年 遠藤実作曲)
    新潟地震被災地を小林が慰問した際、この歌を歌ったのが、
    印象にのこっている。心に残る歌だ。
9.女 泣き砂 日本海(川中美幸 1988年 三木たかし作曲)
    川中の絹のようなやわらかな声がこの歌に良くマッチする。
10.川の流れのように(美空ひばり 1988年 見岳章作曲)
    女王ひばりの最後の歌。永遠に歌い継がれる名曲だ。


  《この一曲》 しあわせについて

             さだまさし作詞
             さだまさし作曲

  しあわせですか  しあわせですかあなた今
  何よりそれが何より一番気がかり
  みんなみんなしあわせになれたらいいのに
  悲しみなんてすべてなくなればいいのに


映画「ひめゆりの塔」の主題歌。涙なくして観れなかったが、
この歌がさらに映画を感動的なものにしていた。
反戦・核兵器廃絶の歌としては、世界に発信できるすばらしい歌だ。

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