ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

東畑開人 ふつうの相談 金剛出版2023

2023-11-10 12:37:58 | エッセイ オープンダイアローグ
 東畑氏の、『聞く技術 聞いてもらう技術』に引き続いて、『ふつうの相談』である。

「さまざまな現場で交わされている日常的な相談の風景…、そこには共通して響いている通奏低音のようなものがある。
 この響きを本論では「ふつうの相談」と呼びたい。それは心理療法の教科書や専門書には書かれていないけれど、誰もが本当は実践している相談のことだ。日々の臨床に溢れているのに名前を与えられることもなく、その価値を見過ごされてきた対人援助のことだ。心理士のみならず、医師や看護師、教師やソーシャルワーカーなどすべての支援職、いやそれだけでなく、家庭や同僚、友人たちの間でも交わされている「ありふれたケア」のことである。」(p.22)

【東畑開人氏のたくらみ、あるいはブリコラージュとしての現場知】
 東畑氏は、『ふつうの相談』という一見凡庸なタイトルのこの書物で、実は、だいそれたたくらみを語っている、というべきだろう。
 まず、氏は、学派的心理療法論と現場的心理療法論というものがあるという。
 学派的心理療法論は、

「精神分析・ユング心理学・認知行動療法・人間性心理学・家族療法など、それぞれの学派は、…自らの規範を呈示してきた。…書店の…棚に行けば、教科書や入門書がズラリと並んでいるし、大学院の授業で教えられているのもこれだ。」(p.23)

 それに対して、現場的心理療法論がある。

「もうひとつが現場的心理療法論である。…学派的規範は多くの場合、そのままでは現場で実践できないから、臨床家たちはさまざまな工夫をこらさねばならない。そのようにして構築されたのがそれぞれの現場に適した心理療法論である。」(p.24)

 現場においては、さまざまな学派の要素が混淆され、折衷され、妥協が肯定される。

「現場的心理療法の特徴は折衷性にある。私はそれを「ありふれた心理療法」と呼び、さまざまな学派の要素が現場のニーズに応じて混淆していくことを示した。ここにあるのは理念型ではなく、現実的な妥協の肯定である。」(p.25)

 東畑氏は、混淆、折衷、妥協を肯定する。
そういえば、精神科医・斉藤環氏も、東畑氏との対談の中でだったように記憶するが、自分の治療方針は折衷派である、ブリコラージュのようにその場で使えるものは何でも使うのだ、というようなことをおっしゃっていた。(私は、そこで、折衷、妥協という言葉に、むしろ積極的な意義を聞きとったと思う。)

【学派的心理療法論批判あるいは「臨床の知」の発見】
 その一方、批判の対象となるのは学派的心理療法論に他ならない。

「ここで私が暗黙裏に批判の対象としているのは、学派的心理療法論で前提とされてきた「理念的個室」である。それは文脈を失って、真空の宇宙に浮かんでいる面接室である。」(p.38補注)

 それは、どういう場所か。実際には狭い世間に取り巻かれ、ローカルな社会的環境のなかにあり、深い文脈のなかに取り込まれた場所である。

「実際には、フロイトの診察室が二十世紀初頭ウィーンのブルジョワ文化を文脈としているように、すべての面接室はそれぞれのローカルな社会的環境に取り巻かれている。」(p.38補注)

 にもかかわらず、「理念的個室」は、「文脈を失って、真空の宇宙に浮かんで」、あたかも時空を超えて、どこにでも通用する普遍的理論が生み出される場所であるかのように見なされていたのである。
 しかし、「本論はユニバーサルよりもローカリティにこだわる。」(p.38補注)と氏は語る。
 この現場における「ローカリティ」は、専門知のたこつぼ・「理念的個室」で語るユニバーサルよりも、よっぽど広く世間に通用する「ありふれた」ものであり、役に立つものである。
 「現場的な知」こそが大事なのである。(哲学者中村雄二郎は「臨床の知」と語った。)
 専門家による「現場的な知」の基盤には、友人、家族、同僚、教師などによる「ふつうの相談」がある、と東畑氏は言う。
 一般的な「ふつうの相談」の後ろに、専門家による「現場的心理療法」があり、さらにその背後に役に立つ専門知、道具としての「学派的心理療法」が控えているという構造である。大きなくくりとしての「ふつうの相談」があり、その中で「現場の知」が活用され、さらにその先に、必要に応じて利用される鋭利な道具として「学派的専門知」があるという構造。
 実際のところは、学派的心理療法を活用するような深い相談には至らないケースが多くを占めるのだという。

「重要なのは、私の場合、アセスメントの結果として、多くのケースが〈ふつうの相談〉での対応になることだ。」(p.48)

【〈ふつうの相談〉はソーシャルワークである】
 では、〈ふつうの相談〉の中身は何か。
 それは、社会的環境の調整であり、ソーシャルワークである。臨床心理家は、ソーシャルワーカーであらねばならないのだ。(「聴く」を包摂する「聞く」の場でもある。)

「〈ふつうの相談〉が果たす第一の機能は、クライエントを取り巻くケア資源の拡大である。環境調整の項で述べたように、家族や職場、学校と連絡を取り、交渉を行ない、クライエントに対する暴力や不利益を止めて、代わりに配慮を引き出すのが〈ふつうの相談〉の最重要の機能である。多くの人が心配して、見守り、手助けをしてくれる状況を作り出すことが、心の回復のための基本である。
 …クライエントの抱えている問題は個人の内側だけではなく環境の側にも存在している。…このとき先に介入すべきは環境である。」(p.62)

「したがって、〈ふつうの相談〉において決定的に重要なのはソーシャルワーク的な想像力である。社会的環境の悪しき点を見出し、変わりうる部分を実際に変えていく介入を行う。個人の心の内側に焦点を当てがちだった従来の臨床心理学では見失われやすかったのが、この〈ふつうの相談〉の機能である。」(p.62)

 東畑氏は、「決定的に重要なのはソーシャルワーク的な想像力である」と語っている。明確に「ソーシャルワーカーであらねばならない」と言い切っているわけではないが、ほとんどそう言い切っているのと同じであろう。
 「ふつうの相談」のなかでアセスメントが行われ、その後に、必要に応じて学派的心理療法が選択されるという道筋であるから、心理療法家は、すべからくソーシャルワーカーであらねばならない。
 これは、心理臨床家の発言としては、相当に思い切った発言なのではないだろうか?
 最近、SNSで、ある臨床心理士・公認心理師が、精神科の医療現場において、入院患者のアパート探しをさせられている、私の心理職としての専門性は無視されていると嘆いているのを見かけて、心底、びっくりした。退院~地域移行支援を本来業務ではないと切り捨てているのだ。(私の知る限り、地域の精神科病院では、臨床心理士は医療相談室の専門家スタッフであったし、東畑氏の論を見る限り、それはやむを得ない兼務ではなく、むしろ、社会関係の調整という、心理的支援本来の役割の一環であるはずである。)
(ちなみに、私は、東畑氏の述べる文脈をまったく共有しつつ、臨床心理士ではなくて、精神保健福祉士を目指すことにしたのである。社会関係の調整と個人のこころの両方で役に立つ専門家。そして、本来それらは別のものではない。)

【球体の臨床学】
 東畑氏は、「球体の臨床学」という新しい学問を提唱されている。

「目指してきたのは一般理論である。つまり、臨床心理学・医学・看護学・社会福祉学・教育学など、それぞれの専門職ごとに縦割りで構築されてきた専門理論を離れて、それらを包摂する視点を手に入れようとしてきた。それは、…第二に同じ職場で働く多職種によってシェアされている現場知を浮かび上がらせるためであった。」(p.151)

 省略した部分には、「第一に学派知を相対化するため」とあるが、ここでは「多職種による現場知」を、より浮かび上がらせたかった。(医療福祉現場で唱えられる多職種連携とは、〈ふつうの相談〉の機能の回復に他ならないだろう。)

「この一般理論を「臨床学」と呼ぶことができる。球体の臨床学だ。それはすべての対人援助職の基礎学であり、役割を超えて、協働し、コミュニケートするための基盤である。この視点から見ると、臨床心理学は臨床学の中のあくまで心理部門であり、一地方にすぎない。…社会福祉学は…社会地方、医学は生物地方に見える。…なかには学派的心理療法論のようにきわめて特殊な秘境もあるだろう。それらの多様な対人支援を包摂し、大きな文脈の中に位置づけるのが球体の臨床学である。」p.152

 臨床と言えば、もともとは医学における、基礎医学に対する臨床医学(内科だとか眼科だとか)というのが出所ではあるのだろうが、私としては、すでにそろそろ半世紀前になるが、中村雄二郎の臨床の知、河合隼雄の臨床心理学が、現代の臨床への着目の出発点であると考える。そこには、中井久夫がいて、鷲田清一の臨床哲学へ続いている。
 この系譜が、私としての興味関心の中核にある。
 哲学カフェ、オープンダイアローグ、リフレクティング、そして、ここで東畑氏の唱える臨床学、これらは私の中で、非常に密接にリンクしている。國分功一郎氏の「中動態」への着目も含めて。
 東畑氏の唱える「臨床学」に参画する、という選択肢もあるのかもしれない。

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