ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

BSで演歌の大御所を聴いた

2016-03-27 00:09:58 | エッセイ

 NHKのBSプレミアムで、演歌の大御所たちが出てくる番組があった。土曜日休日のお昼時。

 まず八代亜紀「舟唄」、鳥羽一郎「兄弟船」、千昌夫はなんだっけ、「津軽平野」かな。

 改めて、このあたりの歌手としての実力はもの凄い、と言える。圧倒的な歌唱力である。正確な音程を刻むとかいうことではなく、表現力、存在感。いや、もちろん、音程だって正確である。

 この人たちは、私が小学生のころに出てきて(鳥羽一郎は、もう少し後かもしれないが)、これらの歌ももちろん、よく聞いて、知っているし、歌える。家族で茶の間でよく歌っていた。今聞けば、このあたりの名曲はたくさんある。そしてぼく自身、結構歌える。

 だがしかし、ぼくの十代から二十代にかけては、これらの歌、これらの歌手こそが、ぼくらが敵視し、克服しなければならない悪しき日本であった。

 逆に考えれば、それだけ巨大な存在であったわけである。

 八代亜紀の二曲目は「おんな港町」。今日はちょっと歌い方が軽いかな。歌い流している感が強いかな。もう少しだけ丁寧に言葉を置いてもらうとさらにいいかな。でも、このテレビの歌番組の流れでは、このくらいで最適なのかな。

 そのあと、テレビの前を離れてしまったが、千昌夫なら「星影のワルツ」とか、「北国の春」とか、圧倒的な名曲は存在する。

 しかし、当時は、それらの曲が、名曲である、傑作であるなどとは認めたくなかった。少なくとも自分が好きな曲ではありえないと思っていた。

 われわれロックの世代が、くさびを打ち込み、打ち砕かなくてはいけない旧弊の、かっこ悪い日本の典型でしかないと思い込んでいた。

 しかし一方、そういう演歌の世界は、日本において盤石で揺るぎなく、われわれ若い世代がいくら騒いでもどうにもならない、ひび一本も入れることのできない中枢の場所を占めているのだとも思い込んでいるところがあった。

 よく考えてみれば、八代亜紀も千昌夫も、出てきたときは新人だったのだ。田舎から東京に出て、右も左もわからずに不安でいっぱいの若者だったのだ。そういう個人史は、日本の社会における演歌の世界のポジションとはまた別のものであることも間違いないが、最近になってから、そういうことに改めて思いが至った。当時の彼らは、ちっとも盤石ではなかったのだ。

 さらに、演歌というものが、そんなに昔からの日本人のメンタリティを代表するような音楽だったのかというと、どうやらそうでもない。明治以降であることは言うまでもないが、今のような演歌は、どうやら戦後のものに過ぎない。

 というか、「舟歌」にしても「星影のワルツ」にしても、まさにその当時に新たに作られた楽曲である。その時点で生成した名曲だったのである。

 幼いころに親しんだそれらの歌は、私の心の深いところに染みこんでいる。

 なんというか、八代亜紀も千昌夫も、ユーミンもサザンも、ほとんど同じ時代に生成した偉大な歌手たちである。今となってみれば、同列に並べて論じてしまえるミュージシャンたちであったともいえるわけである。さらにいえば、ビートルズもクリームもレッド・ツェッペリンも同じ時代のミュージシャンである。

 気仙沼出身のシンガー・畠山美由紀は、ジャズ畑出身のポップ・シンガーというところだろうが、先ごろ、八代亜紀の「おんな港町」を歌って、これがまた名唱というべきで、私としては、大きな衝撃であった。しかし、彼女もまた、幼いころからテレビから流れる八代亜紀の歌を聞いて育ったのに違いはない。ジャズもまた一方で彼女のルーツにあるのだろうが、八代亜紀もルーツに存在していたはずだ。そのもうひとつのルーツが表に顔を出したのだ。

 もちろん、演歌とロックとジャズは、全然別の音楽である。しかし、よく考えれば同時代の大衆的な音楽という意味ではひとくくりにできる音楽でもある。

 何を敵として、何を自分の眷属とするか。何が自分の音楽で、それは、何に対抗して存立させようとするのか。

 私はロックに立とうとし、その際、演歌を目の敵にした。演歌を旧来の悪弊の中心としてそこに対抗しようとした。それはそれで、是である。私はその立場を捨てようとは思わない。今に至っても。

 しかし、一方で、演歌の深い魅力にも囚われ続けていた、ということも告白しておこうと思う。

 ところで、その番組に松崎しげるも出演していて、「愛のメモリー」を歌った。これは、もちろん、演歌ではない。また、Jポップ以前のものである。当時、このジャンルはなんと呼んでいただろう?歌謡曲の一翼ではあった。

 松崎しげるより前には布施明がいて、ほぼ同時くらいに、「また逢う日まで」の尾崎紀世彦がいた。そうだな、カンツォーネのような、声量と音域と歌唱力が共通する特徴だろうか。彼らが、演歌ではないことは明確である。Jポップでもない。。

 ユーミンやサザンのようにロックの系譜というわけでもない。

 ただ、そうだな、よく考えるとロックの系譜ではある。しかし、日本の文脈でいうと、彼らは、ロカビリーとかグループサウンズ以降ということになるのだろうな。

 日本で、ロックの系譜というと、ハッピーエンド以降、ハッピーエンドの影響を受けたミュージシャンということになるのだろうな。モップス、クリエーションあたり以降と言ってもいいかもしれないけれども。

 で、何を書いていたんだっけ?

 ああ、そうか八代亜紀か。八代亜紀は、だからずっと凡庸さ、う~む、凡庸さとは違うか、紋切型か、紋切型かな、捨て去るべき日常、脱皮すべき過去、かっこ悪い日本、そうか、かっこ悪い日本か、そういうものの象徴と思い込んでいたのかもしれない。封建遺制とか、旧時代の残滓だとか。だが、そうではない。あの時点で新しく生み出された素晴らしい歌い手であったのだ。

 八代亜紀も、千昌夫も。圧倒的に優れた歌手であることに間違いはない。

 

 それが、日本において何ものであるのか、当時何ものであり、現在何ものであるのか、そういうことは、あらためてじっくりと考え直して見るべきことであるに違いない。


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