ぼくは真摯な若者だった
臆病な青年だった
妻よ、ぼくはあなたを愛する
美しい妻よ、あなたはぼくに世界を与えた
かって、ぼくの手は世界に届かなかった
ぼくの見た世界はぼくののばした手のずっと向こうにあるか、あるいは、だらしなくおとした手の中にあった
ここかあるいはあそこか
それらふたつの世界は決してふれあうことがなかった
永遠の(とおもわれた)悲しいすれ違いが
ぼくの運命だっ*
*た が欠落しているのは印刷ミスではない。
※詩集湾Ⅱ 第Ⅳ部 幻想旅行から
2015年の注;アドレッサンスというか青年期、うぬぼれと自信のなさのあいだで揺れ動いている青年期。結婚というイベントが、人間としての成長のエポックであることは間違いないことだ。そして、さらに親になるということが続く。「た」が欠落しているというのは、まだ過去ではないということ。「理想と現実」というふうに言えば、実は今でも、過去ではない、とも言える。もはや還暦も近いわけだが。美しい妻よ、などと呼びかけているのは、谷川俊太郎の真似。
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