〈編集後記〉
◆一二一号とする。第二期としては、四一号である。一九八四年、昭和五九年創刊からの通算で一二一号目である。発行元も「霧笛の会」に戻す。八十号を発行して、一区切りとし、会の名前も「新・霧笛の会」と変更した。
第二期二〇号、通算一〇〇号発行の直後、大震災がやってきた。二一号、通算一〇一号が、震災以後、最初の発行であった。そこからさらに二〇号を数えた。創刊から三三年、震災から七年。
創刊同人は、西城健一氏と故小野寺仁三郎氏。千田と照井由紀子さんが第二号から参加している。現在のメンバーは、名簿の通りであるが、これ以外にも多くの方が参加されてきた。気仙沼という地域の詩の広場として、と語り続けてきたとおり、主義主張をともにするというよりは、たまたまではあっても、気仙沼という地域に生まれ、住み、関わり続けたひとびとの拠り所として機能してきた。(照井由紀子さんは、陸前高田という、藩政期以前からの密接な、さらに上代に遡ればケセンと呼ばれた一体の地域の深いつながりのなかで、しかし、やはり、気仙沼に拠点を置く霧笛に参加し続けてこられたわけである。)
詩の同人誌として、新たな創作の展開を図るというより、むしろ、地域に根差して歴史を重ねていく継続性に力点を置いていきたい、ということになる。そのことによって、詩に興味をいだく若い世代が参加すべき場として機能し続けることを期待していいのではないか。藤村洋介君、千田遊人、遠藤誠司君ら若い世代、一方で、日野修さん、畠山幸さんと、仙台に出て活躍されている方々が改めてホームグラウンドとして発見されたこと、さらに、地元において熊本吉雄さんや菊池さかえさんが新たに参加されたこと、これらは、第一期から鈴木東吉、小野寺正典、小野寺せつえ、及川良子の各氏らとともに長く継続していればこその出来事である。
ここで、改めて、創刊以来の通算で、一二一号と数えはじめる意図を記しておくこととする。
◆前号で、日野修さんの原稿を落とすという失態と演じてしまった。印刷会社に原稿は送付していたものの、帰ってきた校正刷りになかったことを見落としていた。あるまじきことである。深くお詫び申し上げたい。さらに、畠山幸さんが、お仕事のピークが重なって、出稿を諦めると連絡いただいていたにも関わらず触れないでしまった。重ねてお詫び申し上げる。併せて、折々の校正漏れも、この場でお詫び申し上げたい。
◆第二期創刊号は平成一七年発行、一二年前となるが、宮城県詩人会発足の年であった。最初のイベントを気仙沼で、とのことで、十一月に、「朗読の午後 詩を真ん中に置いたコラボレーション 気仙沼から」を開催した。実は、この四月以降に再度イベントを、と投げかけられている。詳細はこれからということになる。
◆この三月で定年を迎える。公務員の身分を離れる。最後の七年を、本吉、気仙沼の図書館長として過ごせたということは、私の人生にとって大きな意味を持つのだろう。恐らく、霧笛の同人であり続けたと同等の。 (千田基嗣)
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