屯田兵が開拓した江別地区の明治・大正・昭和初期時代の史跡を徒歩で巡る「再発見・江別探訪」(江別市資料館主催)
に参加、この史跡めぐりは、午前9時に資料館に集合した42名が「歴史を伝える集い」のメンバーを講師として、12時
までの3時間江別地区の史跡23カ所を回るというもの
石狩川の物流で財を成した旧岡田家と岡田倉庫
明治30年に岡田商店が倉庫として雑穀類保管のために建てた倉庫(現、アートスペース外輪船)、軟石を使用し当時も
現代でも芸術性のあるモダンな建物
内部は木造のアーチにより建物を支えている、その隣にはレンガを使用した大久保菓子店の倉庫で軒下レンガの並び模様が
きれいに施されている。
高崎穀物店(旧今井家)の「うだつ」土蔵壁
驚きです、北海道にも「うだつ」があったなんて、それも大正8年に豪商だったんですね、しかも軟石で作られ当時の
「屋号」まで刻まれています
江別で初めての十二銀行札幌支店派出所(旧北陸銀行江別支店)
これも大正8年に営業開始、これにより江別地区の商業、産業の爆発的な拡大に貢献、現在は喫茶店「OLDーe♯」の店舗に
当時の金庫や扉を展示中でも・・・・・・営業しているのかな?
旧江別郵便局(その後富樫医院に)
十二銀行より先の明治30年代に岩田喜久雄が私設郵便局を開設、大正11年野幌レンガを使って全面改築、現在は江別の劇団
「ドラマシアターどーもⅣ」に、内緒ですがmoritobitoが切り絵をやるきっかけは2階で開催されていた、阿部氏の切り絵展示会
の体験切り絵・・・・・・なつかしい~
江別大火を伝える鎮火碑(現、中央児童公園)
江別では過去に2回の未曽有の大火を経験、明治30年8月は130戸中100戸消失、更に昭和28年5月23日この中央公園付近
から出火20m近い強風にあおられ、278戸消失1,305人被災の大参事
当時は消火水設備がなく水源地から桶などで水を運んだようです。
江別水道発祥の地(現、水道庁舎)
この場所は萩野山といわれる小高い山(丘)でそこから湧き出す水源地があり、明治30年ころから竹の管で江別地区に水を供給、
水質がよく酒や味噌・醤油製造に使われていました。
この場所では、昭和56年水道施設建設の際に先史時代の「萩ケ岡式土器」や遺物・桶などが発掘され水道庁舎ロビーに展示しています。
味噌・醤油醸造の岩田家と石蔵
明治23年岩田友男が岩田商店として味噌・醤油醸造を始め、住宅には当時宿泊施設が少ないために芸術家や力士(横綱)・幹部軍人等の
偉い人が宿泊したそうです。
石蔵は、大きさがそろった軟石で作られ非常にきれいに、しかも蔵の妻面には「の」屋号も刻まれています。
工場跡地には今でも、レンガ作りの倉庫の一部が残されていますよ
屯田兵が開拓、江別のシンボル「火薬庫」
明治20年屯田兵第三大隊本部に付随して火薬庫が建てられ、昭和33年に現在地に3度目の移転、レンガ作りで「Ⓢ」の刻印から
白石の鈴木煉瓦工場製と言われています。
あなたはこの「Ⓢ」のレンガ見つけれますか・・・・・・ちなみにⓈ煉瓦は1個だけ
今回の探訪に参加して、先人達の開拓の夢や情熱を感じ、すごさを実感しました・・・・・・私もこうありたいです