香港に来ていつも一番の最初に目に入るのは、
細い2階建て路面電車です。
さすがは、イギリスと関係の深い土地柄、
ロンドンバスみたいです。
でも、かわいい形だけではなく、香港島を
横断するには一番、時間通りに移動する
方法です。
香港に来ていつも一番の最初に目に入るのは、
細い2階建て路面電車です。
さすがは、イギリスと関係の深い土地柄、
ロンドンバスみたいです。
でも、かわいい形だけではなく、香港島を
横断するには一番、時間通りに移動する
方法です。
只今、バンコクのスワナプーム空港でフライト待ち。
次は、香港です。
香港は、最近行っておらなかったものですから、
少し興味があります。
なんでも、中国本土の人々が買い出しに来るので、
何でも「買占め禁止令」なるものが出ているとの
こと。
「おひとり2個まで」
などの張り紙だらけだとか…
想像がつきません。
写真はモリスミャンマーのルビーのカット研磨工房の
メンバーとルビー研究所のメンバーです。
(京都本店勤務のミヨテさんはみんなのヒーローなので、憧れる若い子は同じような
恰好をしています…私の右側はFGAのチョーミンナイ君)
+京都三条本店のミヨテ部長…
ヤンゴンにあるモリスは、この他にも、鉱区で
ルビーの採掘をするメンバーが10人ぐらい
頑張ってくれているので、モリスでは一番
人数が多い部署です。
ヤンゴンのモリスミャンマーにある
ルビー研究所では、毎日カット研磨から上がって
きたルビーの内包物を写真撮影したり、
宝石のデータを取ったりしています。
母体になっているのは、創立時にお世話に
なったヤンゴン大学の故ミンカイ教授が率いた
FGAを持つ研究員が、毎日、顕微鏡の向こうに
ある世界と睨めっこしています。
産地直送の無処理で美しいルビーに関して
いえば、間違いなく世界で一番たくさん見て
いる研究所だと思います。
採掘鉱区別にインクルージョンの特徴を
仕訳したり、産地ごとの結晶の特徴をまとめ
たり、意味があるのかな???
と思えることも熱心にやってくれています。
こういう、設備的は貧弱ながらもオタクさが
認められています。
政府入札会の会場に品質判定のブース
を出している唯一の会社です。
(外資系というもの唯一ですが…)
ここを通って、記念撮影したルビーだけが、
モリスルビーなのです。
…という訳で、10年経った今、
現地でモリスミャンマーは、
「ルビーでは、ちょっとうるさい会社」で
通っています。
ミャンマーへ行くのに、羽田を0:20(夜中)に
出発すると、バンコク経由でヤンゴンには、
朝の8時ぐらいに到着します。
結構便利なフライトです。
写真は、フランスボルドーワインのワイナリー
CHATEAU TALBOTのタルボさんです。
フランスのボルドーワイン、サンテミリオンの
河をまたいだ反対側のワイナリーで、
95ヘクタールのブドウ畑。
そのほとんどが、カベルネソービニョンの
ブドウ畑だそうです。
98年のビンテージを試せ…と頂いたので
すが、ビンテージらしく優しい角の取れた
感じながら、しっかりとしたタンニンも
あり、私には、ちょっとだけカカオ的な
雰囲気もあると思いました。
タルボさん、さすがはワイン一筋…
畑の日当りのいい面とか、ブドウの収穫する
タイミングや、その年の気候とか、本当に
楽しそうに語ってくれたので、次回、渡欧する
際には、ぜひワイナリーを訪ねてみたいと
思いました。
マルゴー地区だそうです。
写真は、唐の時代に日本に伝わったと
される金銅鍍金舎利容器。
仏塔の中心部の礎石の中に納められ
ていたと思われる仏舎利の容器で、
現代美術家の杉本博司氏の著書より
引用しました。
御釈迦様の骨を入れる器だけに大切に
されてきたのでしょう。
そしてこの器が日本にもたらされたのが
唐の時代…日本が遣唐使を送り出した
時代です。
この頃は、仏教にしろ政治にしろ日本は
必死で中国の文化を勉強した時です。
「最近は、中国が成長してるけどバブルだぜ」
「実力じゃないよ。。。」
などおっしゃる方はいますが、
もともと、日本で使っている漢字も中国から
学んだものです。
唐の国はもうないですが、色々と教えて
貰っていたのですね。
1)ルビー
2)エメラルド
3)サファイア
4)ダイヤモンド
を四大貴石と呼びます。
今の順番だと、ダイヤモンドが
一番最初に来るかも知れませんが、
宝石が特権階級の持ち物だった時代には
数の少なかったルビーは大切にされました。
実はこの、この四大宝石、結構、理にかなって
います。
なぜなら、光の三原色が、赤、青、緑。
少し前までのブラウン管で映像を出すテレビ
は、赤と青と緑のバランスですべての色を
表現していたので納得です。
そして、三原色を足すと白、無色透明に
なりますので、理屈ではダイヤモンドも
仲間入りです。
ただの硬い石と呼ばれていたものの、
カット研磨ができる様になって、屈折率が高く
赤、青、緑を反射するダイヤモンドが、
一番最後に宝石の仲間入りを
したのがダイヤモンドだというのも理にかなって
います。
不思議なものですが、宝石になった順番も
結構、理にかなっています。
今から、200万年前のホモ.ハピリスの
時代に石を道具として使い始め、
中国周口店の竜骨山で発見された北京原人、
ジャワ原人の時代のあとクロマニオン人の
時代になると石を使って火をおこしていた
事が分かっています。今から3万年前の話
です。
そして、この頃には、暗黒の夜を火を焚く
ことで人は、怖い夜行性の動物から身を
守ったようです。
キャンプに行って夜、焚き木をしていて
お手洗いに火を離れた時の暗闇、動物
たちの光る眼を見たときの不気味さを
感じると、大昔に火を大切にした原人の
気持ちが分かります。
その後、2万年前には、壁画を描いています
が、炭を使った黒色を除いて、ひたすら
赤色を使っている様です。
人がルビー色=赤色を好きになった時代は、
恐らく今から3~2万年前の事だったのでは
ないかと想像します。
間違いなくもっとも古くから親しまれている
色であることは間違いない様です。
なるほど、ルビー色が好きなわけです。
少し残念に思いながら、とても勉強になった
事がありました。
私は、ANA(全日空)が好きで、よく利用
させて頂いておりますが、ちょっと残念な
事がありました。
京都の二条城の真ん前にある全日空ホテルは
その立地の良さや、航空会社が運営している
ことなどから、特に外国からのお客様が多い
のですが、日本のお庭のイメージの中に
ポツンと立っているプラスチック製の鹿が
ちょっと変です。
かわいいと思って飾ったのかも知れません
が、ちょっと場違いで…。
なんだか、南禅寺にミッキーマウスみないな
感じです。
確かに、周りの岩などもFRP製だとおもいますが、
鹿が居なければ誰も気づかないかも知れませんし、
鹿さんがいる意味が不明で残念です。
…そして、余計なおせっかいで、
従業員の方に
「あの鹿を撤去した方が良いのでは?」と
提案してみたら、嫌な客だな…という
顔をされて、更にビックリしました。
鹿さんがいる意味を説明して貰えれば
感じが違ったかも知れません。
何となく、気持ちがこもっていなくて残念な気がしました。
「大切に使う嬉しさがあって、
そして次に大切 にして頂ける人を探す喜び」
がルビーを持つ楽しみかも知れません。
お金を支払って自分のモノにしたと
思っても、宝石ルビーは私たちが居なくなった
あとも何億年も同じ姿です。
時間がたっても変わらないのが宝石ですから。
ということは、
「これは私のモノだ!」というのが嬉しい訳で
はなく、
「私が素晴らしいと思った宝石ルビー」
を次に受け継ぐ人が素晴らしいモノと感じて
頂けること、ではないでしょうか?
私たちが宝石ルビーを持つこと
で得られるのは…
そういう喜びだと感じます。
本当に素晴らしいルビーに出会うには、
間違いなく「ご縁」が必要です。
これが無いと、無理です。
私が原産地に行き始めてから約10年
経ちますが、皆さま、それぞれに相性の
いい魅力的なルビーは毎回、数個は出会い
ますが、私自身が「これは、素晴らしい」と
いうルビーは、1年に一つ出会うかどうか?
本当に素晴らしいルビーは、理論的に説明
出来ないのですが、何万個もルビーを見て
きて、感じているのが、品質の良しあしを
超えた何かがある結晶だということです。
恐らく、昔の方々が「宝の石」として宝石を
大切にした気持ちが分かるルビーがあるの
です。
ルビーばかり見ている私が、1年に一つだと
したら、普通の方は一生、出会えない可能性
が大きいと思います。
ただ、これも相性が関係しています。
ひょっとして、私が探しているのが、
私に相性が良くて美しいと感じるからかも
知れませんが…
どちらにしろ、ご縁がすべてです。
明治時代の芸術家 津田青楓の作品です。
京都出身の津田青楓は、若くして日本画、続いて洋画を学んだ
あと、安定し始めていたキャリアを捨てて、
新しいモノを探しにフランスに留学したそうです。
この事から、フランスのアールヌーボー的な雰囲気もある
のでしょうか?
まだ、フランスが、遠い海の向こう側の世界だったその当時
(明治時代)に、日本画を学び、洋画を学び、そしてその後
にパリに行って新しいものを吸収しよう旅立ったのです。
出発前は、不安な気持ちでいっぱいだったと思います。
しかし、その「安定を捨てた境地」というのでしょうか?
不安いっぱいな気持ちが、感性を磨いていったのは間違い
無いのではないか?と思います。
「先行き不透明だ、不安だ!」とか言われる今の世の中、
こういう時に理屈ではなく、感性が大切だと言われます。
ひょっとするとチャンスかもしれません。
京都の四条通りを東山に上がって行った、
八坂神社の上、円山公園の隣、に100年前
から佇む洋館「長楽館」。
フレンチは「ルシエーヌ」で、
イタリアンは「コーラル」(新館)で
頂けますが、お料理とワインは、ご一緒
したゲストの皆さんが絶賛されています。
それもそのはず、シェフが毎朝、京都の
三山木でとれたお野菜で調理されたり、
ワインのソムリエ佐橋さんは、ヨーロッパ
のワイナリーに直接足を運ぶ徹底ぶり。
美味しいのにも理由があったのです。
伊藤博文公が命名したこの「長楽館」の
魅力を引き立てているのが100年前から
変わらないオリジナルなインテリア。
バカラのシャンデリアから、冬は暖炉で
薪が焚かれます。
さて、今日の写真ですが、そのインテリア
ですが、洋館の呼び名は分かりませんが、
日本でいう欄間みたいなものでしょうか、
お部屋に入るゲートの装飾です。
手作りで、小さな部品を組み合わせて
作られています。
今なら、コスト削減の為に、型どりして
一体成型でつくるのが当たりまえなので、
現場で職人さんが少しずつ削り出して
合わせていった後を見ると…
ちょっと感動します。
その職人さんは、もう生きてはいないと
思いますが、その時の仕事は生きています。
今の大量生産の装飾とは、似て非なるモノ
なのかも知れません。
いまでも、素晴らしい職人さんはいらっしゃる
はずです。まずは、私たちが、その素晴らしさ
違いを感じて、違うものとして捉えるだけの
感性を磨かなければ…
そう感じました。
今日はいい事を聞きました。
私が、いつか楽がしたいね。。とワイフに行ったら、
中国ではね、
There is no way to happiness, happiness is the way.
幸せはへの道はありません。幸せが道なのです。
というそうですよ。と教えてくれました。
。。。なるほど。。。
いま忙しいので、幸せは後でいいや。。。というのではなく、
いま忙しい事も楽しんで、幸せを感じましょうと。
そういえば、来日していた中国のゲストも同じような
事をおっしゃっていました。
良いことを教えてもらいました。