ルビーの森

京都三条と銀座並木通りにある、ミャンマー産無処理で美しいルビー専門店。鉱山から一貫したトレーサビリティーを実現。

1日中ルビーの原石と。。

2010年04月28日 19時50分09秒 | 宝物
今日は、朝一番から1日かかってナヤン鉱山の

自社鉱区から産出した1か月分の原石を仕分け

していました。

丸1日、原石を見続けていると、目が疲れると

いうのではなく、毎度のことですが、乗り物酔い

みたいになってきますが、鉱区の産出状況を

カットしたときのクオリティー別に調査した

ジュエラーは、私たちが初めてでしょうから、

やりがいを感じています。

今日は。。

何とか、0.5ct以下の原石のクオリティー別の

仕分けが終わりました。

これから、カット研磨~内包物のチェックなど

を経て、晴れて立派なルビーとなるものと、

サンプル石として、アクセサリーに使われるもの

など、次の仕分けが待っています。

こうやって品質ごとに並べてみると。。。。

現地で、見て思っていたよりも遥かに、無処理で

品質の良いものが少ないのに気づきます。

人工合成ルビーの種類の数を見ても、

色の改良のための処理技術の種類の数を見ても、

宝石で最も多いのがルビーです。

感覚的に感じたのは、人工合成ルビーも、

加熱処理されたルビーも、ルビーの美しさを

手軽に楽しむ方の為に、

あって良かったということです。

無かったら。。。無処理で美しいルビーは、

手が出ない値段になっていたかも知れません。

宝石学会で発表すること

2010年04月27日 10時01分43秒 | ルビー
毎年、参加させていただいている

「宝石学会」。

昨年は、東京大学で開催されましたが、

今年は、名古屋大学で来月、開催されます。

モリスが発表するのは、

「Nam-Ya産ルビーの出現率について」です。

何やら、~率といえば数式があって。。。

という雰囲気ですが、私たちモリスは

学者さんではなく、ジュエラーです。

ジュエラーが考える出現率とは、実際に

鉱山を採掘して、何個コランダムの原石が

産出し、全部カットしたら宝石は何個で、

その宝石の品質の高いのは何個、中級クラスは

何個、アクセサリーに使うレベルのものは何個

。。と一つ一つ数えていき、事実に基づいた

数字を発表するだけです。

研究は学者の先生方にお任せして、私たちは

徹底的に調査するのが役目です。

それで、お客様に説明するときに、

このルビーは~万個中で一つしか取れない

レベルの品質です。。と説明したいが為に、

実際に自分たちで採掘して、数えたジュエラー

は、まずいないと思いますので、新しい情報

をお知らせできると今から楽しみです。

写真は、インクルージョンですが、

宇宙空間に浮かぶ隕石みたいで、綺麗ですね。

15年前には分からなかったこと

2010年04月26日 07時36分56秒 | 宝物
写真は、私と私のワイフの結婚指輪です。

金とプラチナのリングで思い出がいっぱい詰まって

います。

もう15年前になりますが、何も知らない私は、

一人で結婚指輪を探しに行きました。

その時は、まだ米国に住んでジュエラーの仕事を

する前でした。

宝石店に入って、色々見せて頂いたのですが、

男性は、普段ジュエリーを見ないので何も分かり

ませんでした。

結局、その時は、オートバイの競争をしていたので、

鍛造(プレス)の部品を良く使っていて、

その剛性が高さが個人的に好きでしたので、

「プレスした金属のモノは無いですか?」

といって出してもらったのが、私たちの結婚指輪です。

それから。。。

もう15年も経ちますが、今は部屋に飾ってあります。

今は飾りモノ?

鍛造のリングはサイズ変更が後からできないのです。

後からサイズが変えられないというのは、

オートバイの競争で、いつも使っている部品です

ので、頭で分かっていたのに。。。

人間とは面白いモノで、たった15年後も予想でき

なかったのですね。


幸い私はジュエラーになりましたので、

新しくつくりました。

これだけは言えるのは、ジュエリーは最初に着けた

ときの事、その時の記憶をずっと鮮明に残して

くれる思い出カプセルだということです。

不思議な事。。。とても不思議な事。

2010年04月25日 09時08分11秒 | 今日の出来事
ヨーロッパの宝飾芸術、(東京美術 山口遼先生著)

は、読んでいると宝飾史が良く分かります。


今から約5000年前から栄えた古代エジプト

には、気金属で作られたジュエリーが存在

しており、これらが人類最古の貴金属宝飾品

といわれています。

そして、驚くことに、現在も使われている

ジュエリーのデザインは、この時代にあった

ということです。
(ブローチをのぞくほぼすべてのジュエリー
 があった。。という事です)

素材としては、青い石ラピスラズリ、トルコ石、

赤いものはカーネリアンが良く使われています。

(この赤い石カーネリアンは、今でも使われますが
 宝石学が発達するまでは、赤い石はすべてルビー
 として扱われた地域が多かったようです。)「

使われているモチーフは、「太陽を昼から夜に運ぶ

はしけ」「鷹」「スカラベ=昆虫」「蓮の花」

「ホルス神の目 ウジャット」などが多く、

これらのジュエリーの目的は、神仏の像や祭壇を飾る

荘厳具として使われたようです。

文章は、山口遼先生の著書ヨーロッパ宝飾文化より

引用させていただきました。

。。。。。。。。。

とここまでは、今朝、ブログの記事を書いて

いました。そして、著書の中の古代エジプトのジュエリー

の写真を撮影しようとデジカメ出していたら、

偶然、山口先生にモリスの三条本店へお立ち寄り

いただいました。

こんなこともあるのだ。。。。と驚きました。

ブログに著書の話題を書いている時、

目の前に「その著者」にお越し頂けるのは、

滅多にあることではありません。

そういった意味で、驚きのハプニングでした。






ルビーを使った素晴らしいネックレスを拝見して

2010年04月24日 09時02分27秒 | 宝物
写真は、知的好奇心Act4などの雑誌で紹介されている

18世紀ロココ時代のルビーのネックレスです。
(アルビオンアートインスティテュート)

とにかく、その豪華さに驚きました。


これだけのルビーが、当たり前のように、

ビルマ産の無処理で美しい」ものだけで

色を合わせているということです。

いま作ろうと思ったら、ルビーを集めるだけでも、

何十年もかかると思います。


一つ探すのも苦労する希少な宝石をこれだけ多く

集められる地位にあった人がつくらせたのは間違い

ないのですが、解説によると、

「華やかな社交界で、ジュエリーは女性を飾るだけで
 はなく、その女性とパートナーの地位を雄弁に語る
 ことがその重要な役割であった」

とのこと。

クラウン(王冠)、ティアラなどもそうですが、

元々宝石にはそういう力があるものなのですね。

写真はACT4の誌面より引用した、アルビオンアート
インスティテュートの18世紀ロココ時代のルビー
ネックレスです。

日本の精神文化

2010年04月23日 05時46分57秒 | 宝物
アルベルト アインシュタインといえば、誰もが

知っているユダヤ系ドイツ生まれの理論物理学者。

そのアインシュタイン博士は、日本に42日間滞在

して感動したのだとか。。。

行徳先生にその時に残した手紙を約したモノを

いただきました。

アインシュタイン博士が、神様に

「日本という国を残してくれたことに感謝します」

と書いているぐらい立派な精神文化を持っていた

のが日本です。

受け継いでいきたいですね。

縁があったので。。。

2010年04月22日 09時26分28秒 | 東南アジア
写真は、モゴック地方 K鉱区の入口です。

最近、少なくなってしまい、採掘コストを

考えると全くコストが合わないという理由で

閉山していく鉱区は多いのです。

(モリスのナヤン鉱区はまだ大丈夫ですが。。)

ルビーで栄えた町ですから、ルビーが無く

なるとひっそりとするかも知れません。


。。。ちょっと寂しいですね。

でも、

モリスは、ルビーのお陰で現地の方々と縁が

あったので、ルビーが無くなったとしても

何かを一緒にしたいと思います。



ルビーの里としていつまでも、栄えれば

いいな。。。と。

それが何かは分かりませんが、

よく、現地の方と話しています。。。

清朝時代の親指のリング (武具)

2010年04月21日 07時44分55秒 | 宝物
1736年~1820年 清朝乾隆帝時代

のサムリング(親指に着けるリング)は、

もともと弓矢で矢を放つ時につける武具

でした。時代は19世紀になり戦いや狩り

で使うというよりも、むしろシンボル的な

モノとして観賞用に使われるようになった

のではないかと考えられます。

そして、興味深いのは、このサムリング

に彫られている「ポエム」です。

このリングがつくられる1800年前に生きた

才女の蔡琰のストーリーが武具に彫られて

いるのが意外ですが、蔡琰という女性への

憧れだったのか、は分かりません。

文武両道ではありませんが、武人であるが

野蛮では無い事に誇りを持っていたのでは

ないでしょうか?

手にして、そういう風に感じました。



蔡琰:不幸な運命を受け入れて

じっと耐えた文姫と呼ばれた才女


リング、写真は、「指輪を手に取る会」

橋本コレクションより。

資料提供は、宝官さん。

ルビーがついているバッグ

2010年04月19日 06時56分25秒 | ルビー

ルビーがついたバッグ

モリスの社員が使っている

西陣織のバッグ。

社員全員が使っているうちに、

どのバッグが誰のバッグが分からなく

なってきました。

というわけで、ネームタッグをつくりました。

裏側はこんな感じで、名前を刻印します。

ジュエラーなので、バッグもジュエリーつき

で良いと思います。

素材は、シルバーとルビーです。

 


嬉しい形の原石

2010年04月18日 07時11分40秒 | 宝物
面白い形のルビーの原石です。

カット研磨する前から、カットしたい

形になっていました。

ルビーの原石をカット研磨する時の

ポイントは、どの面を上部のテーブル面に

するか?そして、どの部分を下部の尖った

キューレットにするかということですが、

これだけ、ルビーの原石が

「私のテーブル面は、ここです」と

ここまで、ルビーの原石が自己主張して

いるので、迷うことはありません。

ルビーには、二色性といって結晶の縦軸

に対して横軸方向に光を入れると光が

オレンジ色とピンク色の二色に分かれる

性質があり、美しいルビーは、テーブル面

をこの二色が出ない方向にとるのが普通

ですが、この原石は、ご丁寧にその方向

もあっています。

偶然ですが、何かルビーが気を使って

くれている様な気がして、親しみがわいて

くるのが不思議です。

特別なモノ

2010年04月17日 15時45分21秒 | 宝物
昨日、モリスミャンマーから鉱山担当者である

モリスのミヨテ部長が帰ってきました。


ミヨテさんの専門は、採掘された原石をどの様に

カット研磨するかを判断する大切な仕事ですが、

ある原石をカットしている時、職人の

ゾーミンチョ―君が

「ハートが出てきたぁ~」と作業を止めてくれ

ました。

カットの一番初期の作業中にハートマークが

浮かんできました。

それを見て感動したミヨテさんが、半分まで

カットした原石を持って帰ってきてくれました。

写真はその原石です。

ルチルの針状結晶が密集した、通称「シルク」と

呼ばれる内包物で、ミャンマー産無処理で

美しいるびーの特徴の一つです。


私が嬉しかったのは、作業を止めて見せてくれた

ことです。この原石は、反対側の部分が

キューレット(宝石の尖った部分)になり、その

部分をカットすると、個のシルクインクルージョン

は見えなくなってしまいます。

鉱山での採掘からカット研磨まですべての担当者が

持つ方の気持ちを考えて、幸せを願って仕事をして

くれているのが感じられて、とても誇りに思いました。


カット研磨しても美しい原石ですが、このままが

魅力的なルビーなので、このままにしておくことに

決定しました。

今も大切にされている理由?

2010年04月17日 06時48分33秒 | 宝物
奈良にある国の宝が納められている「正倉院」。

その中にある金細荘太刀という刀の装飾に

ルビー色(この時代は加工しやすいカーネリアン

が多い)や青色の宝石が使われていますが、その

装飾のデザインに、今も古く感じない不変の美しさ

を感じます。

遣隋使、つづく遣唐使の時代に中国から持ち帰った

仏教、それにまつわる仏像、仏具、その他の装飾品

は、遠くはペルシャから伝わったものが多いといわ

れています。

仏教関係の文様なのか?

インド、ペルシャ固有の文様なのか?

は分かりませんが、今でいう中国のウイグル地区を

通って西アジアの文様が奈良まで伝わって来たこと

には驚きます。

その時代は、あの唐招提寺を建立された鑑真さんが

日本からのお願いで海を渡るのに5回も遭難した

ぐらい日本に渡るのが難しかった時代です。

それを考えると今なら、月に行くぐらい難しい

ことだったかも。。。

そう考えると、正倉院に保管されているお宝は、

どれだけ大切にされたでしょうか。。。

中国の方が日本に来て感動されるのは、古来の

デザイン、お宝が普通に残っている事ですが、

ひょっとすると、日本海のお陰で伝わるのが

難しかった事も影響しているのかも?

画像は、「日本の古典装飾」青幻舎 より

拝借しました。

いまだ謎の宝石ルビー

2010年04月16日 14時24分17秒 | 宝物
ビルマ王と思われる男性の前の100ctぐらいあり

そうなルビー、それを欲しそうに見ている

スーツ姿のヨーロッパ人。。。。

ミャンマー鉱山省公社MGEの入り口に飾ってある

絵画から、昔からヨーロッパ人が宝石ルビーを

探しに来ていた様子をうかがい知ることができます。

この取引が成立したのかどうか?は分かりませんが、

ルビーといえば、この時代「国王の宝石」です。

この後、1880年代にフランス国内に駐在していた

在仏ミャンマー大使からルビーの採掘権をフランス

が獲得したと同時に、イギリスもビルマの

首都マンダレーでビルマ王からルビーの採掘権を得て、

ひと悶着ありましたが、軍隊が動いたりしたということは、

ルビーの採掘権は両国の国家プロジェクトだったのでしょう。

結局、フランス人とイギリス人が鉱区の採掘権の

取り合いから20年たってフランスのベルヌイ博士が

人工合成ルビーを発明、天然ルビーの価格は大暴落。
(その後30年で人工合成ルビーは宝石ではなくなりルビーの
 の価値は元に戻りましたが。。。)

イギリスもビルマから撤退しました。

宝石は、少なくて、珍しいから「宝物」として

存在しているのに、国が介入したり、人工合成ルビーが

発明されたり。。。最近では加熱処理があったり。。。

結局、自分たちで「希少性」を低下させて、

価値を落して、結果的に撤退する。

ルビーは自然の宝物です。

いそいで無理やり手に入れようとしても増えてくれません。

いまだに、欧米人からすると謎の宝石ルビーです。