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長野電鉄屋代駅から松代に向かい乗車すると、右手にいくつも尾根が見えてきます。そこには歴史マニア垂涎の山城や古墳が数多くありますが、多くの尾根の先端に「なになに崎」という海に突き出た岬のような地名がついています。そして、その下に広がる平地には、「なになに沖」という地名がついたところがたくさんあります。
たとえば、清野の弓形の平地は清野沖といい、東沖、中沖、西沖と分かれています。畑仕事に行く事を「沖へ出る」といったこともあるようです。その昔、川中島が湖沼や湿地帯だったころの名残でしょうか。川中島は主に犀川の氾濫原でした。千曲川は流量の豊富な犀川に押され、南側の山脈に押される様にして強く蛇行しながら流れていました。
前述したように、この千曲川右岸の山々には、古代から戦国時代、江戸時代と、歴史マニアや歴女垂涎の史跡や遺構がたくさん残っています。それらをgoogleマップのマイマップに描画してみました。ブルーの黒点が岬。レンガ色が城跡、黄色が古墳、水色はその他の史跡や地名です。地形モードでご覧ください。ポイントの位置は、必ずしも厳密ではなく、その周辺を表すこともあります。長野電鉄屋代線に乗ったつもりで屋代駅から順に辿ってみてください。また、実際に乗車して訪ねてみるともっと面白いと思います。
★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、地衣類、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
★【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】夏の信州のトレッキングに、四阿山カルデラ周回トレッキングをアップしました。米子大瀑布とカルデラのパノラマ写真、蝶や高山植物の写真がご覧いただけます。
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たとえば、清野の弓形の平地は清野沖といい、東沖、中沖、西沖と分かれています。畑仕事に行く事を「沖へ出る」といったこともあるようです。その昔、川中島が湖沼や湿地帯だったころの名残でしょうか。川中島は主に犀川の氾濫原でした。千曲川は流量の豊富な犀川に押され、南側の山脈に押される様にして強く蛇行しながら流れていました。
前述したように、この千曲川右岸の山々には、古代から戦国時代、江戸時代と、歴史マニアや歴女垂涎の史跡や遺構がたくさん残っています。それらをgoogleマップのマイマップに描画してみました。ブルーの黒点が岬。レンガ色が城跡、黄色が古墳、水色はその他の史跡や地名です。地形モードでご覧ください。ポイントの位置は、必ずしも厳密ではなく、その周辺を表すこともあります。長野電鉄屋代線に乗ったつもりで屋代駅から順に辿ってみてください。また、実際に乗車して訪ねてみるともっと面白いと思います。
★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、地衣類、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。
★【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】夏の信州のトレッキングに、四阿山カルデラ周回トレッキングをアップしました。米子大瀑布とカルデラのパノラマ写真、蝶や高山植物の写真がご覧いただけます。
千曲川左岸は川中島白桃の畑で右岸は長芋の畑ですね。
千曲川の砂は土砂で岩野は長芋の特産地ですね。
野次喜多道中で野次喜多がとろろ汁を飲んでる茶屋で有名な 静岡の鞠子(丸子)の宿の丁子屋のように、岩野や清野あたりに有名なとろろ汁の茶屋を開店しませんか?
鞠子の宿へ研修に行きましょう。あちらは栽培自然薯を使ってます。団体バスが押し寄せるそうです。
岩野の長芋で とろろ汁 麦とろ 長芋をつなぎに使った とろろそば なんていいでしょうね。
あちらは安倍川のきなこ餅もありますね。
犀川の砂は砂礫ですね。もしや賽の河原とは犀川の河原のことでしょうか。丹波島で六文銭を払って善光寺へ行ったのでしょうか。
清野沖は、千曲川の後背湿地です。今でもポンプで排水をしています。
土口も雨宮の渡以北は千曲川の氾濫原でした。起(沖)返という地名があります。ずっと山側の倉科には、舟つなぎ石というものがあり、千曲川の旧流で舟をつないだ石といわれています。
千曲川は、塩崎から松代にかけて流速が極端に遅くなるので、古代から港が発達したのでしょう。松代の古名「海津」もそこから出たのだと思います。
松代の家の周りも湿地ですし城跡のあたりは川の水が流れにくいですね。
沖や岬など地名を調べると面白いですね。