モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

ヒスイ海岸で翡翠探し・宇奈月温泉・生地魚の駅と北洋の館・親不知へとセンチメンタル・ジャーニー(妻女山里山通信)

2020-06-27 | 歴史・地理・雑学
 三泊四日の旅二日目は、富山へ向かいます。6時起床で、7時半に出発。鎮魂と癒やしの旅を追走するセンチメンタル・ジャーニーになりました。日本海は、今回も優しく美しい。それを育てるのが後背の山々です。

 朝9時に富山県朝日町のヒスイ海岸に着きました。左奥に親不知が見えます。すでにヒスイテラス前の海岸では、何人もの人が翡翠ハンティングをしています。親不知海岸がほとんど観光客なのに対して、こちらはガチです。ほぼプロの人ばかり。装備が全く違います。ウェーダーを履いて海に入ったり、長い柄の先に網のお玉をつけたり。拾った石の量も凄いです。私も一時間少し探しました。成果は最後の日のブログにアップします。

(左)ヒスイテラスの屋上から、あいの風とやま鉄道と国道8号。トラックドライバー御用達のドライブインきんかい。ここのタラ汁定食はおすすめ。ずっと左にある食堂金森のタラ汁も絶品でした。(右)ちょうど上り下りの電車が来ました。国道8号から県道13号に左折して、田園地帯を宇奈月温泉に向かいます。

(左)富山地方鉄道本線宇奈月温泉駅前の噴水。温泉です。(右)駅前の風情ある踏切。車は宇奈月公園の横にある駐車場へ。無料です。温泉街は狭いので歩くことをお勧めします。

 黒部峡谷鉄道の宇奈月駅は、宇奈月温泉駅から200m。通称トロッコ電車がやってきました。右の青い階段を下ると、左の赤い橋へ続くやまびこ遊歩道。左のトンネルから宇奈月ダムまで行けます。昨年の11月に訪れた際は、紅葉が見事でした。川魚を追って黒部川をさかのぼってきたのでしょう。カモメが舞っていました。

 トロッコ電車が出発しました。乗客はわずかです。ただ温泉街のホテルの駐車場には、たくさんの車が止まっていました。県外ナンバーも多く、団体客も見かけました。ここから県道14号、53号を走って生地(いくじ)の魚の駅へ向かいました。約30分です。

(左)生地の魚の駅。左に鮮魚店と土産物店。右にレストラン「航海灯」と案内所。昨年と比べると客は少ないですね。(右)目の前に黒部漁港。ここであがった地魚が食べられます。

(左)昼は「航海灯」へ。はずれはありません。幻魚の天ぷらもお勧め。(右)前回はしろえびかき揚げ丼をいただきました。今回は番屋の飯。刺し身はもちろん鯖の煮付けも美味。つみれ汁が馬鹿旨でした。食後は隣のとれたて館へ。夜のつまみを買います。

(左)ここの売りは地魚。黒鯛、真鯛、スジガツオ、カレイ、マトウダイ、クロムツなど。(中)ウマヅラハギ、ホウボウ。(右)トヤマエビ、キジエビ。信州ではお目にかかれません。ホタルイカ同様、富山湾の恵みです。

(左)左上がげんげ(幻魚)。げんぎょ、どぎ、みずうお、すがよなどとも呼ばれますが、正式名称はノロゲンゲ。深海魚で見た目はあれですが、これがめちゃくちゃ美味いのです。コラーゲンたっぷりで女性にお勧め。煮物もいいですが、天ぷらをのせた幻魚丼は絶品です。
(中)ニギスとハタハタ。ニギス(正式名称)は信州では新潟系のスーパー原信でメギスとして売られています。唐揚げや天ぷらに干物も美味しい。ハタハタはきりたんぽ鍋には必須ですね。左の小バイはバイ貝の小さなもの。煮付けてほじくりながらビールのつまみに。
(右)きときとの刺し身。鯛やヒラメもいいのですが、真ん中のアラとタチウオで迷いました。結局タチウオを。他に晩酌のあてに、カニの甲羅に身と蟹味噌を詰めたものとホタルイカの沖漬けを。この沖漬けが感動ものでした。こんな大きなホタルイカは見たことがありません。味付けは醤油、酒、本味醂のみ。しかも薄味で旨味が凄い。10匹入って500円弱。これは絶品でした。

(左)10キロを超える大きなメダイ。21600円という値段も凄いですが、こんな大きなものは初めて見ました。美味しい白身で、きときと寿しなどで食べられます。(中)アラ。クエと同じ仲間ですが違います。これも信州では見たことがありません。右はイシモチ。シログチともいいます。きときと寿しへ行くと分かるのですが、北陸のお勧めはマグロではなく白身魚なのです。
(右)あからはちめ。なんですか?煮付けがいいそうです。アクアパッツァにも。右は鮎。岐阜産。これぐらいだと塩焼きよりも、昔上野の鈴本演芸場の小料理屋で食べた、中骨を抜いて素麺で巻いて揚げ、天つゆでいただく俵揚げがいいでしょうね。そのお店はなくなった様ですが。

(左)海岸べりの道を北上してほどなく北洋の館へ。漁師小屋をリニューアルしたお洒落で居心地のいいカフェです。(右)昨年の11月に案内所で勧められて訪れて、お店のお姉さんから生地という地名の由来を聞いたり、拙書の紹介をしたりと楽しいひとときを過ごしました。今回も彼女と色々話すことができました。新型コロナウィルスで来られませんでしたが、GWに大きな蜃気楼が見られたそうです。う〜ん見たい!

(左)手作り感たっぷりのお洒落で温かいメニュー。シフォンケーキとコーヒーのセット。いいですね。(右)お昼も食べてきたのでアイスコーヒーを。ブラックで。クッキーとチョコがつきます。お店のおばちゃんたちもあったかくて、いつまでも長居したくなるお店です。お土産に秋刀魚の糠漬けを買いました。若狭地方ではへしこといいます。鯖のへしこ、フグ、イカ、ハタハタなどのへしこなどがあり、私の大好物です。

(左)併設の漁具や写真の展示も必見です。昔の漁の様子や祭りの写真もあります。味のある写真ですね。(右)古い漁船の舵輪。仕事をし尽くした感があります。帰りは魚津生地入善線を北上。味のある入善の街を過ぎたところで通行止め。仕方なく国道8号へ。

 親不知に寄りました。右の洞門は現役の国道8号。アップダウンと急カーブの連続で暗いので点灯とスピードダウンを。下り坂ではシフトダウンしてエンジンブレーキを。これを知らない人が多いのは困りものです。高速道路は海の上を走っています。

(左)歌川広重が描いた親不知。江戸時代はこんなだったのでしょう。加賀藩が参勤交代でここを通るときは、人の盾を並べて殿を守ったそうです。正式には親不知子不知といいます。まず自分を守るのに親も子もない。津波てんでんこと同じです。(右)親不知ピアパークの上にある糸魚川市のまるたん坊で入浴。宿泊もできます。日本海が一望できる展望のいいお風呂ですが、いつ行っても客は私だけ。もったいないです。お勧めです。

 マリンドリーム能生に戻りました。もう観光客はいません。たくさんのカモメ(海猫)が漁船の帰還と一緒に来ました。ニャーニャーと騒がしいこと。おこぼれはゲットできたかな。

 日の入りは7時10分。長野の北アルプスに沈む夕日も感動的ですが、日本海の水平線に沈む夕日も染み染みといいものです。色々な想いが交錯します。生地で買った魚介類をつまみに、辛口の白ワインで晩餐。明日は信州の高原に戻ります。ハーフの可愛い女子大生と邂逅した湿原へも。

マリンドリーム能生から親不知へ。黒部峡谷の入り口の宇奈月ダムへ。富山湾へ。魚の駅「生地(いくじ)」と北洋の館(妻女山里山通信):昨年11月の旅の記録です。紅葉の宇奈月ダムも。前後の記事もご覧ください。

 『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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初詣は京都の清水寺の元寺という山形村の標高1200mの清水寺へ。驚くべき古刹でした(妻女山里山通信)

2020-01-04 | 歴史・地理・雑学

 初日に輝く北アルプスの常念岳(左)と横通岳(右)。雲ひとつ無い清々しい元旦の朝です。

(左)東山から登る初日。草間彌生の水玉の様なフレアーに今年の幸運を予感してしまいました。(右)突っ伏している次男はごめんなさいと懺悔しているのではなく、ドローンを飛ばしてその画像の確認をしているのです。ドローンは100mの上空にいて北アルプスのパノラマを撮影しています。後方は左から燕岳、仁科三山。白馬三山です。

(左)霜がおりた田んぼの畦道。(右)朝食は我が家恒例の太く長く生きろよとおしぼりうどん。信州でも旧埴科郡と更級郡でしか食べられていない極めて貴重な伝統食です。強烈に辛いねずみ大根の絞り汁に信州糀味噌をといていただくのですが、今回のはすすれないほど辛く、食べると胸焼けならぬ強烈な胃焼けがして参りました。ただ辛味は揮発性なので、時間が経つと辛味はなくなります。篠ノ井や戸倉上山田、坂城に名店があります。うどん好きでこれを食べたことがない人はマイスターとはいえませんね。小麦粉は友人が作った幻の伊賀築オレゴンと信州地粉のブレンド。

 山形村の清水寺からの展望。正面は美ヶ原の王ヶ頭。アンテナが目印。眼下には松本空港。飛行機が飛び立って行きました。

(左)清水寺の仁王門。(右)山形村指定天然記念物アララギの巨木。林業関係の長男も何?と思ったのですが、管理人のおじさんがイチイの木だよと教えてくれました。方言ですね。

 仁王門の阿吽の仁王像なんですが、今まで見たことのない不思議な造形です。白っぽいものと緑の違いはどういうことなのでしょう。凄いです。しかも石像。木像がほとんどです。はじめて見ました。非常に貴重なものだそうです。

(左)左右に三体ずつ地蔵が並んでいます。(右)趣のある山門。

 銅板葺きの本堂。銅板は近年のものでまだ新しい輝き。年月を経ると緑青色の趣のある佇まいになるでしょう。右上には鐘楼が。

 慈眼山 清水寺の御由緒。

(左)参拝していると管理人の方が来られて、本堂の扉を開けてくれました。撮影してもいいですかと問うといいですよと。前立本尊。手前の写真は秘仏の千手観音。(右)坂上田村麻呂の東征の絵で、最も古い絵だろうということです。現在は住職はいませんが、過去には6人の住職がいたとか。ここから京都の清水寺に嫁いだ方がいて、昨年90歳で大往生したとか。

(左)なんでしょう、薬箱ですかと聞いたら、いや御神籤(おみくじ)ですと。ただ番号を出す棒が箱から出せないんですと。(右)箱の中の御神籤を見せていただきました。驚いたのは、山号が慈眼山ではなく、京都の清水寺の音羽山ということ。これは管理人の方も不思議だねと。これこそ元清水寺の証拠かもしれませんね。いやこれは京都の清水寺で使われていたものではないでしょうか。それを新しくする時にこちらに寄贈されたのではないでしょうか。それなら納得できます。本来ここに安置されていた行基作といわれる千手観音は京都の清水寺に安置され、ここの秘仏は江戸時代のものとか。

(左)毎年5月に行われる秘仏御開帳の写真を見せていただきました。京都の清水寺から今年の漢字を書かれる森清範貫主とお孫さんも訪れるそうです。当日は秘仏の千手観音が公開されます。(右)見事に刈られたイチイ。

(左)境内には天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が首にかけて踊ったというヒカゲノカズラ(石松)がありました。(右)不動明王の石仏。

(左)夕食の雑煮は、次男がふるさと納税で得た佐世保地鶏で。出汁は濃厚で超絶美味でした。(右)チェダーとかカマンベールとかチーズ六種にエステートゴイチのシラー。

(左)佐世保地鶏とアンガスビーフのソテー。アメリカ牛ですが、抗生物質やホルモン剤を使っていません。信州では西友や原信で買えます。安価ですが美味です。(右)元旦の夜は我が家恒例のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサート。最後のラデツキー行進曲を聴くと毎年寝落ちします。今年こそいい年でありますように。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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2019年の大晦日は濃霧の中を安曇野へ。鎮魂と癒やしと回顧の年末(妻女山里山通信)

2020-01-04 | 歴史・地理・雑学

(左)100m先が見えない濃霧の中を安曇野へ。対向車にフォグランプなど点灯していない車を散見。自分が見えるから不要ではなく、自分の存在を知らせるために必要。そこを知らない人が多い。薄暗い林道では真昼でも点灯が常識。(右)濃霧の国道19号を安曇野へ。東京電力の平ダム。長野県民は1ワットも使っていません。都民のためにあるのです。

 松本市の芥子坊主農村公園からの松本市街の眺め。無料のキャンプ場があり北アルプス始め360度の展望が望めます。大晦日とは思えないほどの穏やかな日です。ただ、このまま冬が終わり春になるはずがないのは皆分かっています。むしろ2014年の様な大豪雪が来る可能性が高いのです。

(左)昼は安曇野の名店、一葉で。私は最近はまっている鴨蕎麦。期待を裏切らない味でした。安曇野には池田町の翁を始め蕎麦の名店が数え切れないくらいあります。(右)大晦日のアルコール。奴奈姫は糸魚川の銘酒。純米吟醸ですがしつこくなく非常に美味しい日本酒です。右のシラーはエステートゴイチのシラー。素晴らしい。信乃大地は純米酒松尾と手作りヨーグルトのリキュール。その右は信州の高級スーパーツルヤオリジナルの100%紅玉のジュース。めちゃくちゃ美味しい。最後は一本1300円ぐらいする有機栽培のデルモンテの葡萄ジュース。

(左)次男が持ってきた山梨のご当地ビール。半端ない旨さです。販売すると瞬間に売り切れてしまうそうです。(右)信州の冬といえば野沢菜の漬物。添加物のない本漬けを買ってください。それ以外は偽物です。

(左)夜は牡蠣の土手鍋。近所のおばあちゃんにもらった甘みたっぷりの長ネギと椎茸。(右)しめは友人が作った幻の小麦、伊賀築オレゴンと信州の地粉で打った自家製うどん。絶品です。

 忘れていました。ロシア産のズワイガニも。なんちゃら歌合戦は観ません。鎮魂と癒やしと回顧の年末でした。初詣は、なんと京都の清水寺の元清水寺は信州だったの古刹へ。秘仏御開帳には、京都の清水寺から森清範貫主もお孫さんと訪れたとか。

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真田宝物館へ。御用絵師たちと真田の大鎧。見どころ満載(妻女山里山通信)

2019-12-07 | 歴史・地理・雑学
 松代藩十万石のお宝が詰まっている真田宝物館へ。「真田美術館へようこそ!/真田家の大鎧(おおよろい)」を観に行きました。

(左)真田宝物館。この向こうには真田邸があります。文武学校も近くですが工事中です。象山神社と記念館も歩いて行ける範囲です。(右)今回の展示。12月23日までです。週末に通ったら県外ナンバーの車も見られました。撮影禁止なので画像はありませんが、平日だったので学芸員の女性がつきっきりで説明してくれました。非常に興味深い話が聞けました。責任者の方にもお会いできてお話できました。真田マニアなら必見の展示です。

真田宝物館
「真田美術館へようこそ!/真田家の大鎧(おおよろい)」
2019年9月25日(水)~2019年12月23日(月)
「真田美術館へようこそ!」
 松代藩のお抱え絵師・三村晴山(みむら せいざん)と、幕末に松代藩の在野で絵を描いた女性の絵師・恩田緑蔭(おんだ りょくいん)を中心に、松代藩で活躍した絵師の作品をご紹介します。
 前期:9月25日~11月4日 後期:11月6日~12月23日(前後期で展示資料の一部入れ替えを行います)
「真田家の大鎧」
 江戸時代後期に作られ、真田家に伝わった4領の大鎧とそれに合わせた鎧直垂、陣羽織などを展示します。

斎場山から天狗山へ。上杉謙信斎場山布陣想像図。古書の虫干しで大発見(妻女山里山通信):榎田良長という人が描いた『川中島謙信陳捕ノ圖 一鋪 寫本 』が山の形や古道が超リアルだが調べても何者か分からないのです。
『龍馬伝』にも出た老中松平乗全の掛け軸から推測する幕末松代藩の人間模様(松代歴史通信):松代藩の御用絵師のひとりに青木雪卿(せっけい)重明と名主を務めた先祖が友人だったという記事。青木氏の子孫とのやりとりも
真田宝物館へ。戦国時代の英雄史観について(妻女山里山通信)


 江戸時代中期以降になると、伊勢参りとか善光寺参りとか、庶民の旅が盛んになります。十返舎一九のやじさんきたさんで有名な十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にもありますが、特にお蔭参りといわれる文政年間のものは、なんと日本人の8人にひとりがお伊勢参りをしたという驚愕の事実があります。善光寺参りも盛んでした。そんな旅人のために「川中島の戦い」の絵図がたくさん売られ好評を博した様です。そこで、個人的にそれらを集大成した展覧会を開催できないものかと真田宝物館で話したところ、長野市立博物館が最適と思いますと言われて訪れました。
 「川中島の戦い」の本を買い、学芸員の女性にその話をしました。朝日新聞や旺文社、キヤノン、パナソニックなどの仕事をアートディレクターやデザインプロデューサーとしていくつもの企画をしてきたので、個人的に川中島の戦いの絵図の集大成が観たいのです。当館のHさんに以前妻女山の初出を訪ねて行ったときに、江戸時代の人たちが見た川中島の戦いの研究をされたらどうですかといわれました。それは面白いなと思いました。しかし、興味は妻女山から斎場山、古代科野国、どこから出雲と大和は来たのかに興味が移ってしまいましたが、やはり、歴史的には全く重要視されない川中島の戦いが気になり始めました。この展示はぜひ開催して欲しいと思います。八幡原にあるこの博物館に最適な展示だと思います。合わせてグッズを販売していただくと嬉しい。川中島の戦いは人気があるので、県内外からの来場者が多数集まると思われます。
長野市立博物館

(左)博物館前の池には鴨がたくさん。(右)八幡社。祭神は、建御名方命(諏訪大社の祭神・大国主命の子)、誉田別命(応神天皇)。

 有名な上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの像。史実かどうかは神のみぞ知るということでしょうか。川中島の戦いについては、地元ならではの記事を多数掲載しています。右上でブログ内検索をしてください。我が家もそうですが、近隣の家はほとんどが川中島の戦いに参戦し、その後住み着いた家系が多いのです。色々な口伝が残っていますが、それらを聴き集めて集大成した話は聞きませんね。残念なことです。
上杉謙信と武田信玄「川中島合戦陣取りの図」(妻女山里山通信):榎田良長の川中島の戦いの絵図

(左)八幡社御由緒。大分県宇佐市の宇佐神宮が総本社です。八幡神は、誉田別命(応神天皇)で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めました。誉田は本田、秦氏との関係があるのでしょうか。大和王朝の祖ともいわれる徐福伝説とも関係があるのでしょうか。(右)「執念の石」。作戦の失敗から武田信玄の軍、武田軍の中間頭原大隅が馬上の謙信めがけて槍をついた外れて逃した。原は無念と傍らの石を槍で突き刺したという。まあ、江戸時代に観光用に作られた物語でしょうね。

(左)川中島大合戦図。この上なく大雑把なペンキ絵です。山並みの形が全くリアルではない。当時の長野市がペンキ屋の親父さんに頼んだのでしょうね。話にもならない図です。妻女山展望台の図も、以前、大阪から来たおじさんが、実際の風景と全く違うではないかと怒っていました。長野市観光課のレベルの低さが致命的に痛い。(右)首塚。戦が終ると、位の高そうな侍の首を切り取って洗って塩漬けにし持っていってあわよくば報奨金をもらう。死んだ侍から刀や鎧を奪い、女子供を売る奴隷市が立ちと綺麗事では済まない。そんな中でこの様なことができたのかはなんともいい難い。

 兵どもが夢の跡。手前に見える土塁は当時からあったとは思えません。この公園が整備されたときにもっともらしく作られたものだろうと思われます。川中島の戦いについては、いくつもの記事を上掲しています。右上の検索窓からブログ内検索で探してください。地元ならではの情報が読めます。

 真田宝物館で収蔵品の絵図を買い求めました。右は長野市立博物館で買い求めたもの。バックは真田信之所用の甲冑の兜をモチーフにしたフェイスタオル。左下に真田家家紋のひとつ「結び雁金」の金糸刺繍が。これは母校の松代中学の校章です。運動会では、真田節を踊りました。

 冷えた体を温めに温泉へ。土口水門からの堤防は、台風19号で越水しました。対岸の岩野橋すぐ上の横田河原は、洪水になると大量の土砂が溜まります。それを削除しなおかつしゅんせつ工事をし、流路を広げています。更に河川敷にもう一つの堤防を作っています。真ん中は凹字型の窪みを作って流れが入るようにしていました。これはどういう工法なんでしょうね。非常に興味深いものがあります。

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特別企画「土偶展」国宝土偶と中部高地の土偶。女性を崇めた縄文時代の人々(妻女山里山通信)

2019-12-03 | 歴史・地理・雑学
 長野県立歴史館開館25周年記念の特別企画「土偶展」に行きました。「国宝土偶」〜縄文文化の多様な個性〜は、10.26(土)から11.10(日)まで開催され大盛況でした。駐車場は満車で県外ナンバーも見られました。国宝の土偶が5体も見られるのですから当然でしょう。もし東京の国立博物館で開かれたら、入場まで1時間の行列になっていたかもしれません。今回は、11.23(土)から2.2(日)まで開催中の「中部高地の土偶」〜暮らしに寄り添う小さな女神〜を見に行きました。撮影可能だったので紹介します。

(左)入り口の右側の部屋で、国宝の土偶が展示されています。もちろんレプリカです。有名な「縄文のビーナス」。茅野市の棚畑遺跡出土で、縄文中期のものです。ハート型の顔と平らな頭部。こういう髪型だったのでしょうか。妊娠を示す腹部と大きな臀部。(右)これも有名な「遮光器土偶」。縄文時代晩期の作です。遮光器土偶といわれていますが、実際はなんなのか分かっていないようです。宇宙人説などもありました。色々な想像を掻き立てる土偶です。

(左)縄文時代後期の「仮面の女神)。これも腹部が丸く膨らんでいるので妊婦でしょうか。仮面はなにかの祭祀の再現でしょうか。呪術的なものを感じます。(右)土偶の移り変わり。 縄文文化は、今から約15000年前から始まり、約2300年前まで、12000年以上にわたって続きました。歴史人口学の研究者、鬼頭宏氏の推計によると、縄文時代の人口は、早期の2万人から中期には26万人にまで増えましたが、寒冷化により晩期には8万人にまで減少しました。寿命は30歳ぐらい。乳幼児の死亡率は、非常に高かったと思われます。
 そして弥生時代になると中国から越に滅ぼされた呉の人々が移住し、その後滅びた越の人々も来ました。稲作や鉄器の生産を伝えました。滅ぼされた国と滅ぼした国の邂逅。それが魏志倭人伝に残る奴国大乱なのかもしれません。その後、卑弥呼が国を平定します。さらにその後、秦の始皇帝を欺いて徐福を長とする古代ユダヤの一部族ともいわれる人たちが移り住み、ヤマト王権の祖となったともいわれています。

(左)「中部高地の土偶」。最も古い板状の土偶。国宝はありませんが、重要文化財のものも多数展示されています。(右)三角形の土偶。手や足の便化といいますがどうでしょう。アマゾンの先住民の女性が、性器に侵入してくるカンジルという小さなしかし危険な魚から身を守るために身に付けた焼き物の三角形のタンガと呼ばれるものがあるのですが、それによく似ています。そんな魚が日本にもいたのでしょうか。ちなみに現在はTバックの下着や水着のことをいいます。

 縄文時代中期の「バンザイ土偶」。富士見町坂上遺跡で重要文化財。土偶の体には模様が描かれていますが、縄文人は入れ墨をしていたのでしょうね。衣服にも同じ様な文様があったと想像できます。

(左)非常に特異な形をした「中空土偶」。非常に想像力と創造力豊かな土偶です。(右)弥生時代になって現れて「土偶形容器」。亡くなった人の骨を入れる容器とか。弥生人の流入によって、縄文文化は衰退していきました。他にもたくさん興味深い土偶が並んでいます。

 会場の長野県立歴史館。後ろは、屋代城跡のある一重山(旧小島山)。地元で一重山と呼んでいた山頂は、この右下にあります。国土地理院が三角点を置いて命名する山頂は、地元の呼称とずれることが度々あるのです。妻女山はそのいい例です。

 駐車場から見上げる「森将軍塚古墳」。東日本最大級の前方後円墳です。
森将軍塚古墳。大和系と出雲系が結ばれ古代科野国の祖となる(妻女山里山通信)

(左)記念に買った黒曜石のストラップと黒曜石の破片。(右)前期の国宝展で買ったカタログや手ぬぐい、ピンバッチなど。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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長野市南部の保科に鎮座する牡丹と紅葉で有名な阿弥陀山清水寺へ(妻女山里山通信)

2019-11-30 | 歴史・地理・雑学
 金曜日の午前中は雪もちらついた長野市南部。最高気温が6度と寒い日でした。紅葉はもう終わっているかなと思いましたが。確かに終わっているものもありましたが、見頃やまだ緑色の葉もありました。今年は冷え込みが浅いのでここに限らず里山の紅葉は鮮やかさに欠けますね。
 清水寺(せいすいじ)は、真言宗智山派の寺で、山号は阿弥陀山。信濃三十三番札所の十六番札所です。

 鐘楼の脇の紅葉。白い壁や青空に映えます。お昼頃だったのですが、次々に車がやってきました。

 清水寺の御由緒。国指定重要文化財の説明。
 寺伝によれば天平14年(742年) - 行基が千手観音像・脇侍聖観音像・不動明王像を造像し寺を創建したといい、大同元年に坂上田村麻呂により堂宇が再建されたという。
木造聖観音立像(平安時代末期、寄木造)
木造千手観音坐像及び脇侍地蔵菩薩立像(千手観音は平安時代中期、一木造、地蔵菩薩は平安時代末期、寄木造)
木造阿弥陀如来立像(平安時代末期、寄木造漆箔)
木造薬師如来坐像(平安時代中期、一木造)
木造広目天立像・多聞天立像(平安時代末期、寄木造)
絹本著色両界曼荼羅図
鉄鍬形 金銅雲竜紋象嵌

(左)本堂。(右)本堂左手から奥の院の観音堂への石段が始まります。私は山を登りなれているので13分で着きましたが、普通は20〜30分かかると思います。

(左)登り始めの紅葉は水分が抜けて縮れていました。(右)三重塔跡。1916年(大正5年)の保科大火で消失。大日堂や仁王門、数々の仏像なども消失しました。参道は、豪雨で石段が壊れたり、えぐれていて歩きにくいです。できればトレッキングシューズで。観音堂までは、本堂の右手から車道がありますが、軽トラや四駆の軽がいいでしょうね。

 手水と不動明王か。清水寺観音堂が見えました。

 懸崖づくりの観音堂。京都の清水寺を連想させます。

 重要文化財の千手観音。真言は、おん ばざら だらま ぎりく そわか(唵 斡嚩囉 塔囉痲 紇哩 蘇婆訶)。密教における仏菩薩(ぶつぼさつ)などの本誓(ほんぜい)(人々を救済しようとするもとの願い)を表す秘密語、密呪(みつじゅ)。サンスクリット語のマントラmantraの訳。呪(しゅ)、神呪(しんしゅ)などともいわれる様です。

 観音堂の脇に立つ見事な枝垂れ桜。春はそれは見事でしょう。

 逆光の紅葉。赤い色が少ないのは、冷え込みが浅いのでアントシアニンが増えないためです。まだ緑色の葉さえ見られます。しかし、空気は冬の匂いがします。

 大正の大火で消失した堂宇の説明。三重塔は、裳階(もこし)がありませんね。上田市の塩田平にある国宝の大法寺三重塔と同じ造りでしょうか。だとしたら本当に重要なものが失われてしまったということです。
その美しさから「見返りの塔」と呼ばれる大法寺の国宝三重塔へ(妻女山里山通信)

 羅漢像の向こうに鐘楼と紅葉。暖かい格好をしてきましたが冷えました。温泉に入る前にお昼を。

 篠ノ井の石川亭へ。おしぼりうどんをいただきました。辛味大根(ねずみ大根や信州地大根など)の絞り汁に信州糀味噌、鰹節、長ネギを溶いていただきます。信州でも旧埴科郡と更級郡でしか食べることができない、醤油がなかったころからある相当古い伝統食です。辛くて甘いその味を「あまもっくら」といいます。篠ノ井や戸倉上山田温泉、坂城には名店があります。うどん好きならぜひ召し上がってみてください。我が家では昔から長く太く生きるという意味を込めて、元旦の朝は毎年これをいただくのが伝統です。
おしぼりうどんのオリジナルレシピ

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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上杉景虎が自害した御館の乱の鮫ヶ尾城跡。倭国大乱の斐太遺跡。ナウマンゾウ博物館。錦秋の苗名滝(妻女山里山通信)

2019-11-12 | 歴史・地理・雑学
 妻女山里山デザイン・プロジェクトの恒例の秋のトレッキングは、私が9月中旬にひとりで訪れた上杉謙信が信州からの攻めの備えとして築城した鮫ヶ尾城跡へ。ここは、謙信亡き後跡目相続で、上杉景勝と上杉景虎が争い。景虎が自害した山城として有名です。しかし今回私は、魏志倭人伝に載る卑弥呼の倭国平定(邪馬台国)の前に起きた倭国大乱に興味を持って訪れました。

(左)道の駅あらいから近くの鮫ヶ尾城へ。御館の乱の説明を読みます。向こうは案内所。お茶と柿、漬物を頂きました。(右)斐太遺跡群の説明と自然。

(左)鮫ヶ尾城の図(上越マイスターと呼ばれた大塚直吉氏作)。(右)御館の乱の説明。独身の謙信には子供がなかったため、景勝、景虎共養子です。謙信は跡目相続のことを考えていなかったのでしょうか。

 鮫ヶ尾城跡の縄張り。ちなみに南が虎口になります。最近、熊が目撃されたとか。

(左)斐太遺跡群の説明です。倭国大乱の時に現れた東日本最大級の住居跡。その後も使われたようですが。倭国大乱とは何か。倭国大乱で軍事的緊張が高まった時期に、短期間に使われた一過性の集落だそうです。その後、人々はどこへ行ったのでしょうか。信州へ逃れた人もいるのではないでしょうか。春秋時代の紀元前480年頃に越により滅びた呉のエリートが渡来。紀元前330年頃に滅びた越が渡来とすると、日本全体で60万人といえども渡来した地域は近かったはずで、倭国大乱が起きても不思議はないと考えます。5月に鳥取で弥生時代の110体におよぶ人骨が発掘されましたが、皆頭や体に襲われた大きな穴が開いていました。倭国大乱の証拠かもしれません。先に渡来した呉の民が越の民を襲ったのか。逃れた越の人々が斐太遺跡に隠れ住んだとかもあったかもしれません。越後の地名がその名残かもしれません。(右)残る弥生式土器。縄文末期の日本の人口は8万人ともいわれます。弥生時代に大量の移民があったことが分かります。そして、古墳時代には400万人に。日本は移民の国なのです。
 その後秦の始皇帝の時代に失われた古代ユダヤの一族といわれる徐福を長とした集団が渡来し大和王権の祖となったといわれます。その徐福が連れてきたのが高度な技術者集団の物部氏という説。伊勢神宮の内宮や外宮を裏で支えているのは伊雑宮(いざわのみや)という物部系の伊勢神宮であり、京都においても天皇を守っていた下鴨神社と上賀茂神社を支えているのは物部系の河合神社。伊勢神宮は現在地に鎮座するまで、90年かけて候補地を転々とした。それを元伊勢(もといせ)というが、その元伊勢の中でも最重要な存在が籠神社(このじんじゃ)。これは、特別に本伊勢(ほんいせ)とも呼ばれている。籠神社の裏社紋がユダヤのシンボルであるダビデの星であるという事実。安曇族と徐福。飯縄権現が白狐に乗った烏天狗。これも古代ユダヤとの関連性。諏訪大社にイスラエル人を連れて行ったら、これは古代ユダヤの神殿と同じと。守屋山とか古代ユダヤ語が伝わっているとか、ダイナミックな古代史があったことが分かります。

(左)池の畔を巡って山城へ。太公望がへらぶな釣りをしていました。(右)つづら折れで登るとすぐに広い尾根に乗ります。ここに弥生時代の住居跡があります。

(左)アキノギンリョウソウ(ギンリョウソウモドキ:銀竜草擬)が結実していました。葉緑素を持たない植物です。(右)オオイワカガミの葉。群生地があります。5月に満開の頃はさぞ美しいでしょうね。

(左)足元にグランドカバーの様に赤い実をつけたヤブコウジが広がっています。(右)長く深い空堀。

(左)本郭の手前にある通称東一の丸。(右)少し下って小道を進むと本丸の四阿が見えてきます。

(左)本郭の下にある水場。サイフォンの原理で湧き出しているようです。水場のない山は、山城として機能しません。兵糧攻めに遭ったら生き残れません。春日山城跡もそうです。(右)そこに咲くノコンギク。

(左)山頂です。風もなく穏やかです。(右)上越の平野。遠く米山が見えます。

(左)国指定史跡鮫ヶ尾城の案内。(右)道の駅あらいで買ってきた寿司やあんこうの唐揚げ、ノドグロのさつま揚げ、海老と蓮根の落とし揚げ、メンバーが作ってきたピーマンと長ネギの煮浸し、柿などで昼食。

 赤とんぼが舞う穏やかな山頂。遠く日本海も見えます。山に囲まれた信州と違って開放感があります。気持ちがいい。信州の中信、東信、北信の人たちは、上越や糸魚川の海は自分たちのものと思っています。谷浜には信州の海の家があるし、週末は長野、松本ナンバーの車ばかりです。海釣りに来たり海水浴に来たり。道の駅のパンフレットも新潟と長野を同時掲載したものが多く、長野と新潟は愛し合っているのです(笑)。逆に野沢温泉などに行くと長岡ナンバーばかりだったりします。

(左)まったりと昼餉を楽しんだ山頂の四阿。(右)記念撮影。実はメンバーに、台風19号で水害に遭った者がいます。農機具倉庫が40センチほど水没し、農業機械に被害が出たとか。我が家も河川敷の畑が水没し、長芋の収穫に影響が出ています。それでもこんな風に日帰りの山行に来られるだけいい方なのです。妻女山里山デザイン・プロジェクトも妻女山山系の被害をまだ完全には把握できていません。

(左)コムラサキの鮮やかな実。(右)ホツツジが一輪咲いていました。

(左)弥生時代の竪穴式住居の再現。(右)アミタケがありました。

(左)野尻湖畔にあるナウマンゾウ博物館へ。フォッサマグナの命名者であるナウマン博士。(右)ナウマンゾウの臼歯。石器人はこんな大きなナウマンゾウを石槍でしとめていたのです。大量の肉をどうやって保存したのでしょう。干し肉や塩漬けでしょうか。美味しかったのでしょうね。狩りすぎて、ナウマンゾウは滅亡へと向かいました。

(左)石器人が作ったナウマンゾウの牙とオオツノシカの角で作られた月と星と思われる祈りのオブジェ。(右)和田峠で産出し全国に流通した黒曜石。刃物として使われました。

 次に苗名滝へ。観光客でいっぱい。中国からの団体客も。紅葉の季節です。有名な観光地で軽装の人が多いのですが、トレッキングシューズをおすすめします。

(左)滝口。(右)滝壺の水煙。

 轟音が響きます。この後、冷えた体を温めに苗名の湯に入ってから信州に帰郷。

(左)慰労会は、篠ノ井消防署隣の長崎亭。クロソイの刺し身。生牡蠣のフライに酢牡蠣。赤イカの刺し身などを堪能。(右)締めは長崎ちゃんぽん。いい山行でした。

上杉謙信が築城し、景勝と景虎が争った「御館の乱」で有名な鮫ヶ尾城へ。「倭国大乱」の頃からの斐太遺跡。秋桜(妻女山里山通信)

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マリンドリーム能生から親不知へ。黒部峡谷の入り口の宇奈月ダムへ。富山湾へ。魚の駅「生地(いくじ)」と北洋の館(妻女山里山通信)

2019-11-08 | 歴史・地理・雑学
 二日目の朝。信州に比べれば随分と温かい朝です。宇奈月温泉の奥にある黒部峡谷の入り口にある宇奈月ダムを訪れました。そして道の駅宇奈月から西へ。富山湾を望む黒部市の生地(いくじ)の道の駅へ。案内所ですすめられた街のカフェ北洋の館へ。今回もいい出会いがありました。

 朝7時のマリンドリーム能生。夜中に物凄い雨が降りました。曇っていますが昼頃には晴れそうです。釣り人が何人かいます。チヌ(クロダイ)やメジナ、キジハタ、真鯛のシーズンです。アオリイカも。

 道の駅親不知ピアパークへ。海岸には10人ほどの人がいました。皆さん翡翠を探しています。日本海にしては結構波が荒いです。波には一発波という突然来る大波があるので、翡翠探しに夢中になっていると危険です。私も探しましたが、そうそう簡単に見つかるものではありません。それに、どれが翡翠かも分かりません。糸魚川のフォッサマグナミュージアムでは、石や化石の無料鑑定を行っています。詳しくはHPで。

 8号を西へ向かいます。途中で左折して宇奈月へ。9時半頃宇奈月ダムに着きました。元長野県知事の田中康夫氏の脱ダム宣言には私も賛成でした。ダムはゼネコンの利権の塊でしたから。ただ本当に必要なダムもあるのも事実です。この宇奈月ダムもそのひとつだと思います。後で訪れた黒部市歴史民俗資料館では、黒部川の氾濫と戦った人々の歴史を知ることができました。少し面白い形をしたダムですが、それには理由があります。

(左)大夢来館から見るダム。(右)。ダム関係の資料だけではなく、昆虫や自然の展示もあります。

 ダム湖のうなづき湖畔にある欧州の古城のような新柳河原発電所。トロッコ電車が走っています。欅平までは約80分。

 エメラルドグリーンのうなづき湖。奥は黒部峡谷。この右手にはとちの湯があります。冬季は閉鎖になります。

(左)道の駅うなづき。(右)宇奈月ビールと写真のタペストリーを買いました。「日本三霊山越中立山の絵図」。鉄道の線路が絵が描かれているので、明治時代後期か大正時代のものらしいです。なぜかハワイアングッズが豊富な道の駅です。

(左)道の駅の隣りにある黒部市歴史民俗資料館へ。「十二貫野用水ー開削の記憶ー」の特別展を開催中でした。まず案内の女性が、「黒部の流れと宇奈月」のムービーを上映してくれました。非常にいい映画でした。(右)愛本刎(はね)橋の復元模型。山口県岩国市の錦帯橋、山梨県大月市の猿橋とともに「日本三奇橋」といわれます。

(左)黒部川扇状地の絵図。(右)縄文時代の石器。男性器を模したもので、土偶の女性と対と考えられています。

(左)14号を西へ走り富山湾へ。お昼に魚の駅「生地(いくじ)に着きました。(右)紅ズワイガニ。鮮度といい大きさといい抜群です。紅ズワイガニを食べるならここですね。

(左)巨大なそでいか24000円にはたまげました。その他山国信州人なら初めて見たという様な地魚がたくさん。凄い品揃えです。(右)活魚も。ひらめ9800円。魚の駅を名乗るだけあります。今まで訪れた道の駅では最強です。今度は大きなクーラーバッグを持ってきます。

(左)お昼は併設のレストランへ。(右)刺し身は結構食べているので、しろえびかき揚げ丼を。右の味噌汁の具は鯛です。満足です。

(左)生地は名水の里。街中に清水が湧き出しています。地元の方は清水(しょうず)といいます。(右)殿様の清水。僅かに塩気があります。清水によって味が異なるそうです。

(左)道の駅の案内所ですすめられた海岸沿いの漁具倉庫ギャラリー「北洋の館」へ。(右)魚群探知機でしょうか。古い潜水用具もありました。

(左)昔の漁の写真。非常に活気があったことが分かります。(右)帆船の模型。

(左)カフェの店内です。非常に癒やされる空間です。薪ストーブも。(右)カプチーノを頼みました。キューブ状のチョコとクッキーがついてきます。ブラック派なので砂糖もミルクも入れませんが、とても美味しいカプチーノでした。お店の女性に生地の名前の由来を聞いたり、色々お話できて楽しい時間を過ごしました。今度行くときはクーラーボックス持参で、秋刀魚のへしこと丸干しを買いたいと思います。
北洋の館ホームページ:中水産の古い木造倉庫を利用したギャラリーカフェと、地元名産品を取り扱うお店です。

(左)カフェの前にある生地鼻灯台。(右)すぐ先にあるお台場の大砲。黒船襲来で加賀藩が造ったものだそうですが。こんな可愛い大砲で撃退できたでしょうか。蜃気楼は、4月からGWの頃がいいとか。また来ましょう。

(左)そこで教わった菅原道真由来の前名寺天満宮へ。(右)庭園内にある清水。クセのない美味しい軟水でした。

 親不知に戻って公共施設まるたん坊で入浴。親不知ピアパークの信号を山に登るとあるのですが、以外に知られていません。お風呂からは日本海が見渡せます。入浴料300円。宿泊もできます。おすすめ。 
親不知交流センターまるたん坊

 名立のドライブイン名立食堂で夕食をいただいてマリンドリーム能生に帰還。夕焼けを愛でながらワインを。この夜は時々車が小刻みに揺れるほどの西風が吹き荒れました。見上げるとオリオン座。癒やしと鎮魂の旅は続きます。

 今日は千曲市にある長野県立歴史館に特別企画の「土偶展」を観に行きました。駐車場は満車です。なにせ国宝の土偶が5体も展示されるのですから。東京でやったら1時間以上待ちとか、人の肩越しでないと見られないという状況になりそうです。土偶はそれは素晴らしいものでした。縄文人の心の豊かさや技術の高さ、祈りの深さを感じました。10日(日)までの開催です。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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癒やしと鎮魂の旅。道の駅あらい。マリンドリーム能生。糸魚川一ノ宮の天津神社・奴奈川神社。クラシックカー(妻女山里山通信)

2019-11-06 | 歴史・地理・雑学
 車中泊の旅。今回の目当ては宇奈月ダムと黒部市の生地(いくじ)です。早朝に出発。さすがにいきなり高速では危険なので須坂インターからのりました。道の駅あらいのスマートインターでおりました。

(左)道の駅あらいの鮮魚センターで、朝食用に買ったウニ・イクラ丼。朝から贅沢かなと思いましたが、昼になると売り切れるのも知っていたので買いました。ご飯が少なめで朝食向き。(右)前回春日山城跡に訪れた時は閉まっていた上越市埋蔵文化センターへ。謙信公の展示を観に行きました。変な頭の宇宙人?いえいえこの日はこの後お祭りがあるのです。

(左)上杉景勝の書状。(右)川中島合戦の上杉謙信の軍配と太刀。展示品の多くはレプリカです。お祭りなので武士の装束のお姉さんとお話しました。拙書でも紹介の本当の妻女山、本名は斎場山の話も。武士になりきっているので、そうでござるとか言うので笑いを堪えるのに必死でした。でも謙信愛がひしひしと伝わってきます。祭りも見たかったのですが、後ろ髪惹かれつつ能生へ。春日山城跡も必見ですよ。以前の記事を御覧ください。
新潟/上越・糸魚川・妙高、富山/魚津、長野/信濃町への三泊四日の車中泊ぶらり旅 その1。春日山城跡へ。地震にも遭遇(妻女山里山通信

 マリンドリーム能生。三連休なので駐車場は満車。次々に入ってきます。たくさんの人が何をしているかというと、ベニズワイガニを食べているのです。寒風もなく穏やかな日です。

(左)浜焼きにも行列が。(右)昼食はベニズワイガニ。これでほぼお腹いっぱいになります。カニ三昧。

(左)350円のカニパイ。カニがぎっしり詰まっています。これおすすめです。(右)ケニアからのミュージシャン。あちこちで演奏をするみたいです。楽しいリズムに一番反応するのは小さな子供達。昔、セネガルのパーカショニスト、ドゥドゥ・ニジャエ・ローズのコンサートに行ったことがあります。動画もたくさんアップされているので観てください。一緒に行った結婚前の妻が、本当に楽しそうに踊っていたのを思い出しました、

(左)糸魚川市へ。糸魚川一ノ宮の天津神社・奴奈川神社へ。拝殿です。七五三ですが、初宮の可愛い幼子を連れて家族が訪れていました。(右)奴奈川姫の本社。奴奈川姫は、糸魚川の土豪の妻で翡翠を象徴とする巫女だったらしいのですが、大国主命に見初められ夫を殺され略奪婚をしたと伝えられています。建御名方命は、信州一宮の諏訪大社の祭神です。その孫が妻女山麓にある上杉謙信も尊崇した会津比売神社の会津比売命です。出雲系。夫は崇神天皇に初代信濃國造に任命された武五百建命(たけいおたつのみこと)[古事記]と伝わっています。武五百建命は大和系。出雲系の後に入ってきた越のエリート達。つまり三国志で滅亡に追い込まれた国の高度な技術を持ったエリート達が来訪したと考えられます。弥生時代にはすでに製鉄技術があったのです。拙書ではそれを「みすずかる信濃の国の鉄バクテリアがずくを出す」というエッセイで紹介しています。
 歴史人口学の研究者、鬼頭宏氏の推計によると、縄文時代の人口は約10万人~約26万人、弥生時代は約60万人。(古墳時代は400万人)奈良時代は約450万人。この急激な人口増は、生物学的には証明できません。大量の移民があったと考えるべきです。それが、呉越、徐福伝説、高句麗からの移民を意味するのではと考えます。日本史を世界史と分けて学んではいけないのです。三国志にそのヒントは隠されています。

(左)前から気になっていた天津神社のこの石組み。どういう建物があったのでしょう。(右)そして今回気がついた柱の穴。回廊があったのでしょうか。

(左)次にフォッサマグナミュージアムへ。なんとクラシックカー・フェスティバルが行われていました。フランスの名車シトロエンの2CV( ドゥーシーボー)。30年以上前にパリへ行った時に、このタクシーに乗りました。隣には彼女、助手席には犬が乗っていました。石畳のパリに合わせてサスペンションはフワフワです。(右)スバルの名車アルシオーネ。美しい車です。ちなみにアルシオーネはブラジルの女性の名前で、国民的に有名な歌手がいます。「愛のサンバは永遠に」は名曲で私はブラジルで買ったLPを持っています。素晴らしい歌手です。
◉Alcione - Não deixe o samba morrer



(左)その隣になんとスバル・ジャスティ!。持ち主は若い男性でしたが、取り巻きが多くて話を聞けませんでした。実は長男がこれに乗っているのです。帰って聞いたらフォロワーさんの一人だとか。変わりもんですわな(笑)。(右)ダッシュボード。当時私が乗っていたスバル・レオーネツーリングワゴンと似ていますね。ボタンを押すと車高が4センチ上がるという、パワーボタンがあったり、子供達も大好きないいクルマでした。

 なんかこんなペーパーバッグやゲームがあったのですかね。驚きました。

(左)ジャスティのミニカー。こんなのあったのですね。そしてモーターファン。(右)ジャガーEタイプ。いや美しい。

(左)ダッシュボードとステリアリング。なんて美しいのでしょう。(右)ため息が出ます。このまま空も飛べそうです。この車を作った人の愛を感じます。

 フォッサマグナミュージアムへ。初期の勾玉は色々な形をしています。それが仏教伝来とともに突然消えてしまいます。実は仏教伝来とともに消えたものは、これだけではないのです。それを研究しています。

(左)翡翠の巨岩。(右)プラセンセラスの化石。美しく輝いています。

(左)登山家を魅了した高き峰々。なぜ人は山に登るのか。(右)黄鉄鉱の結晶は、人工とはなんなのか、人為とはなんなのかを問いてきます。お前たちの知っていることは宇宙のほんの一部に過ぎないのだよと言われている気がします。

(左)帰りに参拝者が多くて寄れなかった天津神社の子聖社へ。恋愛御籤を引きました。大吉でした(笑)。(右)その左手にある石碑。見当はつくのですが、説明が欲しいですね。

 夕食は名立のドライブイン名立食堂へ。何度も前を通っていたのですが、初訪問です。

(左)店の後ろでカモメが。(中)店の主人が餌をあげていました。これをしないと店の屋根が糞だらけになるとか。秋が深まると北海道や秋田から大きなカモメが飛来するそうです。(右)いただいたのがミニ甘海老丼と天ぷら蕎麦のセット。テツandトモも絶賛の甘海老丼をおすすめします。たら汁定食も。近所の人やトラックドライバーも訪れるいいお店です。

 美しい夕焼け。信州の北アルプスに沈む夕陽とはまた違った趣があり染み染みとします。車中泊のマリンドリーム能生に戻ります。夜半には物凄い雨が降りました。明日は富山へ。癒やしと鎮魂の旅は続きます。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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道の駅名立・戸隠の紅葉・宝光社戸隠神社・鬼無里・小川の高山寺三重塔・戸倉上山田温泉へ・お土産。センチメンタル&レクイエムの旅(妻女山里山通信)

2019-10-21 | 歴史・地理・雑学
 最終日、信州に帰ります。途中で長野県へ災害復旧に向かう自衛隊の車両にたくさん出会いました。被災地の方にお風呂を提供とか、本当にありがたいでしょう。チケット持参で入浴できる施設もあります。各自治体にお問い合わせを。長野市南長野運動公園でのボランティア募集では、定員の3倍もの人が集まったそうです。帰宅後に仲間と保全活動をしている妻女山に行きましたが、林道は豪雨でえぐれ新たな倒木が何箇所かで塞いでいる様です。次の週末に確認に行きます。
 各地で水害に見舞われた信州ですが、大丈夫な観光地もたくさんあります。戸隠も外国人観光客がたくさん訪れていました。別所温泉などでは松茸のシーズンです。ぜひおいで下さい。

 朝7時半の道の駅名立。ここの風車は健在です。ここの道の駅は、宿泊施設、温泉、プールなどがあるためか、駐車場はほぼ満車でした。後方は、能生、糸魚川、親不知方面です。

 沖合には漁船。夜はアオリイカ漁でしょうか、漁火が見えました。

 9時20分ごろ道の駅しなのに到着。黒姫山。

 北に妙高山。2日ぶりですが、紅葉が進んだように思います。初雪が降るのも間近でしょう。

 戸隠へ向かいます。途中の紅葉。ハウチワカエデやコハウチワカエデ、ヤマモミジなど。赤い色が少ないのは、冷え込みが浅いから。まだ緑色の葉も見られます。見頃は11月に入ってからでしょうか。

(左)宝光社の右隣に見たことがある旅館が。高校時代に美術班の皆で油絵を描きにきた時に泊まった宿です。懐かしい。(右)戸隠神社宝光社。270段余りの長い石段がありますが、左に女坂があります。

 戸隠神社五社(奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社)のひとつ宝光社。社殿の宮彫りが見事です。
戸隠神社公式サイト

(左)木鼻の唐獅子と象。宮司さんに伺うと作者は名工、北村喜代松とのこと。帰って彼の本を見ると載っていましたが彼が作ったのは向拝(ひさしの部分)でこの木鼻の木彫は別の人の様です。北村喜代松の代表作には、鬼無里の山車や松代の長国寺本堂などがあります。今現在これだけの技術を持った宮彫り師はいません。技術だけではなく高い感性を育むことが大切です。日本の教育には、その部分が欠けています。(右)艶やかで荘厳な神輿。二基あります。

(左)御神籤。普通の神社の様にお金を払って自分で選ぶのではなく、数え年を伝えると、宮司さんが奥に入り祝詞をあげてくれます。なんでも戸隠神社が御神籤の発祥の地だとか。それと、もの凄く綺麗な音がする水琴鈴というお守りを買いました。御神籤の文言はまさしく私にぴったりのもので、今後の指標にしようと思います。精進あるのみ。(右)戸隠神社の御由緒。

 ここから県道36号を鬼無里に向かいます。大望峠の展望台から鬼無里の眺め。鬼無里には、その昔、京の都を遷都しようとした名残の東京(ひがしのきょう)という地名があります。
大晦日は鬼無里村の東京へ。賀茂神社春日神社と白髭神社。貴女紅葉の松厳寺。戸倉の水上布奈山神社(妻女山里山通信):鬼女伝説と上に記載の名工、北村喜代松の宮彫りが見られます。これは必見です。

 下って鬼無里の中心部へ。左へ善光寺・長野市中心街、右へ白馬、小川。右へ行きます。前に見えるのは、拙書でも掲載の神話の山、虫倉山。神城断層地震で山頂の4割が崩壊したことは、拙書でも書いています。この右の峠を超えて小川に抜けます。

 36号を登って鬼無里を振り返ります。晴れていれば戸隠の西岳が見られるのですが。

 小川の星と緑のロマン館。宿泊施設や温泉があります。おやきの店も。紅葉の時期に仲間と虫倉山に登り、下山後にここから見た仁科三山に沈む夕陽は忘れられません。

 下る途中に県宝の高山寺三重塔。高山寺(真言宗豊山派)の創建は大同3年(808年)、坂上田村麻呂将軍が戦勝祈願のため観音堂を健立し、弘法大師が自ら彫り込んだ聖観音像を安置したのが始まりといわれています。建立年は、江戸時代中期 元禄11年(1698年)。晴れていればバックに北アルプスの仁科三山が見えます。
 ここから小川の中心部へ下り、36号を信州新町へ越えようとしましたが、台風19号の災害で不通。仕方なく白馬長野有料道路から国道19号へ。途中で86号に右折し茶臼山の峠を越えます。

 茶臼山の中腹から見る善光寺平。写真ではわかりませんが、あちこちに水害の跡が見られます。一日も早い復旧・復興を願います。今回訪れたところや通った峠道などは、昔家族で通ったところがほとんどです。センチメンタル・ジャーニーで、レクイエムの旅となりました。

 昼は戸倉上山田の本格的な中華料理屋「大上海」へ。ワタリガニと高菜のすっぱ辛味スープ麺をいただきました。ワタリガニがたくさん入っていて美味です。この後、痛めている腰を養生しに万葉超音波温泉に入り帰宅しました。

(左)今回の土産。道の駅おがわで買ったおやき。市販のものは砂糖が入っていてくどく人工的な甘さのものが多いのですが、これは野菜の甘味や旨味がたっぷりで気に入りました。砂糖を使う料理人は、どんなに有名でも私は認めません。素材本来の甘さか、サトウキビ100%の黒糖、麦芽糖、蜂蜜などを使うべきです。調べれば分かります。(右)マリンドリーム能生で買った糸魚川市の猪又酒造の純米吟醸「奴奈姫」。奴奈姫とは、大国主命の妻で諏訪大社の祭神の建御名方命母の奴奈川姫のことです。非常に美味しい日本酒でした。

 命ある限り、あなたの、私のショーは続く。
Freddie Mercury Tribute - The Show Must Go On


『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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野尻湖の朝日・奴奈川姫の絶景ヒスイ峡・道の駅マリンドリーム能生の夕焼け。センチメンタル&レクイエムの旅(妻女山里山通信)

2019-10-20 | 歴史・地理・雑学
 翌日は、日本海へ向かうことにしました。無性に海が見たくなったのです。

 翌朝の道の駅しなのから見上げる黒姫山。右上に満月から少し欠け始めた白い月が見えます。昨夜はどんどん冷え込み始め、最低気温は信濃町で3.5度まで下がりました。車の温度計は5度でした。

 妙高山。海を見に新潟に向かいます。

 道の駅を出てすぐの野尻湖に立ち寄りました。朝霧に包まれた弁天島。

 北西を見ると妙高山。しばらく散歩を楽しみました。

(左)遊覧船。(右)寒くなるのは予報で分かっていたので、寝袋に30年ぐらい前に原宿の事務所の近くにあった店で買ったペンドルトンの毛布を持ってきました。充分に寒さをしのげました。

 太陽がのぼり、弁天島の霧も晴れました。国道18号を北上し、8号を海沿いに西へ向かいます。

(左)道の駅マリンドリーム能生で休憩。なんとシンボルだった風車が解体されていました。台風で倒壊の危険があったのでしょうか。昼食を食べにタラ汁を求めて親不知を越えてなんと富山へ。(右)朝日町のドライブイン金森のタラ汁ごはん。1000円。トラックドライバーが立ち寄る店なのでボリュームが凄いのです。このタラ汁、タラコも入って非常に美味です。どこの店で食べてもタラ汁に外れはないと思います。満足して翡翠峡(ひすいきょう)に向かいました。

(左)糸魚川から148号を南下して標識に従って橋を渡ります。左のオレンジの欄干が現在の橋。その隣に古い橋の遺構。こういうのが大好きなんです。たまりませんわ。(右)その向かいにある東京発電株式会社の新小滝川発電所。いい雰囲気出してます。

 ここから林道入山線をヒスイ峡に向かうのですが、これが舗装はされていますが、とんでもない道でした。しかも工事用の大型車が通るとか。こんな狭い道で!? 途中でこの日は工事がないことが分かりホッとしましたが、対向車は来ます。日中でもライトを点灯して、カーブではクラクションが必須です。ガードレールがない箇所もあり細心の注意が必要です。
 で、目の前に突然出現したのがこの明星山。現地で見ると物凄い迫力の岩山です。川からの高さ440mの絶壁。

 展望台から更に車を走らせて下り、川原へ。あちらこちらに翡翠がゴロゴロしているのでしょうけど、ここは国の管轄で監視カメラもあり、盗掘や持ち帰りは犯罪になります。拾いたい人は河口か海岸へ。

 3億年前はサンゴ礁だった明星山。ロッククライミングの名所でもあります。翡翠といえば、やはり大国主命に略奪婚をされた土豪の妻、奴奈川姫(ぬなかわひめ)を思い出します。諏訪大社の祭神である建御名方命(たけみなかたのみこと)の母です。諏訪大社に参拝すると、翡翠を使ったお守りが買えます。今回は、林道入口の店で、翡翠の小さな原石が入った小瓶を買いました。糸魚川のフォッサマグナミュージアムに行くと分かりますが、翡翠は緑だけではないのです。6色あるといわれています。

 ひすいの湯に入ってマリンドリーム能生へ。かに横丁や土産物屋、レストランは5時で閉まりますが、コンビニは9時までやっています。

 前回ほどで派手ではありませんが、夕陽はやはり心に沁みます。信濃町と違って標高が低いので温かい夕方です。明日は信州に戻ります。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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戸隠中社・鏡池・伝説の黒姫山古池種池・道の駅しなの。センチメンタル&レクイエムの旅(妻女山里山通信)

2019-10-19 | 歴史・地理・雑学
 長野市、千曲市、上田市や上信越道や中央道も一部で不通。鉄道も各地で不通です。私の集落はあと50センチ千曲川が増水したら大災害でしたが、奇跡的に無事でした。しかし、周りは各地で浸水。理由は、堤防の決壊、越水。水門を閉めたことによる浸水。しかし、やらなければもっと大災害になりました。
 そんな中、私は極めて個人的な理由で旅に出ました。センチメンタル&レクイエムのひとり旅です。国道18号は赤沼や穂保の水害で不通なので上信越高速道で信濃町に向かいました。

 戸隠神社中社。戸隠五社のひとつ。戸隠神社は修験を元にする社です。古くは飯縄神社とも縁があります。古代ユダヤの失われた11ユダヤ部族のひとつ、大和王権の祖となったといわれる徐福との関係も想起されます。それ以前に、中国春秋時代に越に滅ぼされた呉のエリートが渡来して出雲系の祖となったかもという古代史。倭国大乱は、その後滅び来訪した越と呉の壮絶な戦争だったのかも。弥生時代後期、日本にたった60万人の人口しかなかった中で起きた大乱を説明するには、かなり説得力のある原因と理由が必要です。新潟県上越市の鮫ヶ尾城近くには、倭国大乱の時にだけ住まわれたという東日本最大級の弥生時代の遺跡があります。その後、住民たちはどこへ行ったのでしょうか。我々信州人の祖かもしれません。

 御神木。戸隠の三本杉といわれます。御神木に手をあててずっとその力を感じている女性がいました。樹の鼓動を感じるには、聴診器を買い求めることをおすすめします。2000-3000円ぐらいのものでかまいません。樹の鼓動が聞こえます。

 鏡池に向かいました。前回は西岳が見えましたが、今回は稜線は雲の中。紅葉が素晴らしい。昔、家族とも来ましたが、赤子の長男がミルクを飲み終えると哺乳瓶を思い切りバシッと投げ捨てるので参りました。怒るわけにもいいかないですしね。

(左)ウルシの紅葉。(右)ユモトマユミの可憐な実。

(左)戸隠自然植物園の遊歩道。ここも息子達が小さい頃訪れました。その頃はなかったのですが、現在はツキノワグマが頻繁に出ます。前回訪れた時は横の笹薮で熊の荒い息吹がしたので引き返しました。普通に遭遇します。熊鈴やホイッスルは必須。出会った時は刺激せず、静かに後退りします。これに関しては、下で紹介している拙書のコラムで詳しく書いています。(右)鮮やかで美しいマムシグサの実。誤って口にすると口内が酷くただれます。

(左)戸隠自然植物園から10分ぐらいで奥社参道入口へ通じる木道。先に外国人男性が数人。話しかけるとオーストラリアからの人たち。なんでもモテギのオートバイのレースを見に来たのだとか。石碑の説明を聞かれて信州大学がここの森を保全活動したメモリアルだと説明したり、私のザックにある鹿の角を本物かと聞かれてニホンジカのの本物の角だよと説明したり。実は現在、仕事で英語やポルトガル語を使うことが多いので、もっと会話力を磨かなければなと思っているのです。(右)戸隠神社の奥社参道。CMで有名になったのでパワースポットとしても有名になり観光局が押し寄せています。この日も観光バスが数台。駐車場はほぼ満杯。私は何度も参拝しているので今回はパス。

 そこから東へ。黒姫山登山道の途中にある古池へ。なんと水が抜かれていました。ちょうど中部電力の人が来ていて、補修のために水を抜いたんですと。来年の雪解けの頃に注水しますと。黒姫山の山頂は雲の中。
2001年夏 家族で登った黒姫山。8時間の登山でしたが、小さな息子達がよく登れたものだと思います。もちろん無謀ではなく、その前に充分な経験を積んでいました。そして、万一の場合も考慮しての登山でした。


 帰路に種池に寄りました。どんな活水のときでも絶対に枯れないと伝わる池です。赤とんぼが乱舞。

(左)昼は信濃町から飯綱へ向かう途中の田園の中にある蕎麦処「仁の蔵」へ。新蕎麦の天ざるをいただきました。黒姫の霧下蕎麦は絶品です。たぶんどこの店でも満足できると思います。(右)実は上越市の道の駅あらいに行きました。時間的にきときと寿しには入れなかったので、鮮魚センターで買いました。上は河豚の唐揚げ。左は翌日の朝食用に買った鯖のフライのサンド。いずれもわざわざ買いに行ってよかったと思う味でした。夜は、ユキ・ラインハートのA・O・Rを聴きながらカシオペア座が光る道の駅しなので夕食。昔家族で訪れた時は、黒姫山下山で訪れましたが、山頂が雷雲で覆われて稲妻が光っていたのを思い出しました。ラジオから流れてきた山口百恵の「美・サイレント」が心に沁みました。特に年心なファンではなかったのですけれど。

美・サイレント


駅/竹内まりや
竹内まりや 駅 (梅艷芳裝飾的眼淚原曲)

 今回の旅で流れてはこなかったのですが、今回の旅の途中で、ある時突然脳内を流れた曲です。マリンドリーム能生の夕焼けにシンクロしました。心に沁みる名曲だと思います。

 明け方道の駅しなのから見る朝焼けの妙高山。明日は、海を見に新潟に向かいます。昔、家族でよく見ていたのは日本海ではなく湘南の海でしたが。

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上杉謙信が築城し、景勝と景虎が争った「御館の乱」で有名な鮫ヶ尾城へ。「倭国大乱」の頃からの斐太遺跡。秋桜(妻女山里山通信)

2019-09-19 | 歴史・地理・雑学
 二泊三日、日本海へ車中泊の旅の二日目です。前日は暑くて汗だくでした。夕方になっても27度からなかなか下がらず参りましたが、日没後は海風も吹いてしのぎやすくなりました。翌朝は、8時頃に出発。国道8号を東へ向かいました。6月には春日山城跡へ行きましたが、今回は「御館の乱」でも有名な鮫ヶ尾城(さめがおじょう)へ。

(左)道の駅・マリンドリーム能生の朝。連休なので車中泊の車もたくさんいました。キャンピングカーも数台。(中)散歩をしていると息絶えたオニヤンマがいました。餌の羽虫を抱えています。尾部に産卵弁が見えるのでメスでしょう。成虫の寿命は2ヶ月ぐらいなので、命を全うしたのかもしれません。(右)ピンぼけですが、富山といえば鱒の寿司。朝日町の道の駅で買いました。夕食です。これに信濃町で焼きとうもろこしを2本とツマミを買いました。ビールと赤ワインで晩酌です。

(左)国道8号から63号を南下し、鮫ヶ尾城跡へ。駐車場脇に鎮座する延喜式内社の斐太神社(ひだじんじゃ)。周辺には弥生時代後期後半の「倭国大乱」の頃からの斐太遺跡があります。北方に観音平古墳群、南方に天神堂古墳群があります。200軒を上回る竪穴建物跡を有する東北日本最大規模の遺跡です。越の国からの渡来人と関係があるのでしょうか。
 呉越というときには、春秋時代、呉(ご…BC585~BC473 春秋時代に存在した国。現在の蘇州周辺を支配した。紀元前478年に越王勾践によって滅ぼされた)と越(えつ…BC600~BC334 春秋時代に浙江省のあたりにあった国)と、紀元後の五代十国時代に呉越という国があったので混同しないよう注意が必要です。「呉越同舟」は、前者の話です。もし、両者が渡来したのなら、倭国大乱が起きても全く不思議はありません。また別の説では、高句麗の襲来によって倭国大乱が引き起こされたというものもあります。(右)数分登って鮫ヶ尾城跡へ。斐太遺跡の古墳時代の竪穴式住居の再現が見られます。奥に案内所。係の女性に行き方を教わりました。

 鮫ヶ尾城の図(上越マイスターと呼ばれた大塚直吉氏作)。分かりやすく非常に美しい図絵ですね。これを頭に叩き込んで出発です。
 鮫ヶ尾城は、武田信玄の北上に備えて上杉謙信が築城したものです。拙書でも紹介の信州の北国街道沿いの髻山城は、善光寺平を見張る橋頭堡の様な山城でした。この鮫ヶ尾城
は謙信の死後、二人の養子の景勝と景虎が争った「御館の乱」で、敗走した景虎が自刃した悲劇の城としても有名です。

(左)池の周りを歩いて向こう側の城跡へ。(右)斐太遺跡の図。奴国大乱で軍事的緊張が高まった時期に、短期間に使われた一過性の集落だそうです。その後、人々はどこへ行ったのでしょうか。信州へ逃れた人もいるのではないでしょうか。春秋時代の紀元前480年頃に越により滅びた呉のエリートが渡来。紀元前330年頃に滅びた越が渡来とすると、日本全体で60万人といえども渡来した地域は近かったはずで、奴国大乱が起きても不思議はないと考えます。5月に鳥取で弥生時代の110体におよぶ人骨が発掘されましたが、皆頭や体に襲われた大きな穴が開いていました。奴国大乱の証拠かもしれません。先に渡来した呉の民が越の民を襲ったのか。逃れた人々が斐太遺跡に隠れ住んだとはいえないでしょうか。
 後の古墳時代初期。古代科野国の崇神天皇に任命された初代科野國造の武五百建命は大和系。その妻の會津比賣命は出雲系。政略結婚かもしれませんが、大国主命に略奪結婚をさせられた奴奈川姫のような悲劇性は感じられません。もしかしたら、奴奈川姫は越の末裔かと。大国主命は呉の末裔かと。
 そしてその後中国を統一した秦の始皇帝。その皇帝に上申し、不老不死の薬を探すと村人一同と渡来し戻らなかった徐福。中国では歴史家が、神武天皇は徐福であり、大和朝廷の元祖である(後の葛城氏)という説も唱えています。徐福は、古代ユダヤのいなくなった11部族のひとつとも。伊勢神宮などに残るユダヤの印。八咫烏や烏天狗。古代史の謎は深海の様に深く神秘的です。

(左)城跡の尾根に乗ります。広くなだらかな斜面です。(右)やがて急になり、郭跡と思われる平地も出現します。前夜雨が降ったために湿度100パーセント。立ち止まるとヤブ蚊に襲われるので、立ち止まることもできません。

(左)シロオニタケの幼菌。毒キノコです。テングタケ科のキノコは猛毒のものがあるので要注意です。一度は食べられますが、二度目はありません。(右)堀切が各所に見られます。

 城跡の等高線地図。下から尾根を登ってきました。本来の正面は左の尾根で、虎口もそちらにあります。帰りは右の谷筋の道を下ります。等高線が詰まったところは崖といっていいほどの急斜面で、敵の攻撃を防ぎます。

(左)本郭。キアゲハが舞っていました。(右)本郭からの眺め。四阿のベンチに座ってしばらく沈思黙考。兵どもが夢の跡。

(左)下ってすぐに咲いていたセンニンソウ(仙人草)。キンポウゲ科の毒草ですが、いい香りがします。(右)フジバカマ(藤袴)と似ていますが、葉が三裂していないので、ヒヨドリバナ(鵯花)でしょう。妻女山のヒヨドリバナでは、アサギマダラが吸蜜する姿が見られます。

(左)たぶんシシウド(猪独活)。セリ科シシウド属の多年草は、似たものが多く、なかなか見分けが難しいのです。花火の様な美しい花です。(右)ツリフネソウ(釣舟草)。色といい形といい艶めかしい花です。こんな風に濡れると余計に。

 案内所に戻って係のおばさまにお茶とふかしたサツマイモをいただきながら談笑。撮ってきた植物やキノコの写真を見てもらうと興味を示してくれました。ではと、拙書を出して上杉謙信が布陣した本当の妻女山(斎場山)の話も。
 すると、ここはカタクリで有名だけれど、アケボノシュスラン(曙繻子蘭)の群生地があるので行ってみませんかと。花は見られませんでしたが、右は蕾(つぼみ)でしょうね。花期はこれからの様です。新潟では普通の山野草ですが、長野県では準絶滅危惧種です。咲き終わって種になったキンラン(金襴)も見せていただきました。色々楽しい話をさせていただいて出発。開花期にまた来られるといいのですが。早春のコシノコバイモ(越の小貝母)も見たいですね。

 お腹が空いてたどり着いた道の駅あらいのきときと寿し。連休ですから大混雑。それでも30分でカウンターへ。今回はおすすめメニューをいただきました。ホウボウ・松かれい・かわはぎ・活ばい貝・しまあじ。そして締めは高級魚ののどぐろ。アサリの味噌汁を添えて。他に三皿食べたのですが忘れました(笑)。小雨降る中を関山神社へ向かいました。

 関山神社。 妙高山岳信仰の神社。妙高山は奈良時代の和銅元年(708年)に裸行上人が開山したと伝えられています。平安時代後期に木曽義仲、戦国時代には上杉謙信も戦勝祈願をしています。現存する火祭りは修験道の証。

(左)木鼻の唐獅子と貘。(右)関山三社権現の本尊仏。中央に聖観世音菩薩。左右に十一面観世音菩薩と文殊菩薩。

(左)荘厳な神輿。(右)近くにある仏足石。中央に釈迦の左足形。右に華判(釈迦の実印)、左に舎利塔が彫刻されています。奈良の薬師寺の仏足石に次いで二番目に古い南北朝時代の作と考えられています。

 結局この日も汗だくだったので信濃町の苗名の湯に入り、道の駅しなのへ向かう途中で道路脇にコスモス(秋桜)が咲いていました。しばし車を止めて鑑賞。脳内を山口百恵の「秋桜」が流れていきました。
秋桜 山口百恵 コスモス



 道の駅しなのの夜。夜半に霧雨が降り出しました。FM長野のユキ・ラインハートのA・O・Rの8時からの特集は、映画『ロケットマン』が上映中のエルトンジョンの特集でした。次の三連休には必ず観に行きます。バニー・トーピンとの逸話など素晴らしい番組でした。微かな雨音を子守唄に眠りにつきました。

(左)翌朝は6時に起床。秋桜の向こうに黒姫山。6時半に斑尾高原に向けて出発。斑尾高原は雨でした。(右)今回買い求めたお土産の一部。マリンドリーム能生で買った鮫の歯のお守り。翡翠のお守り。店の女性が一緒に選んでくれました。一番透明度が高いものを購入。関山神社で求めたキャッツアイの御神籤。御神籤はともかく、地球の歴史を語る宝石というか鉱物が好きなのです。マリンドリーム能生では、カニ味噌の瓶詰めを。道の駅しなのでは、前回も買ったお気に入りのヨーグルトのお酒「信乃大地」と妙高高原ビール一番人気のダークラガーを買いました。

 斑尾高原から飯山に下りました。千曲川の上に雲がたなびいています。左には信越トレイルの山並み。飯山から木島平へ、中野から小布施へ。松代から戸倉上山田温泉へ。入湯して帰りました。いい旅でした。

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箕輪町もみじ湖キャンプ場の朝。蔵造川水路橋。塩尻平出遺跡と博物館。井筒ワイン五一わいん。そばカフェ水舎(妻女山里山通信)

2019-08-23 | 歴史・地理・雑学

 箕輪町のもみじ湖キャンプ場の朝6時頃。こちらのサイトには5つのテントが。川向うの入口近くのサイトにも5つのテントがありました。名前の通り紅葉がたくさん植えられています。秋には素晴らしい紅葉が楽しめるでしょう。

(左)長男が教えてくれたヒトリガ。一人蛾ではなく火取蛾です。熟睡しています、ちょっと触ったぐらいでは動きません。(右)シオカラトンボのメス。ムギワラトンボとも。

(左)朝食は豊丘道の駅で買った美味しい食パンにハーブソーセージ、ベーコン、ニンニクのスクランブルエッグ、ピリ辛のワカモレ(アボガドディップ)、トマトとキュウリ、エキストラバージン・オリーブ油にリコピンリッチ、烏龍茶と麦茶。(右)爽やかな木漏れ日の下で朝食を済ませてゆるゆると出発。まず萱野高原へ向かいました。箕輪町の休憩所や宿泊施設とキャンプ場がありますが、展望以外特筆するものは特にありませんでした。北上して小野宿から塩尻へと向かいました。

(左)蔵造川水路橋(めがね橋)。貴重な明治時代の土木遺産。明治39年頃の写真。(右)現在の姿。本来は五つのアーチですが、外側の二つは土に埋もれています。この後、塩尻へ向かいます。

(左)塩尻の「平出遺跡」。縄文から平安の住居が見られます。これは縄文の住居。(右)その内部です。囲炉裏や縄文式土器が見られます。

 古墳時代の住居と、穀物を蓄える高倉。屋根の下部が切り取られ、切妻に煙抜きが。高倉には鼠返し。

(左)平安時代の住居。そうなんです。庶民の家は、縄文時代から平安時代までほとんど変化がなかったのです。(右)実は小学校の修学旅行でここを訪れていました。50数年ぶりの訪問です。感慨深いものがありました。

(左)縄文博物館へ。(右)先日訪れた野尻湖畔の遺跡が。

(左)長野市の松原遺跡で発掘された美しいトロフィー形土器。(右)長和町で発見された黒曜石。鏃(やじり)などに使われたもの。この黒曜石は、青森まで流通していました。

(左)ドラムではなかったかと思われる壺。(右)縄文時代の一軒の住居で使われていた土器はこんなにもたくさんあったそうです。大きいのは水瓶か。

(左)勾玉を使った装飾品。勾玉は古墳時代になると、突然姿を消します。しかし、この小さな宝石にどうやって小さな穴を開けたのでしょう。弥生人のもの凄く高度な技術を感じます。春秋戦国時代に越に滅ぼされた呉のエリート達が渡来したと考えるのが必然かと思われるのですが。歴史家がなぜ古代中国の史料を研究しないのか不思議です。(右)祭祀に使われたと思われる銅鐸。これが鳴り響く村の風景を想像してみました。レプリカの小さな銅鐸を買いました。

(左)様々な縄文式土器。芸術性も技術も高く、当時の人々の豊かな感性が偲ばれます。(右)石棒。男根は豊穣と多産、子孫繁栄の守り神です。

(左)奈良時代の五重塔を再現した瓦塔。実物も展示されていました。(右)それを焼いたと思われる菖蒲沢窯址。

(左)そこから北上して井筒ワインへ。(右)向かいの五一わいん。たくさん試飲しましたが、私が気に入ったのは、エステート五一のシラー。2700円。日本のワインではシラーは珍しい。ふくよかな果実の風味とスパイシーな香り、深いコクのある美味しいワインです。ビーフステーキやビーフシチュー、ビーフストロガノフ、ブラジル料理のシュラスコやフェイジョアーダなどに合うと思います。

(左)更に北上して山形村へ。そばカフェ水舎へ。(右)私は、伝統の奈川蕎麦の十割蕎麦を頂きました。腰があって美味でした。できれば新蕎麦を食べたかった。

 松本から新島々の松本電気鉄道上高地線。安曇野に戻り、息子達と別れて帰路につきました。台風10号もあって心配しましたが、充実したオートキャンプになりました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
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自然科学歴史民俗学と豊かな展示の飯田市美術博物館へ。伊那でローメンを食し箕輪町のもみじ湖キャンプ場へ(妻女山里山通信)

2019-08-20 | 歴史・地理・雑学
 飯田市と南木曽町の間の木曽峠(大平峠)近くの山奥にある携帯も通じない熊が出るキャンプ場から、無事に下山し飯田市街に戻りました。まずは評判の飯田市美術博物館へ。

(左)開館30周年記念で自然・文化展示室リニューアルオープン。(中)カマラサウルスの足の骨。触れるのがいいですね。(右)天竜川花崗岩。中央構造線とフォッサマグナの違いが分かりますか。中央構造線は、日本列島の西半分を縦断する日本最大の断層。それを分断するのが糸魚川・静岡構造線、ナウマンが命名した。フォッサマグナ(大地溝帯)。厳密に言うと糸静線は西側の境界線でフォッサマグナは面ですが。花崗岩はそれを象徴する岩石といえます。

(左)1959年の遠山郷や天竜川。(中)天保国絵図に描かれた伊那谷。細かに地名や山名が書かれています。(右)天竜川の絵図。川にたくさんの帆船が浮かび、水運が盛んだったことが分かります。

 飯田お練り祭りの本屋台「池田丸」。城下18ケ町の本屋台は二層三層からなる豪華なものでした。1902(明治35)年に電線が敷設されて曵き回せなくなり姿を消しました。残った屋台も飯田大火で消失。残るものはわずかです。竜頭彫刻と立波が見事です。

(左)飯田といえば有名な水引。(右)有用植物図説。非常に貴重なものです描写も細かい。伊那へ向かいます。

(左)伊那市錦町。切実なお願いです。(中)馬喰と馬が描かれたマンホールの蓋。(右)飯田線です。

(左)その橋のたもとにある食堂くろねこですが、惜しくも閉店となってしまいました。(中)昼はローメンの発祥の店「萬里」へ。(右)歴史あるローメン。汁は甘めです。店によって味が違うので色々食べてみたいですね。

 箕輪町のもみじ湖キャンプ場へ。テントとタープ、ハンモックを設置しました。紅葉だらけのキャンプ場です。秋は綺麗でしょうね。

(左)夕餉です。ゼブラナスのソテー。(中)モツ煮。(右)椎茸のソテー。すべて美味。

(左)メインディッシュの骨付きラムのソテー。ヒマラヤンソルトと粒黒胡椒にローズマリー。(中)ニンニクと砂肝のアヒージョ。(右)砂肝とネギのアヒージョのオリーブオイルを使った焼き飯。超絶美味。

(左)宴の跡。(右)満腹で眠りにつきました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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