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心療内科 新(あらた)クリニックのブログ

最新の精神医学に関するトピックスやクリニックの情報などを紹介します

喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます

2016年12月29日 | ブログ

今年1月16日に祖母が永眠いたしましたので年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます。95歳でしたので大往生ではありますが、突然の訃報でしたので、しばらくはショックで悲嘆に暮れていました。

小さい頃から、夏休みや冬休みには長期間、祖父母宅に遊びに行き、特に祖母には魚釣りや遊園地、カブトムシとり、映画、アイススケート等々たくさん遊びに連れて行ってもらいました。また、私は高校は愛媛の進学校に進学しましたが、高校の3年間は祖父母宅から通わせてもらいました。勉強は本当に大変できつい毎日でしたが、祖母はいつも優しく私を見守ってくれていました。その3年間は、祖母は私を実の子のように育ててくれました。そういう祖母を、私は心から慕っていました。今の私があるのは、祖母の存在がとても大きいと感じています。本当に心の奥から感謝しています。

葬式や四十九日法要は愛媛でありましたが、長崎から飛んで行きました。葬式では人前もはばからず大泣きしてしまいました。人前でこんなに泣いたのはおそらく初めてでした。その後は少しずつ気持ちの整理ができてきて、四十九日の法要の時には、気持ちは大分、落ち着いていました。「喪の作業」の大切さを身をもって実感しました。「喪の作業」とは簡単に言うと、大事な人が亡くなった時にはしっかりと悲しみ、死別の現実を受け入れ、その悲しみを乗り越えるということです。

この「喪の作業」がうまく進まないと強い悲しみが持続し、長期間、抑うつ状態に陥ります。これを「複雑性悲嘆」といい、DSM-5には悲嘆による抑うつ症状も「うつ病」の診断基準の一つに含まれています。ですので、「複雑性悲嘆」の患者さんに対しては、まずは喪の作業を適切に進めるための援助を行うことが何よりも大切です。

来年の1月には祖母の1周忌があります。週末を利用して、また愛媛に行ってきます。

本日にて本年の診療は終わりとさせて頂きます。新年は1月4日から通常通り診療を開始いたします。それでは、皆様におかれましては、どうぞよいお年をお迎え下さいますようお祈り申し上げます。


心が震えた瞬間

2016年12月19日 | ブログ

先週の金曜に、クリニックの恒例の忘年会をCamille(ココウォーク1F)で行いました。シェフは言わずと知れた上柿元 勝氏。ここは普段はパティスリーで、ケーキや焼き菓子などを販売しています。ここのケーキはどれも美味しいのですが、私は特に“蒸し焼きショコラ”が大の好物で、誕生日などにはホールを予約して頂いたりしています。

当院では、普段、一生懸命頑張ってくれているスタッフへの感謝の気持ちを込めて、年に2回、納涼会と忘年会を開き、スタッフを慰労しています。お店選びの担当は専ら私で、少しでもスタッフに喜んでもらえるように、いつも一生懸命、お店を選ばせて頂いております。“ここは美味しかった!”と思ったことのある数々のお店をこれまでに利用させて頂きました。どのお店でも一生懸命、料理を提供して頂き、いつも感謝しております

ですが、段々、思いつくグルメなお店が少なくなってきて(贅沢な話で、すみません...)、「今年はどこでしようか...」と考えていたところ、以前、あるブログで「パティスリー・カミーユで王道フレンチを堪能した」と書かれていたのを思い出しました。“事前予約で、本当に上柿元シェフのフレンチを頂くことができるのか?”と半信半疑ながら、恐る恐るCamilleにお電話してみたところ、「ムッシュに確認し、折り返しお電話いたします」とのこと。そして待つこと2日、なんと予約OKとの返事でした。その約10日後に、今年の“現代の名工”に上柿元シェフが選ばれたニュースが飛び込んできました。長崎からはただ一人の選出でした。

そしてついに迎えた当日、お店に全員が集合すると、なんといきなり上柿元シェフ当人(以下、ムッシュと呼ばせて頂きます)が笑顔で厨房から出てきて歓迎してくれて、本日のメニューを一品一品、丁寧に説明してくださりました。まず、“とても気さくで親しみやすく、感じの良い方だなあ”というのが第一印象でした。料理はアミューズから始まり、前菜、スープ、メインと続いていくのですが、スープ辺りからあまりの料理の素晴らしさに圧倒され、段々言葉を失い、感動で涙が出そうになってきました。何とも言い表しがたいのですが、オーソドックスながら丁寧に仕事が施されており、火加減も絶妙で素材の味が最大限に引き出されていました。見た目も香りも味も食感も、全てが素晴らしく絶妙なのです...。お皿も一枚一枚、料理が冷えないよう全て暖められており、ムッシュの細やかな気遣いが感じられました。中でも、ムッシュのスペシャリテの一つである“パイ皮包み焼き”は至高の一品でした。もはや料理を超越した芸術と言っても過言ではありませんでした...。

時折、厨房から様子を見に出て来てくれて、談笑する時間もありました。おかげで、肩肘張らずにゆっくりと堪能させて頂けました。数々の逸話を聞かせて頂き、ただただ「すごいなぁ...」と呆気にとられていたところ、日本の料理界の第一人者であるムッシュが、会話の中でさらりと「まだまだ勉強の日々です」と。その言葉に私はとてつもない衝撃を受けました。それは決して謙遜ではなく、まぎれもなくムッシュが心からそう思っていることが分かりました。まさにこの時、「料理もムッシュも、正真正銘の本物だ...」と心が震えました。笑顔を絶やさず気さくで飾らない方でしたが、その目の奥には青白く燃えたぎるムッシュの魂を感じました。それに呼応するように、私の魂が鼓舞されました。こういう体験はそうそうできるものではありません。

帰り際には記念撮影にも快く応じて頂き、スタッフ全員と写真を撮らせて頂きました。帰宅後、まだ感動に浸りつつも改めてムッシュについてネットで調べたところ、ムッシュの著書の中に以下のような一節をみつけました。

情熱という言葉は簡単に使われていますけど、要するに死に物狂いというか、いかなる場合でも体を張って夢を実現しようとする強い強い信念ですよ。寝らんでもいい、飲まんでもいいから何かを得ようと常に自分の心が燃えているくらいの情熱がない限り伸びるどころか衰退以外ありません」

「一流の料理人である前に一流の人間であれ」

「この店で働こうときめたのなら最低でも三年はいなくちゃならない。仕事がたとえ掃除だけだったとしてもイモむきだけだったとしてもだ。三年くらいもガマンできないで他のどこに行っても勤まるはずがない。とにかく、がむしゃらに与えられた仕事をやるしかない」

まさに「信念の人」!。“現代の名工”に選ばれたのも納得です。きっと評価されたのは卓越した料理の技能だけではなく、その磨かれた人間性も含まれているのだろうと確信しました。なお、後に知ったことですが、今回の受賞時には「いまだ満足いく料理はない。毎日が勉強。本物とは何かを己に問い続けたい」とコメントしております。現状に満足することなく、常に本物を追い求める姿勢こそが、さらにムッシュを世界の極みへと導くのでしょう。当然、医学にもゴールはなく、日進月歩です。私もムッシュに習い、決して現状に甘んじることなく、「精神医学とは何か?いかにして患者を救うのか?」と真理を追い求め、日々、使命感を持って邁進していきたいと改めて心に誓いました。

ムッシュは現在も佐世保に自宅を構えているとのことでした。長崎の誇りです。そして、今回のムッシュとの出会いに心から感謝です。また、今年も1年を通して頑張ってくれたスタッフ全員にも感謝、感謝です。

全員のメニューにムッシュ直筆のサインが書かれていました☆。


走馬灯

2016年12月08日 | ブログ

現在、私の身内の一人が深昏睡の状態で、死の淵に立たされています。11月下旬のある日の夜に突然、原因不明の心肺停止に陥ったことによるものです。発見の約30分後に奇跡的に蘇生されましたが、もう二度と意識が戻ることはありません。実はその日に遡ること二日前、体調不良を訴えた際に「過去の記憶が走馬灯のように蘇る。私は死ぬんやろうか?」と話していました。しかし、まさか本当にその二日後にいきなり心肺停止に陥るとは、家族の誰一人として予想だにしていませんでした。そして、まさか当人も本当に死ぬことになるとは思っていなかったでしょう...。

「走馬灯」については、実は過去に科学的に詳細に検証されており、その実態が知られています。オランダの心理学者であるダウエ・ドラーイスマ著書の「なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか -記憶と時間の心理学-」にその詳細が記されています。

「走馬灯」は、世界中のほとんどの地域の人が経験しうるもので、1928年にイギリスの神経学者S・A・キニア・ウィルソンによって「パノラマ記憶」と命名されました。その後に多くの研究者がこの不思議な体験について調査し、瀕死に陥ったことのある人たちに質問し、統計をとってきました。

その結果、「走馬灯」について、以下のような特徴が判明しております。

・死の間際や瀕死の際に、私達のだれもが「走馬灯」を見るわけではない

・死の手前までいった102名の実例中、走馬灯を見たのは12名で、そのうちの10名は故意でない突然死の危機にさらされた人たちであった(自殺未遂例で走馬灯を見たのは1例のみ)

・瀕死になった状況は「溺死」の危険が最も多く43%で、次いで「自動車事故」(33%)、「転落」(9%)と続く

・人生のさまざまな記憶が次々に、あるいは同時にいっせいに映しだされ、ものすごい速さで再生される

・「走馬灯」経験には幸福感が伴う;「走馬灯」を見ている人は、意外にもその間、安心感や幸福感を感じる

実は、その当人と最後に会話をしたのは私であり、突然の心肺停止のほんの数分前でした。その時の様子は穏やかそのものでした。普段は過去の小言や愚痴を言うことが多かったのですが、その日の午後に会った際には悟ったかのように「結婚してよかった」や「人生、前を向いて生きんとね」など、私が過去に聞いたことのないようなことを話してくれて、私は不思議な感覚に包まれていました。きっと走馬灯体験によって、「辛かった人生の中にも幸せな出来事もあったんだ」という記憶が一瞬のうちに蘇っていたのでしょう。最後に会った際にも特に体調不良の訴えもなく静かに臥床しており、私はてっきり快方に向かっているものとばかり思い、部屋を後にしました。結果論ですが、「あと数分、一緒にそばに付き添っていたならば、もしかしたら心肺停止に至る前の異変に気づくことができたのでは...」と今でも悔やまれます

結局、搬送先の病院で心肺停止の原因は末期癌によるものと分かりましたが、自覚・他覚症状ともにほとんどなかったため、不覚にも本人も含め、それまでに誰も気づくことができませんでした。しかも、癌による大量の胸水貯留が原因であったため、状況としては上記の「溺死」に近いと考えられます。走馬灯の体験自体は、すでに過去に上記報告を見聞していたので知識としては知っていましたが、今回の体験で「本当に走馬灯は存在するんだ...」ということを身を持って知りました。

ですので、走馬灯体験は誰もが死に際に体験するものではありませんが、逆にもし走馬灯を見たならば、直ちに病院に行って、全身を精密検査した方が良さそうです...。