心療内科 新(あらた)クリニックのブログ

最新の精神医学に関するトピックスやクリニックの情報などを紹介します

第118回九州医師会医学会記念卓球大会参加報告

2018年11月20日 | 卓球

今年は11月18日に鹿児島で開催されました第118回九州医師会医学会記念卓球大会(第33回九州・山口医師卓球大会)に参加してきました。

結果ですが、今年は団体戦は惜しくも準優勝、個人戦年齢別の部(セミシニア;35歳~44歳)は優勝で3連覇、個人戦全年齢の部では3位と、今年もまずまずの成績を残すことができました。団体戦では私は無敗でしたが、決勝で惜しくも熊本チームに敗れてしまいました。残念。やはりなかなか優勝は難しいです。ただ、チーム一丸となり、皆、精一杯頑張ったので、悔いはありません。また、今年も一日で計14試合をしましたが、足がつることもなく、怪我なく終えることができよかったです。ですが、やはり昨日、今日と全身筋肉痛が続いています(><)。

個人戦全年齢の部では、熊本大学医学部5年生との対決でしたが、完敗でした。ここまで完敗したのは久々です。本大会は医師と学生との交流も兼ね、医学部5年生から参加することができますが、私が対戦した学生さんは全九州学生卓球選手権大会でベスト16に入る超強者でした。きっと私が学生の全盛期の頃でも敵わないであろう相手でした(結局、今大会ではその学生さんが3冠を達成しました)。大会としては、若い強者が参加してくれると盛り上がりますので、今後もどんどん強い選手に参加して欲しいと思っています。

ちなみに、個人戦の連覇の記録は私が一般の部(35歳以下)の時に達成した7連覇が今のところ大会記録ですが、いつかは誰かに超えて欲しいと思う反面、現在、セミシニアの部で3連覇中の私自身が今度は7連覇を超え、大会記録をさらに塗り替えたいとも思っています。また今後も練習に精進し、さらに腕を磨きたいと思っています。

ちなみに、大会後の体脂肪率は久々に7%を切り、6.9%となっていました。もしかすると体脂肪率は全年齢でも一番低いかもしれませんね(笑)。


第36回全日本医師卓球大会

2018年04月23日 | 卓球

昨日、東京の墨田区総合体育館にて第36回全日本医師卓球大会が開催されました。本ブログにも掲載していますが、昨年は長崎開催で、私が事務局を担当させて頂いた大会です。早いもので、あれからもう約1年が経ったのですね。

さて、今年は東京開催ということもあり、過去最多の約210名が参加しました。私は一昨年、昨年と2年連続で個人戦(男子フォーティの部)の決勝戦で涙を呑んだのですが、今年は久々に優勝しました医師といえども、全国から腕に覚えのある猛者ばかりが集う大会ですので、楽な試合は一試合たりともありません。

本大会では、過去に個人戦では2回優勝したことがありますが、今回は平成17年(一般の部)以来の13年ぶりの優勝となりました。試合は団体戦を含め、6試合しかしていませんが、今日はいつもの如く、体中、筋肉痛です...。

来年は愛媛(松山)開催予定となっております。私の母校(高校)が実は松山市内ですので、来年もぜひ参加したいと思っています。なお、まだこの大会では長崎チームとしては団体優勝をしたことがありませんので、いずれは団体戦でも優勝を成し遂げたいです。


張本智和選手、歴史的快挙!

2018年01月22日 | 卓球

今年も全日本卓球選手権大会が東京体育館で開催されました。昨日が男女一般の部の決勝でしたが、男子決勝戦では過去10年に渡り日本の絶対的王者であった水谷選手にまだ中学2年生の張本智和選手が挑み、なんと圧勝しました!もちろん最年少優勝記録更新です。これまでの記録は水谷選手の17歳でしたが、今回、彼はそれを大幅に更新しました。ものすごい偉業です。水谷選手は敗戦後のコメントで、「中国選手とたくさんの試合をしてきたが、張本は彼らと同じレベルにある。(国内では)誰がやっても勝てない。張本が出てくる前にたくさん優勝しておいて良かった。それぐらい強い。たぶん何回やっても勝てない」と脱帽していました。元全日本男子監督で、現在は日本卓球協会強化本部長の宮崎義仁さんは「100年に一人の天才」と称しています。

実は、昨年の世界選手権でもこの二人は個人戦シングルスで対戦しており、その時も張本選手が勝っていました。今回は水谷選手も万全の準備をしてきたことだと思いますが、それでも張本選手が上回りました。まだ中学2年生、これから体もできてきてますます強くなることでしょう。張本選手の今後が本当に楽しみです。

日本の最後の世界チャンピオンは1979年の小野誠治まで遡ることになりますが、そう遠くない未来に張本選手が小野選手以来の世界チャンピオンに返り咲くことも現実味を帯びてきたように思います。張本選手のバックハンドはすでに中国トップ選手のレベルに達していますが、フォアハンドの威力はまだ中国選手の方がやや上です。フォアハンドの威力がさらに増したら、中国選手とも互角に渡り合えるでしょう。

ただ、張本選手のニュースへの一般人のコメントを読んでいると、アンチなコメントが少なくなく、とてもがっかりしてしまいます。確かに張本選手の両親は卓球の元中国代表選手ですが、両親は1998年に来日し、張本智和選手自身は日本生まれ(仙台)で、日本育ちの日本人です。他のスポーツ(陸上やサッカー、テニス、野球など)では在日や帰化選手が活躍していても、こんなにバッシングは受けていません。まあ、やっかみや妬みなのでしょうが、この現状を私は大変残念に感じ、日本国民の民度の低さにがっかりしています。

私は彼の才能と不断の努力を心から称えており、日本人として堂々と世界に羽ばたいてほしいと思っています。


第117回九州医師会医学会記念卓球大会参加報告

2017年10月30日 | 卓球

10月29日に今年は北九州で開催されました第117回九州医師会医学会記念卓球大会(第32回九州・山口医師卓球大会)に参加してきました。

結果ですが、今年は団体戦は3位、個人戦年齢別の部は優勝で2連覇、個人戦全年齢の部では準優勝と、今年もまずまずの成績を残すことができました。団体戦では私は無敗でしたが、準決勝で惜しくも岡山チームに敗れてしまいました。残念。ただ、チーム一丸となり、皆、精一杯頑張ったので、悔いはありません。また、今年も一日で計14試合をしましたが、足がつることもなく、怪我なく終えることができよかったです。ですが、やはり今日は全身筋肉痛です(><)。

個人戦全年齢の部は、過去に準優勝や3位は何度もあるのですが、なかなか優勝が遠いです。きっと、「まだまだ修行が足りないから精進しなさい」との啓示なのでしょう。なんとか優勝を目指して、今後も練習に励みたいと思っています。


第35回全日本医師卓球大会

2017年06月25日 | 卓球

本日、長崎県立総合体育館にて第35回全日本医師卓球大会が開催されました。大会名の通り、全国の卓球愛好家の医師が参集し、親睦を深める大会です。本大会は全国持ち回りで、長崎での開催は平成15年に引き続き、2回目の開催となりました。ちなみに昨年は金沢で、来年は東京開催の予定です。

実は、今大会の事務局は私が担当させて頂きました。約1年前から準備に取り掛かり、本日、なんとか無事に大会を終えることができ、安堵いたしております。今回は全国から約160名の方々にご参加頂き、遠方は東京や千葉、金沢、群馬、滋賀、岐阜、三重、京都、神戸、愛知、大阪、奈良、徳島、香川、島根などからもお越し頂き、大変有り難く思っております。また、大会の運営にあたっては、長崎大学の卓球部の学生さんや長崎市卓球協会のレディースの方々にもご協力頂き、心から感謝いたしております。

さて、私の今回の戦績ですが、個人戦(男子フォーティの部)では決勝戦で破れてしまい、惜しくも準優勝でした。実は昨年も準優勝でしたので、今年こそはと密かに優勝を狙っておりましたが、目標達成とはなりませんでした。残念!全国大会ですので、やはり猛者ばかりです。この大会では、過去にまだ2回しか優勝歴がありません。課題は見えましたので、来年こそは優勝を目指したいと思っています


平野美宇選手、歴史的快挙!

2017年04月15日 | 卓球

現在、中国でアジア卓球選手権(2年に1度の開催)が開催されています。昨日から本日にかけて女子シングルスの準々決勝~決勝が行われましたが、何と平野美宇選手が3人の中国選手を撃破し、見事優勝を果たしました。これは、とてつもない大快挙なのです。日本の女子では1996年に小山ちれ選手が女子シングルスで優勝していますが、実は小山選手は1987年世界チャンピオンの元中国籍の帰化選手であり、純正の日本選手のチャンピオンは、遡ること1974年の枝野とみえ選手となります。つまり、約半世紀ぶりの優勝ということになります。枝野選手が1974年に優勝して以降は前大会の2015年まで、なんと全て中国系選手が優勝してきました。

本大会は、ある意味、オリンピックで優勝するよりも難しいと言われています。なぜなら、オリンピックは各国の個人戦シングルス代表は2名までと制限されていますが、アジア卓球選手権では各国5名までが代表として出場できるからです。現在、卓球女子の世界ランキング上位20名中、実に18名が中国系あるいはアジア系の選手なのです。そして約半世紀に渡り、その頂点に君臨し続けているのが、言わずもがな中国代表選手です。今大会は中国開催ということもあり、中国はベストメンバーで大会に臨みました。つまり、中国から参加しているこの世界最強の5人を凌駕しなければ優勝できないということなのです。中国選手は国際大会では、同士打ち以外で負けることは滅多にありません。そのくらい、無敵とも思えるくらい強い軍団なのです。

今大会では、準々決勝と準決勝の2試合で中国選手の同士討ちがあったため、平野選手は中国の3選手と準々決勝、準決勝、決勝で対戦しました。そして、その3選手を次々と撃破し、見事、優勝を果たしました。特に準々決勝(対 丁寧選手)は、歴史に残るであろう大激戦となりました。丁寧選手は現在の世界ランキング1位で現世界チャンピオン、現オリンピックチャンピオンという絶対王者です。本大会は5セットマッチで3セットを先取した方が勝ちです。この試合、先に丁寧選手が2セットを先取し、「万事休すか...」と思われましたが、そこから平野選手が驚異的な粘りをみせ、何本もマッチポイントを凌ぎ、最後はセットオールのデュースの末、勝利を収めたのです。5セット中3セットがデュースにもつれ込むという大接戦でしたが、見事な勝利でした。準決勝は現在、世界ランキング2位の朱雨玲選手(前回のアジア卓球選手権覇者)が対戦相手でしたが、なんと3-0で完勝しました。決勝は、元世界ランキング1位の劉詩雯(中国)に準決勝で勝った陳夢選手(現在、世界ランキング5位)が相手でしたが、この試合も3-0のストレートで圧勝し、頂点に上り詰めました。決勝戦の3セット目8-6の時に平野選手がサービスエースで点数を奪いましたが、もうこの時には陳夢選手の表情は生気を失っており、明らかに戦意喪失していました。それほどまでに平野選手が試合内容で相手を圧倒していたのです。

この3試合で平野選手は中国選手を相手に、次々とノータッチで強打を決めていきました。こんなシーンは、正直、今まで見たことがありません。結局、今大会で平野選手は準々決勝で2セットを落とした以外は、全てストレート勝ちして優勝しました。本当に凄いです。なお、国際卓球連盟は公式サイトで「(平野選手が)中国の支配を終わらせた」と絶賛しています。

今年1月の全日本選手権で平野選手が優勝した際に、本ブログで「いつの日か、ぜひ世界チャンピオンになってほしいものです」と記しましたが、もしかすると、もうすでに世界チャンピオンに手が届くところまで来ているのかもしれません。今年の5月下旬から6月上旬にかけてドイツのデュッセルドルフにて世界卓球選手権(個人戦)が行なわれます。今後も平野選手の活躍から目が離せません


卓球女子女王、新旧交代!

2017年01月22日 | 卓球

本日は卓球・全日本選手権の最終日で男女シングルスの決勝戦が行われました。男子は順当に水谷 隼選手が優勝し、通算9回目の優勝を飾りました。流石ですね。おめでとうございます!

一方、女子の方は、現在、世界ランキング4位で、ここ数年は日本では絶対王者と称されていた石川佳純選手に、決勝戦で16歳の平野美宇選手が勝って、初優勝を飾りました!16歳9ヶ月での優勝は史上最年少記録です。実は昨年も決勝戦は同一カードで石川選手が勝利しましたが、今年は平野選手が終始、石川選手を圧倒しての、圧巻の勝利でした。特に台上のライジングでのバックハンドドライブは特筆するもので、何本も石川選手のフォアサイドをノータッチで抜いていきました。平野選手はフォア・バックハンドともに打球点が早く、石川選手を翻弄し、終始、主導権を握っていまいた。それは、中国のトップ選手を彷彿させる圧巻のプレーでした。まだ16歳、これからさらに強くなるでしょうし、今後、当面は日本の新女王として君臨することでしょう。今日の平野選手のプレーはそれほどまでに衝撃的でした。

実は私は、平野美宇選手のお父さん(平野光正さん)とは知り合いです。というのも、平野光正さんは宮崎医科大学出身で、現在、内科医をしています。実は、お父さんも卓球をしていて、相当強かったんです。最初は筑波大学に進学し、同大学の卓球部のエースとして活躍し、全国国公立大学卓球大会では1987年と1988年に2連覇しています。また、全日本選手権では2回戦まで進んだことがあります。筑波大学卒業後に宮崎医科大学に入学し、学年は私のひとつ下でした。宮崎医科大学進学後も卓球を続け、6年間、医学部の大会では一度も誰にも負けずに卒業しました。平野美宇選手のお父さんは医学部の卓球界では伝説的な人物の一人で、医師で卓球をしている人で、平野光正さんを知らない人はいないと言っても過言ではありません。

私は大学の6年間で医学部の卓球大会で勝てなかった対戦相手はほとんどいませんでしたが、平野光正さんにだけは一度も勝てませんでした。私は大学6年生の時にはほとんど全ての大会(九州・山口医科学生卓球大会、西日本医歯薬卓球大会、全日本医歯薬卓球大会)で優勝しましたが、西日本医科学生卓球大会のみ優勝を逃しました。その時の準決勝で対戦したのが平野光正さんでした。私の大学時代の卓球の目標の一つは、「打倒!平野光正さん」でしたが、それだけは達成できませんでした...。

九州・山口医科学生卓球大会に関しては、平野光正さんは宮崎医科大学に入学後、毎年出場し、連覇し続けていましたが、私が大学6年の時には欠場されました。なぜなら...、その時が平野美宇さんの出産予定日で、出産に立ち会うために帰郷していたからなんです!そのおかげ、と言っては何ですが、私が優勝させて頂きました...。

その平野光正さんの娘さんのが今や16歳となり、今日、全日本チャンピオンになったのです。月日が流れるのは早いものです。ちなみに平野美宇さんはお父さん似で、そっくりなんですよ。平野美宇選手を見ると、いつも平野光正さんのことを思い出します。今後の平野美宇選手の活躍が本当に楽しみです!今日の優勝インタビューでは「世界選手権で中国人を倒してメダルを獲りたいです」と話していました。中国は以前に本ブログでもお伝えしたとおり、無敵とも思える程のとてつもなく強い軍団ですが、今日の平野美宇選手のプレーは、本当にそれが実現可能と思わせるような圧巻の衝撃的なプレーでした!いつの日か、ぜひ世界チャンピオンになってほしいものです。今後の平野美宇選手の活躍から目が離せません


第116回九州医師会医学会記念卓球大会参加報告

2016年11月24日 | 卓球

11月20日に熊本で開催されました第116回九州医師会医学会記念卓球大会(第31回九州・山口医師卓球大会)に参加してきました。まだ熊本地震で大変な中、本大会をご準備頂きました熊本の先生方には心から感謝です

結果ですが、今年は団体戦で優勝、個人戦年齢別の部でも優勝、個人戦全年齢の部では3位と、まずまずの成績を残すことができました。団体戦では私は無敗で、長崎大学チームの勝利に貢献できました。一日で計14試合をしましたが、足がつることもなく、怪我なく終えることができよかったです。ただ、翌日と翌々日は階段の上り下りもつらいくらいの筋肉痛に苦しみました(><;)。まあ、毎年のことですが(笑)。

個人戦の年齢別では、今回の優勝で計10回目の優勝となりました。過去に個人戦一般の部(34歳まで)では7連覇しており、これは大会記録で、まだ誰にも破られていません。なお、本大会は他県の医師との交流や情報交換の場でもあり、大会前日には懇親会もあり、とても有意義な会なのです。また、この大会には過去の九州・山口医科学生卓球大会や西日本医科学生卓球大会などの歴代チャンピオンが数多く集うため、なかなかレベルが高く、激戦が多いです。みんな負けず嫌いなので、試合は真剣勝負です。ただし、試合後にはお互いの健闘を称え合い、握手で終わります。私は健康の維持・向上も兼ねて、現在もなるべく週1回は普段から卓球の練習に励むようにしています。ただ、今週は筋肉痛のため練習はお休みして、診療のみに集中しております。以上、閑話でした。


リオ 日本卓球代表大健闘!

2016年08月18日 | 卓球

リオオリンピックも終盤に差し掛かってきましたね。本大会では様々な競技で日本選手が活躍しており、オリンピックの視聴で夜更かししている人も多いのではないかと思います。今回は医学とは全く関係ありませんが、卓球について熱く語らせて頂きたいと思います。

実は、私は熱烈な卓球愛好家で、学生時代は趣味を通り越してかなり本気で卓球に取り組んでいました。大学生の時に、医師ではなく、「卓球選手になりたい!」と本気で思った時期もありました。ただ、プロになるほどの実力は到底なく、普通に医師になりました(笑)。ですので、最近は仕事が忙しくやや卓球から離れてしまっていますが、それでも卓球に関することなら大抵のことは分かります。

今回の日本卓球代表選手は、男女ともによく頑張ったと思います。特に、男子個人戦シングルスで銅メダル、男子団体戦で銀メダルを獲った水谷選手の活躍は特筆すべきものです。今回の水谷選手のメダルは、1988年に卓球が五輪の正式種目に採択されて以来、日本男子選手としては初めての快挙です。男子団体戦では残念ながら決勝戦で中国に敗れはしましたが、水谷選手は中国の許昕にセットオールデュースの末、勝利をもぎ取りました。水谷選手は許昕に対してこれまで0勝12敗の対戦成績でしたが、今回、本当によく頑張りました。最後は「絶対に勝つ!」という水谷選手の強い意志と執念を感じました。仕事があったのでLIVEでは見れませんでしたが、録画で見て、壮絶な戦いに感動しました。水谷選手、大あっぱれです。中国男子チームが今大会で落としたゲームは、この1試合のみです。

どこかのご意見番が、水谷選手のガッツポーズに「喝」を入れておりましたが、とんでもない的外れです。これまで20年以上、毎日死ぬ思いで限界まで自分を追い詰めて練習して、そして小さい頃からの夢であったメダルをやっと獲得して、心の底から本能的に湧き起ってくる感情に伴うガッツポーズには、見ていて感動すら覚えます。そして、試合後には必ず対戦相手と握手を交わしてお互いの健闘を称え合うので、ガッツポーズは全く問題ありません。むしろ、そんなことを言ったご意見番に「喝!」と言いたいところです。

それにしても、中国は男女ともに相当強いですね...。オリンピックの団体戦は4単1複で、先に3勝したチームが勝ちなのですが、中国の強さを分かりやすくテニス界に例えるなら、ジョコビッチと全盛期のフェデラーとナダルの3人が団体戦を組んでいるようなものです。中国代表の馬龍と張継科は五輪・世界選手権・ワールドカップの3大タイトルを制しており(馬龍は今回の五輪個人戦優勝で達成)、テニス界でいうところのグランドスラムに値します。水谷選手の立ち位置は、テニス界ではちょうど錦織選手に相当するのではないかと思います。今回、奇しくも二人そろって個人戦シングルスで銅メダルを獲得しております。ちなみに卓球界でこの3大タイトルを獲得しているのは、他に3人しかおりません。その3人とは、中国の孔令輝と劉国梁、そして「百年に一人の天才」や「卓球界のキング」等と称されている、スウェーデンのワルドナーです。劉国梁は中国の現男子チーム監督兼総監督で、今回の五輪の男子団体戦では中国ベンチで選手を熱く応援していました。シェークハンドに対抗するために現在ではペンホルダー選手の裏面打法は当たり前のようになっていますが、これは劉国梁が現役時代に発案し、本格的に試合で使うようになったのが始まりです。また、孔令輝は中国の現女子チーム監督で、こちらも同じく女子団体戦でベンチから応援をしたり、選手にアドバイスを送ったりしていました。

さて、現在の中国代表選手がどのくらい強いかというと、この2年間の各選手の対外戦績は、馬龍はなんと「無敗」、許昕は1敗(2015年のアジアカップで、丹羽孝希に敗退。丹羽選手は今回の五輪の日本代表選手)、張継科は少し取りこぼしが多いですが、それでも6敗です。そして、その許昕に本日の団体戦決勝で水谷選手は勝ったのです。個人戦シングルスでは、準決勝で馬龍から2セットをもぎ取りました。この試合も壮絶なものでした。なお、馬龍には遡ること4年前、アジアでのロンドン五輪代表選考会で丹羽選手が1回だけ勝ったことがあります。

今後、日本が中国に勝つためには、水谷選手のさらなるレベルアップと、少なくとももう一人、水谷選手と同格かそれ以上の実力を持つ選手の出現が必要でしょう。現在の日本では水谷選手が頭ひとつ抜け出しており、全日本卓球選手権で5連覇を含む通算8回の個人戦シングルス優勝を達成しています。この記録は史上最多タイの記録です(もう一人、過去に斉藤 清選手が計8回の優勝を成し遂げています)。水谷選手は今後も当面は優勝を重ねていくことと思います。

私個人的には、現在中学1年の張本智和選手に注目しています。張本選手は小学6年間、世代別の全日本卓球選手権で6連覇しており、今年1月(当時は小学6年生)に行われた全日本卓球選手権一般の部では社会人を次々と撃破し、なんと4回戦まで進出しております。これは小学生では史上初の快挙です。4回戦では今回の五輪代表の丹羽選手に敗れましたが、丹羽選手は「小学生でもすごく強かった」と舌をまいていました。その1カ月前に行われた世界選手権男子代表選考会ではロンドン五輪代表の岸川聖也選手も破っており、現在の世界ランキングはすでに63位です。なお、18歳以下の世界ランキングでは13歳にして堂々の「1位」なのです!。すでに「未来の世界チャンピオン候補」と称されており、期待大です!。このまま成長を遂げれば、4年後の東京オリンピック代表の可能性も十分にあります。

それに対し、中国には今回の五輪には参加しておりませんが、次世代のエースとして樊振東(19歳)というとてつもない強者が控えています。ちなみに樊振東はこの2年間では対外的には3敗しかしていません...。そして、未だ樊振東に勝ったことのある日本選手はおらず、樊振東の現在の世界ランキングはなんと2位なのです!。なお、現在の世界ランキング1位は馬龍で、許昕は3位、張継科が4位となっております。そして水谷選手は現在、6位につけております。オリンピックの参加枠は各国3人まで(個人戦は2人まで)と決まっているため、樊振東は、今回のリオ五輪出場は先輩に譲る形となりましたが、4年後の東京五輪代表には間違いなく入ってくるでしょう。ちなみに現在の卓球界では、馬龍と許昕、張継科、そして樊振東を加えた4人がBIG4と呼ばれています。みんな中国人です...。

こんな最強の中国軍団に敵う選手がいるのか...、と半ば絶望的になってしまいますが、1980年代後半以降、約10年に渡って無敵とも思える中国選手に立ちはだかった男が一人だけいました。それが、先程紹介したワルドナーです。ワルドナーは1989年と1997年の世界選手権および1992年のバルセロナ五輪の男子個人戦シングルスで中国選手を蹴散らし、優勝を飾っております。特に1997年のマンチェスター世界選手権では1セットも落とさずに優勝するという偉業を成し遂げ、伝説となりました。ワルドナーは「卓球界のモーツァルト」とも称されており、本番の試合中に初めて思いついて繰り出す技などがあるため、同僚のスウェーデン選手さえも目を丸くしていました。そのため最強の中国がいくら本気でワルドナー対策を練っても、ワルドナーは試合ごとに新たな戦術や技を繰り出すため、さすがの中国も対応しきれなかったというわけです。ワルドナーは、野球界で云わばイチローのような存在です。1980年代後半までは、中国は自国の伝統であった「中国式ペン表ラバー前陣速攻」で世界を圧巻してきましたが、1989年のドルトムント世界選手権で当時、世界最強と言われていた中国の江加良をワルドナーが破り優勝して以来、中国はこの伝統打法に見切りをつけ、シェークハンドに移行していきました。なお、1985年と1987年の世界選手権個人戦シングルスで2連覇を成し遂げていた江加良はこの敗戦により、当時まだ26歳の若さでしたが、1989年の世界選手権後に引退に追い込まれました...。

現在ではほとんどの選手がシェークハンドを使用しておりますが、この流れを作ったのは紛れもなくワルドナーで、この男一人の出現が世界の卓球の歴史を塗り替えたといっても過言ではありません。中国男子が世界大会の団体戦で最後に負けたのは2000年に遡りますが、その時に勝ったのがワルドナーを擁するスウェーデンチームでした。スウェーデンにはもう一人、パーソンというワルドナーに次ぐ天才選手がおり、この2人で決勝戦で中国チームから3勝をもぎ取り、優勝しました。それでも3勝2敗の辛勝でした。それもそのはず、当時の中国チームは孔令輝と劉国梁のダブルエースを擁していたのです。しかしこの大一番で劉国梁はワルドナーとパーソンに敗れ、2敗を喫してしまいました。なお、パーソンは1991年の千葉世界選手権個人戦シングルスで優勝しております。スウェーデンチームはこのほかに1989年と1991年、1993年の世界選手権にもこの2人を擁し、男子団体戦で優勝しています。要するに、中国チームに勝つためには世界チャンピオンが2人必要ということになります...。ちなみにワルドナーは今年の2月に50歳で現役生活にピリオドを打ちました。最後はスウェーデンのプロリーグに所属していました。世界中の卓球ファンを魅了し、感動と夢を与えてくれたワルドナー選手には心から感謝です。長い間、大変お疲れ様でした。

蛇足ながら、私の父は元日本卓球ナショナルチームドクターで、世界選手権などにも帯同し、長きにわたり日本の代表選手をサポートさせて頂きました。そういったご縁で、現在の日本男子代表チームの倉嶋洋介監督や元世界チャンピオンの伊藤繁雄さんなどが、別府市にある私の実家を訪れてくれたこともあります。父と福原 愛選手との2ショットの写真もちゃっかりありました!。そんな父も高齢となり、2013年のパリ世界選手権帯同を最後に、チームドクターを退きました。

本当は女子選手についてもいろいろと言及したいところですが、私の卓球談義にはきりがないので、今日はこの辺でやめておきます(笑)。