現在、私の身内の一人が深昏睡の状態で、死の淵に立たされています。11月下旬のある日の夜に突然、原因不明の心肺停止に陥ったことによるものです。発見の約30分後に奇跡的に蘇生されましたが、もう二度と意識が戻ることはありません。実はその日に遡ること二日前、体調不良を訴えた際に「過去の記憶が走馬灯のように蘇る。私は死ぬんやろうか?」と話していました。しかし、まさか本当にその二日後にいきなり心肺停止に陥るとは、家族の誰一人として予想だにしていませんでした。そして、まさか当人も本当に死ぬことになるとは思っていなかったでしょう...。
「走馬灯」については、実は過去に科学的に詳細に検証されており、その実態が知られています。オランダの心理学者であるダウエ・ドラーイスマ著書の「なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか -記憶と時間の心理学-」にその詳細が記されています。
「走馬灯」は、世界中のほとんどの地域の人が経験しうるもので、1928年にイギリスの神経学者S・A・キニア・ウィルソンによって「パノラマ記憶」と命名されました。その後に多くの研究者がこの不思議な体験について調査し、瀕死に陥ったことのある人たちに質問し、統計をとってきました。
その結果、「走馬灯」について、以下のような特徴が判明しております。
・死の間際や瀕死の際に、私達のだれもが「走馬灯」を見るわけではない
・死の手前までいった102名の実例中、走馬灯を見たのは12名で、そのうちの10名は故意でない突然死の危機にさらされた人たちであった(自殺未遂例で走馬灯を見たのは1例のみ)
・瀕死になった状況は「溺死」の危険が最も多く43%で、次いで「自動車事故」(33%)、「転落」(9%)と続く
・人生のさまざまな記憶が次々に、あるいは同時にいっせいに映しだされ、ものすごい速さで再生される
・「走馬灯」経験には幸福感が伴う;「走馬灯」を見ている人は、意外にもその間、安心感や幸福感を感じる
実は、その当人と最後に会話をしたのは私であり、突然の心肺停止のほんの数分前でした。その時の様子は穏やかそのものでした。普段は過去の小言や愚痴を言うことが多かったのですが、その日の午後に会った際には悟ったかのように「結婚してよかった」や「人生、前を向いて生きんとね」など、私が過去に聞いたことのないようなことを話してくれて、私は不思議な感覚に包まれていました。きっと走馬灯体験によって、「辛かった人生の中にも幸せな出来事もあったんだ」という記憶が一瞬のうちに蘇っていたのでしょう。最後に会った際にも特に体調不良の訴えもなく静かに臥床しており、私はてっきり快方に向かっているものとばかり思い、部屋を後にしました。結果論ですが、「あと数分、一緒にそばに付き添っていたならば、もしかしたら心肺停止に至る前の異変に気づくことができたのでは...」と今でも悔やまれます。
結局、搬送先の病院で心肺停止の原因は末期癌によるものと分かりましたが、自覚・他覚症状ともにほとんどなかったため、不覚にも本人も含め、それまでに誰も気づくことができませんでした。しかも、癌による大量の胸水貯留が原因であったため、状況としては上記の「溺死」に近いと考えられます。走馬灯の体験自体は、すでに過去に上記報告を見聞していたので知識としては知っていましたが、今回の体験で「本当に走馬灯は存在するんだ...」ということを身を持って知りました。
ですので、走馬灯体験は誰もが死に際に体験するものではありませんが、逆にもし走馬灯を見たならば、直ちに病院に行って、全身を精密検査した方が良さそうです...。