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モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



熊本紀行・・・ちょっと一休みして街道歩きです。。JR乗り継ぎで今回の出発地点大入駅まで2時間かかりました。

歩きます。最初の目印 庚申塔がありました。涼しそうだけど1人の時は樹の下には虫が落ちそうで・・。





大入の漁港です。ここは牡蠣が特産のようです。。焼き牡蠣 の看板があちこちにありました。。





コンクリート壁に貝殻がいっぱいついていたけど もしかして牡蠣の養殖かなぁ~





かずらひき通り・・・地獄に落ちようとする亡者達を救うために仏達がかずらで編んだ綱を投げ入れてやる。
亡者達は助かりたい一心でその綱にすがりつく。すると地獄の鬼達は亡者を逃がしてはならぬと綱を引く。(案内板より)

この神社の前が かずらひき通りです。徒歩だから行けると思ったら左折さんざん歩いたのち行きどまり。






汗だくで戻る。 ふぅ・・・気を取り直して歩く。旧街道らしいたたずまいのお屋敷がありました。





国道202号線 目に汗が入って痛い。。七福街道の看板から福吉漁港の方へ。ここで休憩。





飛んでる鳥を撮ったのなら 褒めてやりたいけど 留ってる方を撮ったら隣が飛びました。






もっと先まで歩く積もりでしたが暑すぎる。飛行機雲は暑そうで電線が けだるそう。。。

福吉駅です。帰ることにしました。万歩計 7882歩でした。街道以外の距離をひいて4kmかな。。





次回は福吉駅から家のないところを歩きます。






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JRで筑前深江駅まで行き、西へ暫く歩くと深江インターの信号横に「九州最古の万葉歌碑」の案内板。 

矢印は右と左!  どっちなのー? 右に行ってみたらおまけの廃屋に石の橋がありました。 





鎮懐石八幡宮です。。参道橋がありました。やったね。。





横から見て見ますね。だってこれだけは時間を気にせずゆっくり。。





万葉歌碑 ありました。山上憶良です。子を思う歌しかピンとこない。。。


天地の ともに久しく 言ひ継げと この奇し御魂 敷かしけらしも・・・・





1時半です。浦野海岸でお弁当。仏様用のピースごはん3個で作ったおにぎりと、いきなり団子を持参してます。

でもね 自分の体重考えずに この浸食された砂の端っこに腰かけたから壊れて落ちました。





この辺にわくど石があるはず。。これ、わくど(カエル)に見えるかなぁ もしそうなら 向かい側に観音堂 これよねえ。

 





歩道もない国道202号を傘をさして路肩を歩く。転べない。(轢かれる)あと300mで駐車場があるようだ。

何の駐車場かと思ったら、カメラポイントだって。 自分の好きなところ撮りますよ―――。





ゆらりんこ橋?行ってみよう このお宅は見事な紫陽花でした。橋まで15分だって。往復30分。

お寺さんに書いてあった 足りないくらいが丁度いい 足りてしまえば不満が出る  もう歩くのやめよう  引き返した。
 



大入(だいにゅう)の海です。右の人は釣りをしてましたが こんな波打ち際で 釣れるのかしら。





大入駅です。もう途中で帰ります。海に背を向けて北九州は左です。駅舎はありません。 

ホームを横切る階段はあります。左側通行の原則で 階段を上って左に向かう電車を待つでしょう?







福岡空港行きが 反対ホームに来ました。 あれに乗らなくちゃ。運転士さんがこっちを見てる!気づいてくれた。

ダッシュする。階段登る 走る 降りる 走る。。見習運転士さんがホームに降りて 急いで下さいって。。

そんな事言ったってもう走れん!!  もうだめ。。。 待ってくれた。。。 



  前回の地図 から3kmくらいしか進んでいません。


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石橋を思い浮かべワクワクしている“らかん川”です。草が刈り取られた後で白鷺がいました。





ん? 深江漁港かな。。白鷺がいっぱいいますが私は探し物。だってらかん川が合流する前に石橋が・・・

今回の街道歩きのいっちばんの楽しみ・・・ウロウロうろうろ・・・ない。あれってなんか残骸っぽくない?





写真左側の この橋の位置なんです。キャピキャピのコンクリートです。

通りがかりの自転車の方に聞きました。 去年壊したって。 壊れたじゃなく壊したんだ。。





ああ歩く気もしない。。そのコンクリートのらかん橋を渡って深江大橋がみえる。深江漁港だ。。

すっかり意気消沈・・・涙が出そう・・・去年から楽しみにしてたのに・・・急に疲れた。





深江宿に到着し 猿田彦もお寺も見たけど もうだめ。。。道路際に大灯籠・・・太宰府天満宮って彫ってあります。





一見して普通のお家じゃないでしょう。。奥様がおられたので尋ねると普通のお家ですって。

写真はお許し頂いてます。玄関くぐり戸ですよ。築100年以上で管理が大変だそうです。





実はもう歩く気がしなくて駅に向かってるんです。(上の写真のお宅もその途中)下は深江神社です。





筑前深江駅に着きました。脚が痛い。。駅のホームで万歩計。。。 このあと家に帰りつくと23980歩でした。 石橋のご褒美もないのに・・・






唐津街道の地図です。約29里 今回は・・・ 記事(17)(18)前原宿から深江宿


ああ最大の楽しみをなくしたけど。。あと唐津宿まで5里・・約20kmです。





私が持ち歩いている地図です。今回の記事は追分石から深江 石橋の写真の奥に青い深江大橋が見えています。

幻の石橋の写真です。






  追記 (8月5日)

「唐津街道」の著者 河島悦子さんとお話しする機会があり お尋ねしたところ

「らかん橋」は 4年前の玄海沖地震の時に壊れ やむを得ず撤去したそうです。


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今回の出発地点は前原宿。JR筑前前原駅に着いたらお昼。駅前の丸田池で昼食です。

正三角形(おにぎり)と二等辺三角形(サンドイッチ)お水は持参。。オットー! 円柱(ちくわ)もありました。。

前回おしまいの街道筋にたどりつくのにロスタイム40分。結局池の反対側に戻りました。





次の駅 美咲が丘の駅はこんな形 高い所から下りられて漫画に出てきそう。。もちろん歩いてます。





赤坂という信号から、国道202号を離れて左折 川に沿って歩きます。加布里駅前です。

橋はかみあり橋 川堰があってアオサギがいました。暫く歩くと集落にたどりつきました。





左、銚子塚古墳200mって書いてありました。ウロウロしてやっと見つける。(隣の立派な塀は博物館じゃなかった。)


でも人骨が出たって書いてあったから止めました。古墳は一人で行くとこじゃない。。(二丈町です。)







写真左の駅は一貫山駅。西宮神社 諏訪神社 熊野神社 をみました。参道橋はなかった。

自称“にえもんさんの弟子”ですからね。熊野神社という名前は石橋のある可能性が高いって知ってるんですが・・・。

枠内は民家の石垣に置いてある グリーンアスパラの無人販売。中組街道って書いてありお洒落です。







一人旅がちょっと淋しくなりました。振り向いたら線路が離れてる。丸印は電車です。

私の行く手は少し登り坂です。山道なのかなー。 不安になります。戻ろうにも遠いし、ままよ。前進あるのみ。








しばらく歩くと 加布里道の道標がありました。私の写真でもはっきり読めます。

前原驛一里十六町一間三尺 深江驛二十七町二十六間三尺 1里は36町(約4km)上新川橋で川はらかん川。





ワクワクしてきます。今回の街道歩きで川を渡る石橋があるんです。もうすぐです。それを楽しみに無理に進みました。

続きをお楽しみに~  おつかれさまです。



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前回ご紹介した古材の森 という喫茶室に入りました。建物から相当由緒ある所みたい。ここで尋ねよう。。

地図を忘れて たった一つ覚えているのは 測量日記の 別宿綿屋 この綿屋さんが有るはずなんです。






路地風に入って戸をあけると この吹き抜けです。後で聞いたところによると京都風だそうです。

なんと ここが綿屋さんでした。奥さんが看板がありますって・・“古材の森”に看板が替わったことを御存じなかったようです。





部屋に上がってお茶や食事をするんですが ここでもいいですか?って下をお願いしました。

だってきっと土間だったんですよ。 右下の写真の右下の椅子に掛けました。建築中の写真が飾ってあります。


こうして一人で入るの苦手で しかも高級そうなこのお店にひょんなことから入りました。

 冷やしぜんざい 飲み物と合わせ 700円です。





明治時代ですよ。カメラが趣味だったんですって。文字は右から左へ書いてあり、最初読めませんでした。



左 明治三十年頃 福岡県知事寺原長輝ノ宿泊所トナッタ綿屋出店

右 明治四十三年 綿屋出店前ノ荷馬車






進捗状況の写真があるんです。。 素晴らしい。大工さんたちの記念写真です。私と同じ考えの明治の人に拍手。





何もかも珍しい。。。奥さまは 私につきっきりでご案内して下さいました。

大福帳は展示するようにじゃなく使うようにかけてありました。





ここが門ですよ。って 内側から。。ここの天井(撮っている私の位置)には竿があって板が見えました。






名残惜しいけど また来ますって言って帰りました。帰りの駅は前原駅。唐津宿まで7里 約28kmです。。 


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今回の出発地点まではJRで、1370円です。電車に乗って地図を出すと!唐津街道なのに長崎街道の地図!

間違った・・・どうしよう。。途中下車はできない。(下の写真は唐津の本 似てないのに)

国道202号線を「勘」で行くしかない。。もうすぐ田植えかな?大きなお家の庭先です。






おにぎりを食べる場所もなく前原市に入りました。 八幡宮・・・鳥居が低い!表に回ると普通でした。

前原市に入ってからのマンホールの蓋ですが 全部モミジの模様でした。“市の樹”のようですね。







2時間以上歩きました。質屋さんの角からの商店街・・・み~つけた。。ここでしょう? 前原宿!






古材の森 立派な建物でしょう?ここはお食事処でした。 改めてUPしますね。






これは何を撮ったかって・・・・ 薬屋さんの2階の看板 “久す里”って書いてあります。

代々続く薬屋さんなんですね。両側に“久す里”の看板。





ここは 看板が右から左に書いてある。相当古いんでしょうね。看板娘(狸)の手が欠けてました。





この広場は赤い星印をつけた木札にあります「人馬継所」です。。文字盤の干支はイマイチ。。。

すぐ後は(背景)マンションでした。郡屋・・新しいけど道を挟んで向かい側にありました。。





上の写真の 赤い○印は案内板なんですが 人馬継所の説明の部分写真です。





①は蔵を音楽堂にされているようでした。②道標で右芥屋 左唐津 って書いてありました。

③はお米屋さん 水車は昔使ってたんでしょうね。尋ねたかったけどお休みでした。





5月24日のこと、15000歩も歩いたから休憩します。休憩した喫茶店の様子は アシタノココロ だ~



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前回の最終地点・・・姪浜まではJRで行きます。西に歩き始めて暫くすると交差点に興徳寺前と書いてあります。

写真の右の道路を歩いています。左側が興徳寺で、境内にまぁるい太鼓橋がありましたよ。





九州大学姪の浜寮の前を歩くと“生(いき)の松原”越しに海がチラチラ見えますが構内横切れません。

暫く歩くと小道がありました。 歩くのが嬉しくなる・・・こんな道です。






おぉ!! 海だ!!能古の島がみえます。・・・・らしいです。 下の写真、石をテーブルに昼食です。

写真・・・と思ったらもう終わってました。コンビニのおにぎり2個です。






元寇防塁です。1274年「元」が博多に上陸した文永の役・・・「元」の再度の来襲に備えて造られました。石の築地





更に西に向かって歩くと、通り過ぎた生の松原やシーホークホテル 観覧車などが反対側に見えています。





そしてやがて長垂海浜公園が見えました。左側にJRが通っていて今宿(いまじゅく)でした。





ここにも防塁があるんですが、形がありません。松の根・・・の句があったところを見ると、この一帯の砂の下のようです。






自転車のオジサンが落し物・・・通帳です。 私「もしもしー!」という言葉を思いつかなくって。。

走りながら 「すみませーん。。。」「落ちましたよー。。」最初から前の方を走ってるから結構遠いんです。

全力疾走しました。渡すときに見たらお金が挟んでありました。 ついでに道を聞いたけどわからない。






写真はもう落し物を渡して行ってしまったあとなんですが暫く行くと待ってるんです。

場所は分からん。銀行に行かんといけんからすみませんって。私に礼を仰る為でした。

道はみんな分かりませんよ。大昔の道ですから。この道標もマンションの前に。。。。





この石は? 馬を繋ぐようですよ。。宿場の名残でしょうが大きなお家は新しいお家。






橋を渡ってたら 川の中にオジサンが。。。。金の大きな熊手のようなので牡蠣のようなのを獲ってました。






前原宿までまだ5km以上 もう歩けない。帰るため最寄りの駅を聞いたら通り過ぎてました。

九大学研都市 新設駅だ  そして マンションラッシュ 大学が移転するって大変なんですね。





18000歩も歩いたよ。。。4月30日のことでした。唐津街道 歩き始めて10か月・・・カタツムリですね。

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福岡から1里を過ぎたあたりです。愛宕神社に寄りたいんですが、私の馬鹿ぶりをご紹介します。

とっても頭が硬いです。車で3分って書いてありました。いつも車だからこんな坂道を 延々と。。。





20分歩いてやっと着きました。これからは階段です。。何がバカかって道路から直接階段が最短でありました。

頂上に登ると。。。。 神社があって鳩がいっぱいいます。






おお!!! 福岡タワーやシーホークホテル ヤフードーム等が見えます。。






左に目を移すと 志賀島や能古島が見えます。。(・・・・だそうです。)





登った階段を下りると茶店がありました。登る前から気になってました。ぜんざいって書いてあります。

バンコ(涼み台を昔こう言ってました)に緋毛氈が敷いてあって、私を誘います。






①ぜんざいです。ここのぜんざいは ②芳ばしく焼いた素餅をちぎって小豆汁に自分で入れるんです。
③お醤油もあるから全部入れません。大きいんですがもち米じゃなくお米のお餅でした。





もう心残りもないし・・・ここで階段の参道があることを知りました。 国道202号に直接降りました。

ばかですね。 20分坂道を歩いたのに3分です。。

旧街道の面影を残す建物がありました。








住吉神社です。境内に入ると銀杏のご神木が青空に背伸びしてました。






疲れた。。。更に姪浜駅まで歩き そこから地下鉄で博多まで戻りました。そしてJRで。。。


このあと唐津城到着まで45kmあります。。街道なら45kmですが探しながらですから1.5倍歩きます。



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前回遠くから見た建物の横を通ります。前回教えて頂いた「福岡市文学館」隣に水鏡神社です。

博多と福岡に分ける川を渡ったから福岡と言うことです。姪浜(めいのはま)宿を目指して歩きます。





あぁあ。。。「大原の松露饅頭」大好きなんです。。帰りは通らないから出発したばかりなのに買ったよ。

1個84円 直径約3cm 美味しいんですよー。それに可愛いし。。





まっすぐまっすぐ歩くと大手門に着きます。福岡城址は以前UPしましたがその時修繕中だった汐見櫓が見えてきました。





汐見橋のアーチもばっちり撮りましたが後日ご紹介しますね。汐見櫓と大手門です。





大手門の中に入ると・・・・門だけでした。。





暫く歩くと大濠公園です。。街道を唐津に向かって左です。右は西公園だって・・・。

私は線で繋がらず分かりません。。方向音痴だし地図を見ながら歩きます。でもほんとは長い1本道です。





福岡が全国に紹介される時でるのが大濠公園です。中学生がゼッケンをつけて周回マラソンしてました。

かもめかな? 鳩もいるし 錦鯉もいます。




黒門から唐人町。唐人町商店街です。 テレビでよく見ますが やはり日曜日はシャッターが多い。

開いていた加美家さん。歴史のあるお店のようです。店頭に雛菓子がいろいろありますが買わない。





このあたりは右折して進むと シーサイドももちです。ドーム球場や博物館など。

鳥飼神社です。 石橋がありましたが今回は神社のみ。カイドウの花が咲き牛らしくない牛がありました。






中野先生の像だって。。。興味を持ったわけではなく額縁内の方が御気分でも悪いのかと思って近づいたんです。

ひたすら碑文を書き写されてました。声はかけませんでした。人を寄せ付けない雰囲気でした。





ん?猿田彦神社です。 猿がいます。赤いホッカブリして愛嬌がありますね。↓大きくしました。

石だけじゃなく、ホントに猿がいてお酒が供えてあるからオッサンのようでおかしい。(すみません。)







1里塚です。どこまで1里かな。。。姪浜まではそんなにないから福岡まででしょうか。。。

ということは私はたった4kmくらいしか歩いてないの―?





ふぅ~ 沢山の写真を並べましたが、キョロキョロが伝わりましたでしょうか。。。続きはまた。。。


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お供は河島悦子さんの地図「唐津街道」です。色んな書物から道を探し、ご自分で歩いておられます。

引用された日記や測量記などの文章ががちらっと載ってるのがまた魅力です。

“誰に急ぐ心ともなく駒打早め、夕陽のほのかなるに博多といふに着ぬ。宿りは竜宮寺と・・・・”「筑紫道記」より


地図の目印を辿りながら街道を探します。茶房水茶屋です。謂れを伺おうと思ったら閉まってました。






“朝五つ前博多出立、はなれによき橋あり、石堂橋といふ それより箱崎・・・”「薩陽往返記事」より 

これは私と逆で上りの記事ですね。私は箱崎の方から来ています。 よき橋・・・・ワクワクしました。

橋の袂には猿田彦がありました。御笠川と よき橋 です。(石堂橋)






猿田彦のもう少し左手に濡衣塚の道標があります。西壱丁(60間・・・遠い!)

奥の梵字の塚は康永三年の銘があって 濡れ衣を着せられて死んだ娘の供養塔と書いてありました。

と言うことはこれが濡衣塚、この道標は移築されてるということです。





石堂橋を渡りさらに歩くと大通りに出ました。左にホテルオークラ 向かいは「いしむら萬盛堂」 
福岡の銘菓で、鶴の子や 塩豆大福 は大好きです。 博多山笠、追い山の終点でした。

ホテルオークラの裏は“鏡八幡宮” そこに 渡唐口跡の石碑がありました。





今度は那珂川をわたります。東中島橋の中間です。。枡形門跡 川のことだから特に観たいんです。

これだけで私は30分以上ウロウロしました。新聞社もあったから聞きましたがわかりません。





多分 この川 福岡と博多を分ける この川の形なのかな。





橋を渡るとひときわ目に着く 今までも(昔から)車から見たことがあるけどこの真ん中の建物は何ぞや。。。





枡形門跡のところで橋を渡りました。博多から福岡へ。 福博であい橋です。





(10)(11)と2回に分けた箱崎から博多 JRで箱崎に着いて11時から歩いています。

2時になっていました。もう帰ろう・・・目の前に詩碑。。

    ひとを にくむなかれ。。。

    にくむこころは はりねずみ






第1回からずっと河島さんの地図を観てますが今回ご紹介させて頂きました。歩いてみたくなったでしょう?


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