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モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



先日の内野宿から山家に向かう冷水峠です。オバサンに叱られて引き返しましたが石畳と石橋をどうしても見たい。。

持つべきものは友人です。登山が趣味の友が案内してくれました。大根地山。冷水峠大根地神社のぼり口まで車です。




背景は3番目の鳥居にいる友人です。案内板にこの鳥居が黒田藩主黒田綱政公寄進と書いてあります。

真ん中は 大根地神社 左右 郡境石です。 従是東穂波 従是西御笠郡 です。





上から来ましたので石畳を下ります。





幅の広いところもあります。




細ーい道になりました。山好きな友人はワラビを見つけて夢中です。だからひとりで歩いています。チョイ怖い。。





目指すは首なし地蔵・・・・マムシ草だ・・・本物のマムシじゃなくてよかった。。
鳴子百合です。(友人の採った)ぜんまい。。





ん?一里塚 。。ということは振り向いて次の山家(やまや宿)までが1里ってこと。。




あっ。。。。石橋が見えた。。。ちょっと期待はずれだけど・・・ 去年の豪雨で壊れた跡があり修復されていました。




友人はそこに箒を見つけ、お掃除をしています。あなたもしなさいよ と言われました。 首なし地蔵さんです。




木漏れ日が射してきれいです。





あの日もう一つの消化不良・・・王塚古墳の石室今回 公開日です。寄りました。少人数ずつ入室のため待たされます。

壊れないように鉄柱で内部に3本ツッパリがしてあります。ツッパリはない方がいいと思います。

それで 壊れたり すたれたりする物はそれはそれでいいと思います。すべての物の運命でしょう。私はそう思います。






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飯塚宿から3里7丁、12kmくらい。 最近はあまり歩いてないから仮想も捗りません。内野宿に着きました。




宿場の入り口を構口といいますが東構口から西構口まで、ここは1kmもありません。(実際に歩きました)

地図の黄色のところ 郡屋はここから奥 内野では“ぐにや”といい 村役人の集会所があったそうです




麴屋さんの建物はここで麴を造っていたのかな? 屋根裏の小窓は別のお宅ですが風情がありました。

地図のピンクの辺りです。




石造りの道標には 大宰府天満宮米山越道 嘉永二年正月 と刻まれています。地図は紫色曲角です。

恵比寿様は元禄13年建てられ、嘉永6年4月再建、宿場の繁栄と旅人の安全を祈願しています。(案内板より)



旅籠肥前屋・・・ここが内野宿展示館 入館料100円 ビデオを見ました。シーボルトの記録などが展示されています。





小倉屋さん 質屋さんだったそうです。伊能忠敬の一行のうち3名が投宿 現在の建物は明治前期の物だそうです。

火事に備えて戸や窓に銅板が張ってあります。地図ではオレンジです。



旅籠 長崎屋さん 脇本陣でした。新聞で紹介されています。シーボルトが冷水峠越えで食べた白おこわを再現するそうです。

地図でグリーンです。



そしてこのあたりが西構口・・・小川がさらさら。。。先に見えるのは以前石橋探訪でご紹介した老松神社です。




国道側に目をやると大きな車が通っていてその先は・・・こんな空でした。シーボルトも伊能忠敬もみたかな?




次の山家宿方面は地図左側、旧冷水峠です。ピンクのハナマル「石橋」の文字!行きました。目印は大きな鳥居

ここに車を置きなさいと言われたけど ちょっとだけ入ろう。。。でも戻れない。。暫く行くとちょっとした離合場所があって。。。




少し歩くと後ろから大声で制止されました。髪振り乱した方・・ぞーっとしたからにっこり挨拶して話しかけました。

とりつく島がない。。首なし地蔵です。 私 心の中では ケチーーと思ってるから もうおばさんはいないのに八つ当たりして自分の車に傷が付きました。





あーーーーーーーくやしい  目の前に 石橋があるのに―――長崎街道も地主がいるの?

もう一度 下から歩きなおすにも ひとりじゃ怖い峠越え(山家宿へ)です。仮想で我慢しよう。 



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ここは感田(がんだ)という電停です(筑豊電鉄)。我が家からは20分か25分ってところです。
電停の横に巨大な楠があります。大きなカメに長崎街道の文字が見えます。


別々にUPしますね。 楠は数本あったから別の大樟 樹齢推定500年・・・ 
前回の木屋瀬宿から2,5kmです。内野宿まで29km・・・その間に飯塚宿があります。

 


ここは通り道で丘を登ると小さな神社がありました。「阿高宮」です。

ここは遠賀川の右岸ですが、これから暫く行って現在の日の出橋付近で川を渡ります。
私の1番すきな景色が続きます。菜の花が咲き つくし摘みの人たちがいました。

JR筑豊線と近づいたり離れたりしながら 小竹に着きました。狭い道路(街道)です。フロントガラス越し。


探す場所が見つかりました。小休憩所跡・・・・現、龍徳酒屋さんです。 石橋を探す時も酒屋さんに聞くと詳しいから昔から酒屋さんっていいとこだったんでしょうね。

さらに少し歩くと 地蔵堂・・・きっとこれですね。 芭蕉句碑と庚申塔もありました。
    うきわれを 淋しがらせよ かんこ鳥 

そして境界です。鞍手郡はここまで・・・  少し進むと飯塚に出ました。飯塚宿は過去に何度か書いています。

niemonさんのHPから許斐神社の石橋を探します。旧伊藤邸の近くで知っていますが階段が高いから 車道を探して迷子です。

ナビに入れたら 宮司宅でありました。んん?・・・・別のところでした。
郷社撃皷神社・・・ツクリが皮ですが辞書で調べたらこれもツヅミ、音読みはコクでした。。

 

迷子で、ニッチモサッチモ行かなくなり隣を見たら天保の塔? ここがどこか 実は撮っていたんですが 一眼レフのカードが入ってなく望遠で撮ったものは全滅です。 


本当は内野宿まで行った事にしたいけど仮想とはいえ 歩数を計算していますからね。飯塚宿までです。

 



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2月の仮想長崎街道歩きです。小倉大門から到津を通って八幡東区に入りました。六条 五条 中央町・・・・

仮想街道歩きですから実際には生活の中のウオーキングを街道に置き換えています。 黒崎宿はホントに歩きました。




黒崎宿東構口跡(東かまえぐち――宿場の入り口の番所)を地図で探します。ないない。ニビシ醤油も北九電子もない。

気になる洋館があって見に行きました。。住んでおられるようです。後で聞くとここが元ニビシ醤油でした。(枠内) 




東構口跡は小さな石碑が残っているだけでした。どれだけ探したことか…海蔵庵と言うお寺の入り口にありました。




国道3号線を横切ります。。西構口の方は派手でした。商店街です。昔は、よく行きました。



モニュメントの親柱に“なかばし川” と書いてあります。



子供たちが遊んでいます。 後ろに見える皿倉山は 昔からここに見えていたんですね。。




西構口から少し歩くと 曲里の松並木があります。前回の大門からここまで約15kmです。 




昨秋の写真で紅葉は桜です。枠内はメタセコイヤ。この時 友人に教えて貰ってから後 見つけたら メタセコイヤ!を連発しています。



黒崎宿を出てまた歩き始めました。途中「立場茶屋 銀杏屋」で休憩。今頃お雛祭りでしょうか。訪ねた時の記事です。


黒崎から約6km銀杏屋をでて・・・・約5km 木屋瀬宿に着きました。




街道の面影を残す町なんですが 私 気付きました。大きな間違いをおかしてました。1010万画素だからトリミングすればいいって。。

でも撮る時から考えて撮らないと・・・・  無粋なところを除きたい でも肝心なところが切れる。。
 



木屋瀬宿でちょっとゆっくりしましょう・・・このあとは飯塚に向かいますよー。




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「お天気がいいんだから家の中ばかりじゃなく まわりでも歩きなさいよ」友人からの電話です。 よっしゃーーー

この前は唐津街道を歩いたから 今度は長崎街道を歩こう。。 まずは関門大橋 これは下関側から観たところです。

 
昔の人は船で渡ったんですね。 そして門司側  めかりパーキングからです。門司は大里から歩いたんですね・・・ 

 

参考は今回も河島悦子さんの地図です。。 カメラは持っていません。長崎街道起点は小倉 常盤橋です。さぁ歩きます。

冬晴れの空は 程よいくらいの雲があり ほほを撫でる風も春を思わせるほどでした 。

よかったら過去記事です。 常盤橋です。

家の中ばかりで温度がわからず完全武装しています。2km歩いたところで 手袋をはずしました。 3km 毛糸の帽子をとりました。

 ふーーーー。 大門跡に着きました。空には半月の昼の月 昨日 24日のことです

 

私は1km 1400歩なんです。。だから万歩計が7042歩ということは5km歩いたんですね。

                 

あのう 実際に歩いたのは隣町のスーパー ゆめタウンまで・・(距離は5km歩きました。)

スーパーや 家の周りじゃ歩く気しないんですもん。だから空想・妄想で・・・仮想か?

私は仮想長崎街道を歩くんです。次は大門跡から心光寺あたりまで歩きます。

こんなにたくさん買って帰りは妹に車で送ってもらいました。

 



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旧街道や海辺を歩いていると よく辻に恵比寿様とか石像を見かけます。こんな道の角に・・・




唐津市の重要文化財になっていました。石像があちこちにあります。 天保10年って台座に彫ってあります。





なおも歩いていると いい香り・・・宮島醤油さんです。。大きな工場が続いていました。





こちらもお醤油屋さんです。マルキ醤油さんです。龍源寺と言うお寺を探してます。



工事中でした。参道橋があるはずなんです。工事の方に聞いたら 工事中は取り外しているって。

終わったらまた取りつけるそうで 枠内の鉄板の所にあったそうです。ああ。。。運が悪い。。。





次に近松寺を訪ねます。。。大原の松露饅頭 本店です。。買っちゃったー。



近松寺・・・きんしょうじ・・・には山頭火と芭蕉の句碑がありました。

山頭火   空へ山へ まかはんにゃはらみた 心経

芭蕉    春もやや けしきととのふ 月と梅




そしてお釈迦様の下に小さな石橋



もう疲れてしまいました。唐津駅から車のところまで戻ろうと思ったら駅の反対側に曳山資料館。

唐津おくんちの曳山は有名ですからね―――。行きました。撮影自由です。ガラス越しで反射。




そしてやっと やっと 車に戻りました。もう唐津に縁がなくなります。待てよ。車があるんだから・・・

ちょっと帰り道 石橋探訪。。。浜崎小東橋です。




住吉神社みとも橋です。。 裏の桁橋はありませんでした。




前の記事で お祝いメッセージを頂きました。続きでは間が抜けてるからコメント欄を閉じています。

ご覧いただきありがとうございました。

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今回は遠いから車で行き、出発地点の虹ノ松原駅近くのジャスコに車を置いて歩きました。

同じ風景の所をずーっと歩き乍ら ああ誰も見てないから車で・・と思ったけどそれじゃ今迄の苦労がふいになるし・・

中ノ茶屋 忠霊塔の鳥居のところで昼食のサンドイッチ。。。





またテクテク歩いていると視界が開けて・・・・・・・遠くの山上にお城が見え立ち止りました。

喜びを分かち合う人もいなかったけど、不覚にも涙がでました。去年の真夏に第一歩を踏み出した。





唐津城は舞鶴城とも言い、この橋は舞鶴橋です。手前渡し場跡・・・があるんですが記念碑は無かった。





橋の上から見た唐津城です。下には歴代の城主の名前が書いてありました。





んんーーー 下から見上げた方がいい。。 唐津城は こんな所です。

暑い日ばかり思い出す。。真っ黒に日焼けして歩いた。黙々と歩いた。




頂上から見たところ・・・・昔と変わらないんでしょね。





街道歩きのお供・・河島悦子さんの地図、赤い実線が街道です。 青○印は渡し場と唐津城です。

下にお勧めコースって赤い線がありますからお勧めコースから城下へ歩いてみます。へとへとなんだけど・・・





また舞鶴橋を渡って戻ります。向こうに見えているのが 松浦橋です。





松浦橋を渡っています。すみません。橋を基準じゃないと分からないんです。




今度は地図の「札の辻橋」を探します。そこを渡ると番所跡があるはずです。でも橋の上からなにやら由緒ありげな橋をみつけた。




此付近 松浦党唐津会所跡・・・これかぁ~ 今は小さな公園です。




さっきの橋が気になって行ってみました。ちどり橋・・・平成の橋で 渡るのは私の他はネコちゃんだけでした。






唐津街道歩き ブログネタじゃなかったらきっと挫折していたと思います。皆様 応援ありがとうございました。

2008年7月7日 出発    2009年11月19日 到着


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唐津街道の方は唐津虹の松原で 最後の休憩をしています。あと一息だというのに。。。

よおーーーし、 わらじを履く前に 諏訪神社にお参りします。虹の松原の手前にあります。山門です。。重々しい感じです。





だあれもいない境内に入って行きました。二礼一拍手一礼。 




本堂の周りを観ました。。1・2・3 ・・・・橋板の数です。




3枚板の石橋を横から見たなら・・・・




道祖神社・・・縁結び 子宝 安産のお守り神です。雄石と雌石を御祭神として人々に仰がれ霊験あらたかです。(案内板より)








道祖神社の前の大楠は諏訪姫さまの愛鷹の化身と言われています。大きすぎて全身撮れません。

ホークスの王さんのサイン入りの写真が貼ってありました。お参りされたんですね。





門前町は鶏卵 けーらんが名物のようです。 お饅頭かな お煎餅かな? とっても暑い日でかき氷を買いました。





今日から11月 どうしよう・・・・ 焦る焦る。。。









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鹿家(しかか)駅からスタート。人家のない山道は海岸沿いの国道で遠回りしました。26日のことです。

「ラーどん」ラーメンうどんかな ラーメン丼かな。。棚膳さんです。







佐賀県に入りました。 真ん中の標識は「福岡佐賀縣界標 福岡県」  ちょっと感激

右 「至福岡四二、三三粁 十里二十八丁」 左 「至唐津一〇、四七粁 二里二十四丁」これは同じ標識の左右です。







ここは国道202号です。国交省の管轄も福岡県から佐賀県に代わります。 でも海には県境がありません。。







包石です。  歌碑 名にし逢う 響きの灘の白波は 鼓の石におとづるるなり 伊能忠敬測量日記 文化9年

私はその測量日記の地図を見ながらひとり 唐津街道を歩いています。







クルマエビの養殖場です。小さな3連水車があちらこちら、鯉のぼりの矢車のようにクルクル回っています。







ネバーエンディングストーリーのファルコンのような形の岩に・・・・ 鳥は羽を休め・・・







人は羽をつけて。。。







玉島橋を渡って浜玉町 へ   カーテンが大漁旗です。  地蔵堂のおじさんはお掃除中でした。
 






浜崎宿につきました。 諏訪神社にお参りして浜崎駅から帰ろうと思ったら 虹の松原がみえました。

虹ノ松原駅まで歩くことにしました。。真夏並みに暑い日だけど松林なら。。。国道なんですよ。







これが大変です・・・・いつまでもどこまでも続く・・・対州領国境石がありました。

急に疲れた。もうだめ。交差点で停まった車に最寄駅をたずねました。







1mも無駄にせず左折 こんな道でした。







突き当ったら 小さな駅―― 虹ノ松原駅でした・・・唐津まで あと5kmです、 14000歩、歩きました。。





多くの写真をご覧いただき ありがとうございます。これでもうんと割愛しました。(笑)

諏訪神社は また 機会があればUPしたいと思います。




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土・日・・・暇でした。。で昨日の日曜日また歩きました。出発点はJR唐津線 福吉駅です。。 駅前広場に歌碑。 

旧制佐賀高校水泳部の寮歌・・・全国2000曲の中から選ばれた秀歌12曲に入ってるんですって。画像クリックして下さいね。

 

 

 

さぁ 出発・・ 最初の目印 縄手第3踏切を駅員さんに聞いたら 踏切に番号はないって。私 見つけたけど。。。(枠内)

この地図の赤い線が街道なんですが 実は途中 民家は1軒だけ さらに途中で道のない部分があります。

 

 

この道です。5kmくらい。。。いくら 貧しいオバサンだって一人で歩くのは危ない。引き返し海岸沿いを歩くことにしました。

地図で1番の出発点・・・・・諦めたけどね。。。

 

 

空はどんより曇って風は追い風  40分くらい歩いたところサーファーが大勢見えました。

海の中みえるかなぁ。。。波乗り のひと。。

 

玄海国定公園鹿家海岸 です。 しかか って読むんですよ。上の地図では2番です。


 

なんて言う名前か分からないけど この 帆のついたボード 結構大きいんですね。





 

また暫く歩くと 地図3番 のところ 鹿家漁港です。 大入や福吉に比べると小さな漁港です、
 

 

さらにまた歩いて・・・ 鹿家駅入口の信号が見えました。もっと歩こうかな帰ろうかな と思ったら 駅の方角に石橋が見えました。

もう帰りなさいという ことです。私はいつもそんな風に自分にあま~いんです。





鹿家駅は無人駅です。カサカサと落ち葉が積もって 時間が止まってました。切符は車内で買いました。

昨日の万歩計8665歩でした。。駅までの分を引いて 5kmくらいかな。。


 

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。

前の記事と同じ内容の為 縄文人さんの真似をして 皆様からのコメントをご遠慮しました。

 「 コースを変更して正解でしたね。」 そう書いて頂けると思っています 。。。

又明日 お会いしましょうね。



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