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モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



 大河ドラマ 花燃ゆ で 薩長同盟ですね。 五卿西遷で大宰府に行く時 この赤間に数日間滞在してます。。

大河ドラマファンの方 今は 萩じゃなく 赤間に来てね~  あしや会のKちゃん ボランティアガイドしてます。。

 

唐津街道 中筋往還  赤間は唐津街道の宿場ですが ここから木屋瀬 も近いんです。。 その木屋瀬は長崎街道の宿場なんですね。。

そこを往還するる道・・

 

だから この道しるべは珍しいんですよ。。。 長崎街道の木屋瀬宿 と唐津街道の芦屋宿の方角を示しています。

 

毎月第四土曜日のあしや会 八月は赤間です。。 Kちゃんが 「です・ます体 」の説明でガイドしてくれました。 須賀神社です。

 

辻井戸です。。他にもあるそうです。。 ここでは井戸端会議などしてたそうです。

 

節婦阿政 の碑 お政には許嫁がいたけど、富豪から息子の嫁にと望まれ どちらにもそむけず自害した・・・かわいそうに・・・

隣の碑は 徳重村の庄屋さんの碑 飢饉の時に米を分けてやった・・・・そうです。

 

次の鳥居は 祇園社でした。。 小さな狛犬がありました。。

 

 

阿像は玉を咥えています。

 

小さな社殿ですが草刈りもしてあり、榊も新しかったです。

 

裏には恵比寿神社や菅原神社、他にも小さな祠が幾つかありました。

 

 大典記念樹 昭和の天皇の即位かな❓ 右は砲弾でした。他にも史跡がありましたが割愛します。

赤間宿には百田尚樹著 海賊と呼ばれた男 の主役 出光佐三の生家があります。

 

 

 

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小郡市霊鷲寺に行く途中・・・・ちょっと趣の違う通りを抜けました。。。 そこが松崎宿でした。。久留米藩家老のお墓参りの後よることに・・・  このお地蔵さん ハイカラな帽子をかぶっています。

 

 

松崎宿で見つけたんです。 油屋さん。。  小説 天に星 地に花 で 庄十郎がまだ見習い医者の時 醤油屋さんと 油屋さん それぞれの お産の手伝いをする場面があった。 

 

何とも思わず油を売るお店だと思った。 宿屋だったのかー 薩摩街道 松崎宿です。

 

ここは見学できるようになっていたけど まだ8時40分 誰もいないし 不在の時の電話番号が書いてあるけどでない。 鍵を預かる商店もしまっている  だから眺めただけ・・・

 

諸国御宿 油屋喜平 看板の表・裏  漢字と仮名で書いてあります。

 

工事中です。 角座敷から先にするようですね。

 

下調べもしてなかったし・・・・この一角を見ただけです。。 日曜日の朝で人通りもありません。

 

ここは中でシャッターを開ける音がしていました。。。表通りは街道の雰囲気を残していても ふつうの生活がありますからね・・・

 

きっと空き家ですね。

 

薩摩街道 松崎宿をご紹介しました。

 

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3月のあしや会 ランチだけじゃないんですよ。 レストランから10分くらい走って 長崎街道、木屋瀬宿(こやのせ宿)に行きました。

まずは 須賀神社です。 鳥居の手前には小さな参道橋もあります。 境内にはいろんなもの がありますが、一つだけご紹介します。

宗祇が宿場に滞在したとき みた夢から発句   “ひろく見よ 民の草葉の 秋の花” です。

 

狭い道路をはさんで向かい側 これは祇園祭の山車が納めてあるようです。。。 見えますか?

 

その右となり 八百屋 酒屋 なら どの町にもありますが ここは本田こうじや さんです。 枠内は もろぶた(方言と思うけど糀を並べる箱?) それと赤レンガ造りのムロ。

 

街道の面影を残す通りを歩きます。 宿場の入口を示す 構え口や問屋跡 など 案内板があります。

酒屋さん 広い店内をのぞいてみたら 帳場?・・・・ドールハウスで作ったことあり・・・・があります。 大きな算盤を持った番頭さんが出てくるかな?

 

こて絵は新しいようですが建物は古かったです。 もやいの家  市ではなく地元の方が管理なさってました。

若松人形館の館長さんからもお話をうかがってたから入ってみました。

 

天保雛 と 黒い衣裳は 宮廷のお内裏様 お雛様

 

元は呉服店だったそうです。  西陣帯地・・・・・右から書いてあります。

 

これはびっくりです。 明治39年の 直方駅の時刻表です。

 

お雛様は 御殿飾り 段飾り とにかく・・・・・・所狭しと 2階までずらーーーっと並んでました。

お雛様展は終わったけど 木屋瀬宿 楽しいですからお近くの方一度は行かれませんか?

 



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月が変わるたびに歩くぞーって決心するけど 今まで3日と続きません。 それが今回続いてるんですよ。。

街道歩き  嬉野宿で泊まったままなんですね。。。始めたものは終わらなくちゃいけない・・・

嬉野宿を出て 塩田町です。 いわゆる長崎街道25宿には入っていないけど塩田宿です。街道の面影があるでしょう?

 

(毎日歩いた歩数を距離に換算して それを長崎街道を歩いたことにする・・・・・それfが 仮想長崎街道を歩く なんです。)

丹生神社です。 石橋探訪で以前行きました。  小さな川に沿って上の方から下に 街道は向かっています。

 

 9月1日から9月4日までの万歩計。約17000歩 10kmくらいあります。 街道の地図で計算すると次の宿場彼杵宿(そのぎ)に着きます。

 

 

彼杵神社です。。。ここも石橋探訪で行きました。。

 

 

 

 ちょっと季節が違うけど・・・・・

 

さぁ 次の松原宿を目指して・・・

 

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すごーく写真が多いけど コメント欄は閉じています。 お時間のある方 ゆっくりご覧頂けると嬉しいです。

 

今年も行きました。 24日お天気が良かったので、すごい人出でした・・・・ どんな場所かって?家から15分・・

唐津海道 赤間宿 江戸時代には福岡藩が頻繁に利用していました。 JR駅では赤間教育大前です。 出光興産創業者 出光佐三さんの生家があります。ここです。

 

 

発掘跡がありました。 区画を示す石垣 枠の写真の真ん中あたりから上に白い石のところです。

辻井戸は宿場の旅人や馬に飲料水を供給するためのもので宿場600mの間で計7ヶ所にあった 現在2ケ所残っています。  (案内板)   発掘のところと 枠内です。

 

とにかく人が多い 看板も古いですよ。。 あしや会のKちゃんが仮装して歩いているはずですが去年同様、今年も見つかりません。

蒟蒻屋さん 友人と田楽を食べました。 風情のある白壁の家なんですが遠くからしか全景撮れないし それじゃ近くが見えんし・・・

 

酒蔵開きですが 人が多くて入れません赤矢印  の酒林(杉玉)の下が入口 行列ができています。グリーンのスタッフジャンバーの人が最後尾を示しています。

 

宗像市商工会のゆるキャラ キラリ姫 (キキ姫) コンテストにも出ますからよろしくって・・・

 

花嫁行列が来ました。。。 この花嫁さん 花婿さんは本物の結婚式 式場まで歩いています。 飴売りさんは先導してるのか他人か分かりません。

 

 

おめでとう って声をかけました こちらを向いてありがとうを言ってくれました。

 

このあと 仮装行列が続きます。

 

 ここにも花嫁さんが・・・・・ みつかりました。。 すみれ会の皆さんです。 鹿児島から移築中のザビエル聖堂の工事に協力して 催しもの 寄付集め いろんなボランティアをしているグループです。

 

 

 イベント広場 赤間小学校のコーラス部。   出演前に会った時 引率の先生がそう言われました。がんばってねと声をかけたら頑張ると男の子が応えてくれました。

 

 

この坊や 片手で支えてるから 危ない こわい って言ったら パパが振り向いてポーズしてくれました。

 

 

そして・・・・・やっぱり酒蔵には 行ったんですよ。  

 

 

立錐の余地もないって このことですね。

 

赤間宿場祭りをご紹介しました。 私が見に行く数少ないイベントです。。。



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瑞光寺は 山門から参道橋 大楠 を前回ご紹介しましたが 実は長崎街道17番目の宿場 嬉野宿の本陣跡でもあります。 

 

 

上の案内板の伽藍配置図 で 大楠の向こうに階段があって 楼門があります。 見事な楼門でしょう?  仁王像が見えます。

 

もう少し近づきます。。。 例によって隙間から撮った仁王像を貼りつけました。。 門の向こうに見えるのは地蔵堂です。

 

本堂です。。 静謐(せいひつ)ってこういうことを言うのかな? 難しい字だけど・・・・ブログで覚えた言葉だけど・・・   静かで落ち着いていること。また、そのさま だそうです。

 

鐘楼 です。。 山門から階段を上ってかなり高い位置、何だかこの位置と言うのは 物見櫓のようですね。 

井戸の裏に煉瓦のアーチの囲いのようなのがあり、気になったけど説明がありませんでした。

 

境内から下を見た所 やっぱり本陣の感じですね。。。 塀に鉄砲の穴のようなのがある・・・・  ん? 入る時には気付かなかったけど・・・・左端・・・・塀を押している。

 

 

アップしますね。 お相撲さんのようです。。。 山門の金剛力士なら見たことあるけど相撲とり・・・・

 

今度は右側  こっちは欠けていません。。。しっかり押しています。

 

ほら・・・・・ ちょんまげだってあります。。

 

今度は階段側から 本堂に向かってです。。。   いつも後悔するけど 撮り方が下手で真黒。。。分かっちゃいるけど面白いと思う気持ちばかり・・・

 

現代の瑞光寺です。。。 さぁ 次の宿場は???   予定はありません。

 



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本応寺は塩田宿の中にあります。。お寺は他にもいくつもありましたが ここは有名な仁王像がありました。

 

 なんか 身の周りにいそうな・・・・親近感のあるお顔の仁王像だと思われませんか?

 

本応寺 本堂です。 空が真っ青で人もいないから なんかつまらないですね。 雲なとあればね。(せめて雲くらいの意)

 

 ここでお寺さんの行事とかあるんでしょうか・・・・・ 石碑の言葉 あとで拡大しますからね・・・

 

 これはまた大きな大きな樟です。樹齢推定160年って書いてありました。 残念ながら大きさは書いてなかったけど数字で表さなくても とにかく大きい。。。

 

 さて・・・前述の石碑の拡大です。  文字数が多いけど 面白いから 読んでほしいな・・・  

夏がくると冬がいいという 冬になると夏がいいという  太ると痩せたいという  痩せると太りたいという

忙しいと閑になりたいという 閑になると忙しいほうがいいという 自分に都合のいい人は善い人だと誉め自分に都合が悪くなると悪い人だと貶す

借りた傘も雨があがれば邪魔になる 金をもてば古びた女房が邪魔になる  衣食住は昔に比べりゃ天国だが上を見て不平不満に明け暮れ隣を見ては愚痴ばかり 

どうして自分を見つめないのか静かに考えてみるがいい いったい自分とは何なのか 親のおかげ 先生のおかげ 世間さまのおかげの塊が自分ではないのか

つまらぬ自我妄執を捨てて 得て勝手を慎んだら世の中はきっと明るくなるだろう

おれがおれがの我を捨てて おかげおかげのげで暮らそう

・・・・・・・・はい・・・・・・そのとおりでございます。。。 読んで下さった方 ありがとうございます。

 

 ここは 丹生神社ですが 以前UPしてますので境内の様子は割愛します。

 

 なんとなく街道の名残の残る お漬物屋さんです。

 

 さぁ えっちらおっちら・・・・・

 



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塩田宿はいわゆる長崎街道25宿には入っていないんですが 嬉野宿の手前か先か分からないような間!・・・なんです。。。 旧長崎街道 塩田宿の石碑の左側の立て札は塩田の津 の説明でした。

湊だったんですね。その地図で 川は浦田川 数十m 同じ川なのに旧塩田川と書いてあるから行ってみます。

 

おっと~ 目の前に 何とも可愛い消防署と 恵比寿様が見えてしまった。しかも事務所の看板が・・・・武雄の裁判所真正面って書いてある。 

普通 裁判所前 って書くでしょう?  きっと素敵な弁護士さんだ・・・

 

川沿いを歩きます。 浦川です。。それぞれのお屋敷から川に降りる階段がある・・・・しかも高い・・・

 

川はこんな風に階段があります。。  私 こっちの方が旧塩田川って言う名前が似合うと思いました。

 

ここから旧塩田川ですが・・・・船着き場です。 保存のためにコンクリートで復元してある・・・ カンカン場から川を観た所と川に降りて下から観た所です。

 

その真ん中のカンカン場です。。。そう言わないのかな?  上に乗って重さを量るところです。

 

今度は町並みをご紹介しますね。

 

西岡家の住宅 と 杉光陶器店主屋と蔵  区切り目が分からないから失礼の無いよう 続けました。 国の重要文化財です。

 

 

 

町の辻や お店に・・・・ 新旧 色々の恵比寿様 があります。 一部をご紹介します。 佐賀県は日本で一番恵比寿像が多いそうですよ。

 

 

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蔵開きの勝屋さんへ行くまでの唐津街道赤間宿です。今日はコメント欄は閉じています。ゆっくりごらんになって下さいね。

ここは出光の創業者の生誕地です。出光佐三生家 中に入って見学しました。中学生がボランティアで説明をしていました。 向かい側は出光万兵衛生家。




道中 仮装した人がいっぱいいます。一部をご紹介します。

チンドン屋と虚無僧 虚無僧は尺八のはずだけど・・・・それにスニーカー履いてる・・・ 




時代屋さんは民芸酒場 桝屋さんはお菓子 アイス のお店ですねぇ。 



旅ガラス このあと鍛冶屋さんの出店で包丁など見ていました。(刀はなかった!) 正面も撮らせて と言ったらこの笑顔

このあとお友達に からかわれていました。 ごめんね。 




イベント広場では 沖縄エイサー  ここは赤間教育大学がありますから沖縄出身の学生さんかもしれませんね。




ひょっとこ踊り 可笑しくっておかしくって この写真ばかり多くてスミマセン。






お面をとって バー! 子供たちに大喜び。




お尻ぷりぷり 子供たちも 観客も みんな笑顔です。




和太鼓です。




民謡は 福島県の民謡 被災者の応援です。




酒蔵へ行くんですがこんなに多いんですよ。




グループでの記念撮影に おじゃましまーす。




これが私の探していた すみれ会のグループで 目立つから何枚も撮っているけど Kちゃんがいなくて分からなかった。




イベント広場で後姿のすみれ会のメンバー 背中にお多福のお面をからっているのがKちゃんです。



食べ物屋さんの出店も た~くさんありますが・・・・豊前一粒牡蠣 1皿300円 4個入りです。椅子席は出来上がっている人がいたから・・・

一皿買って、妹と二人2個づつ 道端で食べました。 まいう~でした。 




これは道端で・・・・ご自分たちが買ったお酒を“蔵開き”しています。男の人っていいなぁ~(遠くから撮って切り取り)

飛脚の方は 佐川急便に勤めてるんじゃないの? 妹に大うけしました。




2時間歩いたからお腹もすいてきました・・・・勝屋さんで買った酒まんじゅうを 車の中で1個づつ・・・


最後までご覧いただきありがとうございます。 今日はつづきの記事のため コメント欄は閉じています。

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北方から約1里 塚崎宿へ向かいます。街道歩きで持ち歩く地図に石橋が載っています。塔の原橋です。

ナビが案内した所にないから友人と二手に分かれて探すけどない・・・近くの大きな会社に行って聞いたけど分からなかった。。。




暫く探して・・・・ 犬と散歩中の地元の女性に 地図の石橋の写真を見て貰って尋ねると、あぁ トンハー橋やね 釘を一本も使ってない って。

そうです 石の橋です。 私が トウノハラバシ って言うから分からなかったんだ 




ん? 街道っぽい蔵造りの家だ・・・と思ったら 建設会社だった。車中から撮ってます。




地図には測量した時の日誌を抜粋してあるんですが  此驛(塚崎駅)東南の方右手に城山と云怪岩見事なる山あり。麓に鍋島候の家老鍋島十左衛門殿の屋敷あるゆへ、城山といふよし(下の地図下段中央の文章です)

私 ピーンときました。怪岩見事なる山・・・・御船山に違いない・・・・



御船山に行ってみました。 武雄市の公式ホームページにもありました。

武雄領主は、現在の武雄高校の位置にあった塚崎城(武雄城)を居城としました。背後には、神功皇后が新羅からの帰りに御船をつながれたことに由来するという武雄のシンボル、標高210メートルの御船山がそびえ立ちます。その御船山の断崖を借景に、茂義が約3年の歳月をかけて1845(弘化2年)に完成させたのが御船山楽園(旧萩の尾園)。15万坪を誇る壮大な池泉回遊式庭園です。




季節外れの散歩道




怪岩見事なる山ですね。。。




いつ頃建てられたものか 物置でした。




今回はつづきですから コメント欄を閉じています。



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