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小田宿・・・・仮想長崎街道を歩く(14)
街道歩き(走り)
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2011-12-27 06:00:00
長崎街道の地図です。(伊能忠敬の地図です) 筑紫野市在住の河島悦子さんが50年の間 実際に何度も歩いて書かれました。。
伊能忠敬より8代目の伊能家ご当主が序文を寄せられています。
長崎街道は57里、25宿 私はその宿場付近を車で通っています。今回は14番目の宿場小田宿に向かっています。牛津宿からは 2里3町です。
赤い実線が街道です。 長崎街道は車で通れない所や山もあります。街道の下(南ってことかな?)国道34号線を車で走っています.
2里3町(約8km)なんて 車だと時速60kmなら8分ですからね。あっという間に通り過ぎました。
大町 という所を走っています。
私のタイトル・・・・仮想長崎街道を歩く・・・・が どんな意味か説明しなくっちゃわかりませんね。
実は 毎日ウオーキングをして 歩数を距離に換算して 50日間で長崎にたどりつこうと思いました。
でも続かず、始めたことを止めるのもいやだなぁと思いました。 それで・・・・石橋探訪なら続くからと街道近くの石橋を探訪しています。
だからほんとは 街道とは関係ないんですよ~。
今回は 地図のご紹介で コメント欄は閉じています。
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牛津宿・・・・仮想長崎街道を歩く(13)
街道歩き(走り)
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2011-12-25 06:00:00
佐賀宿の次に向かうのは牛津宿です。 トコトコ歩いたことにしましょう。嘉瀬川を渡ったことにしましょう。。
国道207号を通って小城(おぎ)市に入りました。(ここからは実際のドライブです。)大名行列かと思ったら園児行列です。ゴミを拾っているようです。
やがて牛津宿(小城市牛津町)に到着しました。江戸時代の伊能図と合わせると ショッピングプラザセリオという大きなスーパーの辺りです。
小城市役所で街道の名残の場所を聴きましたが 分かりませんでした。 こちらは市役所の前 老舗でしょうね。
ズームアップします。 城島旗染店さん 屋根に 大黒様がいらっしゃいます。
すぐ近く 西宮神社(大化2年―646年勧請)です。。。。三つの鳥居の向こうに本殿が見えます。壱の鳥居は大正14年のものです。
案内板によると 2代藩主と9代藩主が寄進した鳥居があるそうです。今回は鳥居をご紹介します。弐の鳥居の方が多分 9代藩主でしょうね。
藩主 鍋島直堯(なおたか) ネットで調べたら180年~1873年明治3年までの生涯です。力強い感じです。
そして1番奥の鳥居が1番古いのかな? 2代藩主鍋島直能 元和8年(1622)~1689までの生涯です。屋根もあるし手の込んだ細工です。
わたし・・・鍋島と言えば 初めて見た映画が姉に連れられて行った 猫化けの鍋島騒動で・・・ネコが苦手な理由なんです。
鍋島藩は佐賀藩と思って調べたら藩主の名前が違って、 ここの鍋島家は小城藩でした。
手水鉢は古く「天保」の文字が見えました。 井戸は大正13年なんですが六角形が珍しいなと思いました。
そしたら先日NHKあさナビ で平戸でしたが 六角形の井戸が出て やっぱり珍しいそうで中国から伝わった様式だそうです。
そしてそして もったいぶって 気が焦りましたが 西宮神社参道橋をご紹介します。
石垣が今にも壊れそう・・
関係ありませんが 忘年会ホテルのクリスマスツリーです。 震災の辛い年でしたが静かなクリスマスを迎えられたでしょうか・・・
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佐賀宿と佐賀城・・・・仮想長崎街道を歩く(12)
街道歩き(走り)
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2011-11-17 06:00:00
牛島と佐賀は同じかな? あっという間に佐賀宿です。 あれ~!石橋だ!(分かってたくせに~)龍造寺八幡宮です。
お寺じゃなく神社でした。 前回 若宮神社で観たのと同じような 肥前鳥居です。
江戸時代街道を歩く人たちを見てきたでしょうね。 鳥居の拡大文字見えるかな? (○皇帝)聖躬萬歳陛下 です。
歴史の証人、この楠は樹齢400年 私は樹の説明(白色)より黄色の 保存樹の説明が・・・なんだか私が書く文章のようでホッとしました。
石橋と本堂です。石橋はいつものように
「私の宝物」
にたくさんUPしています。
天井絵です。 これは新しいものでした。 町の愛好家達が描いたとしたら それもいいなと思いました。
ランチです。 佐賀のNHK放送局の向かい側 明治の雰囲気の木造建築で 警察関係の建物でした。中はレトロでいい感じですが狭くて人が多く写真を撮れませんでした。
ここであさりのスパゲティーを食べましたが 隣の席と近く 撮れません。食後撮った壁の写真 佐賀百年史 「大正時代の礼儀作法」のタイトルでした。
NHKの隣 佐賀城址です。城門も新しいものです。 もともと幕末に出来たもので歴史はそう古くありません。
敷地はとっても広いから ここなら毎日散歩するのにな~と思いました。 駐車料も入館料も要りません。
資料館から拍手が聴こえるから行ってみました。 子供たちでした。唐津から来たそうで4年生だと元気よく答えてくれました。
資料館の方に 拍手の事を聞いたら 紙芝居をしたそうです。 雨のため急きょ 遠足の行き先がここに変わったそうです。
ひろい。
お庭も広い。
石垣と落ち葉・・・・一番好きな景色です 桜の樹です。 花もいいけど落ち葉の方が似合う・・・
さぁ 次は 牛津宿なんですが・・・・また暫くここで逗留するか~
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境原宿・・・・仮想長崎街道を歩く(11)
街道歩き(走り)
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2011-11-15 06:00:00
思えば今年になって全然長崎街道歩きが進んでいません。 ついつい石橋探訪になりますが ここは神埼宿のつぎ境原宿です。
この鳥居は肥前鳥居と言われています。
若宮神社です。立派な参道橋があります。街道を通った人もきっとお参りしたことでしょう。
ご神木も立派です。
神社側から観た宿場町 このあたりは珍しいものはないようです。
田代に入る所です。信号には 牛島宿と書いてありますが 長崎街道25宿には入っていません。でも街道筋です。
構口です。 この狭い道路ですね。 ここから次の佐賀宿へ向かいます。
最近あまり歩かないので 仮想の方も進みませんでしたが ちょっとピッチを上げなきゃね。
パソコンに向かう時間を少し短くしたため コメント欄は閉じていますよ~。
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神埼宿・・・・仮想長崎街道を歩く(10)
街道歩き(走り)
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2010-12-27 06:00:00
中原宿から、上峰町切り通しなどを通ります。河島悦子さんの長崎街道地図には色んな話が載っていますが シーボルトの記録から・・
苔野と言う小さい村に着いた。この村はソバから作った一種のうどんで 旅行者の間で名がある。それはソバキリと言って大変栄養に富んだ食物で、醤油の汁・ワサビ・トウガラシ・ネギなどで良い味がする。
ソババキリって普通のおそばでしょう? へ~ 蕎麦よりうどんが早かったのか・・・ と言う間に一里塚です。神埼宿まで1里です。
説明を読んで初めて分かりました。。街道歩きでは、よく一里塚を見ますが石碑です。。そうかー。塚だから 小山がホントだったんだ。
ひのはしら1里塚 貴重な史跡ですね。専用の駐車場もありました。
階段を上ってみました。いぼ地蔵さんです。そう言えば子供の頃はイボができたけどいつの間にかない。
通りに街道の面影はなく しいて言えば見慣れた道路幅かな? まず市役所です。私のナビでは町役場、18年に市になったそうです。
“吉野ヶ里”の町ですから・・・参勤交代どころか もっともーっと昔の建物!が入口にあります。(枠内)
私はその町の担当者に話を聴くのが大好きです。見たい地図が長崎街道だと分かるとそれに詳しい係の方が来てくださいました。
こういう気配りの役所は少ないですよ。この一帯全部櫛田宮だったそうです。街道の地図を頂きました。
市役所のとなり 櫛田宮です。一里塚のひのはしらの名前の由来・・・櫛田宮の赤木の鳥居がそびえていたことによるとありましたね。
一里も手前に鳥居がある大きな神社だったんですねー。もしや参道橋が・・・・と行ってみたら ありました。。。
役場の方が(宿場の見学は)公園化された西の木戸口だけしかありませんと仰った所です。頂いた資料より抜粋します。
神埼宿の木戸口は門扉式ではなく戸板をつき上げて下をくぐって出入りしました。“並みならぬ構えぶりであった” 吉田松陰「西遊日記」より
すぐ前にお店があって
おはぎ
の文字が目にちらつきます。 昼食がまだでしたから食べられません。
橋の手前左が木戸口跡で祠がありました。 大きな碑があります。右は近代的な建物が並んでいます。
注連縄の横の黄色い案内板には旧長崎街道西木戸口跡 その横が気になります。
やっぱり気になります。たくさんの資料にのっていません かんざきばし 橋の親柱です。案内板もない。川幅の割に小さすぎる気がするけど・・・
川は城原川 川と同じ左側に行くと佐賀空港方面、橋は神崎橋 まっすぐ行くと長崎方面です。 まだまだ先は長い。。。
年末でお忙しいと思いますので コメント欄を閉じています。。どうぞ風邪をひかれませんように。。。
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中原宿・・・・仮想長崎街道を歩く(9)
街道歩き(走り)
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2010-10-24 06:00:00
驫木宿から近い距離に 中原宿があります。。ここは宿場の入り口ですが道路幅以外は旧街道を思わせるものはありませんでした。
こんな分かれ道に小さな祠などあると嬉しいです。街道によくある恵比寿像ではありませんでした。子供を抱いた観音様のようでした。
立て札がありました。驫木宿と神埼宿の間の小規模な宿場であったこと、宿場に泊まった記録 洋画家司馬江漢 天明8年(1788)・ 伊能忠敬(1812)吉田松陰(1850)等、それからそこの並びの商家の屋号など。
その中の1軒の旅籠 「岡崎屋」です。 中原驛岡崎屋御定宿 と書いた透かし彫りが二階の手摺にあります。
透かし彫りが わかるかな? 右から左へ・・・中原驛岡崎屋御定 (宿)は戸袋で見えません。
おぁ~ なつかしい・・・こんな看板 覚えています カクイわた とか オロナミンC とか。。
祇園社の前の立て札 中原水道・・・鍋島藩家臣 成富兵庫茂安公が造った用水路の説明 やはり治水、利水は1番大切ですからね。
神様と言われたそうです。加藤清正公のような人 どの藩でもそんなひとがいたんですね。
もうひとつ この立て札で びっくりしました。 明治18年8月の大火で全80戸のうち74戸を焼失したそうです。町並みが残ってないのは当たり前でした。
ここまで鳥栖市の宿場をご紹介しました。 同じような記事ですから 今日までコメント欄を閉じています。
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驫木宿・・・・仮想長崎街道を歩く(8)
街道歩き(走り)
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2010-10-23 06:00:00
田代宿から驫木宿への道です。ここは近い。先を急ごう・・(あくまでも仮想ですよ。)なかなか風情のある民家です。
長崎街道 左 田代宿へ 右 驫木宿へ の標柱です。古い民家と高層マンションの間を歩くと やがて驫木宿に着きました。
驫木宿は鍋島藩の東端に位置する国境の宿場です。もう語り部さんは現れそうにないから いつもの河島悦子さんの街道地図で探します。
最初は姿見の池・・・・菅原道真公の史跡です。姿を観る池は無く 跡地でした。
私 街道よりも石橋の匂いがして鳥居につられて脇道へ。。。そこが日子神社で長崎街道の案内板がありました。
もちろん石橋も。。。そして入口は制札場跡地でした。制札場(高札場)は、幕府や藩の命令、知らせなどを立てた場所です。
石橋があってなんか得したなぁ~ 私って勘がいいなぁ~ でも自慢するのもここまで・・・
帰ってniemonさんのデータをみると 計上されており その上藤棚のところにもあるんです。私の写真に藤棚が空しく写ってます。
私 飛行機雲を観ていて下は見ていませんから・・・
ここは御茶屋です。。ここで休憩したんだな―。
番所跡が見つからないから洗車中の方に聞くと数メートル先の曲がり角にありました。この家の広い屋敷は当時は池だったそうです。
長崎街道 驫木宿をご紹介しました。前記事の田代宿と同じ鳥栖(とす)市のためコメント欄を閉じています。次は中原宿です。
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田代宿・・・・仮想長崎街道を歩く(7)
街道歩き(走り)
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2010-10-19 06:00:00
今年の夏はあまりにも暑過ぎて歩けませんでした。仮想といえども宿場は歩いてますからね。田代宿からは佐賀県です。
久々の街道・・・最初に先ず地図から 八坂神社を選びました。ここに車を停めて・・・・枠内は扁額です。
イヌマキの樹は樹齢 250年と260年 後ろの住宅から観て高さが分かるでしょ。楠は推定樹齢600年
高さなど・・・佐賀県の名木古木の登録番号がありましたが調べていません。すごーく高くて 楠はすごーく大きかった。。。
神社前の通りで道を聞いた所、幸運にも街道の研究家!でした。ウフフ♪いつもいい所でいい人に会うんですよ。
地図に載ってないえびす像とか史跡を聞きました。追分石です。
左 こくら はかた道
右 ひこ山へ
と彫ってあります。。
JAの施設駐車場内に恵比寿様がありました。いいわけですが逆光で・・・・
代官所通用門です。 このあとまた八坂神社まで戻って次に行きます。
旧対馬藩田代領代官所跡地の石碑があるのみ。江戸時代 鳥栖市の東半分は対馬藩の領地(飛地)でした。
ここの恵比寿様ははっきりご覧いただけると思います。代官所跡地は今は田代小学校です。
ウロウロしていると前出のナイトが再び登場、また会えるだろうと思って と仰ってご自宅からチラシをもってきてくださいました。
①東明館跡地入口 ② 東明館跡地 広い駐車場でした。 東明館は藩の学問所かな?
そこから暫く歩くと ③問屋場跡と④高札所跡があり街道はそこから曲がります。
街道はこう言う風にポイントを押さえながら歩きますが田代宿は整備されていました。久光製薬といっても分からない方でもサロンパスはご存知ですよね。
そのサロンパスの町です。。 こんな街道の名残のあるお屋敷もあります。
田代宿の追分石 右 さか 左 くるめ ふぅ~石は硬いけどその上ガードが固くて写真も撮れませんでした。背景は本陣跡です。
長崎街道まつりのチラシは去年のものです。今年は10月24日だそうです。お寺でお抹茶を頂いたり街道を歩いたり・・・
お出かけになりませんか? JR田代駅から歩ける距離です。次の宿場・・・驫木宿まで1里くらいです。
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原田宿・・・・仮想長崎街道を歩く(6)
街道歩き(走り)
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2010-06-19 06:00:00
長崎街道です。前回の山家宿から原田宿までも1里くらいかな?
(私の街道歩きは仮想ですから実際に歩いたのは自宅周辺、宿場に寄ったのは熊本からの帰り道 車です。)
急で地図もなくナビで原田駅を入れます。そこでウロ覚えの筑紫神社を入れました。鬱蒼としているから入りませんでした。
それもそのはずここは裏門(?)でした。鳥居を背にして進むと石畳・・・そう聞いたんですが・・・・ない。
やっと着きました・・・舗装に小石が混じってる これは石畳じゃないですよー。
伯東寺です。。
原田宿場跡 初代代官小河内蔵允 の石碑です。小河内蔵允(おごうくらのじょう)1万2000石
関ヶ原では黒田長政 大阪冬の陣では忠之のもとで戦いました。(案内板より)
東海道中膝栗毛の十辺舎一九は京二屋善右衛門宿に泊まって 原田宿の狂歌を作っています。歌はよく見えませんでした。
電線がややこしいことと、他の宿場に比べて面影が全くないと思いました。
JR 原田駅です。 はるだ と読みます。
長崎街道のうち 福岡県の6つの宿場を特に 筑前六宿といいます。 これまでにご紹介した 黒崎宿 木屋瀬宿 飯塚宿 内野宿 山家宿 そして今日ご紹介した原田宿 です。
筑紫野市まで来ていて 次は いよいよ佐賀県に入ります。でも暫く行けそうにありません。
今回はコメント欄を閉じています。
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山家宿・・・・仮想長崎街道を歩く(5)
街道歩き(走り)
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2010-05-29 06:00:00
金毘羅参りで疲れましたから 一息入れて 長崎街道です。
前回冷水峠で 一里塚がありました。・・・約4kmで到着・・・山家宿(やまや)に着きました。
恵比寿さまです。寛永10年(1633) 普通、恵比寿石像って浮き彫り?ですが ここは珍しく筋彫り?でしたよ。
家の登り口階段のところ 白い標柱には 山家塾下代屋敷跡って書いてあります。
側面の石碑 筑紫山家宿初代々官 桐山丹波遺蹟、また大きな方の石碑は福岡県のもので 筑紫郡山家村旧宿駅構口 の説明です。
日本唯一閨秀詩人 原采蘋塾跡 ・・・不勉強で知りませんからネットで調べました。
原采蘋(はらさいひん) 江戸後期の男装の女流詩人で女性漢詩人の代表的人物だそうです。
旧街道の風情を残す佇まい・・・もやい井戸 もやいっていう言葉は昔 私も 使ってました。
山家駅・・・かわいい。。。戸はありません。とにかく右側小さな木の長椅子 左 直接お手洗い
だから駅舎というより 公衆トイレです。
ホームに行ってみました。誰が見たって胸が熱くなる・・・そんな昭和の駅で 私 懐かしい物を見つけました。(左端)
18歳で就職して20歳で運転免許貰うまで 西鉄電車で通ったんです。砂津行きも 北方行きもよく乗りました。。。
電車に近づいて 暫く見ていると思いだしました。痴漢にタッチされたとき老紳士がこうもり傘の柄で撃退してくれた。
雨降りは閉め切って空気が悪く貧血を起こしたっけ・・・若かったなぁ~。。。。。。若い日もあったんだなぁ
あのぉ~ 関係ない話ですが、ベランダ菜園 ソラマメ最後の収穫です。“自信をもって”500円玉と比較しています。
苗を下さったmidorigameさん有難う。応援 お褒めのコメントを下さった皆さん 有難うございました。全部抜きました。
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