mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

「和して同ぜず」

2012-03-18 08:37:55 | 日々の出来事

先日、中国人学生のZさんと相互学習をしていた時、孔子について書いてある文章をLさんに日本語で読んでもらった。

その文中に「和して同ぜず」と言う言葉が出てきた。

日本にも慣用句としてある言葉なので、皆この意味は既にご存知のことと思うが、中国人に分かるように日本語で説明するのはとても難しい。
中国語では何と書かれているかと言うと「君子和而不同junzi13he2er2butong41」で、日本語はこれの直訳なのだ。

説明は簡単に「人と付き合っていく中で人と人の差異を認め、単一的な価値評価をしない」と書かれている。
では、日本語辞典ではどう説明しているかと言うと、「君子は人と協調するが、安易に同調したり雷同したりすることは無い。主体的に人と付き合うべきである」

こちらの方はまだ分かり易い、でも、私の経験から言うと君子と言われる人はどうも近寄りがたい。
どうも「主体的に人と付き合う」と言うことに置いて色んな問題が生じてくるように思う。


孔子はこうも言っている「己の欲せざることは人に施すことなかれ」 
「己所不欲,勿施于人 jisuobuyu3324, wushiyuren4122」

然し、キリストはこう言っている「自分のして欲しいことを他の人にもしなさい」

私の性格からくるのかもしれないが、「~するな」と言われるより、「~しなさい」と言われる方が受け入れやすい。


人の試練には「1健康、2貧困、3人間関係」があると言われる。

どれも自分一人の力ではどうにもならないように思えるが、60年以上生きてきた経験から言うと人間関係だけは何とかなりそうな気がする。

基本に「和して同ぜず」の気持ちを持ち、相手を「咎めず、裁かず、赦し、認めて」付き合っていると何とかなって行くものである。
どうしても上手くいかないのは、その関係に執着していることが多い。 ズバリ、忘れてしまうのだ。
そうするとどうしても必要な(縁のある)人は自然に戻ってくる。

自分が大切に思う人には常に関心と思いやりを示し、問題があっても忍耐して(我慢とは違う)付き合っていくことである。


今朝、娘のYから嬉しい便りがあった。

「昨日 Aちゃんから ごめんねと連絡がありまして 二年ぶりに 和解しました。胸のつかえがとれた感じです。」
どんなことがあったのかは知らないが、学生時代から大親友だったAさんと疎遠になった間も、Yは彼女への執着を捨て2年間Aさんの幸せを祈っていたのだと思う。  Y自信、「とても驚いたけど、やはり自分が今やるべきことをやって要ればよいのですね」と言っている。

人生、楽しいことより辛く悲しいことの方が多いのかもしれない。
それを乗り越えるためには沢山の人の助けが必要だと思う。


今学期も沢山の学友たち、老師たちの助けを得て実りある日々を過ごしていきたいと願っている