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「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

オスカー・ピーターソンから学んだ事。

2007-12-25 | MUSIC・MOVIE・BOOK・ART
オスカー・ピーターソンが23日、カナダ・トロント郊外の自宅で腎臓疾患のため亡くなった。 82歳だった。

今朝、ABCニュースで、これ知り一番最初に思い出したのは某JAZZ雑誌の編集長が言ってた言葉。
「オスカーピーターソンの追悼文はすでに書いてある」(ホントかどーか知りませんけどね)

2月発売JAZZ関係雑誌(ったって、何冊もある訳じゃない)の特集は、ピーターソン一色でしょー(1月発売には間に合わないでしょ)


この前、ツタヤにピーターソンのDVDがあったので借りよーかどーしようかサンドラ(仮名)と悩んだ。
脳梗塞で倒れたのがいつだったか知らなかったので(1993年だった)とりあえずやめときましたが、ピータソンって言えば、この人何本指あんの?って思うほどの、バカテクピアニスト。

なので倒れた後、指に後遺症が残っていると聞いていたので、なんとなく遠ざかったおりました。

おそらく、最初に出会ったバカテクミュージシャンがオスカーピーターソンだと思う。

次がTEN YEAES AFTERのギターリスト、アルビン・リーではないだろーか。


ピーターソンの演奏は楽しかった(分かりやすかった)ので、子どもの時、たくさん聴いた記憶があるけど、オイラにとってピーターソンと言えば「ウエスト サイド ストーリー」。

映画もいいけどピーターソンもねって感じで当時聴いていたんでしょー。

一昨年だったかCD、図書館で借りてきた事ありますし。

ジャズはピアノトリオが面白いって教えてくれたのもピーターソンかもしれません。

昔JAZZのレコード聴いてて、プレイヤーが黒人か白人か、なんとなく分かった。(今は、まったく、どっちか分かりません)
黒人の演奏は重たかった。
特にピアニストは分かりやすかった、オイラにとって。

でもピーターソンは黒人なのに、なんで、あんなに明るい演奏できるのか不思議だったが、彼はカナダ人なのであります。
お隣アメリカとは環境が違ったのであります。

と言ってカナダの人種差別に関して何も知りませんけど、オイラはモントリオールで差別は感じなかった。
パリでは感じたが、、、、。まっいいか。


おそらく色々学んだのではないでしょーか、ピーターソンから。


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