MoiMoi。のココデハナイ ドコカ。               

「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

色々脱線しながら書いたが昔の知り合い2人にうんざりして気分転換にと部屋の模様替えしたついでに書いたのであしからず。

2023-06-26 |  THAT's 文(雑文)

(写真は書いた内容が嘘じゃない事を証明してますが僕はまだ身長伸びてる最中)

坂本龍一自伝「音楽は自由にする」を読んでいると自分はどーだったかな?と思い出すが、中学1年生の時、確か菊池と言う先輩に部員が少ないからバレーボール部に入ってくれない?と言われ入部。

入部理由の1つ。バレーボール部は部員が少ないから試合が出来ない。基本団体競技や試合嫌いなので好都合。部活にちゃんと出ていたので先輩から褒められたがド下手。やる気が無いのとスポーツ音痴だから。ただ陸上短距離、中距離などは意外と早かった。

水泳も水泳部の連中より早かったが、ある時、プールから上がったら先生に「磯田、顔にブツブツがたくさん出来てる」みたいな事言われ、すぐ帰宅し医者へ。自覚症状ないので痒くも痛くも無かったので人に言われなかったらそのままだったかもしれないが、薬ですぐ治ったと思う。

伊豆で波に揉まれて溺れそーになった事あるし、今まで住んだマンションすべて水回りのトラブルに遭遇。温泉も嫌い。水とはどーも相性が悪いよーである!。

そして入部2つ目の理由は身長伸ばしたかったから。うちは父親も長男も身長160センチ。母親は150㎝ぐらい。なので毎日学校から帰ると庭でジャンプしていた。

自分では記憶無いが牛乳たくさん飲んでいたらしい。170㎝を目指していたが1㎝足りなく169㎝。

自分で言うのも少し気が引けるが、意外と努力家。

やはり中学生の時、太ももが太いのが嫌だったので自分で運動考え毎日やっていたら細くなった。

ついでに書いちゃいますが僕が子供の頃から父親は髪の毛薄かったので高校の時、父親が使っていた養毛剤を付けたりしていた。髪の毛に関しては色々自分で考えてきたが、以前長男の小学校のクラス会に出席した時、兄貴はハゲちゃっているのに弟は髪の毛あるので不思議がられたし、長男がジャズシンガーの綾戸智恵さんのファンクラブやっていた関係で綾戸さんを銀座で紹介された時、

『あんたら親子か!』と言われたし、長男が知り合いだった作家の矢作俊彦さんに会った時「随分、年が離れた兄弟なんだねー』と驚いていたがおそらく15歳ぐらい離れてるんじゃないかと思ったみたい。

まー髪の毛に関しては色々試したが毛穴の脂を指で揉み出してから洗髪。洗髪は100円ショップでも売ってるシャンプーブラシ2個使用し洗う。シャンプー、リンス使わず、固形のオリーブ系の石鹸で洗い養毛剤など使わず無印で売ってるホホバオイルワンプッシュでOK。後はヘアーブラシでマッサージ。これがベストだと思う。

ホホバオイルはネーティブアメリカンにハゲがいないのは沐浴の時、ホホバオイルを使っているからと以前聞いた事あるので試してみたらビンゴ!。

まー試してみてください。

 

 

 

 

 


母親の友達も色んな人がいた!。

2023-06-22 | コラム
※写真は曾祖父さんも写っている親戚達。母親の従兄弟山下洋輔氏著。「ドファララ門」の表紙。たぶん東洋英和に通っていた頃の母親もおります。(左上3人目。左のメガネの人が僕の名前を付けてくれた祖父の長谷川常太郎)
 
子供頃、六本木の東洋英和のバザーに行ったり母親が友達と会う時一緒に行ったりしていたので母親の友達結構知ってる。(会った事あるか記憶無い人もいるが)

羊羹のとらやの女将さんの黒川さん。勝海舟の孫(ひ孫?)の五味さん。

現在立教大名誉教授で同時通訳者の鳥飼玖美子さんのおかーさん(旧姓田村さんだったのでタムちゃん)。弟さんとは小学低学年ぐらいの時銀座のレストランで一緒にご飯食べた事ある。玖美子さんは現在NHKの『太田光のつぶやき英語』出演中


十八代目 中村 勘三郎のおかーさん。二代目 中村吉右衛門のおかーさん。

おとーさんが駐ハンガリー公使だったので帰国子女の、みど(本名塚原みどり)はチェリストで旦那さんは映画音楽でも活躍し朝日ジュニアオーケストラ((現在のジュニア・フィルハーモニック・オーケストラ)を作った塚原哲夫さん。妹さんはクラシックのピアニストの井上 二葉さんで現在93歳(確か現役ピアニスト)

日産自動車創業者の1人、山本惣治さんの娘さんの山ちゃん(田園調布駅ロータリーの上の方に住んでいたらしいが、山ちゃんは環八沿いにマンション建て一階に中華レストランがあった上に住んでいた)

日本のアンデルセンと言われた巖谷小波(日本児童文学の先駆者で金色夜叉のお宮寛一の寛一のモデル)の息子さんと結婚し長男がフランス文学者でシュルレアリスムの世界で有名な巖谷國士さん(うちではクンちゃんと呼んでいた)のおかーさんのヨシ(旧姓吉村)は、最近まで「守人君元気?」と家に電話かけてきたが、昔と声が変わってないのですぐ誰だか分かった。僕の記憶に間違いなければ、高輪にあった森村学園に土地貸していたと聞いた事ある。

娘さん(ナナちゃん)が聖路加国際病院名誉院長日野原重明の息子さんと結婚したヨっちゃん(環八沿いに住んでいたと思う)。亡くなる何年か前に家に電話がかかり、「イクタニです」と言われたので「あっヨッちゃん」と言ったら、すごく喜んでくれた。ヨっちゃんが亡くなった事はナナちゃんが電話で知らせてくれたが、ナナちゃんはおそらくお互いちっちゃな時にしか会ってないので記憶無い)

環八沿いには、もー1人住んでいた。旦那さん(とてもいい感じの人だった)がエクアドルやオーストラリアの大使だったミリコ。早死にしちゃったが長男はボーイ、次男はポーキー(太っていたから)、長女はジョイスと呼ばれていた。全員本名知らないが、ジョイスはアイルランド人と結婚してアイルランド在住。彼女とは今でも連絡取れるが、あとの2人もヨーロッパ在住だと思う。小学生の頃、ミリコが運転するでかいアメ車で久ヶ原の家に遊びに来たし、僕も田園調布の家に遊びに行ってる。近所に昔、清水ミチコさんがバイトしていた「pate屋」さんがあり、今の奥様(東洋英和出身)のおかーさんとミリコは仲良かったと母親に聞いていたので以前「pate屋」さん行った時、今の奥様にその事話したら覚えていますとの事だった。

目黒区三田に住んでいた岩立エミさん(漢字不明)の祖先はペリーと一緒に日本に来た人だと聞いた事がある。お墓は横浜山手にある横浜外国人墓地にあるらしい。エミのご主人、岩立 一郎(イワダテ イチロウ)さんはジャーナリストで日本テレビ放送網報道局顧問となり「NNNワイドニュース」キャスターを務めた事があり父親とも仲良かった。カッコいい紳士だったのを覚えている。三田のマンションは坂の上にあり見晴らしがよかったなー!。

 

 今思い出すのはこれくらいかな?。
あと横浜引っ越してきて、石川町駅そばにある外交官の家(国の重要文化財で渋谷区南平台から移築)に行った事、母親に話したら、「あれは英和の時のお友達の家よ」と言われ仰天。
母親の実家も渋谷区永住町(現広尾)だったので、遊びに行ってた事でしょ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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