父親は日本テレビ創立メンバーで毎日新聞社会部記者から転職。毎日出身の人間が読売系の日本テレビ(NTV)で取締役になるのは異例の事だったので当時新聞にも取り上げられた。
考えてみれば長男がまだ幼いのによく転職できたな。家も建てたし。
かなり勇気がいったと思うが、これからの時代は新聞ではなくテレビだと確信したんだと思う。
因みに父は子供の頃から新聞記者になるのが夢だったと母親が言っていた。
美味しいお店と聞くと、家族で出かけた。覚えている店は銀座が多い。
ステーキは銀座スエヒロの上階。(洋食屋は1階はカジュアル、上階は少し高め。『たいめいけん』が今でもそーなっている)僕はまだ小さかったので、子供用椅子に座り、おぼっちゃまステーキお切りしますとお店の人が切ってくれたのを覚えている。
ドイツ料理は銀座ケテル。何度か行ったの覚えている。
カレーも行ったが店の名前は覚えてない。
チェコだったか東欧のレストランで度数の高いビールを飲んだの覚えているが、これは高校生ぐらいかな。
お寿司は日本テレビの近所のお寿司屋さんで僕はイクラとウニばかり食べていたのを覚えている。この店もすでに閉店したと、横浜で出会った日本テレビ元プロデューサーで父親の事を知ってる仲築間さん(現在92歳ぐらい)が教えてくれた。
昔は今みたいにそこらに焼肉屋さん(韓国料理店)など無かったが、青山246通り沿いにあった店(確か)に連れて行ってもらった事をうっすら覚えている。もしかしたら仲良かった、韓国サムスン創業者の李秉喆さん(うちではリーさんと呼んでいた)に教えてもらった店かもしれない。
横浜中華街にも来ていたが中華は赤坂樓外樓が多かった。
父親と都内で電車に乗ったの一度くらいしか覚えてないのでどこ
に行くにもタクシーだったかもしれない。なので今住んでるマンションの近所の青木橋は子供の頃からタクシーで通っていたので知っている。横浜駅はいつ通っても工事してる印象しか覚えてない。
朝日新聞の上にある「アラスカ」でフォアグラを食べた。フグはどこかの料亭みたいなとこ。
とにかく色々食べに連れて行ってくれたので長男が小学生の時、先生から「何何食べた事ある人」と質問され、全部手を上げたのは長男だけだったと母親が先生から聞いたと言っていた。
※写真は色あせちゃっているが僕が生まれ育った久ヶ原の家の前。母親は赤いレンガの塀が好きだった。