凡凡「趣味の玉手箱」

キーワードは中国です。中国以外のテーマは”趣味の玉手箱にようこそ”で扱っております。

戦国の七雄-1 斉その10 学者を優遇

2005-07-26 18:40:16 | 十八史略を読む
十八史略を読む-33
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

威王が死ぬと、子の宣王(せんおう)が王位を継いだ。宣王は学者、遊説家を好み、慎到(しんとう)、田駢(でんべん)など76人を上大夫にした。

このため斉の都の稷門(しょくもん)わきに設けられた学者村には学者、遊説家が続々集まり、その数は数百数千にも達した。

しかしながら孟子が斉を訪れたとき、宣王は登用できずに終わった。

戦国の七雄-1 斉その9 人材こそ宝

2005-07-26 18:37:56 | 十八史略を読む
十八史略を読む-32
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

威王が魏の恵王(けいおう)と城外で狩りをしたとき、恵王が「貴国にはどんな宝があるか」訪ねた。

威王が「さあ特に宝というものは・・」と答えると恵王は得意げに「わが国は小国ですが、車の前後12台の距離を明るくする宝玉を10個持っております」

威王は答えた。「わが国の宝はそういうものではありません。人間です。檀子という臣下に南方の地を守らせたところ、隣接の楚は敬遠して、わが泗水(しすい)のほとりを侵略しなくなったばかりか、12の諸侯が来朝するようになったのです。

また「べん子」という者に西方の地を守らせたところ、隣接する趙は黄河のわが漁場を荒らさなくなりましたし、また種首(しょうしゅ)という者に盗賊の取締りをさせたところ、道に落ちているものまで拾う者がいなくなりました。

これらの者は、車前後12台の距離どころか千里をも照らすことができるのです」これを聞いた恵王は、いささか恥じ入る面もちであった。

戦国の七雄-1 斉その8 実情を調べれば

2005-07-26 18:33:30 | 十八史略を読む
十八史略を読む-31
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

斉の威王のとき、国情は衰えきっていた。そこで威王は政治の刷新を考え、まず、即墨(そくぼく)の地の大夫を呼んで言った。

「おまえが即墨に赴任してからおまえを非難する言葉が毎日のように入ってくる。そこで人をやって調べさせたところ、田畑は良く耕され、人民の生活も豊かで、役所にも問題はない。にもかかわらず、非難の声が上がるのは、おまえがわしの側近に賄賂を使ってないからである」そして賞として、大夫を格上げした。

次に阿(あ)の地の大夫を呼んで言った。「おまえが阿の地に赴任してからというもの、おまえをほめる言葉が毎日のように耳に入ってきた。そこで人をやって調べさせたところ、田畑は荒れ放題で人民は生活に苦しんでいる。おまけに趙がわが領土二カ所を攻略したときも、かけつけようとせず、知らん顔という有様だった。にもかかわらず、おまえをほめる言葉が多いというのはおまえがわしの側近に賄賂を使って好評を得ようとしたからだ」

そして、即日、阿の大夫と、彼をほめた側近のものを釜ゆでの刑にした。

それからというもの、群臣はみな恐れおののき、偽り飾ろうとはしなくなった。斉の政情不安は一掃され、同時に斉を攻略しようとする諸侯もいなくなった。

戦国の七雄-1 斉その7 進物は十分に

2005-07-26 12:19:00 | 十八史略を読む
十八史略を読む-30
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

太公和、桓公午(ご)、と継ぎ、その子の威王因斉(いおういんせい)が王位に昇った頃、政情は不安で、この機に乗じて、他の諸侯が頻繁に斉を攻めてきた。なかでも楚は威王即位8年目に大軍を差し向けてきた。

このとき、威王は弁舌家の淳于こん(じゅんうこん)を使者として趙に援軍を求めることとし、進物として金百斤と駿馬40頭を持たせようとした。

ところが、「淳于こん」がけらけらと笑って、「今日、道ばたで、豚の片足と酒一壺を備えて、田の神に厄除けの祈りをしている男に出会いました。『どうか畑の作物は籠に入りきれぬほどに、田んぼの作物も車に積みきれぬほど実り多く、家に入りきれぬようお願いいたします』と。この男は、ほんの僅かなものを供えて、非常に大きなものを願っているのです。私はその虫の良さを思い出してつい笑ってしまったのです」と。

威王はなるほどと思い、賞金千鎰(いつ)、白壁十組、さらに馬400頭を付け加えた。淳于こんは満足して出発した。

戦国の七雄-1 斉その6 田氏、斉を乗っ取る

2005-07-26 12:16:22 | 十八史略を読む
十八史略を読む-29
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

田氏の斉は、もとの姓が「ぎ」で、かつて陳の公子完(かん)の子孫である。完は斉に逃れてきて陳と名乗ったが、のちに田とあらためた。完は斉の桓王に仕えて、土木長官となった。

完から五代目が乞(きつ)である。乞は斉の景公に仕えて大夫となった。乞は人民から年貢を取り立てるときには小さな升ではかり、人民に穀物を貸し出すときは大きな升ではかるという個人プレイを行い、人気を集めようとした。景公がこれを咎めようとしなかったので狙い通り乞は人気を集め、やがて権力をほしいままにした。

乞が死ぬと子の成子恒(こう)があとを継ぎ、成子恒が死ぬと、襄子盤(じょうしばん)があとを継いだ。襄子盤は主家の斉を乗っ取るために韓氏、趙子、魏氏と親交を結び、太公和が田氏の当主となったとき、周の安王の大命を拝受して諸侯の地位を得た。

戦国の七雄-1 斉その5 晏子(あんし)の予言

2005-07-26 12:14:40 | 十八史略を読む
十八史略を読む-28
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

桓公から八代のちの景公のとき、晏子(あんし)という臣下がいた。彼は狐の皮で作った衣一着を30年も着続けながら、70余家の人々の面倒を見た倹約家であり、勤倹努力の人として重んじられていた。

ある時、晏子は斉の叔向(しゅくきょう)と密談し「斉はやがて陳氏に乗っ取られるでしょう」

はたして、景公から五世を経て康公(こうこう)のとき、陳の公子の子孫である田和(でんわ)が周の安王(あんおう)の大命を拝受して諸侯となり、康公を海浜に追いやって殺し、政権を握った。

晏子が予言したとおりになり、姜氏の斉は滅び、先祖を祭るものが絶えてしまった。

*後世、晏子は名臣の代表として管仲と並称された。

ホンダが高級車「アキュラ」を中国で来春販売

2005-07-26 12:12:29 | 中国関連ニュース
毎日新聞7月26日朝刊から

ホンダは北米市場でスポーティーな高級車ブランドとして販売されている高級車「アキュラ」の販売網を中国で作り、来春に販売する。中国ではセダン「RL」(日本名レジェンド)を販売し、急速に増えている富裕層を狙う。

日本メーカーは中国での高級車戦略を加速しており、トヨタが90年から「レクサス」の販売を始めているほか、日産自動車も07年度までに「インフィニティ」を展開する予定。

バンダイ「たまごっち」1000万個に 04年発売後の累計

2005-07-26 12:10:22 | 株主の独り言
毎日新聞7月26日朝刊から

バンダイの携帯型育成ゲーム「たまごっち」の販売数量が7月末に1000万個を突破する。96年11月に発売された初代「たまごっち」は約4000万個売る大ヒットになったが、偽物のはんらんや、約60億円もの過剰在庫を抱えたことで当時の経営を圧迫した。

バンダイは04年3月に赤外線通信機能を持たせた「かえってきた!たまごっちプラス」(国内販売終了)を販売したが「今回は一過性のブームではなく、息の長い商品に育ててゆく」という。

一言:バンダイはナムコと9月に企業統合し「バンダイナムコホールディングス」を設立する予定。(株式移転日は9月29日。ナムコ株1株に対して持ち株会社株1株、バンダイ株1株に対して持ち株会社株1.5株を割り当てる)バンダイは03年9月の株式分割後、長いこと株価が低迷しているが、この統合を機に見直されることを期待したい。

中国ビザ拡大 はや効果

2005-07-26 07:34:19 | 中国知っ得情報
日本経済新聞7月26日朝刊から

中国人の訪日団体観光旅行客の査証(ビザ)が7月25日から現在の3市5省から中国全土に拡大され、25日に151人が来日。

うち新たな発給対象地域からは四川省や吉林省など8省2自治区の110人が含まれている。

日本政府は年600万人程度の外国人観光客を2010年までに1000万人にするのが目標。中でも中国は有望市場で積極的に誘致する。

中国の高額ゴルフ大会にタイガーウッズ

2005-07-26 07:09:31 | 中国知っ得情報
読売新聞7月26日朝刊から

中国紙、チャイナウィークリーによると11月10日~13日に上海で行われる男子ゴルフ大会にタイガーウッズが参加すると報じた。

マネジメント会社によれば、賞金総額は500万ドル(約5億5000万円)で中国だけでなくアジアでも、もっとも高額の大会になるとしている。