十八史略を読む-19
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から
戦国の時代、衛には孔子の孫である子思(しし)が仕えていた。あるとき、子思が衛公に向かって、苟変(こうへん)を将軍に推挙した。衛公は、苟変がかって役人で、人民一人当たりに二つずつの卵を供出させたとき、自分で食ってしまったことがあったことをあげて、こういう男を将軍にするわけには行かぬと言った。
これに対して子思は「聖人が人物を登用するのは、大工が材木を扱うのと同じです。悪いところがあれば、そこを捨て去って、良いところを生かすのです。今、あなたは、この戦国の世にあって、たかが卵二つのために、国の守りとなる人材をお捨てになっている」と。
この頃、衛の内情といえば、衛候が打ち出した計画ならば、たとえ当を得たものでなくとも群臣は一人残らず賛成する。子思はこの点を警告した。
「あなたはご自分で出された意見を正しいとし、間違っていても卿大夫の誰も正そうとしない。そして卿大夫もまた同じように自分の意見が正しいとし、その下の士や民はだれもその間違いを正そうとはしません。詩経にも“みなみながわれこそは聖人なりと考えていては、カラスは黒くて雌雄の判別が難しいのと同じように、物事の善悪・是非がつかなくなる”と言ってます:具曰予聖。誰知烏之雌雄」
(なおこの烏の部分の丸山氏、西野氏の訳は“皆皆がわれこそは聖人なりと考えていてはカラスの雌雄さえみわけがつかなくなる”となっています。烏(からす)はもともと黒くて見分けがつきにくいものなので、ここはわかりやすく置き換えました。)
衛の諸侯の中でも、衛は一番最後まで続いた国であり、秦が天下を統一し、二世皇帝になって衛公君角(くんかく)を廃して平民としたときに滅んだのである。
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から
戦国の時代、衛には孔子の孫である子思(しし)が仕えていた。あるとき、子思が衛公に向かって、苟変(こうへん)を将軍に推挙した。衛公は、苟変がかって役人で、人民一人当たりに二つずつの卵を供出させたとき、自分で食ってしまったことがあったことをあげて、こういう男を将軍にするわけには行かぬと言った。
これに対して子思は「聖人が人物を登用するのは、大工が材木を扱うのと同じです。悪いところがあれば、そこを捨て去って、良いところを生かすのです。今、あなたは、この戦国の世にあって、たかが卵二つのために、国の守りとなる人材をお捨てになっている」と。
この頃、衛の内情といえば、衛候が打ち出した計画ならば、たとえ当を得たものでなくとも群臣は一人残らず賛成する。子思はこの点を警告した。
「あなたはご自分で出された意見を正しいとし、間違っていても卿大夫の誰も正そうとしない。そして卿大夫もまた同じように自分の意見が正しいとし、その下の士や民はだれもその間違いを正そうとはしません。詩経にも“みなみながわれこそは聖人なりと考えていては、カラスは黒くて雌雄の判別が難しいのと同じように、物事の善悪・是非がつかなくなる”と言ってます:具曰予聖。誰知烏之雌雄」
(なおこの烏の部分の丸山氏、西野氏の訳は“皆皆がわれこそは聖人なりと考えていてはカラスの雌雄さえみわけがつかなくなる”となっています。烏(からす)はもともと黒くて見分けがつきにくいものなので、ここはわかりやすく置き換えました。)
衛の諸侯の中でも、衛は一番最後まで続いた国であり、秦が天下を統一し、二世皇帝になって衛公君角(くんかく)を廃して平民としたときに滅んだのである。