凡凡「趣味の玉手箱」

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春秋の覇者  弱小国の苦悩-衛その2 「たかが卵二つのために」

2005-07-20 12:05:31 | 十八史略を読む
十八史略を読む-19
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

戦国の時代、衛には孔子の孫である子思(しし)が仕えていた。あるとき、子思が衛公に向かって、苟変(こうへん)を将軍に推挙した。衛公は、苟変がかって役人で、人民一人当たりに二つずつの卵を供出させたとき、自分で食ってしまったことがあったことをあげて、こういう男を将軍にするわけには行かぬと言った。

これに対して子思は「聖人が人物を登用するのは、大工が材木を扱うのと同じです。悪いところがあれば、そこを捨て去って、良いところを生かすのです。今、あなたは、この戦国の世にあって、たかが卵二つのために、国の守りとなる人材をお捨てになっている」と。

この頃、衛の内情といえば、衛候が打ち出した計画ならば、たとえ当を得たものでなくとも群臣は一人残らず賛成する。子思はこの点を警告した。

「あなたはご自分で出された意見を正しいとし、間違っていても卿大夫の誰も正そうとしない。そして卿大夫もまた同じように自分の意見が正しいとし、その下の士や民はだれもその間違いを正そうとはしません。詩経にも“みなみながわれこそは聖人なりと考えていては、カラスは黒くて雌雄の判別が難しいのと同じように、物事の善悪・是非がつかなくなる”と言ってます:具曰予聖。誰知烏之雌雄」
(なおこの烏の部分の丸山氏、西野氏の訳は“皆皆がわれこそは聖人なりと考えていてはカラスの雌雄さえみわけがつかなくなる”となっています。烏(からす)はもともと黒くて見分けがつきにくいものなので、ここはわかりやすく置き換えました。)

衛の諸侯の中でも、衛は一番最後まで続いた国であり、秦が天下を統一し、二世皇帝になって衛公君角(くんかく)を廃して平民としたときに滅んだのである。

春秋の覇者  弱小国の苦悩-衛 「君子死すとも冠は脱がず」

2005-07-20 12:02:33 | 十八史略を読む
十八史略を読む-18
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

衛は周と同じ姫姓の国で、紀元前11世紀、周の武王が弟の康叔封(こうしゅくほう)を殷の都の後、現在の河南省に封じた国である。文化的には進んでいたが、国力は弱く、常に他国の侵略に苦しんだ。しかし、反面、大国間の勢力均衡のおかげで、命脈を保つことができ、諸侯としては一番長く存続することができた。

時代が下って、春秋の世、霊公の夫人南子の淫乱不倫が原因となって混乱が起こった。霊公が死んだ後に、王位を巡る争いが起こり、孔子の弟子である子路(しろ)がこのとき、衛に仕えていたので、争いに巻き込まれてしまった。

子路が衛の臣に斬りつけられ、冠のひもを切り落とされたが、「見よ、君子は死すとも冠は脱がぬぞ」と叫び、冠のひもを結びなおして息絶えた。

衛では見せしめのため、子路の死体を切り刻んでシオカラにした。孔子はこのことを伝え聞いて、自宅にあったシオカラを全部捨てさせた。

中国で10歳の大学生誕生の見通し

2005-07-20 07:25:24 | 中国知っ得情報
読売新聞7月20日朝刊から

天津日報(電子版)によると中国東北部遼寧省の少年(張君:身長143センチバスケットボールやサッカー好きの少年)が小中学校で飛び級を繰り返した結果6月に行われた大学進学のための全国統一試験(日本のセンター試験に相当)で高得点をあげ天津工程師範学院に合格する見通しとなった。

2歳:漢字1000字以上マスター
5歳:小学校入学
7歳:中学校入学
9歳:高校3年に飛び級

2000年前のポンペイの銀食器

2005-07-20 06:53:30 | 旅行知っ得情報
読売新聞7月20日朝刊から

紀元79年に起きたベスビオ火山噴火の遺構があるイタリアポンペイ遺跡から銀食器セットが見つかりローマ市内で報道陣に公開。

大小の皿を含む20点で裕福な家族の持ち物と推定。

美しい浮き彫りなど保存状態が良好(昨日のNHKニュースで見たがぴかぴかだった。とても2000年前のものとは思えなかった)これは5年ほど前に発見され5年間かけて泥の洗浄や研磨などを行ったそうである。

来年ほかの遺物とともにローマ市内の博物館で一般公開される予定。