凡凡「趣味の玉手箱」

キーワードは中国です。中国以外のテーマは”趣味の玉手箱にようこそ”で扱っております。

海洋都市青島 新租界に別荘ブ-ム

2005-07-16 22:56:20 | 中国知っ得情報
中国山東省の港町青島。真っ青な空と海に彩られ、白亜の洋館が降り注ぐ陽光を浴びて浮かび上がる。青島市の東部に広がり始めた別荘地「新租界地」である。標準的な別荘は3階建て、広さ200平方メートル前後で日本円にして5000万円近い。購入者の二割は外国人や香港人という。

青島は19世紀末にドイツの租借地となり、新市街の西側にある「旧租界」では石畳やドイツ風建築による町づくりが進んだという。

ここでは2008年の北京オリンピックのヨット競技が行われる。「ヨットの都」という新たなリゾートの顔を作ろうと市をあげて取り組んでいる。

北京以外で競技開催都市に選ばれたのはここと、馬術競技が行われる香港だけである。

(日本経済新聞7月16日夕刊から)

また一つ行きたい都市が増えました。

サハリン2で三井物産、三菱商事が4500億円負担増か?

2005-07-16 10:08:20 | 株主の独り言
7月16日の日本経済新聞朝刊にロシアサハリン沖でロイヤルダッチシェルが主体(55%の権益)で進めるサハリン2の事業費が2兆円超に倍増し、三井物産(25%)、三菱商事(20%)の日本勢も4500億円程度の追加負担増が避けられないとの記事が出ていた。

これは当初考えていたパイプラインのルート近くにクジラの繁殖地があることがわかったためルート変更を余儀なくされたためという。

資源投資のリスクが確認された形であるが、事業の中核となるLNG(液化天然ガス)の生産開始が2008年以降にずれ込むことで安定供給にも黄信号がともるという。

新たに調達する資機材コストも高騰し、商社の好業績を牽引してきた素材・エネルギー高騰がマイナスに働いてきたようである。

商社株の早めの売却は短期的に見れば成功したかな。

日本企業 照準はBRICs 巨像インドに挑む

2005-07-16 09:33:54 | 中国関連ニュース
日本経済新聞7月16日朝刊から

日本企業の海外戦略に地殻変動がおきている。

日本企業は中国への過度な依存を見直し、インド(人工10億5千万人、約2億人が貧困にあえぐが中間層・富裕層が増加)、ロシアに触手を伸ばし始めた。

インド進出について日本は米国や韓国に後れをとっていたが、日本勢もようやく動き出した。

1 スズキが800億円を投資してインド政府と設立した合弁会社は2007年にニューデリー近郊で新工場を建設、完成車(純国産車)、エンジン、変速機を生産。すでにスズキは小型車「スイフト」を約100万円で5月末の発売以来全国で3万台以上を受注。

2 トヨタとダイハツ工業が共同で小型乗用車の新工場を建設、07年にも生産開始。

3 NECは今年6月大手IT企業HCLテクノロジーズと合弁会社を設立、通信ソフトなどを開発する。

4 6月末に三菱商事がインド専門部隊を立ち上げ。(インド投資枠100億円を設けた)

中国当局発表 中国産ビールは安全

2005-07-16 09:02:36 | 中国関連ニュース
日本経済新聞7月16日朝刊から

中国当局は15日、「中国産ビールに基準値を超えるホルムアルデヒドが含まれる」との国内報道に対し、「ホルムアルデヒド含有量は世界保健機関(WHO)」や中国政府が定める基準内で安全に飲むことが出来ると発表した。

中国女性美しく 資生堂が美容講座

2005-07-16 08:51:56 | 中国関連ニュース
日本経済新聞 7月16日 朝刊から

資生堂は中国の女性団体が主催する「中国女性を美しくする教育プロジェクト」に協賛することを決定。08年まで3年間続く。北京など5都市で「オプレ」を使った50回の美容講座を開催する。

北京や上海で、資生堂の化粧品は日本よりも安いようです。若い女性が買ってます。

十八史略を読む-11 春秋の覇者 孔子宿なし犬となる

2005-07-16 07:37:38 | 十八史略を読む

写真は西安の碑林にある孔子像

 十八史略を読む-11
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

孔子は魯を去って、衛におもむき、さらに陳に行こうとしたが途中拘禁され、危うく難を逃れ衛に戻った。衛では衛の霊公の女好みを見て長居をせず,曹を通り宋に入った。

宋で危うく殺されそうになり鄭に行った。その後孔子は陳、衛におもむきさらに西の方晋に足をのばした。

また衛に引き返し、さらに陳、蔡、葉(しょう)の順に旅を続け、また蔡に戻った。蔡と陳の国境に孔子がいるとき楚王が使者を派遣し孔子を招聘した。この話を聞いて恐慌をきたしたのが、蔡と陳の大夫たちである。

楚が孔子を登用したとなれば由々しきことになるかもしれぬと。楚王は孔子に土地を与えて待遇しようとしたが、臣下の反対に遭い孔子は衛に戻った。

孔子は十余年に渡る放浪の旅を終えて魯に戻った(孔子67歳の時)が孔子は政治について意見を求められることはあっても、登用されることはなかった。

そこで孔子は古典の編纂の仕事に取りかかった。書経を順序立てて整理し、さらに魯の士官が書き残した記録に基づいて「春秋」を著した。

孔子の弟子は3千人、73歳でこの世を去った。

十八史略を読む-10 春秋の覇者 孔子の生国 魯

2005-07-16 07:22:10 | 十八史略を読む
 
写真は河南省の函谷関にある孔子が師と仰いだ老子像。牛にまたがってこの地にやってきたという。
(2004年10月12日撮影)

十八史略を読む-10
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

魯は周公の子伯禽(はくきん)が封ぜられて創建した国で、周と同じ姫姓である。現在の山東省曲阜(きょくふ)に都し、前11世紀から約800年続いた。

魯といえば真っ先に出てくるのが孔子である。孔子は名を丘(きゅう)、字を仲尼(ちゅうじ)といった。孔子は子供の頃から祭器を並べ儀式のまねごとをして遊んでいた。成人した後倉庫番となったが升のはかり方は極めて公平であったし、牧場の番人になったとき家畜は順調に育った。

その後、周におもむき、礼について老子に学んだ。周から魯に帰った頃から、弟子が次第に多くなった。

魯の定公の時、孔子のやり方を周辺の国々が見習った実績で孔子は長官、建設長官を経て司法長官に抜擢された。

定公が斉の景公と会盟を行うことになり、定公が無防備で出かけようとすると、補佐役の孔子は「外交交渉には軍備を忘れるな、と申します。会盟だからといって油断は禁物、どうかこの絵の武官もお加え下さい」
定公は孔子の進言を受け入れ会盟の場にのぞんだ。

その会盟の場でのこと。斉はけたたましい夷狄の音楽や道化や小人の出てくる斉の宮廷音楽を奏でようとした。孔子はこの振る舞いを下賤な身で諸侯を惑わすものとこき下ろした。

斉の景公はすっかり動揺し、帰国すると臣下を前に「魯君には君子の道をとる臣下が控えている。これに対し私には夷狄の道しか知らない臣下ばかりだ」といって嘆き、斉がかって魯から奪った各地を変換して(礼を教えてもらった)謝意を表した。

孔子は宰相の職も行い、魯の政治は見違えるようになった。斉ではこうした変化を聞くと魯がやがて覇者になるかもしれぬと危惧を抱いた。

そこで魯の重臣たちを堕落させようと、美しい舞姫を魯に送った。大夫の季桓子(きかんし)がこれに引っかかり、舞姫に夢中になり政務を完全に放置した上、祭礼も怠った。孔子は失望し、職を辞して魯を去った。

上海フォトログ-2

2005-07-16 06:49:59 | 写真で綴る中国旅行

2月11日(水)

9時45分発の全日空便に乗り、上海到着が11時57分でした。時差は1時間ありました。

12時15分発のエアポートリムジンバスに乗って13時15分浦東で降り、地下鉄の駅まで歩きインターコンチネンタルホテルに14時15分に到着しました。

写真はビルの谷間に沈もうとしている夕陽です。

上海フォトログ-1

2005-07-16 06:43:46 | 写真で綴る中国旅行

中国の上海・蘇州に2004年2月11日(水)~15日(日)にかけて旅行しました。航空チケットからホテルまですべて自分たちで手配した個人旅行を写真で思い出しながら綴ってゆきます。

写真は黄金色に輝くビルです。

下記に2004年2月時点の中国における各種料金を示します。リニアモーターカーは11日動いていませんでした。リニアの料金は現在では随分と安くなったようです。あくまで参考としてみて下さい。

 地下鉄(上海) 2~3元
 リニアモーターカー(上海空港~上海市内を7分で結ぶ)150元
 タクシー1メーター(上海、蘇州) 10元
 バス(蘇州)1元
 鉄道 上海―蘇州 軟席 22元 ホテルで予約するとプラス30元
    蘇州―上海 硬席  7元
 ホテル(上海)インターコンチネンタル 2,325元/二人)
 ホテル(蘇州)シェラトン 996元/二人 
  但しインターネット申し込み。
 元のレート 1元=約13円
 青島ビール(750ml)12元