凡凡「趣味の玉手箱」

キーワードは中国です。中国以外のテーマは”趣味の玉手箱にようこそ”で扱っております。

中国のことわざ-6:臥薪嘗胆(がしん・しょうたん)

2005-07-14 21:55:58 | 中国のことわざ
春秋時代、呉王夫差(ふさ)が越王勾践(こうせん)を討って父の仇を討とうと志し、常に薪の中に寝起きしては身を苦しめ(臥薪)、また勾践が呉を討って会稽(かいけい)の恥をすすごうと期し、干した獣の肝を口にして苦さを味わっては(嘗胆)、呉への復讐を期した故事から。

仇をはらそうと長い間、苦心・苦労を重ねること。転じて、将来の成功を期して長い間辛苦艱難すること。(参考:十八史略を読む-8,広辞苑)

春秋の覇者 闘争の原形-呉越の戦い-臥薪嘗胆

2005-07-14 21:49:19 | 十八史略を読む
写真は呉の闔廬が埋葬されている蘇州の虎丘、頂上の雲岩寺塔は「東洋のピサの斜塔」といわれているとおり、少し傾いている。(2004年5月撮影)

十八史略を読む-8
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

呉は現在の蘇州付近に興った。これとほぼ同時期に栄えた越は今の浙江省北部にあった。呉は周と同じ姫姓の国で、文王の伯父が封ぜられて創建された。19代目の寿夢のときになって、初めて王と称した。

寿夢ののち4代を経て闔廬(こうりょ)に到る。闔廬は楚の平王に殺された伍奢(ごしゃ)の子である子胥(ししょ)を顧問に取り立て国政の相談相手とした。子胥は父の敵を討つべく、楚を討ち念願を果たした。

その後、再び呉が越を攻めたとき、闔廬は傷を負いそれが原因で死んだ。子胥は引き続き闔廬の子である夫差(ふさ)に仕えることになった。そして夫差は父の仇を打とうと心に誓い、朝晩、たきぎの中に寝起きしてはわが身を苦しめ(臥薪)、出入りのさいには臣下に「夫差よ、父が越王に殺されたことを忘れたのか」といわせては、復讐の念を新たにした。

夫差はついに越を破った。越王勾践(こうせん)は会稽山に逃げ込み「どうか私を大王の臣にし、妻を大王の妾にしていただきたい」と屈辱的な和議を願い出た。子胥はこれを受け入れないように主張したが結局、夫差は勾践を許してしまう。

こんどは勾践が「会稽の恥を忘れはすまいな」と自分の部屋に干した獣の肝を吊り下げておき、いつもそれを口にして苦さを味わっては(嘗胆)、呉への復讐を期した。辛苦に耐えて将来を期す意味の臥薪嘗胆はここから生まれた。すなわち夫差が臥薪し、勾践が嘗胆してともに復讐を誓ったことから来ている。

子胥は彼を失脚させようとする讒言から呉王夫差を怒らせ、呉王は自殺せよと子胥に剣を渡した。子胥は死に臨んで家族にこう告げた。「俺の眼をえぐり取って東門にかけておけ。呉の滅びるのをこの眼で見届けてやる」と、これを聞いた夫差は激怒し、子胥の死体を馬の革で作った袋に詰めて、揚子江に投げ入れてしまった。

呉は子胥が言ったとおり、越に三度戦って三度とも破れ、夫差は越に和議を請うたが范蠡(はんれい)が反対したため、楚王はこれを受け入れなかった。呉王夫差は子胥に会わせる顔がないといって自殺した。


十八史略を読む-7 春秋の覇者 はじめに

2005-07-14 12:52:08 | 十八史略を読む
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

周は都を東の洛邑に移した頃、既に統治能力を失って、諸侯は事実上の独立国として分立する。周の平王以降、約240年が春秋時代、秦が中国を統一するまでが春秋戦国時代である。

周の王室と同姓(姫:き)の大国は魯、衛、晋、鄭、曹、蔡、燕、呉、異姓の国は斉、宋、陳、楚、秦である。

斉の桓公、宋の襄公、晋の文公、秦の穆公、楚の荘王の5人は特に春秋の五覇として、歴史に大きな足跡を残している。

中国の石油需給

2005-07-14 12:48:50 | 中国知っ得情報
日本経済新聞7月14日朝刊から

2003年以降中国の石油消費量は日本を追い越しアメリカに続いて世界第二位。石油消費量は04年で3.1億トンと1990年の三倍近くに達している。石油消費量の急拡大は目覚ましい経済発展によるモータリゼーションの進展や家電などエネルギー消費機器の普及などが主因。

一方、中国の石油生産量は近年1.7億トン前後から増えずに推移。これは西部の陸上油田および海上油田で増産が進んできたものの、既存の主力油田の生産が老朽化により低迷しているため。主力3油田(大慶、遼河、勝利)の合計生産量の国内に占める割合は90年の7割超から04年の半分以下となっている。

国内の生産量は需要の増大に追いつかず、拡大する需給ギャップは主に中東地域からの輸入する構造となっている。中国では90年代以降石油輸入が急増しており、93年に石油の純輸入国となった。

04年に石油純輸入量は1.45億トンと前年比約5割増えて過去最高を記録。この先石油需要の増加テンポはやや鈍るものの、それでも2010年には4億トン前後に達する可能性が高い。一方先行き原油生産量が04年の1.75億トンから大きく増えそうにないことから、2010年の石油純輸入量は2億トン超に増えると推測されている。

上半期の中国乗用車販売10%増

2005-07-14 12:17:09 | 中国関連ニュース
日本経済新聞7月14日朝刊から

中国の上半期(1月-6月)の乗用車販売台数は前年同月比で10.6%増となった。年初から春先まで販売不振が続いたがここに来て増勢に転じている。

現代自動車やホンダ、トヨタ自動車、日産自動車など日韓の合弁会社が好調。ドイツのフォルクスワーゲン(VW)グループは大きく落ち込んだ。

中国の1-6月のメーカー別の販売台数(カッコ内は前年同期比増減、▼はマイナス)

   上海GM   13万5381台      ▼ 4.2%
   北京現代   10万9564台       94.9%
   広州ホンダ  10万6203台       32.5%
   天津一汽    9万7800台       64.9%
   奇瑞汽車    8万1054台       60.0%
   一汽VW   約8万台          ▼37%
   神竜汽車    7万2470台       54.9%
   東風日産    6万6476台      120.2%
   一汽トヨタ   6万3000台       65.8%

汽車は中国語で自動車のこと。

中国の原油需要来年7.2%増予測(IEA)

2005-07-14 12:13:12 | 中国関連ニュース
日本経済新聞7月14日朝刊から

国際エネルギー機関(IEA)発表の7月の石油市場月報によれば、2006年の世界の原油需要は05年予測の前年比1.9%増から同2.1%増に加速する。これは中国の需要が高い伸びを示すためである。

中国の原油需要の伸びは04年の15.4%の後、05年は5.5%と政府の需要抑制策などの影響で大幅に減速していたが、再び増勢に転じる。

06年の需要は日量49万バレル増えると予測、OECD全体の日量41万バレル増を上回る。

イオン中国で大型ショッピングセンタ-2008年までに1号店

2005-07-14 12:10:55 | 中国関連ニュース
日本経済新聞7月14日朝刊から

イオンは中国で大型ショッピングセンターSCの運営に乗り出す。中国の有力デベロッパーの北京中関村国際商城発展公司と提携し、年内に北京市郊外などで立地選定を始める。国際商城は中国の百貨店、北京王府井百貨(集団)などが出資する有力デベロッパー。

SCは国際商城が開発し、イオンは直営スーパーを出店するほか、テナント管理などの運営業務も請け負う。国内のSCと同様に家電などの専門店の他、飲食店や映画館なども誘致し、店舗の配置や顧客管理などを指導する。

イオンは中国では「深せん」などにスーパーを17店出店している。今後3年で中国を中心にアジアで50店を出店する計画。

中国のことわざ5:吐哺捉髪(とほ・そくはつ)=握髪吐哺(あくはつ・とほ)

2005-07-14 09:02:13 | 中国のことわざ
吐哺捉髪(とほ・そくはつ)=握髪吐哺(あくはつ・とほ)

人の訪問を受けたならば、食べかけたものを吐き、洗いかけた髪を握って出迎えたという故事から。

客人が来たならば、洗髪や食事を中断して直ちに出て応対するくらい、気を遣えといっている。

上に立つものの心得である。(参考:十八史略を読む-6、広辞苑、史記)

中国4大美人

2005-07-14 08:56:25 | 中国知っ得情報
中国で4大美人といわれるのは楊貴妃(ようきひ)、王昭君(おうしょうくん)、西施(せいし)、貂嬋(ちょうせん)の4人だそうです。

楊貴妃は735年に玄宗の第18皇子の妃となりましたが、玄宗の目にとまって寵愛をうけ、745年には妃となり、貴妃の称号を与えられました。つまり玄宗皇帝が息子の嫁を奪ったわけ。楊貴妃は美しく豊満な容姿と才知をそなえ、歌舞にもすぐれていました。

王昭君は前漢の元帝の宮女で、紀元前33年に匈奴(きょうど)に嫁がされ、夫の死後その子の妻となったそうです。(楊貴妃とは反対ですね)中国王朝の政策の犠牲者の女性として文学や絵画の題材になったそうです。

西施は春秋時代の越の美女。越王勾践(こうせん)が呉に破れた後、呉王夫差(ふさ)の許に献ぜられ、夫差は西施の色に溺れて国を傾けるに至ったといいます。

貂嬋は後漢末の富豪の娘として生まれましたが、董卓(とうたく)に一家が皆殺しにされます。貂嬋は復讐をはかるため、董卓の妾となり、さらに董卓の養子の呂布(りょふ)を誘惑して呂布をして、董卓を殺させたそうです。
(参考:広辞苑ほか)