凡凡「趣味の玉手箱」

キーワードは中国です。中国以外のテーマは”趣味の玉手箱にようこそ”で扱っております。

阿片戦争

2006-01-07 11:11:46 | 映画 ドラマ
The opium war。「阿片戦争」1997年製作の中国映画である。

中国の歴史を勉強し始めて、丁度阿片戦争が出てきたのでビデオを観たくなった。

アヘンは俗に「大烟(えんはたばこ、けむり)」と称し、吸飲すると容易に習慣性となる毒物。長期間アヘンを人が吸うとやせ衰えて、気力がなくなりひどい場合は死に至る。アヘンは売価が高いので、アヘンを多く吸ったことによって多くの人が財産を使い果たし、乞食に身を落とした。

中国が道光皇帝の時代にイギリスのアヘン商人から密輸したアヘンは銀換算3000万両で、国家財政(国家収入4000万両)を疲弊させた。

国家の将来を憂う“林則徐”は何度も道光皇帝にアヘンの密輸を禁止するよう上書した結果、彼がアヘンの撲滅の任務を皇帝から命じられた。

彼は赴任先の広州に着くとまず、ただちにアヘン商人を逮捕すると共に、広州の役人でアヘンを吸っていたものを処罰した。彼は役人を広間に集めてそこに6時間座らせて役人の顔色を窺った。患者であれば耐えきれなくなるだろうという読みである。こうして大勢の役人が縄にかけられた。

その一方でイギリス人の広州駐在エリオット商務代表にはすべてのアヘンを出すように通告し、虎口にアヘンを集めて、焼却処分にした。黒いボールのような袋に入ったアヘンを切り刻んで、それをプールに入れ、続いて消石灰を投入してして焼却したのである。その量は1000トンにも上った。

これを契機にイギリス(イギリスはビクトリア女王時代)は1840年4月10日に中国派兵案を可決、6月に艦隊を派遣した。林則徐はこれに向かい打つべく準備をしたが、イギリス軍は広州を通り過ぎ北京の皇帝との直接交渉にのぞむため天津に向かった。道光皇帝は開戦か和平かを迷ったが、イギリス海軍の強力な力を目の当たりに見たことのある側近のチーシャの勝ち目がないと主張した意見を入れて、林則徐を解任して、後任としてチーシャをイギリス軍との交渉役に付けた。

イギリスは中国に600万両と5つの港の開港それに香港の割譲を求めてきた。チーシャは皇帝の許しが出るものと判断し香港割譲等の条件をのんだ。

しかし、皇帝は割譲に首をたてに振らず開戦の道を選ぶ。中国軍は虎門、三元里、定海、寧波、鎮江で勇敢に戦ったが、結局1842年8月29日に敗れ、南京条約を締結、香港を割譲した。(阿片戦争から157年経った1997年7月1日に返還)

敗戦後、チーシャは皇帝を欺き、香港を割譲したことの罪により北京で斬首の刑、林則徐については判断を誤り、戦争を誘発させた罪で新彊への流刑となった。

林則徐が流刑の地に旅立とうとしていたときに、北京に護送される途中のチーシャと会う。

チーシャ:「林兄よ。我々は共に敗れ去ったが、そなたは栄誉を得られた。その名は永遠に語り継がれるだろう。それに対して私は地位も栄誉も失い、この名を永遠に汚してしまった」
林則徐:「私は自分の栄誉を考えたことなどありません。今はただ中華が長い夜を迎えることが心配だ」
チーシャ:「天はすべてお見通しだ。朝廷にのぞみはない」

確かに中国の教科書を見ても林則徐は英雄扱いである。最後の二人の会話は人生の哀切を示すと共に、中国がこの先、暗いトンネルの時代に入っていくのを暗示している終わりかたになっています。

歴史を勉強するには良い映画だと思います。

マイビデオデータ
タイトル:阿片戦争
制作国:中国
制作年:1997年
監督 :謝晋
男優 :鮑国安、蘇民、林連昆、姜華
女優 :高遠
映画の舞台:広州、北京(天壇公園がロケ地として使われていた)
ビデオ番号:未登録

パリ、テキサス

2005-11-14 16:58:06 | 映画 ドラマ
ブログ「半径26マイルのテキサスライフ」に「テキサスなのにタイ」という記事を見つけ、そう言えば「パリテキサス」という映画があったけと思い出し、ビデオで見てみました。

けだるそうな音楽、単純なギターの音が全編を通して流れる。荒涼たる砂漠の光景がこの映画のストーリーにぴったり。トラビスは失踪した妻がヒューストンにいることを突き止め、8歳になった息子のハンターと共に彼女を見つける。彼女が働いていたのはヒューストンの場末の“のぞき部屋”。マジックミラーになっており客は彼女を見ることができるが、彼女は彼の彼を見ることのできない仕組みだ。

トラビスは始め彼女が汚らわしいところで働いていることにショックを受けて、酒を浴びるほどに飲む。しかしトラビスはもう一度“のぞき部屋”で彼女に窓越しに会って、彼女への思いを涙を流しながら語り始める。彼女もやがて客がトラビスであることに気がついて、顔を見られないよう、彼に背を向けながら彼女の気持ちを語り始める。

トラビスはジェーンに8歳になった息子のハンターにホテルで会ってくれるように頼み、実現する。一方、トラビスはジェーンに会うことなく、心の傷を癒すために一人テキサスのパリに向かう。

この映画のクライマックスはなんといっても“のぞき部屋”でトラビスとジェーンがお互いの思いを打ち明ける所だろう。ちょっとした行き違いから、お互いに深く愛していながら、別離への道に導いてしまった過酷な運命をこの場で見ることができる。

単純なハッピーエンドで終わっていないだけに、理解するのがなかなか難しい映画である。

ちなみにタイトルとなっているパリ、テキサスは実在する場所で、トラビスとジェーンそしてハンターがかつて一緒に暮らした愛の巣であった。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000057HM2/250-2736380-5045807
半径26マイルのテキサスライフ
http://blogs.yahoo.co.jp/pinkshark05/10041790.html


バベットの晩餐会

2005-11-10 07:50:25 | 映画 ドラマ
グルメの方、フランス料理がお好きな方、ワイン通の方にお薦めします。

デンマークの静かな敬虔な信者が暮らす街での一こまを綴った映画である。

パリコミューンの嵐の中で夫と子供を失い、フランスから逃れてきた一人の女性がデンマークコトランドの姉妹の家に家政婦として住み込む。

ある日、彼女は宝くじをあてて、一生暮らせるだけの巨額の金を手に入れた。彼女は、家に置いてもらった感謝の気持ちを込めて、姉妹の父の生誕100年を祝う晩餐を催す事を決心し、買い出しに出かける。

その買い出しは半端なものではない。料理の材料はすべてフランスから調達したもの。生きた鶉(うずら)や大きな亀が運ばれてくる。

彼女は超高級素材を使ってフランス料理を作る。招かれた顧客は敬虔な信者で食材を見て何を食べさせられるのかと心配になり、食卓では一切飲み物や食事の話はしないことを申し合わせる。

やがて、料理が運ばれてきた。まずはアモンティリャード(シェリー)に海ガメのスープ、ブーブ・クリコ1860年にキャビアのドミドフ風、クロ・ブージョ1845年にウズラのパイづめ、サラダ、チーズ、ドルチェ、ブドウやパイナップルなどのフルーツ、コーヒー、食後酒にフィーヌ・シャンパーニュという豪華さ。

はじめはおそるおそる食べていた客人たちは、ただ一人料理の講釈のできる将軍から料理の説明を聞かされているうち、料理に舌鼓をうちお互いうち解けて会話するようになる。

やがて将軍は昔ある有名なフランスのレストラン「カフェ・アングレ」で食べた味と全く変わりない料理であることに気がつく。そう、家政婦はフランスの有名レストランの料理長だったのである。彼女は「食事を一種の情事に変えてしまった女」といわれたほどの名コックであった。

彼女は宝くじの賞金1万フランを12人分の料理にすべて使い果たしてしまう。

「あなた一生貧しいままよ」

「貧しい芸術家なんていません」

「あれはあなたの作品だったのね」

「力をつくしお客様を幸福にしました」

料理を通じて、村の人々が幸せを感じ、満足する。

名コックが作った料理は芸術なのだ!!

マイビデオのデータ
国  :デンマーク
制作年:1987年
原作:アイザック・ディネーセン
場所:デンマークの寒村ユトランド
ビデオ番号00632
アカデミー賞外国語映画賞受賞




キューリー夫人のパリ大学式典挨拶

2005-09-24 15:57:21 | 映画 ドラマ
映画「キューリー夫人」をビデオで見た。


ラジウムを発見したキューリー夫人の伝記映画である。ストーリーは特に科学に興味を持っている人、科学者は勿論研究者、技術者にとって大変興味があり且つ示唆に富んだ映画であると思います。

当時の科学の常識ではどうしてもわからない幾多の難題に直面しながら、辛抱を重ね諦めない不屈の精神で人類のためと研究をし続けたキューリー夫人に頭が下がります。

そして、いつも夫人を支えたピエール・キューリー、彼がいなければラジウムの発見はなかったかもしれません。

ラジウムという新しい元素を発見し、最終的にバリウムとラジウムを分別結晶法という分離方法で抽出に成功したのも、つかの間、抽出した結晶が消えてシャーレの中にはシミがあるだけになってしまいます。二人は落胆しますがそのシミがもしかして、ラジウムではないかと家族の食事の時に思いつき、二人は食事を残したまま、研究室に戻ります。そして暗闇の中に光るラジウムを二人はしっかりと見たのでした。ここに4年間に渡る苦闘は終止符を打ったのでした。

キューリー夫人は夫を馬車の事故でなくしますが、ペロー教授の励ましによって再起します。

そしてパリ大学でのラジウム発見25周年記念式典で彼女は挨拶します。

この映画の90%を語っていると言っても過言ではないキューリー夫人の式典挨拶に感激しましたので以下に記します。

『あれから25年たった今でもなお、課題はたくさんあります。夫ピエールが残してくれた助言や研究記録が私をここまで導いてくれました。

我々の歩みは遅くとも、少しずつなら。真理のかけらを探し出せるはず。

どんなに小さなかけらでも、夢への道しるべになります。

その小さな光が我々の闇を照らし、そして目の前の長い道を照らし、やがては全宇宙の神秘を浮き彫りにするでしょう。

私は思います。それだからこそ科学は美しいのだと。いつの日かその力がすべての災いを流し去ってくれるでしょう。無知も貧困も病気も戦争もそして悲しみも。

真実の光を求めて、未知の小道に分け入りましょう。どれほど深く分け入ろうと,道は果てることがありません。

夢は時代と共に生まれるのです。きのうの夢は捨て、真実のたいまつをかかげて、未来の宮殿を築き上げましょう』

http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/eiga94.htm

データ
制作年:1943年
国:アメリカ MGM
監督:マービン・ルロイ
女優:グリア・ガーソン
男優:ウォルターピジョン
原作:イブ・キューリー
音楽:ハーバード・ストザード
舞台:パリ(ソルボンヌ大学、パリ大学)
ビデオ番号:0077-1


映画「浮雲」

2005-09-21 20:29:59 | 映画 ドラマ

映画ドラマ-2 「浮雲」


私はこの映画の後半部分が好きだ。ゆき子が富岡に屋久島に連れて行って懇願するあたりからである。笛と太鼓のゆったりとしたリズムのテーマ曲も耳に心地よい。

話が進むうちにいかに幸子が富岡を愛しているのかがよくわかってくる。富岡は森林保存の仕事を屋久島でやろうと決心して鹿児島からゆき子と共に船で屋久島に渡る。

屋久島は1ヶ月に35日雨が降るといわれるくらいに雨が多い。湿気が多く、結核を患っているゆき子の体には良くない。

富岡が山に出かけている嵐のときに、ゆき子は倒れ二度と帰らぬ人になってしまう。富岡はランプでゆき子の顔を照らし、唇にミシェルの口紅を塗ってあげる。そして、ゆき子がいなくなった今、富岡はゆき子の存在の大きさを知り、泣き崩れるのであった。

ゆき子扮する高峰秀子がすばらしい。彼女の声がまた魅力的だ。おせい役の岡田茉莉子も良い。

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=136620
データ
制作年:1955年
国:日本  東宝
原作:林芙美子
監督:成瀬巳喜男
女優:高峰秀子、岡田茉莉子
男優:森雅之、山形勲、加東大介、ロイ・H・ジェームス
舞台:鹿児島(桜島、人力車)、SL、屋久島
ビデオ整理番号:0077-3


映画「黒いオルフェ」

2005-08-24 05:47:35 | 映画 ドラマ

映画「黒いオルフェ」


ギリシャ神話に登場するオルフェウスとエウリュディケの悲しい別離を題材とする。

舞台はリオデジャネイロ、時期はリオのカーニバルが開かれている2月-3月の真夏。

強烈なサンバのリズムに乗って街全体がお祭りである。

主人公のオルフェはギターと歌が上手だ。彼はユリディスと恋に落ちるが、ユリディスは死に神に取り憑かれて死んでしまう。

ユリディスを諦めきれないオルフェは、死者の口寄せでユリディスに会う。

ユリディスは声をする方に振り向かないよう注意するが、会いたい一心で振り返ってしまう。

ユリディスの声を発していたのは老婆であった。

熱狂的なカーニバル、丘から見下ろすリオデジャネイロの美しい港の景色そして子供たちが青い空に揚げているヒマワリを形取った凧が印象的。

夏にお薦めの一本である。

http://cinema.werde.com/new/orfeunegro.html
http://cinema.werde.com/new/orfeunegro.html#STORY

データ
国:フランス、ブラジル合作
制作年:1959年
カンヌ国際映画賞グランプリ受賞作品
監督:マルセル・カミュ
主演:ブレノ・メロ
   マルベッサ・ローン
   ルーステス・デ・オリベイラ
   リー・ガルシア
舞台:ブラジル リオディジャネイロ
ビデオ整理番号:0025-2