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始皇帝と徐福

2007-08-18 18:39:14 | 中国知っ得情報
8月6日毎日新聞の夕刊に、中国史に詳しい作家の陳舜臣が始皇帝と徐福という記事を書かれていましたのでそのエッセンスを記しました。

始皇帝と徐福に関する記述は司馬遷の史記に記されていました。
斉の人であった徐福が「海中に三神山があり、仙人が住んでいて、不老不死の薬を知っている」と秦の始皇帝に言って、童男童女三千、五穀の種、百工(さまざまな技術)とともにそれを求めに出かけようとしたのです。史記によれば、これが紀元前219年だったようです。それでは、徐福は本当に航海に出たのでしょうか?始皇帝は皇帝という称号をはじめて作って自らを始皇帝と名乗った大変な権力者でありましたが、一つだけ彼がどうしても手に入れることができなかったのが不老不死の薬であったわけです。始皇帝は彼が亡くなった年の紀元前210年、徐福に「不老不死の薬はまだ届かぬか」と海岸に視察にやってきたようです。徐福は「出発の準備はできておりますが、大きな鮫が出発を妨害しております」と。始皇帝は「それなら朕が退治してくれよう」と海上を巡り、鮫を見つけて殺しました。

陳舜臣氏によれば徐福は秦という絶対主義的な国を出たくて出たくてしょうがなかったと推察しています。そのために秦の始皇帝に不老不死の話を持ちかけ、資金を引き出して、どこかの国に渡ってしまったのだろうと推理しています。確かに歴史に厳格な司馬遷が“「徐福が「平原広沢を得て王になる」”と書いていることから、海外に渡ったと言うことは真実の可能性が高いのです。それではその行き先は日本だったのでしょうか?日本には徐福の伝説の土地が11ヶ所もあって、彼の墓が2ヶ所あることから日本渡来説が信じられているのです。しかしながら、「平原広沢」という地名は日本にはないことから日本への渡航説に疑問を挟む学者が多く、渡航先はアメリカだと唱える香港の学者さんもいるそうです。徐福伝説の謎は深まるばかりですね。

「徐福は神武天皇か」の記事は↓
http://blogs.yahoo.co.jp/moguma1338/25553699.html




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